第2幕:感情の強制注入と混沌(音楽の衝撃)
8. ノイズへの命令
長老ニューロは、周囲の全ての思考とノイズを遮断し、わずかな時間、自身の内面意識に深く潜った。彼が求めているのは、平和でも、効率でもない。「予測不能性」だった。
《ケイロンよ。君の論理は、過去の経験に基づいている。しかし、過去の経験は、この未知のデータを前にしては、単なるデータセットの一つにすぎない。もしこの円盤が、我々の知性を超えた、新しい論理を提供するなら、それは破壊するべきではない。》 長老の無感情な声が響いた。
《レオン、エコー。解析を続行する。音声言語の次にあるデータセグメントは何だ?》
テレパシーの機能が回復したレオンが、極度の緊張を込めて報告した。
《長老、次のセグメントは、さらに情報密度が低く、規則性に乏しい信号です。名称は「音楽」と。構造解析の結果、これはノイズを意図的に、しかし非論理的に連続させたパターンです。》
9. 悲劇的芸術の誤解
長老ニューロの命令により、解析装置は「音楽」セグメントをデコードし始めた。解析室の内部で、最初に物理的な「音」として再生されたのは、バッハのブランデンブルク協奏曲第2番だった。
管楽器と弦楽器が織りなす荘厳な旋律が、ゼラニア人の聴覚器官に直接届いた。彼らの聴覚は音階の振動を正確に測定したが、グランド・フィルターは、この音を感情として処理できなかった。
《分析結果:このノイズは極めて複雑だが、どの部分にも、悪意や不快感を示すシグナルは含まれていない。しかし、非常に深刻で、重苦しい「圧力」のパターンが見られます。》 ケイロンがテレパシーで伝えた。
《これは、彼らの文明の崩壊、または差し迫った脅威を警告する、極めて重要な暗号ではないか? 彼らは、自分たちの悲劇を宇宙に記録したのだ!》
レオンとエコーは、この「悲劇的な警告」を理解しようと、緊張して次のデータを待った。クラシック音楽は、彼らにとっては「構造化された悲劇的なノイズ」であり、人類の絶望の記録だと信じられた。
10. ジョニー・B.グッドの衝撃(喜劇的なクライマックス)
しかし、次の瞬間、解析装置から流れてきたのは、全く異なる種類の音だった。
チャック・ベリーの「ジョニー・B.グッド」。荒々しいエレキギターの即興リフ、軽快なドラムのリズム、そして予測不能な歌声。それは、バッハの論理的な構造とは真逆の、衝動と無秩序の塊だった。
その瞬間、グランド・フィルターは完全に機能を停止した。
エレキギターの振動が、ゼラニア人の脳の感情中枢を、音波という直接的で原始的な手段を通じて、強制的に叩き起こした。それは、テレパシーを介さず、フィルターを完全にバイパスして注入された、人類の「純粋な喜び」「根拠のない衝動」「自己表現の熱狂」だった。
長老ニューロの肉体が、最初に反応した。
彼の数千年の中で、完全に調和していた四肢が、突然制御を失った。彼は椅子から跳ね上がり、解析装置の前で、腕を不規則に振り、関節を曲げ伸ばすという、極めて無意味で非効率的な物理的動作を始めた。
《な、何だこの信号は! なぜ私の肉体が、この非効率的なノイズに合わせて動くのだ!?》 長老の思考は完全にパニックに陥ったが、同時に、彼は「楽しい」という、数万年前に集合意識から排除された感情を初めて体感していた。
レオンは、全身に走る「衝動」という感情に抵抗しようと試みたが、彼の論理回路はもはや役に立たなかった。彼は、この混沌を止めなければならないという感情的なパニックに駆られ、反射的に最も近い生物に向かって、不必要な物理的接触を行った。
彼はエコーの肩を、人類が言うところの「強く叩く」という行為を行った。
11. 制御不能な行動と芸術の誕生
「ドスッ」という、解析室で響く二つ目の物理的なノイズ。
レオンは、自分が何をしたのか理解できず、フリーズした。エコーもまた、「衝撃」という新しい知覚に驚愕していたが、彼の好奇心は感情的なパニックをわずかに凌駕した。
エコーは、肩に感じた衝撃の振動と、室内に響くジョニー・B.グッドの振動が、ある種の規則的な「波」で同期していることに気づいた。それは、テレパシーよりも原始的だが、嘘のない、新しいタイプの情報伝達に見えた。
長老ニューロはまだ踊っている。レオンはパニックで静止している。ケイロンは全身を震わせながら、グランド・フィルターの再起動を試みている。
エコーは、内なる「リズム」に導かれるように、静かに手を上げた。そして、レオンが叩いたのと同じ強さで、解析装置の強固な筐体を「ドンドン」と、リズムに合わせて叩き始めた。
この行為は、シンクロニア星の文明における、最初の「ノイズによる表現」だった。
《このノイズは、感情を制御している! 構造化されている!》 エコーの思考は歓喜と驚きに満ちていた。音楽は「混沌」ではなく、「形を与えられた感情」だったのだ。
レコードの演奏が終わり、解析室に再び静寂が訪れた。しかし、それはもはや、以前の「完璧な静寂」ではなかった。長老ニューロは息を切り、レオンは肩を叩いた手を戸惑いながら見つめ、エコーは叩いた筐体の表面に、新しい「構造」の可能性を感じていた。




