静かな裏切り
最初の欠片を手に入れた翌日から、
監獄の空気は、目に見えない“ささくれ”を帯び始めた。
巡回が、わずかに増えた。
警棒の音が、妙に近い。
点呼の視線が、やけに長い。
どれも、確証にはならない。
だが――
何かが、こちらを嗅いでいる。
◆
「動きが、読まれてるかもしれない」
雑務通路の陰で、
暗殺者が低く言った。
「“読まれてる”というより、
“教えられてる”匂いだな」
グラムが、炉の煤を指でぬぐいながら答える。
◆
「密告、か」
俺がそう言うと、
リオルが、いつもの軽い調子で肩をすくめた。
「この監獄に“善人”なんて期待しない方がいいよ。
点数を稼げば、飯と寿命が延びる」
「裏切りは、ここじゃ通貨だ」
◆
その日の作業中、
俺は一度だけ、
“それらしい男”と目が合った。
年嵩の囚人。
背は低く、
終始、周囲を窺うような視線。
俺と目が合った瞬間、
そいつは、わずかに口角を上げた。
――嫌な笑い方だった。
◆
「……今の、見たか」
作業の合間、
クロウが、影から囁いた。
「ああ」
「匂いが、違う」
それだけで、十分だった。
◆
その夜。
俺たちは、
互いに離れた房から、
“何もないふり”をしたまま、
小さく情報を繋いでいた。
直接集まらない。
視線も合わせない。
ただ、
“動かないこと”こそが、今夜の最重要事項だった。
◆
だが――
静けさは、長く続かなかった。
深夜。
遠くの区画で、
突然、怒号が上がった。
◆
「動くな!」
「伏せろ!」
「結界、再起動!」
金属音。
悲鳴。
床を引きずる音。
監獄が、部分的に“騒がしく”なる。
◆
翌朝、
噂は、食事より早く回った。
「昨夜、
“解除”に関わった囚人が、
処分塔へ送られたらしい」
「誰だ?」
「名は知らねぇ。
だが……」
囁くように続く。
「“結界屑をいじってた”って密告されたらしいぞ」
◆
胸の奥が、冷えた。
あの欠片のことだ。
間違いない。
◆
「……一人、潰された」
グラムが、歯を噛みしめる。
「俺たちじゃない」
「だから、次は――
もっと確実に潰しに来る」
◆
リオルが、
珍しく、笑わなかった。
「賭け金が、上がったね」
「密告者は、
“まだ近く”にいる」
◆
その時だった。
作業場の奥、
あの年嵩の囚人が、
看守に向かって、
小さく何かを囁くのが見えた。
距離があり、
言葉は聞こえない。
だが――
看守の視線が、
その直後、
俺の腕へと、滑ってきた。
◆
ほんの一瞬。
それだけで、
全てが、繋がった。
◆
「……確定だ」
暗殺者が、影の中で言う。
「“あいつ”が、売っている」
◆
その夜。
再び、巡回が増えた。
だが、今度の俺たちは、
もう“気づかれない側”ではなかった。
◆
「どうする」
クロウが、低く問う。
◆
「……生かすか、
消すか、
黙らせるか」
リオルが、淡々と選択肢を並べる。
◆
俺は、しばらく考えた。
能力は、まだ戻らない。
確率も、見えない。
だが――
ここで、何もしなければ、
次に消えるのは、
俺たちの誰かだ。
◆
「黙らせる」
俺は、そう言った。
「死なせはしない。
だが、
二度と“売れない”状態にする」
◆
暗殺者が、
静かに頷いた。
「夜だな」
◆
その一言で、
今夜の“静寂”の使い道が、決まった。
鋼鉄の檻の中で、
脱獄計画の敵は、
ついに“外”ではなく――
“内”から牙を剥いた。




