最初の欠片
夜の作業区画は、
昼よりもずっと静かだった。
送気管の低い唸りと、
遠くの水音だけが、
鋼鉄の檻の奥で、ゆっくりと呼吸している。
◆
「……ここだ」
沈黙の暗殺者の声は、
闇に溶けるように低かった。
俺たちは、
資材搬入口の裏手、
“監視の継ぎ目”と呼ばれる場所に立っていた。
看守の視線が交差し、
ほんの数秒だけ、
どちらからも“見られなくなる”死角。
◆
「この先は、
巡回が一拍ずれる」
暗殺者が、指で床を軽く叩く。
「その“ズレ”が、
お前の命になる」
「分かった」
◆
グラムは、
壁際に積まれた金属屑の山を見つめていた。
「ここはな」
低い声で言う。
「結界を補修した後の、
“不要部材”が捨てられる場所だ」
◆
「結界の、不要部材?」
俺が聞き返すと、
グラムは、鼻で笑った。
「完全な素材は、外へ持ち出される」
「ここに残るのは、
割れた欠片、
魔力を通さなくなった“死んだ金属”だけだ」
◆
「それが、使えるのか」
「使えるかどうかは、
“目”の問題だ」
そう言って、
グラムは屑の中へ手を突っ込んだ。
◆
——キィン。
短く、澄んだ音。
グラムの指先から、
小さな金属片が引き抜かれる。
黒ずんでいるが、
縁だけが、妙に滑らかだった。
◆
「これだ」
「ただの、ゴミに見えるが……」
「“結界を通らなかった金属”だ」
グラムは、
それを軽く叩いて見せる。
——コン。
音が、鈍く“返らない”。
「魔力を、拒む性質が残っている」
◆
俺は、
その小さな欠片を見つめた。
能力が封じられた今、
解析はできない。
だが――
(……直感だが)
これは、
この監獄にとって“異物”だ。
◆
「これが、何になる」
暗殺者が、静かに聞く。
「今は、まだ“種”だ」
グラムは、そう答えた。
「だが、
これがあるとないとじゃ、
“壊せるものの範囲”が変わる」
◆
「腕輪も、か?」
俺がそう言うと、
グラムは、視線を逸らした。
「……可能性は、ある」
その一言で、
胸の奥が、静かにざわついた。
◆
その瞬間。
遠くで、
警棒が床を打つ音がした。
◆
暗殺者の声が、即座に切り替わる。
「来る。
三拍で消えろ」
◆
一拍。
二拍。
三拍。
俺たちは、
影の中へ、同時に溶け込んだ。
◆
看守の足音が、
目の前を通り過ぎる。
視線が、
金属屑の山をかすめる。
だが――
グラムが、
すでに“ゴミと同じ角度”で、
欠片を屑の中へ戻していた。
完全に、
ただの廃材にしか見えない。
◆
足音が、遠ざかる。
◆
沈黙が戻った後、
グラムは、
いつの間にか、その欠片を懐に収めていた。
「……気づかれていない」
暗殺者が、低く言う。
◆
「これが、最初の一つだ」
グラムが、静かに言った。
「解除だの、脱獄だの、
そんな大それた話は、
この“欠片一つ”からしか始まらねぇ」
◆
俺は、
両腕の黒い腕輪を見下ろした。
たった一片の金属。
だが――
それは、確かに“封印”へ向けた
最初の楔だった。
◆
その夜。
房へ戻った俺の耳に、
リオルの声が、ひそひそと届いた。
「いやぁ……
今夜の賭け、
どうやら“一口目”は当たりらしいね」
姿は見えない。
だが――
あいつは、もう嗅ぎつけている。
◆
「詐欺師」
俺が呟くと、
くすっと笑う気配だけが、
闇の奥で揺れた。
鋼鉄の檻の中で、
脱獄への道は――
ついに、“物質”として動き始めた。




