運命の詐欺師
雑務通路という場所は、
鋼鉄の檻の中でも、特に“音”が歪む。
水音が二重に反響し、
鎖の擦れる音が、どこから鳴ったのか分からなくなる。
逃げ道の錯覚を生む、
いやらしい構造だ。
◆
「……あれ?」
その通路で、
場違いなほど軽い声がした。
「君、新入りだよね?」
振り向くと、
鎖をぶら下げた細身の男が、
壁にもたれかかるように立っていた。
年は俺より少し上。
目元は細く、
笑っているのか、警戒しているのか分からない表情。
◆
「誰だ」
「いやぁ、名乗るほどでもないけど……」
そう言いながら、
男は、わざとらしく胸に手を当てた。
「リオル。
人呼んで、“運命の詐欺師”ってね」
「……自分で言うのか」
「人が言ってくれないからさ」
へらっと笑う。
◆
「それで、賢そうな君は何者?」
「アルスだ」
「アルスくんね。
じゃあさ、さっそく質問」
リオルは、
指を一本立てた。
「君、
ここから出られると思う?」
◆
「思う」
俺は、即答した。
リオルは、少しだけ目を丸くした。
「へぇ……即答なんだ」
「考える必要がない」
「それはそれで、怖いけどね」
◆
「君さ」
リオルは、歩きながら言った。
「この監獄、
脱獄者ゼロだって知ってる?」
「ああ」
「結界、警備、自動迎撃、
全部そろった“完全犯罪予防施設”」
「それでも?」
「それでもだ」
◆
リオルは、
くすっと笑った。
「いいね。
そういう“根拠のない自信”、嫌いじゃない」
「……根拠はある」
「お?」
興味深そうに、
こちらを見る。
「でも、今は言えない」
「なるほど。
“言えない自信”か」
納得したように頷く。
◆
「で、アルスくん」
リオルは、
急に声を落とした。
「君さ――
もうゼノンに嗅がれたでしょ」
その一言で、
空気が変わった。
「……なぜ分かる」
「簡単だよ」
にやり、と笑う。
「君の“匂い”、
もう半分“狩られる側”になってる」
◆
「ゼノンに目をつけられた囚人はね」
「逃げようとするか、
諦めて壊れるか、
どっちかしか選べない」
「君は、どっち?」
◆
「逃げる」
俺は、迷わず答えた。
◆
リオルは、
一瞬だけ、黙った。
それから、
いつもの軽さに戻る。
「ふぅん……」
「じゃあ、
僕は“賭け”に乗るとしようかな」
◆
「賭け?」
「そう」
指を鳴らす。
「君が逃げられるかどうか。
そして――」
少しだけ、
笑顔が歪んだ。
「君が逃げる時に、
僕を一緒に連れて行くかどうか」
◆
「……俺は、
誰でも連れて行くわけじゃない」
「知ってる。
だからこそ、面白い」
軽い口調。
だが、その目は、妙に真剣だった。
◆
「一つだけ、忠告しとくよ」
リオルは、
通路の奥へと歩き出しながら言った。
「この監獄で“計画”を立てるなら、
必ず二種類の人間が必要だ」
「一つは、“形を作る者”」
グラムの顔が脳裏をよぎる。
「もう一つは――」
振り返って、
にっこり笑った。
「“嘘を信じさせる者”」
◆
そのまま、
リオルは闇の向こうへ消えていった。
残された俺は、
しばらく、その言葉を反芻していた。
力。
技。
そして、
“嘘”。
脱獄という不可能を成り立たせるには、
どれも欠けてはいけない。
◆
その夜。
房の中で、
沈黙の暗殺者が、低く言った。
「……詐欺師は、
最後まで信用するな」
「だが、使え」
「使いどころを間違えたら、
全員死ぬ」
◆
不敗の鍛冶師。
沈黙の暗殺者。
運命の詐欺師。
囚人たちの中で、
最も危険で、最も有用な“駒”が、
これで、すべて揃った。
鋼鉄の檻の中で、
脱獄計画は、
ついに“形”を持ち始めた。




