脱獄
背後で響いた、
あの重い衝撃音。
それが、
何を意味しているのか――
考えないように、
俺は前だけを見て走っていた。
「……来ないな」
クロウが、
荒い息の合間に、
小さく言った。
異様だった。
あれほどの暴動。
あれほどの警報。
それなのに、
この通路だけが、
不自然なほど静かだ。
「……来られない、が正しい」
俺は、
歪んだ演算結果の中から、
わずかに“重なって見える一つの答え”だけを拾う。
ゼノンは――
今、
完全にリオルに引き寄せられている。
それは、
リオルが“嘘”を重ね続けているという証拠でもあった。
「……あいつ、
とことん、
詐欺師だな」
クロウが、
どこか苦しそうに、
それでも、
わずかに笑った。
そのとき、
グラムが、
通路の先で立ち止まった。
「……ここだ」
壁一面、
ただの岩盤にしか見えない場所。
だが、
グラムが手を当てた瞬間、
“音”が変わった。
空洞だ。
「最初から、
脱獄用に作った道じゃねぇ」
グラムは低く言う。
「昔、
俺が掘らされた“拡張用の未成工事”だ」
巨大な石材の裏側。
人一人が、
ようやく通れるほどの、
歪な隙間。
「……ここを抜ければ、
外周の保守通路に出る」
俺は、
新型腕輪の違和感を無視し、
通路全体を解析する。
【崩落確率:三七%】
【崩落確率:零%】
【崩落確率:六一%】
また、
バラバラな答え。
「……崩れるかもしれない」
俺が言うと、
グラムは、
即座に返した。
「崩れない道なんて、
最初から信じてねぇ」
クロウが、
無言で先に滑り込む。
「……俺が先に行く」
「クロウ――」
「俺は、
もう一度捕まったら、
終わりだ」
振り返らずに、
そう言った。
「だったら、
せめて、
一番前で死ぬ」
その背中に、
嘘はなかった。
俺たちは、
続いて、
狭い隙間に身体を押し込んだ。
岩盤は冷たい。
湿った空気が、
肺の奥に、
重く沈む。
その途中で――
大きな振動が走った。
「……っ!」
天井の一部が、
砂のように崩れ落ちる。
【崩落確率:六一%】
その数字だけが、
やけに鮮明に浮かんだ。
「急げ!!」
グラムの叫び。
クロウが、
歯を食いしばりながら、
前へ進む。
その背中を、
岩の破片がかすめる。
だが――
倒れない。
「……通れた!」
クロウの声。
その次の瞬間、
グラムが、
無理やり俺の背中を押し出した。
「アルス!
行け!!」
俺が隙間を抜けた直後、
背後で、
未成工事の通路が、
完全に潰れた。
砂塵が、
激しく舞い上がる。
「……封鎖、完了だな」
グラムが、
荒い息で言った。
それはつまり――
もう、
後戻りは、完全に不可能ということだった。
保守通路は、
外周に沿って、
なだらかに上へ続いている。
冷たい風が、
確かに、
下から上へ流れてきていた。
「……風」
クロウが、
目を見開いた。
「外の、風だ」
その一言で、
胸の奥が、
強く震えた。
俺は、
新型腕輪の違和感を抱えたまま、
最後の演算を回す。
だが――
もう、
“答え”は求めなかった。
ただ、
今、踏み出す一歩が、
外へ続いているかどうか。
それだけを、
確かめる。
足を、前に出す。
冷たい岩を蹴り、
さらに、
上へ。
そして――
視界が、
一気に、開けた。
夜空。
雲。
風。
星。
それらすべてが、
数式でも、
確率でもなく、
“現実”として、
俺の目に飛び込んできた。
「……外、だ」
クロウが、
信じられないように、
そう呟いた。
グラムは、
何も言わず、
空を見上げていた。
俺は、
新型腕輪を見下ろす。
まだ、
外れてはいない。
能力も、
完全には戻っていない。
それでも。
「……出たんだ」
俺たちは、
確かに、
鋼鉄の檻の外へ出た。
だが、
背中が、
ひどく、
冷たかった。
ゼノンは、
まだ、
あの檻の中にいる。
そして――
必ず、
追ってくる。
それだけが、
歪んだ計算の中でも、
はっきりと“確定”していた。脱獄




