嗅覚 vs 超解析
背後で、
音が“消えた”。
それが、
いちばん不気味だった。
足音も、
金属の擦れる音も、
怒号すらも。
何も聞こえないのに――
確実に、追ってきている。
【接近速度:一定】
【接近速度:予測不能】
【接近方向:不明】
新型腕輪が、
また、三つの答えを同時に叩きつけてくる。
「……ちくしょう」
俺はクロウの腕を引きながら、
ひび割れた通路を走った。
グラムが最後尾で、
振り返りながら怒鳴る。
「アルス!
来てるのか!?」
「……来てる」
曖昧な返答に、
それでも、グラムは理解した。
来ているが、
“見えない”ということを。
次の瞬間。
空気が、
圧縮された。
反射的に、
俺はクロウを突き飛ばした。
「伏せ――」
言い終わる前に、
地面が、
爆ぜるように砕けた。
爆風。
破片。
衝撃。
「……ぐッ!」
視界の端で、
人影が、
“最初からそこにいた”かのように立っている。
ゼノン・グレイブ。
息も切らさず、
警棒を肩に担いだまま。
「……やはり、速いな」
低い声。
そしてその視線が、
一直線に、
俺だけを捉えた。
【次の一撃:右斜め上】
【次の一撃:正面】
【次の一撃:来ない】
三つの予測が、
同時に浮かぶ。
「……どれだ!」
俺は、
“来ない”を捨て、
右と正面の中間へ跳んだ。
次の瞬間。
そこに、
“本当の一撃”が来た。
予測と予測の、
ちょうど“隙間”。
肩が、
焼けるように痛む。
「……ッ!」
骨までは、いっていない。
だが、
確実に、深い。
「アルス!」
クロウの叫び。
「止まるな!」
俺は歯を噛みしめ、
血に濡れた腕を押さえながら前に出た。
ゼノンは、
俺が“どの予測を選ぶか”を、
嗅いでいた。
数式ではない。
確率でもない。
“迷いの匂い”。
「お前は、
次に“どの未来”へ逃げるか――
それを、
匂いで選んでいる」
ゼノンの言葉に、
背筋が凍る。
つまり、
俺が未来を選んだ“瞬間”を、
この男は感知している。
「……厄介すぎる」
グラムが前に出た。
工具を振りかぶり、
真正面からゼノンへ打ち込む。
だが――
ゼノンは、
当たる前に、
そこにはいなかった。
重心移動の“兆し”だけを嗅ぎ、
最短の位置へ滑り込んでくる。
グラムの脇腹に、
警棒が、
無慈悲に叩き込まれた。
「……ぐッ!」
膝をつくグラム。
「くそ……!」
クロウが、
咄嗟に前に出ようとする。
「戻れ!!」
俺は叫んだ。
今、クロウが倒れれば、
この作戦は、
その瞬間に終わる。
【突破成功率:一四%】
【突破成功率:零%】
【突破成功率:四三%】
また、三つの答え。
どれが本当だ。
どれが、嘘だ。
もう、
超解析は“真実を示さない”。
それでも――
選ばなければならない。
俺は、
いちばん“信じたくない”数字を、
あえて、選んだ。
【一四%】
「……グラム、
“左の支柱”を壊せ!」
グラムが、
一瞬だけ、俺を見る。
だが、迷わず動いた。
巨大な金属支柱に、
最後の力で打ち込む。
——ガァン!!
次の瞬間、
天井の一部が、
想定以上の規模で崩れた。
埃と瓦礫が、
ゼノンと俺たちの間に、
壁のように落ちる。
「……なっ」
初めて、
ゼノンの声に、
わずかな驚きが混じった。
【成功】
その二文字が、
ようやく、
“単独の答え”として浮かんだ。
俺は叫ぶ。
「今だ!
走れ!!」
クロウとグラムを引き、
全力で、
煙の中を駆け抜ける。
背後から、
瓦礫を蹴散らす音。
ゼノンは、
止まらない。
それでも――
この数十秒だけは、
確かに、俺たちが“先に走っている”。
誤差だらけの計算。
外れ続ける未来。
それでも、
当たる瞬間は、確かに存在した。
その事実だけを胸に、
俺は、走り続けた




