壊れた計算
意識が戻ったとき、
俺は自分の房の寝台に、雑に放り込まれていた。
天井が、ぼやけて見える。
いや――
ぼやけているのは、
世界そのものの方だった。
右手を、ゆっくりと持ち上げる。
そこには、
見慣れた黒い腕輪がある。
だが、
触れた瞬間、はっきりと分かった。
これは、
もう“前の封印”じゃない。
頭の奥で、
ぎぃ……
と、嫌な音が鳴り続けている。
まるで、
壊れかけの歯車を、
無理やり回しているような――
そんな感覚。
「……試すしか、ないか」
俺は、
ベッドの縁に腰掛け、
小さく息を整えた。
超解析を起動する。
……いや、
“起動しようとする”。
次の瞬間、
視界に、かすかに線が走った。
床の傾斜。
壁の厚み。
房の外を巡回する看守の位置。
見える。
確かに、見える。
だが――
そのすぐ横に、
意味の分からない“ズレ”が割り込んでくる。
【成功率:八七・四%】
【成功率:三一・九%】
【成功率:五五・〇%】
同じ対象に対して、
まったく違う答えが、同時に並ぶ。
「……は?」
思わず、声が漏れた。
どれが正しい?
どれが誤差だ?
それとも――
全部が、間違いか?
頭の奥が、
ずきり、と痛んだ。
演算を深く回そうとした瞬間、
また、あの“異音”が走る。
ぎぃ……
ぎぃ……
ぎぃ……
思考の途中に、
強制的に“別の答え”がねじ込まれる。
まるで、
俺の中の計算機に、
誰かが勝手に“ノイズ”を流し込んでくるように。
――いや。
これは、
ノイズなんて生易しいものじゃない。
“改ざん”だ。
俺の超解析は、
もはや純粋な最適解を導かない。
必ず、
どこかで、
“壊された答え”に書き換えられる。
それが、
ゼノンの言っていた
**「思考を狂わせる拘束」**の正体だった。
「……笑えないな」
俺は、
自分でそう呟いていた。
今までの俺は、
失敗しない前提で動いていた。
いや――
正確には、
失敗を“排除”できていた。
だが、今は違う。
どんな計算も、
どんな未来予測も、
必ず、どこかで狂う。
それはつまり――
“確率100%の道”が、この世界から消えたということだ。
その事実が、
胸の奥に、ずしりと落ちた。
房の外で、
足音が止まった。
小さな金属音。
扉の小窓が、
わずかに開く。
リオルの目が、そこにあった。
声は出さない。
唇の動きだけで、
そっと伝えてくる。
――生きてるか。
俺は、
小さく頷いた。
だが、
その次の瞬間、
胸の奥で別の答えが浮かんだ。
“生きている”だけで、
前と同じでは、もうない。
リオルの視線が、
俺の腕輪へ向かう。
一瞬だけ、
眉が、わずかに動いた。
それだけで、
あいつにも、何かが伝わったのだと分かった。
やがて小窓が閉じ、
足音が遠ざかる。
房の中に、
再び静寂が戻った。
俺は、
両手を見つめた。
まだ、考えられる。
まだ、見える。
だが――
その“答え”を、
俺自身が、
信じきれない。
これほど、
恐ろしい状態があるだろうか。
知性が武器だった男が、
その知性そのものを、
疑わなければならない。
「……ゼノン」
あの男は、
俺の能力を“封じた”のではない。
“壊した”のだ。
それでも――
思考を止めるつもりはない。
止めた瞬間、
それこそが、
この檻に負けた証になる。
壊れた計算でもいい。
歪んだ未来でもいい。
それでも、
俺は――
考え続ける。
たとえ、
その先にある“答え”が、
必ず裏切るものだったとしても。壊れた計算




