一瞬の自由
目を開けた瞬間――
世界が、別の姿で存在していた。
天井は、ただの石じゃない。
無数の線が走り、重なり、交差し、
強度、厚み、崩落確率までもが、
一つの式として視界に浮かんでいる。
床も、壁も、空気ですら、
すべてが“情報の層”として重なって見えた。
ここは監獄だ。
だが今の俺には、
一つの巨大な計算式にすぎない。
「……戻った、のか」
声が、かすれて出た。
その瞬間、
周囲の音が、まとめて意味を持って流れ込んでくる。
グラムの心拍数。
リオルの呼吸の間。
壁の向こうを巡回する看守の歩幅と、
次に足を置く位置。
すべてが、
“結果が確定した情報”として、同時に理解できた。
グラムが、
信じられないものを見る目で、
俺を覗き込んでいる。
「……おい、アルス」
「見えてる」
俺は、短く答えた。
「全部だ」
言葉の意味を、
グラムはまだ測りきれていない。
だがリオルは、
一歩引いた位置から、
静かに俺を見ていた。
「……へえ」
軽い声の裏に、
わずかな緊張が混じる。
「それが、君の“本来の目”か」
俺は、
無意識のうちに、
自分の両腕へ視線を落とした。
腕輪は、まだある。
だが――
もはや、何も封じていない。
魔力の流れは、
腕輪をすり抜け、
俺の中を、正しい循環で巡っている。
「……完全に、外れた」
そう言った瞬間、
胸の奥に、熱が広がった。
抑え込まれていた思考が、
火花を散らしながら再起動する。
演算が、始まる。
同時に、千通りの未来が走り出す。
「この区画からの脱出成功率――
九六・八%」
言葉が、
勝手に口からこぼれた。
グラムが、息を呑む。
「結界の弱点は三か所。
看守の視線の死角は――今、この瞬間、二十秒だけ開く」
数字が、
確信を持って並ぶ。
「地下から地上までの最短経路。
障害物、七。
追跡が入る確率、三・二%」
まるで、
世界そのものが、
俺に“正解”を差し出してくるようだった。
「……今なら、逃げられる」
俺は、断言した。
「理論上、
この監獄からの脱獄は、完全成功する」
沈黙が落ちた。
グラムは、
歯を食いしばったまま、
何も言わない。
リオルは、
逆に、静かに笑った。
「へえ……
じゃあ僕ら、もう勝ったってこと?」
その問いに、
俺は、即答できなかった。
なぜなら――
視界の端で、
**一つだけ、どうしても“読めない点”**があったからだ。
それは、人じゃない。
物でもない。
現象でもない。
ただ、
“違和感”だけが、
そこに存在している。
俺は、
無意識に、
その“点”の先を追ってしまう。
そして、気づいた。
ゼノンだ。
位置は、特定できない。
移動経路も、行動予測も、
数式から、わずかに外れている。
まるで、
この世界において、
唯一“計算に乗らない存在”。
「……ゼノン」
名前を口にした瞬間、
胸の奥が、冷たくなった。
完全に見えている。
完全に読めている。
それでも――
あの男だけは、“完全ではない”。
「アルス?」
リオルが、
俺の顔色を見て声をかける。
俺は、
一度だけ、目を閉じた。
そして、
ゆっくりと息を吐く。
「今は――
自由だ」
それは事実だ。
腕輪の拘束はない。
思考の制限もない。
解析は、完璧に回っている。
だが、この自由は――
永遠のものではない。
その予感だけが、
はっきりと、胸に残っていた。
それでも俺は、
一歩、前に出た。
この“一瞬の自由”を、
何よりも確かに掴むために。一瞬の自由




