解除の夜
その夜、
監獄は、異様なほど静かだった。
巡回はいる。
看守も立っている。
だが、足音の間隔が、わずかに――均等すぎる。
まるで、
何かが起きることを、あらかじめ知っているかのように。
俺は、房の中で息を潜めていた。
寝台の上には、
いつも通りのダミー。
だが今夜は、
それを置いて戻ってくるつもりはないかもしれない。
それでも、
手は震えなかった。
怖さよりも、
ここまで来たという実感の方が、重かった。
三巡目の巡回。
——カン。
——カン。
——カン。
合図。
俺は音を立てずに起き上がり、
配管の隙間へ身体を滑り込ませた。
外気が冷たい。
鉄の匂いが、肺の奥に刺さる。
先行する影――グラム。
少し遅れて――リオル。
今夜、クロウはいない。
それが、この作戦の重さを、
余計にはっきりさせていた。
目的地は、
地下区画の最下層。
結界が幾重にも重なり、
魔力の流れが最も濃くなる場所。
腕輪を“揺らす”ために、
一番都合のいい場所。
狭い配管の中で、
グラムが小さく手を上げた。
停止の合図。
壁の向こうに、
看守の足音。
——一人。
——二人。
間隔が、詰まっている。
「……増えてるな」
リオルが、ほとんど唇だけを動かして言った。
グラムは、返事をしない。
それでも、
そのまま前へ進んだ。
俺たちは、
もう“引き返す理由”を、置いてきている。
やがて、
配管の終点に辿り着く。
そこは、
使われなくなった旧制御室の真上だった。
床には、
複雑な魔力の流れが、
薄く、だが確実に走っている。
「……ここだ」
グラムが小さく言った。
俺は、
床に腰を下ろし、
両腕を差し出す。
冷たい石の感触が、背中に広がる。
グラムは工具を取り出し、
あの最終パーツを、
俺の腕輪へと合わせた。
金属と金属が、
かすかに擦れる音。
「いいか、アルス」
グラムの声が、
今までで一番低い。
「途中で気絶するかもしれねぇ」
「それでも、
装置は止めるな」
俺は、
黙って頷いた。
逃げ道は、
もうない。
リオルが、
周囲の音に神経を張り巡らせながら、
小さく言った。
「今のところ、
気配は静かだ」
その言葉を合図に、
グラムは、
装置の起動レバーを、
ゆっくりと引いた。
次の瞬間。
痛みが、爆発した。
腕から、
骨の中へ。
神経の奥へ。
熱でも、冷たさでもない。
理解できない感覚が、
一気に流れ込んでくる。
「ッ……!」
声が、喉の奥で潰れた。
視界が、揺れる。
床が、遠ざかる。
腕輪が、
内側から――
俺の“流れ”に逆らうように、震え出した。
その震えが、
一瞬だけ、完全にズレた。
その刹那。
世界が、
ひっくり返った。
壁が――
線になる。
空間が――
数式になる。
看守の位置が――
確率の点になる。
魔力の流れが――
光の川になる。
超解析が、完全に目を覚ました。
時間が、
止まったように感じた。
同時に、
情報が、洪水のように押し寄せる。
この監獄の形。
結界の継ぎ目。
看守の配置。
ゼノンのいない位置。
すべてが――
“確定した答え”として、そこにあった。
だが、
その次の瞬間。
視界が、
急激に、白く飛んだ。
「……ッ、アルス!」
誰かの声が遠くで聞こえる。
膝から力が抜け、
意識が、暗闇へと引きずり込まれた。
最後に見えたのは、
まだ外れていない腕輪。
だが、
確かに“何か”が、壊れた感触だけは、
はっきりと残っていた。
俺の意識は、
そのまま闇に沈んだ。
解除は――
成功したのか、
それとも失敗したのか。
答えはまだ、
この夜の中にある。




