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すべてを失って捨てられましたが、聖絵師として輝きます!~どうぞ私のことは忘れてくださいね~  作者: 水川サキ


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43/57

43、ふたりきりの夜の空

 あれから、父は幾度となく公爵家にやって来た。

 けれどエリオスは一貫して、会わないことを徹底した。


 父は声を荒らげ、門の前で訴えるようにして「裁判を起こす」と言い張ったが、何日経ってもその兆候は見られなかった。

 エリオスいわく、彼は実際に訴えを起こすことはできないのだろうと。だから、わざわざ脅し文句を言うためだけに頻繁に訪れるのだ。


 さすがに何度も追い返されるうちに、父もようやく諦めたらしく、公爵家を訪れることはなくなった。



 それとほぼ同じ頃、エリオスはハルトマン家へ手紙を出していた。

 私の事情を丁寧に説明したのだと彼は言う。

 まもなく、エレノア様から返事が届いた。


 彼女は私宛にも手紙をくださった。

 そこには「元気にしている?」とか「ちゃんと食事を取っているかしら」といった、温かく優しい言葉が並んでいた。


 そして、最後にこう書かれていた。


『パーティで会いましょう』



 オルナード国王室主催のパーティ前日の夜のこと。

 私は緊張でなかなか寝つけなくて、そっと寝室を抜け出した。


 庭園には月が浮かび、白い光が噴水の縁を淡く照らしている。

 夜風が髪を揺らし、どこか遠くで虫の声がした。

 私は石造りのベンチに腰を下ろし、ため息をつく。



 明日は、セリスやアベリオにも会うことになるだろう。

 それを思うだけで胸の奥がずっしり重くなる。


 けれど、王子直々の招待を断ることはできない。

 唯一の救いは、エリオスも同行してくれるということだった。


 そんなことを思っていたときだった。



「レイラ、そこにいるのか?」


 低く穏やかな声が近くからした。

 私ははっとして立ち上がり、声のした方へ向き直った。


 エリオスが杖を手に、ゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見えた。

 私が慌てて彼のそばまで駆け寄った。


「サイラスさんは一緒じゃないの?」

「夜の時間はひとりで過ごしたいんだ」

「危ないわ」

「平気さ。君がいるから」


 思わず笑みがこぼれる。

 彼の言葉はまっすぐで、いつも私の心に安堵感をもたらしてくれる。



「私がここにいるとわかって来たのね?」

「この邸宅の中で、君の気配だけが一番よくわかる」

「まあ、だったら私がどこにいるか、あなたには筒抜けなのね」

「そういうことだ」


 そう言って、エリオスはわずかに口角を上げた。

 私はそっと彼の腕を取って支え、ふたりでベンチに腰を下ろした。


 彼は静かに空を仰ぐような仕草をした。

 その横顔は月の光を受けて淡く縁取られ、どこか神秘的に見えた。



「レイラ、星は出ているか?」

「ええ。月もとても綺麗よ」

「そうだろうな。まぶしい光の形だけ、なんとなくわかる」


 その言葉に、私は小さく息を呑んだ。


「感覚で見えているの?」

「ああ、そうだ。実際の月がどんなものかは、昔の記憶を頼るしかないが」


 彼の世界には、私が見ているものがどんなふうに映っているのだろう。

 同じ夜空の下で、同じ光を共有できているのだろうか。



 エリオスがそっと私の手に触れた。

 そのまま、包み込むように握りしめてくる。

 手のひらに伝わる体温とともに、彼の思いが流れ込んでくる気がした。


 

 ああ、これが彼の心なのだと直感でわかった。

 その瞬間、私の頭の中にぼんやりと光の景色が浮かび上がった。

 けれど、それを見た自分に少し驚き、頬がじんわり熱くなった。


 これは、エリオスの願望なのかしら。



「手が冷たいな」

「えっ……あ、そうね。明日のことを考えると緊張してしまって」

「じゃあ、このまま手を繋いでいようか」

「え?」


 握られた手が、息を呑むほど熱かった。

 いや、熱いのは私のほうかもしれない。

 だって、エリオスから伝わってくる“思い”が、あまりにまっすぐで、そして少しばかり恥ずかしいものだったから。


 この光景をそのまま絵に描くことができる。

 でも、それをする勇気は、今の私にはとても持てなかった。


 そんな私の迷いを見透かしたように、エリオスは小さく笑って言った。



「そんなに月が綺麗なら、俺の絵を描いてくれるだろうか?」

「エリオス……っ!」

「だめなのか?」

「だって、そんな……」


 ああ、やっぱり気づかれていたのだわ。

 私が、彼の心を察してしまったことに。



「それは、無理だわ」

「なぜ?」

「……答えなきゃだめかしら」

「俺は今、君に絵の依頼をしたのに断られたんだ。その理由が知りたい」


 エリオスの声は静かな熱を帯びている。

 私はその響きに胸が高鳴り、息をするのも忘れてしまいそうになる。


 理由なんて、口にするのも恥ずかしい。

 それでも、逃げずに短く答えた。



「あなたの中には、私しかいないんだもの」

「その通りだよ、レイラ。俺はずっと君のことしか考えていない」


 そのひとことで、全身が一気に熱を帯びた。

 もう手の冷たさなんてどこかへ消えて、むしろ汗が滲むほどだった。



「君の姿が見たい。君の顔が見たいんだ。俺が今、望んでいるのはそれだけだ」


 その声音から、エリオスの切実な思いが深く伝わってきた。



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