16、あなたのためならば
翌朝、侍女が迎えにきて、私は朝食のためにダイニングルームへ案内された。
長テーブルにはすでにエリオスが席に着いていた。
私が侍女に促されて着席すると、彼はそっと体をこちらへ向けた。
窓から差し込む光が彼の黒髪を淡く青く照らし出す。
彼の黄金の瞳はきらめくほど美しいが、その視線はわずかに別のところにある。
けれど、彼は私に向かって穏やかに微笑んでくれた。
「おはよう、レイラ。よく眠れたか?」
「おはようございます、エリオス様。こんなによくしていただいて、申し訳ないくらいです」
「敬称はいらないよ。君は俺の友だちだから、敬語も必要ない。気楽に話してくれていい」
彼が笑うと胸の奥がきゅっとなる。
友だちと言われただけなのに、じわりと胸が熱くなった。
「ええ……わかったわ。エリオス」
「ああ。では、いただこう」
食卓には香ばしく焼かれたステーキ、湯気を立てるポタージュスープ、彩りのあるサラダにハーブの香りがするパンなどの料理が並んでいた。
驚いたのは、大皿のステーキがひと口大に切り分けられ、各皿にはフォークだけが添えられていることだ。
ちらりとエリオスを見ると、彼もまたフォークだけで静かにゆっくりと食事を口に運んでいる。
彼は目の前の料理が見えないから、ナイフを使わないのだと気づく。
私にも配慮してくださったんだわ。
嬉しくて、笑みがこぼれる。
ステーキは香ばしく、噛めば肉汁が広がり、ポタージュスープは優しい甘さが体に沁みる。
それでも、ここしばらくまともに食事をとっていなかったせいか、すぐにお腹がいっぱいになってしまった。
「ごめんなさい……本当に美味しいのだけど、ほとんど食べられなくて」
「無理をすることはない。少しずつ食べられるようになればいい」
彼の声は責めるどころか、むしろ労わるように優しい。
私はほっと安堵のため息を洩らし「ありがとう」と小さく答えた。
◇
数日後、エリオスが呼び寄せてくれた王都でも最高の医師が、私の右手を診てくれた。
医師は驚き、そして神妙な面持ちで深いため息をついた。
「ああ、これはひどい有様だ。さぞ痛みも強かったでしょう。処方されていた薬は、ほとんど効果はなかったはずです」
「ずさんな扱いをされたのだな」
エリオスの声がわずかに硬くなる。
医師は険しい表情のまま続けた。
「薬を変えましょう。それに、体内から毒を抜く必要があります。おそらく毒を含んだ薬物です。解毒を進めれば、後遺症もある程度は抑えられるでしょう」
「いくら費用がかかっても構わない。最高の治療を頼む」
「承知いたしました」
医師が去ったあと、侍女が静かにお茶を運んできた。
甘い香りが漂う中、私はエリオスと向かい合って座った。
「ここまでしていただくなんて、かえって申し訳ないわ」
「俺は君のためならどんなことでもしよう。不可能と言われる治療でもやってみせる」
「なぜ、そこまで……?」
「君に、また絵を描けるようになってほしいからだ」
思いもよらない言葉に息を呑む。
また絵を描ける日がくるなんて、想像もしなかったから。
「これは俺のわがままに付き合ってくれた礼でもある。もし君が再び筆を握れる日が来たら、俺のために一枚描いてほしい。それで充分だ」
エリオスは私の治療をする代わりに私の絵を要望している。
これがただの交換条件ではないことくらい、私にだってわかる。
彼はわざとそう言って、私の希望を見出してくれようとしているのだ。
この右手で筆を握るなんて、到底考えられないことなのに、それを可能だと言ってくれる。
「右手がよくなったら、一番に、あなたのために絵を描くわ」
言葉にすると、不思議な希望が胸に広がった。




