第8話 距離感
「たくみ! こっち!」
満面の笑みで手を振るその姿に、周囲の人間が一斉に目を向ける。正直、居心地が悪い。でも、俺を呼んでいるのは間違いなく彼女だ。
「服、可愛いね」
「ほんと!? 嬉しい」
無意識に口から出ていた。言った瞬間に顔が熱くなる。
こんなストレートなこと言うキャラじゃないのに。
というかこんなに可愛かったっけ。冗談抜きでやばい。
隣に並んで歩き出すと、陽菜が軽い調子で口を開いた。
「私さ、男の子とスタバとか行ってみたかったんだよね」
「そういうこと言うからモテるんだよ」
「え?なんでー?」
「まあいいや」
相変わらず素でこういうことを言う。それだからモテることに気づいているのだろうか。
俺たちはビルのエレベーターに乗り込み、上へ上へと進む。
「ここ、日本で一番高いところにあるスタバらしいよ!」
「へぇ、そうなんだ」
「なんかテンション上がるよね!」
キラキラした目で語る姿に、つられて口元が緩む。俺、今日何回顔緩んでるんだ。
カウンターで注文を済ませる。二人とも新作のフラペチーノを頼んだ。
「私、朝ごはんまだ食べてなかったんだよね。ご飯も食べちゃおうかな」
「なら俺も頼も」
「じゃあ私は桃のワッフル!」
「俺はハムとサラダのサンドかな」
商品を受け取り、窓際の席に腰を下ろす。
眼下に広がる街並みと、真上に迫る青空。都会の真ん中なのに、不思議と落ち着く。
「眺めすっごくいいね!」
「そうだな。てか、ホントにこんなのでよかったの?」
「ん?」
「条件がスタバ奢るっていうので」
「全然いいよ! 私もしてみたかったし」
陽菜はフラペチーノをひと口飲んで、嬉しそうに目を細める。その仕草があまりに自然で、つい見惚れてしまう。
ワッフルにフォークを入れた陽菜が、小さな声で「んー」と満足げに唸り、口へ運ぶ。
そして、ふわっと笑顔になった。
「ん、これめっちゃ美味しい…たくみも1口食べてみて!」
切り分けたワッフルをフォークに刺し、そのまま俺の口元へ突き出す。
「え、ちょっ…」
「はい、あーん」
その言い方があまりに自然で、冗談なのか本気なのかわからない。けど、陽菜は楽しそうに俺の反応を待っている。
周囲の視線が気になる。でも、断れる空気じゃない。
俺の頭はいっぱいいっぱいになってしまった。
仕方なく口を開けると、柔らかい生地と甘酸っぱい桃の香りが一気に広がった。
すごく美味しい。けどそれ以上に。
今、俺、陽菜が食べたフォークを口に入れた。これ、間接キスってやつじゃね?
意識した瞬間、耳まで熱くなる。舌に残る甘さよりも、変な高揚感が全身を支配していく。
やばいやばい。顔がどんどん熱くなってる気がする。
「美味しい…」
「でしょ!」
子どものように得意げに笑う。その無邪気さに、思わず視線を逸らした。
誤魔化すようにフラペチーノを吸い込むけど、冷たさでも顔の熱は冷めない。
「なら俺のも食べる?」
「いいの?」
「うん、ちょっとまってね」
俺はサンドをちぎり、彼女に差し出す。今度は逆の立場。
陽菜は少しだけ戸惑ったあと、視線を泳がせ、それでもフォークを見つめて小さく息を吐いた。自分のやったことに気がついたようだ。
「ほら口開けて、あーん」
恥ずかしそうに、でも拒まないで。ゆっくり口を開いた。
陽菜の唇が食べ物を受け取る。その瞬間、胸が一気に跳ね上がる。咀嚼する彼女の顔。頬にほんのり赤が差していくのがはっきり見えて、こっちまで息が詰まりそうだった。
「うん、美味しいけど…恥ずかしくなるね」
短い一言なのに、俺の心は破裂しそうだ。理性がただの友達だろと叫ぶのに、心は勝手に暴走している。
「陽菜っていつもこういうことしてるの?」
思わず口を滑らせてしまった。
「私、異性の友達全然いないし。いたとしても、こういうのするの、たくみくらいだよ。昔からの友達だからね」
そう言って、また少し頬を赤らめた。普段の自由奔放さとは違う、素の陽菜だ。
それは、俺にしか見せてない表情なんだろうか。
「そっか」
陽菜の言葉が頭の中で何度も反響する。友達だから。そう言われたのに、なぜか心が落ち着かない。
「なに? 急に黙っちゃって」
「いや…」
言葉が続かない。変に返したら、陽菜に不審がられそうだ。
陽菜はワッフルを小さく切り分けて、幸せそうにもぐもぐと食べていた。口元にほんの少しクリームがついていて、思わず視線が止まる。
指で拭ってやったらどうなるんだろう、なんて一瞬でも考えてしまった自分に、慌てて目を逸らした。
なに考えてんだ俺。
「ん? どうしたの」
「なんでもない」
絶対言えない。
そんなことを可愛いと思ってしまったなんて。
陽菜は首を傾げつつ、フラペチーノのカップを振って笑った。
「こうやって外でご飯食べるの、なんか新鮮だね」
「そうだね…」
取り繕うように返事をする。でも本当は目の前の当たり前じゃない景色に、心を掴まれているのかもしれない。
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