第26話 笑顔の隣で
ついにやってきた。
今まで陽菜と会う前は、毎回緊張していた。でも今日は、その比じゃない。胸の奥がざわついて、心臓の音が地下鉄の揺れに紛れず聞こえてしまうんじゃないかと不安になるくらいだ。
今日で全てを決め切る。その覚悟があった。
湊や海斗に散々アドバイスをもらって臨んでいるから、大丈夫なはずだ。そう自分に言い聞かせて、集合場所の駅出口に少し早めに立った。
改札を抜けてきた人の流れの中に、ふと視線を奪われる人が現れる。
いつもと違った雰囲気でやってきた彼女は、周りの視線をも掻っ攫っていった。
大人っぽい、だけど凄く可愛くて綺麗だった。
淡いベージュのブラウスに、落ち着いたネイビーのスカート。少し小ぶりのショルダーバッグを肩から下げていて、足元はシンプルな白のスニーカー。派手さはないけれど、どこか新鮮だった。
「おまたせ…待たせちゃった?」
息を切らすでもなく、自然な笑顔で俺の前に立つ。
「俺もちょうど来たところ」
口ではそう答えながら、喉が少し渇いていた。
「良かった。じゃあ、行こっか」
「そうだね」
並んで歩き出すと、不思議と気持ちが落ち着かない。友達として散々一緒にいたはずなのに、こうして“特別な時間”として会うだけで、視線を合わせるのさえためらってしまう。
いつもより、距離が近い。
そんなことを意識してしまう。
動物園のゲートを抜けて、俺たちはまずゾウのエリアへ向かった。
柵の向こうで大きな体を揺らしながら、ゾウがのっそり歩いている。
「やっぱり迫力あるね。耳、思ったより大きい」
陽菜が柵に寄りながら言う。
「水浴びとかもするらしいよ。運が良ければ見られるんだって」
「へぇ、見たいな。……でも、なんか匂いもすごいね」
顔をしかめて笑う陽菜を見て、思わず俺も笑った。こういう何気ない瞬間が、どうしようもなく心に残る。
カンガルーの広場に向かうと、数匹のカンガルーが跳ねたり、地面に寝転んだりしていた。
「思ったより地味じゃない?」
陽菜が少し首をかしげる。
「いやいや、ほら、あの子、めっちゃ筋肉すごいじゃん」
俺が指さすと、確かに一匹のカンガルーが胸筋を張るように立ち上がっていた。
「ほんとだ。なんかボクサーみたい」
「カンガルーの喧嘩って本当に強いらしいよ」
「へぇ…ちょっと怖いかも」
そんな会話をしていると、自然と緊張が少しずつほぐれていくのを感じた。
ゴリラのエリアに着いた。
いるはずゴリラは、木の遊具の裏に隠れていた。ガラス越しにのぞき込んでも、暗がりの中で何かが動いている気配しか分からない。
「ここのゴリラって、すごいイケメンらしいよ」
陽菜が少し身を乗り出しながら、小声で囁いた。
「ほんと?でも全然見えないな」
俺も背伸びをして覗き込むけど、黒い影しか見えない。
「人気あるって聞いたけど…今日はお休みモードなのかな」
陽菜が肩をすくめる。
そう話していると、奥の影から一頭のゴリラがゆっくりと姿を現した。
堂々とした足取りで前に出てきて、柵の近くで止まる。観客のざわめきが一気に大きくなる。
「あ、出てきた!」
陽菜の声が少し弾む。
その姿をしばらく見つめたあと、陽菜は首をかしげながら言った。
「うーん…そんなイケメンかなぁ?」
「結構整ってると思うけどな。ほら、あの目とか輪郭とか」
俺がそれっぽく言うと、陽菜はふっと笑って、ちらっとこちらを見てきた。
「そうかな。……でも、私にはたくみのほうがかっこいいけど」
「そういうことをすぐ言うから…」
なんとか返したけど、声が裏返りそうだった。
「たくみ顔ちょっと赤くなってるね。可愛い」
陽菜がにやにやしながら俺の顔を覗き込んでくる。
そして悪戯っぽく笑う。その笑顔は、ゴリラよりもよっぽど観客を惹きつけられるんじゃないかって思ってしまう。
今は完全に、彼女の手のひらの上で踊らされていた。
でも、不思議と嫌じゃなかった。むしろ、その小さなからかいが、胸の奥を心地よく締め付けてくる。
俺たちはコアラ館に入った。木の上で丸まって眠っているコアラを、ガラス越しに見上げる。
「全然起きないね」
「ほとんど寝てるらしいよ。一日二十時間とか」
「えっ、そんなに?羨ましいなぁ」
「でも、木から落ちないのすごいよな」
「確かに。私だったら絶対落ちてる」
「いや、陽菜は意外とバランス感覚いいかもよ」
「根拠は?」
「勘」
そう答えると、彼女は呆れたように笑った。けれど、その笑顔を見ていると、不思議とまた昔みたいに自然に話せている気がして、ほっとする。
歩き疲れた頃、園内の一角にサーティワンの看板を見つけた。
「ちょっと休憩しよっか」
「そうだね」
二人で並んで列に並び、選んだのはどちらも同じ「ポッピングシャワー」。カップを受け取ってベンチに腰を下ろす。
「なんか久しぶりに食べるかも」
「これ、俺昔から好きなんだよね」
最初の一口でシュワッと音が弾け、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
「たくみ、子供っぽいところあるよね」
「そうかな…そういうの嫌い?」
「ううん。……むしろ、そういうの好きかも」
そう言って、彼女はスプーンをくるくる回す。
胸がぎゅっと熱くなる。告白の言葉が喉まで届きかけたけれど、ぎりぎりのところで飲み込む。
今じゃない
まだ伝えるには、時間が早すぎる。彼女は何も知らず、楽しそうにアイスを口に運ぶ。その無邪気な笑顔を、俺の言葉で壊したくない。
だから今は、ただこのひととき――二人で過ごす穏やかな空間を、大切に味わった。
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