第24話 仲直り
夕方の公園は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
夏の名残を抱えた風が、落ち葉をさらさらと揺らし、ベンチの足元で小さな渦を描いている。
街灯はまだ灯っていない。空は橙から紫へと移り変わり、あたり一面が淡い薄暮に包まれていた。
私はそのベンチに腰掛けていた。足元で揺れる影を見つめながら、何度も深呼吸を繰り返す。
胸が苦しくて、吐き出す息はどうしても震えてしまう。
「……来なきゃよかったかな」
小さく呟いた声は、風にかき消された。
陽菜さんに「来てほしい」と言われたのは、ほんの数日前だ。あの時の彼女の表情は柔らかく、でも少しだけ寂しそうで……それを見て、私は思わず頷いてしまった。けれど今になって、どうしてあんな軽率な返事をしたんだろうと自分を責めている。
匠海に、あんなことをしてしまった。
優しい彼を裏切り、すれ違いを自分の苛立ちで埋めようとした。結局は傷つけ合って終わった。あの時ちゃんと謝れなかったことが、今でも胸に重くのしかかっている。
ベンチの横に置いたスマホを手に取る。画面には「17:00」の数字。約束の時間まで、あと数分しかない。指先が汗ばみ、落としそうになる。
「はぁ……」
大きくため息を吐いた時だった。
視界の端に、二つの影が見えた。夕暮れの中で並んで歩くその姿は、すぐに分かった。匠海と、陽菜さんだった。
胸が大きく跳ねた。
慌てて立ち上がる。心臓の音が自分でもうるさいくらいだ。
「お待たせ! 待たせちゃった?」
陽菜さんが明るく声をかけてくる。その笑顔は相変わらず柔らかいのに、なぜだか胸の奥がちくりと痛んだ。
「いや……全然」
無理に笑みを作って答えると、すぐに匠海と目が合った。
その瞳には、やっぱり怒りが残っていた。
静かだけど、確かに私を責める色が宿っている。視線を逸らしたくなった。そりゃそうだ。私は匠海に酷いことをしたんだから。
しばらくの沈黙を破ったのは、陽菜さんだった。
「お互いに、言うことがあるんじゃないですか?」
その声はまっすぐで、逃げ道を与えない。
優しいけど、だからこそずるい。
ここまで用意してくれて、あとは自分でやれと言わんばかりに。
だけど、その優しさを無駄にはできない。私は小さく息を整え、勇気を振り絞った。
「匠海、ごめんなさい」
「え?」
「私……匠海に酷いことして、ちゃんと謝ってなかった。ずっと言わなきゃって思ってた」
「……うん」
「匠海の優しさにも、全然気づけなかった。苛立つたびに八つ当たりして……」
言葉が震える。涙が滲む。でも止められなかった。
匠海は黙って私を見ていた。その視線は厳しいようで、どこか優しさを含んでいる。
「だって、たくみ」
「こっちこそごめん」
彼が口を開いた。
「紗菜の気持ちに答えてあげられなくて。結局、自分中心になってた」
「そんなことないよ……」
「いや、そうだと思う。俺、もっとちゃんと向き合うべきだった」
不思議だった。責められる覚悟をしていたのに、匠海の声はむしろ温かくて、心の奥にじんわりと染み込んでいった。
「私が悪いんだよ。あとから気づいたの。匠海がすごく私を大切にしてくれてたって。だからまた復縁したかった。だけど、匠海の顔を見ると安心して、つい強くあたっちゃって……」
「そっか……紗菜も辛かったんだね」
匠海の言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。ずっと欲しかった言葉だった。
あぁ、私はやっぱり彼に救われてばかりだ。
その時、陽菜さんが立ち上がった
私の耳元に近づき、小さく囁く。
「じゃあ、あとは頑張ってくださいね。私はこれで失礼します」
その声は少し掠れていて、無理をしているように感じた。
匠海への気持ちを抑え込んで、私に譲ってくれた。そう思うと、胸の奥がずきりと痛む。
だけど同時に私は、その優しさを利用しようと考えてしまった。匠海ともう一度やり直すために。
陽菜さんが遠ざかっていくのを横目で見送りながら、私は決意を込めて口を開いた。
「あとさ……お願いがあるんだけど」
「なに?」
匠海の視線が、真っ直ぐに私を射抜く。
「匠海と、もう一回やり直したい。今度は大切にする。だから……」
沈黙が訪れる。蝉の声も遠ざかり、ただ私の鼓動だけが響いていた。
匠海の唇がゆっくりと動いた。
「……紗菜、ごめん。俺、今好きな人がいる」
その言葉は刃のように鋭く胸を突き刺した。
分かっていたはずだった。匠海がもう私を選ばないことくらい、頭では理解していた。それでも、淡い期待を抱いてしまった自分が愚かだった。
「やっぱり、そうだよね……」
唇が勝手に震える。視界が滲んで、匠海の顔がよく見えなくなる。
「なら、早く行ってあげて。陽菜さんのところへ」
自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。
涙でぐしゃぐしゃなのに、胸の奥にはほんの少しだけ、すっきりとした感覚が残っていた。
ちゃんと謝れたからだろうか。
匠海と向き合えたからだろうか。
「ごめん。ありがとう」
匠海は短くそう言った。
私の視界は涙でいっぱいになり、その後の彼の姿は見えなかった。ただ一人、公園に取り残され、堰を切ったように涙が溢れ続けた。
それでも、不思議と心の奥の痛みは以前より軽くなっていた。
陽菜はまだ遠くへ行ってはいない。
公園を出た道の先、街灯が灯り始めた並木道に、小さな背中が見えた。
俺は思わず駆け出した。胸の鼓動が高鳴り、喉が焼けつく。
彼女の名前を、思い切り叫んだ。
「ひなーーーー!! 来週の土曜日、空けといてーーーー!!」
振り返った陽菜の瞳が、夕暮れの光を受けてきらりと揺れた。
その目は、少し潤んでいるように見えた。
彼女は小さく、でも確かに頷いた。
「……うん」
声は届かなかったが、唇の動きで分かった。
陽菜の目が少し潤んでいるように感じた。
その瞬間、胸の奥に温かいものが広がった。
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