第17話 匠海の過去 その1
紗菜と出会ったのは、ちょうど去年の今頃だった。
季節は秋に差しかかっていて、俺の学校では文化祭が開かれていた。校舎中がざわめきに包まれていて、教室の中も外も、人の笑い声や呼び込みの声で満ちていた。普段は静かな廊下まで、今日はまるで別の世界のように賑やかで、空気まで熱を帯びている気がした。
俺はその日、午前中にオーケストラ部の演奏を終え、午後からはクラス企画のお化け屋敷の担当に回っていた。友達と交代で入り口に立ったり、中で脅かしたり、裏方に回ったり。正直、演奏の疲れも残っていて、受付でぐったりしてた時だった。
教室の中から小さな悲鳴が聞こえたかと思うと、一人の女の子が床にコケてしまった。お化け屋敷の床は暗くしてあるうえに、もともと少しだけ窪んでいて足を取られやすい。俺は慌てて近づき、手を差し伸べた。
「大丈夫?」
顔を上げた女の子が俺の手を取った。
金色の髪に、キリッとした瞳。驚いた表情からすぐに笑顔に変わって、俺の胸を一気にざわつかせた。
「ありがとうございます」
その声は、混雑した文化祭の喧騒の中でも、やけに耳に残った。
そして出口で、彼女は俺を見上げながら言った。
「……あの、良かったら、連絡先交換してくれませんか?」
思わぬ言葉に、頭が真っ白になった。
俺は今まで彼女なんて一度もできたことがないし、この四年間、同じ男子校の友達としか喋ってこなかった。そんな俺に、こんなふうに自然に声をかけてくれる子がいるなんて……。
緊張で喉がカラカラになりながらも、なんとか返す。
「も、もちろん。インスタでいいかな?」
彼女は嬉しそうに頷いた。
その表情が、なぜか頭から離れなかった。
文化祭が終わったあと、俺は勇気を振り絞ってDMを送った。
「この前は来てくれてありがとう!良かったら今度遊びに行かない?」
正直、送信ボタンを押すまでに何度も文面を直した。送ったところで既読すらつかないんじゃないか、そんな不安ばかりが頭をよぎった。
けれど返事は、すぐに返ってきた。
「いいよ!」
たった三文字だったのに、スマホの画面を見つめながら心臓が跳ねたのを覚えている。
「どこか行きたいとことかある?」
と聞くと、彼女は少し時間が経ってから返信が来た。
「んー、私アサイーボウル食べてみたい!」
「アサイーボウル……って、あの紫っぽいヤツ?」
「そうそう!インスタで見て、めっちゃ気になってたの」
「へぇ、俺食べたことないけど、いいね。じゃあ調べとくよ」
「やった!楽しみにしてる」
その会話だけで、もう心臓はずっとドキドキしていた。
週末。俺は待ち合わせ場所でそわそわと立ち尽くしていた。スマホで時間を確認しては、周りを見回す。五分前には着いていたけれど、それでも遅刻しないか心配でたまらなかった。
そして人混みの中から彼女が手を振って歩いてきた瞬間、息が詰まった。
制服じゃなく私服姿の紗菜は、普段よりも可愛らしく見えて、思わず見惚れてしまった。
「待たせちゃった?」
「う、ううん。今来たとこ!」
漫画みたいなセリフを口にしてしまって、心の中で頭を抱えた。でも、紗菜はクスッと笑ってくれた。その笑顔だけで救われた気がした。
カフェでアサイーボウルを前にした紗奈は、スプーンを手にしながら目を輝かせていた。
「わぁ、すごい!写真撮っていい?」
「もちろん」
「……匠海くんも一緒に撮ろ!」
「えっ、俺も?」
「当たり前でしょ。せっかく一緒に来たんだから」
スマホを向けられて、思わずぎこちなく笑う。そんな俺を見て、紗菜は楽しそうに肩を揺らして笑った。
「なんか照れてる?かわいい」
「……そ、そうかな」
その一言で、顔が一気に熱くなるのを感じた。
彼女と他愛もない話をして、時々笑い合う。その時間があっという間に過ぎていった。
帰り際、紗菜が言った。
「今日誘ってくれてありがと。またどこか行ってもいいかな?」
心臓が破裂しそうなほど嬉しくて、思わず笑顔になった。
「うん、テスト終わったらまた行こ!」
二度目のデートも、会うたびに気持ちは膨らんでいった。
スマホに通知が来るたびに期待して、彼女の名前が表示されるだけで一日が明るくなる。学校での忙しさも、彼女と過ごす時間を思えば頑張れる気がした。
そして三回目のデートの日。
俺たちは水族館に行った。青く照らされた水槽の前で、イルカやクラゲを眺めながら他愛もない話をする時間が、たまらなく幸せだった。
「ねぇ、クラゲってさ、ずっと漂ってるだけでいいんだよね」
「うん。流れに任せて生きてる感じ」
「なんか羨ましいなぁ。私もふわふわ漂ってたい」
「いや、紗菜はちゃんと自分で動いてるよ。だからキラキラして見える」
言ってから恥ずかしくなって、慌てて目を逸らした。
でも紗菜は、少しだけ頬を赤くして笑った。
夕方になり、隣接する港を一望できる観覧車に乗った。
二人きりの空間に、心臓が耳元で鳴っているかのようにうるさい。夜景が広がる中、俺は意を決した。
「好きです。付き合ってください」
言葉にした瞬間、体中が熱くなった。手が震えて、視線を逸らしたくなる。けれど紗菜は驚いたように目を瞬かせたあと、ふわりと笑った。
「喜んで!」
その声が、世界で一番の贈り物に思えて、その時は世界で1番嬉しかった。
その時までは。
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