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なにやらハッピーエンドを迎えられるようです。

作者: やなぎ怜

「笑って笑ってー。あーいい笑顔だよー!」


 不自然なほどに明るい声を上げて、顔にくっつけるようにしてポラロイドカメラを掲げているエマ。


 そのレンズ越しに見えるのは、手のひらサイズの小さなぬいぐるみを顔の横に近づけて微笑むリオン。


 少しはにかんで見せるリオンのその微笑だけで、空は晴れるし小鳥は歌うし花は咲くしきっと天使も微笑む。


 まさしく、絶世の美男子。


 実際、学園内で「世紀のイケメン」として名を轟かせているだけはある。


 エマの手にあるポラロイドカメラからシャッターを切る音がした。


 出てきた写真を左手に、右手でリオンが先ほどまで持っていたクマのぬいぐるみを回収する。


「ありがとう! いいお守りになるよ!」

「これだけで役に立てるのならお安い御用だよ」


 女神をも魅了しそうな微笑を浮かべるリオンは、エマの言葉を小指の先ほども疑っていないように見えた。


 事実、エマがリオンに渡したぬいぐるみはエマ手製のものだったし、ぬいぐるみと写真をお守りにするという言葉自体に嘘はない。


 エマは内心で「ウヒヒ」と品のない笑みを浮かべた。




 ……時代の流れにより、平民にも門戸が開かれた伝統ある学園。


 エマは「貧乏人枠」などと陰で呼ばれる「特別枠」で学園に入り込んだ、貧乏人である。


 エマは物心ついたときから貧乏な家庭で育ったが、たまに通っていた教会の日曜学校でなにやら成績がよく見込みありと思われたらしい。


 その教会の牧師さまの推薦でこの伝統ある学園に紛れ込むことができたわけである。


 牧師さまは貴族の三男だか四男だかで顔が広い上によく利くらしく、あっという間にエマを学園に入学させる算段をつけてくれた。


 牧師さまさまである。


 ただ、エマがその話を一も二もなく受けたのは勉強がしたかったから……などという殊勝な理由からではない。


 季節労働者として農場に送られたり、炭鉱に送られたりして、びっくりするほど朝早くから働かされ、こき使われる生活から逃げたかったからである。


 牧師さまのお陰でエマは学生の身分を手に入れ、ボランティアで下宿場所と食事を提供してくれている学園の卒業生の家から通学している。


 制服は卒業生のお下がり。特別枠の生徒なので、授業料は全額免除。ノートや文具類はさすがに自費で購入しなければならないが、教科書は貸与してくれる。実に太っ腹だとエマは思った。


 学園にはこのような生徒は何人かいたが、数えるていどだ。大部分は貴族籍を持つ令嬢令息で、他は金持ちの平民の生徒である。


 なにやらこの貴族の生徒と、金持ちの平民の生徒のあいだには溝があるらしい。エマはそもそも「貧乏人枠」などと陰で呼ばれる特別枠で入った生徒だったので、両方から相手にされず、その溝の深さを正確には測れなかったが。


 だがエマは貴族の令嬢令息である生徒たちが優雅におしゃべりあそばしている場面に遭遇しても、ほとんどの場合彼ら彼女らがなにを話しているのかさっぱりだった。


 少なくとも、貴族の生徒とエマとのあいだには、地獄もかくやと言わんほどの深い深い溝があることは明らかだった。


 そういうわけで学園内では生徒たちは主に三つのグループにわかれており、その関係性はコキュートスのごとく冷え込んでいるのであった。


 ……なので、貧乏人のエマと、「世紀のイケメン」にして大富豪の御曹司であるリオンという取り合わせは、異色だった。



 そのきっかけはなんと言うことはない。エマから話しかけたのだ。


 そのときリオンは大きなシャベルを手にして学園内の日陰の、湿っぽい地面を掘り返していたところであった。


 エマはリオンのことは一方的に知っていた。「ものすごいイケメンだけど、ちょっと変」と小耳に挟んでいたのだ。そのときにリオンが大富豪の御曹司であることも知ったので、下心一〇〇パーセントでエマは彼に声をかけたのだ。


 なにやら一生懸命に地面を掘り返し、這いつくばって土をいじっている御曹司さまを見て、手伝えば小遣いでももらえるんじゃないかと思ったのだ。


 エマは土いじりはへっちゃら、というか農場で季節労働者として働かされていた過去があるので、むしろ得意なほうだ。


「ミミズを探しているんだけれど……」


 リオンに声をかければごく自然にそんな言葉が返ってきたので、エマは制服のブレザーを脱いで木の枝に引っかけ、腕まくりをして勇んで手伝った。


 最終的にミミズは五匹見つかり、なにやらリオンは喜色満面、大変ご満悦の様子で、


「今度お礼をするよ! きみの名前は?」


 と、エマがもっとも欲しかった言葉をくれたので、エマも内心喜色満面、大変ご満悦で、スキップせんばかりに下宿先へと帰ることができた。


 以来、リオンはなにかとエマに話しかけてくれるようになった。


 と言ってももちろん色っぽいことは一切ない。


 漏斗を使って作った手製のベルレーゼ装置なるものを見せてくれて、この土壌生物はなにでどうで、あっこの生物がいるなんて……とひとりで大盛り上がりしたり。


 どこからかキノコを採取したあとのホダ木を学園内に持ち込み、そこに集まってきた昆虫を見せてくれたり。


 色気、ゼロである。


 しかしエマはリオンが大富豪の御曹司と聞いていたから、笑顔で彼のおしゃべりに付き合った。


 実際、リオンの生物観察のための採取に付き合えば、彼は気前よく礼金を渡してくれたので、エマはホクホクである。


 リオンは箱入りらしく、世間ずれしたところがあまりなかったから、エマがそんな彼に話を合わせたり、歓心を買ったりするのは簡単なことだった。


 しかし世のご令嬢たちからすれば養蜂に使うミツバチならともかく、ミミズだのクモだの昆虫だのを嬉々として見せてくるリオンはちょっと近寄りがたい存在であるらしい。


 エマにはピンとこなかったものの、リオンは「学者にでもなるの? 長男なのに?」みたいな感じで世間からは見られているようだ。上流階級の価値観というものは、エマには理解しがたかったが、同時にどうでもいい事柄でもあった。


 エマにとって重要なのはリオンが立派な家を継ぐ長男だとか、世紀のイケメンであることとか、虫が大好きなことであるとか、そういうことではない。それらは、まったくどうでもいい。


 重要なのは、エマに気前よく金をくれるかどうかだ。



 リオンの趣味の手伝いをし、そんなこんなでエマの懐がじゅうぶんにあたたまったころ、まるでそれを見透かしたかのように実家から手紙が届いた。


 内容は至極単純。学校になど通わず家に戻ってきて働け、というものであった。


 恐らくまたロクデナシの義父がギャンブルでスったか、借金でもこさえてきたのだろう。


 エマはあせった。生まれたときから貧乏な実家に戻って、またどこかの農場やら炭鉱やらに送られてこき使われるのは嫌だったからだ。


 辛気臭い家が嫌で、重労働も嫌で、エマはこの学園にきたというのに……。


 リオンならうなるほどの金を持っている。この学園に通う大部分の生徒、貴族の令嬢令息、金持ちの平民生徒だってエマよりは自由に使える金があるだろう。


 ――じゃあ、そこから上手いこと金を引き出せばいいんじゃん?


 エマは天啓を得た。


 しかし、明確に詐欺と言えるような行為に手を染めればお縄である。またどこぞで強制労働させられるのはたまったもんじゃない。


 エマは頭をひねった。脳を引き絞るほど、熱が出るんじゃないかというほど四六時中妙案を考え続けて――リオンの美貌を利用することを思いついた。


 劇場では役者のブロマイドが売っている。リオンは「世紀のイケメン」として学園内で名を轟かせており、それはみそっかす扱いのエマの耳にも入ってくるほどなのだ。そして実際に、リオンの美貌は絶世と言って差し支えない。


 しかしリオンは「世紀のイケメン」として名を轟かせながらも、他の生徒からすると諸々事情あって近づきがたい存在であるらしいのだ。


 ――じゃあ、リオンの写真は売れるんじゃない?


 エマは急ぎなけなしの金――リオンから貰った小遣い――をはたき、小型のポラロイドカメラを購入した。


「写真を撮りたいの? 私の? このクモじゃなくて?」

「友達の写真が欲しくって……実家から手紙がきてさ。その返信の封筒に入れたいから」


 嘘をつくときは真実を混ぜるといいとはだれが言ったのかエマは知らないが、リオンはいとも容易くエマの言葉を信じた。


 エマは「上手く撮れてないかも」などと言って最終的にリオンの写真を六枚手にした。


 これらが金になるのだと思うと、写真は紙幣に見えてくる。


 エマは内心で「ウヒヒ」と品のない笑いをこぼしながら、リオンに「ありがとう!」と目いっぱいの笑顔を見せた。


 そんなエマの内心などまったく知らない様子で、ややあってからリオンはこんなことを言い出す。


「……ねえ、そのカメラちょっと貸してくれない? 写真を撮りたくて……お金は払うから」


 エマとしては金を払ってくれるのならまったく文句はない。


 リオンのことだ。虫カゴに入れたクモでも撮りたいのだろうと考え、特に疑問を差し挟むこともせず、エマは彼にポラロイドカメラを渡した。


 しかし、リオンがシャッターを切った先にいたのは、エマだった。


 ポラロイドカメラから顔を離すと、リオンは少しはにかんで言った。


「私も……友達の写真が欲しくなって」


 友達、と言い出したのはエマからだったが、それはほぼ口からでまかせ、みたいなものだった。


 エマからすればリオンは金づるであって、金づるのことは友達などとは呼ばないだろう。


 けれどもなにやら喜んでいるらしいリオンの気持ちに水を差すことを、彼の腰巾着を目指すエマがするはずもない。


「じゃあ、大事にしてね!」


 いい感じの空気のまま、いい感じの笑顔を浮かべて、いい感じの思い出にしてもらう――。


 リオンは珍しく目の前の虫カゴに入れたクモではなく、エマの写真をじっと見つめていた。


 エマは「まあリオンって友達いないんだろうしな……」と若干彼に対し――友達ゼロの自身を棚に上げて――憐れみを感じなくもない心境にはなった。



 リオンの写真を売りさばく第一歩は簡単ではなかったものの、まずは平民の女子生徒をなんとか丸め込むことに成功すると、とんとん拍子に貴族の女子生徒にも売れるようになった。


 リオンの噂話に興じる女子生徒は特別捜さずともすぐに見つかる。それくらいリオンの美貌は図抜けているのだ。


 だから、接触自体は簡単だった。


 そしてリオンを劇場の花形役者を見るかのごとく憧れている女子生徒たちには、なにやら密かな横の繋がりがあったようで、一度リオンの写真を売ることに成功すると、あとはもう残りは飛ぶように売れた。


 正直、教師に密告される危険性もあったが、彼女らはその道を選ばず、リオンのプライベート写真を買うことにしたのは、エマとしては幸いだった。


 そんな風に横の繋がりがある女子生徒たちのあいだでは、エマは有名な存在だということもわかった。


 それはそうだろう。他の生徒からは近づきがたい存在であるリオンに、ずかずかと近づいて彼といっしょに土まみれになったりしている女子生徒……。


 エマとて流石に己の学園内での立ち位置はうすうす察してはいたが、赤の他人から客観的に証言されるとなんだか不思議な気持ちにはなる。


 リオンにあこがれる女子生徒たちにエマが敵対視されていないのは、エマが貧乏人で、みるからに冴えない地味モサ女だからということも、エマはよくわかっている。


 一方、女子生徒たちのなかで貴族のご令嬢がリオンにあこがれながらも、アプローチなどをしないのは、単に貞淑をよしとする世間の風潮を慮っているからではなく、現実問題としてリオンが平民であるがゆえに近づけないのだということも知った。


 エマは「貴賎結婚」なる難しい単語もそのとき初めて知った。同時に「貴族ってめんどくさいんだなー」とも思ったが、口はおろか顔にすら出しはしなかった。


 いずれにせよ彼女らの金払いはよかった。糸目をつけないというほどではなかったものの、彼女らは大喜びでエマに金を落としてくれたのだ。


 エマはひとまずそれを実家に送金することで、「帰ってきて働け」と言う親をなだめることに成功した。



 エマが始めた「商売」は素早く軌道に乗り、おどろくほど順調だった。


 順調すぎた。


 順調すぎて次第にエマは手広く手厚く「商売」をエスカレートさせて行くことになった。


 リオンに近づける唯一の生徒であることを利用し、リオンのファンクラブを運営し始めた。


 そしてファンクラブでは定期的に「つどい」と呼ばれるお茶会を開き、会員には優先的にリオンの写真を売り始めた。


 それに弾みがつき、リオンが直接触ったぬいぐるみと、そのぬいぐるみを持っている写真を売り始めた。


 それらはとてもよく売れて、エマの財布を潤した。


 エマは短期間で、これまで季節労働で得た賃金の何倍、いや何十倍もの金を稼ぎ出した。……正確には、稼ぎ出してくれたのはリオンの美貌なのだが。


 いずれにせよエマが汗水たらして得られる賃金の何十倍もの金銭が、手軽に彼女の懐に入ってきたわけである。


 しかしそれらの大部分は実家に送られた。


 家族が生活するにはじゅうぶんな額をエマが送っているにもかかわらず、催促の手紙は止まらなかった。


 エマに対し愛情を見せたことのない母親や、ギャンブルで金を浪費する以外の才能はない義父。


 辛気臭い実家に愛着はないものの、家にはまだ幼い弟妹たちがいる。


 一度、無力な弟妹たちの存在を忘れるように学園へと逃げてしまった自覚がエマにはあった。


 だからこそ、家から手紙がきたとき、贖罪のように金を送ったのだ。


 けれどもいくら送っても義父が浪費しているのか、催促の手紙は止まらない。


 ――もっとリオンを利用して稼がないと。


 リオンからは夏期休暇に避暑地にある別荘へ誘われていた。もちろん昆虫観察のためであり、色気は一切ない。


 しかしさすがのエマも寝耳に水であったがため、その場では返事は保留にしてもらった。


 だが休暇中の、リオンのよりプライベートな姿の写真を収めれば、かなりの高値をつけてもファンクラブの会員たちから文句は出ないだろう。


 エマはリオンに別荘へ行くと返事をすることに決めた。




 避暑地として名高い、風光明媚な湖水地方をエマが訪れたのは初めてのことだった。


 リオンの祖父が所有しているという別荘には当然のように使用人がいて、エマのことを内心どう思っているかはわからないものの、リオンの「友人」として下にも置かない態度を取ってくれる。


 こんな風に丁寧に扱われること自体がエマにとっては珍しい体験だった。


 エマが運営しているリオンのファンクラブの会員たちも、総じてエマに対しては丁寧だが、慇懃と言うにはちょっと違う。


 見せかけだけにしても、そのような態度を見せられると、エマはなんだか尻の置きどころに困る、むずがゆい気持ちになった。


 だってエマの恰好なんて、中上流階級のご令嬢からはほど遠い。


 リオンの招待を受けてから、エマは急いで古着屋で綺麗な服を見繕ったが、こういうときご令嬢方は新しい服を張り切って仕立てるものだろう。


 エマが着ている、きっと流行遅れの型のワンピースだけは着てこないに違いない、という確信くらいはあった。


 しかしリオンはいたっていつも通りだ。


 エマに麦わら帽子を貸してやり、いつも通り虫カゴやら虫取り網やらシャベルやらを抱えて、別荘から外に出れば見慣れた無邪気な顔をする。


 つい先ほどまで上品にかしこまって、出迎えのために居並ぶ使用人たちへ、エマを友人として紹介していた姿は影くらいしか感じられない。


 毎度思うが、はしゃいでいてもどこか下卑た印象がリオンから感じられないのは、エマとは育ちの違い、みたいなものを感じる。


 この地方にしか生息していない固有種の虫がどうのこうの、とリオンは話続けて、一生懸命だが丁寧な手つきで地面を掘り返している。


 その横顔に汗が浮かんでいるのを見て、そっとハンカチをあててやれば、リオンはハッとしたような顔になった。


 しかしそれは一瞬のことで、土を掘るのに夢中になりすぎていて、いきなりハンカチをあてられておどろいたのだろうとエマは解釈する。


「ごめんね。おどろかせた?」

「……ああ、ちょっと。夢中になりすぎていたから。ありがとう」


 リオンはそう言って、優雅な品のある微笑みを見せる。


 なにかに夢中になっていても、汗をかいても、リオンの美貌の輝きは減じるどころか、むしろ増しているように思えた。


「ねえ、写真撮ってもいい?」


 エマは肩掛けカバンからポラロイドカメラを持ち出す。


 リオンのレアなプライベート写真を多く撮るのが、今回の招待を受けた目的だからだ。


 リオンは地面からエマへと視線を向けて、「いいよ」と笑った。


「その代わり、私にもエマの写真を撮らせて欲しいのだけれど……」

「それくらい、いいけど」

「ありがとう」


 リオンはそう言ったが、エマからポラロイドカメラを借りることはなかった。


 エマはリオンから「写真を撮りたい」と言われたことを忘れなかったものの、リオンのほうは採取に夢中になってすっかり忘却してしまったのかもしれない。


 ……とエマは思っていたのだが。



 カメラのシャッターを切る音が、大げさに聞こえた。


 エマは柔らかなベッドの上で目覚めた。エマがいつも寝床にしている、下宿先のベッドや実家のものよりも何倍も広いベッドだ。


 エマが妙に重い腕を動かすと、すべらかなシーツの衣擦れがかすかに聞こえた。


 ベッドのスプリングがきしむ、わずかな振動もエマの体に伝わってくる。


 エマは、リオンと共に彼の別荘に帰って、シャワーで汗を流し、夕食をごちそうになった。


 ……そして、そこから先の記憶がさっぱりないことに気づいた。


 再び、シャッターを切る音がした。


 しょぼしょぼとする重い眠気まなこをどうにか開いて、シャッター音がする方向を見つめる。


 薄明るいオレンジ色のスタンドライトの光を受けて、輪郭の半分を輝かせるリオンが、エマを見下ろしていた。


 リオンはエマと視線が合うと、微笑んだ。しかしその顔はすぐにポラロイドカメラに隠れてしまう。カメラは、疑いようもなくエマのものに見えた。


 シャッターが切られる。現像された写真が吐き出される。やはり、その音はなんだか大げさに聞こえた。


「エマって、私のファンクラブ……を運営しているんだって?」


 ぼんやりとしていたエマの頭が、一度に覚醒する。


 エマは目を瞠ってリオンを見上げた。


「色々と売っているって聞いたよ」


 リオンはいつも通りの柔和な声で、しかし淡々と告げる。


 リオンは単に事実を並べ立てているだけだったが、エマの頭にはどこか冷たく硬質に響く。


 ――なにか上手い言い訳をしなければ。


 エマはそう思ったものの、口の中はしびれたようになって、舌が上手く動かせなかった。


 リオンがエマを写しただろう写真を手に、ベッドに寝そべった形で動けないエマのそばへ、それを置いたのがわかった。


 エマが必死に視線を移動させると、そこには大量のポラロイド写真が一定の距離を置いて均整に並べられていた。


 なにを写したものなのかまでは確認できなかったが、エマにはそこに自身の姿が収められているという直感に近い確信があった。


「昼間……写真を撮ってもいいって言っていたから、はりきっちゃった」


 リオンはくすくすと品のよい笑い声を暗い部屋に響かせた。


 スタンドライトの明かりに照らされたリオンの顔は、よく見る、はにかんだものだった。


「夕食後……薬品を注入した昆虫みたいに動かなくなっちゃったから、心配した」


 エマは寝そべった体勢のまま動けず、しかしリオンから視線を外すのも恐ろしく、必死に目玉を彼へと向ける。


「ちょっと失敗しちゃった。ごめんね?」


 リオンは反省した声で言ったが、エマには悪びれているようには聞こえなかった。


「お、怒って、る?」


 からからの口の中。引きつる喉。ただの肉塊のように感じられる鈍い舌を必死に動かして、エマは問う。


「怒ってないよ」


 リオンはまばたきをしてから、そう言った。


 リオンの、その言葉の真実性がどれほどあるのか、エマにはまったくわからなくなっていた。


「でも、そんなにお金に困っていたなんて知らなかった。それはちょっと、ショックだったかもしれない」


 リオンは微笑んだ。その微笑だけで、空は晴れるし小鳥は歌うし花は咲くしきっと天使も微笑む。そんな美しい笑顔だ。


「でも大丈夫! エマが困っていたことはもうみんな解決したから。借金も、お父さんもお母さんも。――でも、さすがに全部タダってわけにはいかないから……」


 エマはじっと身を固くしてリオンの次の言葉を待った。


「結婚しよう。それが条件」


 エマは、リオンがなにを言い出したのかまったくわからなかった。


「大丈夫! 私の両親はもう亡いから、舅姑との関係に悩ませることはないよ。お祖父(じい)さまは私には甘いし……。私たち、このまま学園を卒業したらそれきりかもしれないけれど、結婚したら一生いっしょでいられる。これってエマにとってもすごく幸せなことだよね。ねえ、エマ。エマのこと愛してるし、一生愛すると誓うよ。だから、エマも『結婚する』って言って? ね?」


 リオンはエマが横たわっているベッドに膝を立てる。スプリングのきしむ感覚が、エマの体に伝わってくる。


 リオンは優しく、しかし力強く、エマの背中に腕を差し入れて、ぐったりとしたその上半身を起こした。


 エマはリオンの顔を見上げる。


 リオンの瞳は、いつも見ていた昆虫みたいに、エマにはなんの感情も察せられないような目に見えた。


「エマ、愛してる」


 リオンの愛の告白を聞いて、エマは




 ――なんかよくわからんけど玉の輿ヤッター! よくわかんないけど借金もなくなってロクデナシの親もいなくなったってこと?! ヤッター! ウオオオ! 骨の髄までしゃぶりつくさないていどにしゃぶるぜ!!!


 ……などと思っていたとさ。

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