第87話 善意の代償
送魂を済ませた途端に吐血してしまったアルシェン。本人曰く『少し休めば大丈夫』らしいが、この現象は最近になって頻繁に起こる事なのだと言う。そんな事を聞いてしまっては、当然リーヴもセラも心配を募らせていく。
「……よし、もう大丈夫です。早く帰りましょう」
しゃがんでいたアルシェンは、数分ほど休んだ後に立ち上がった。
「アルシェン…平気、なの?」
「はい!もう元気いっぱいですよ!」
アルシェンは『むん』と両拳を握るが、そのアルシェンの姿が、リーヴの目にはどこか無理をしているように写っていた。
こうして、3人は帰路に着いた。その道中、リーヴは少し躊躇いながらアルシェンに尋ねる。
「アルシェン……やっぱり心配だよ。サンサーラに、相談した方がいいんじゃない…?」
「いえいえ!本当に大丈夫なんですよ?」
「でも…血を吐くなんてとても大丈夫には思えないよ…?」
セラもリーヴと似たような声音でアルシェンを心配する。最初の方のアルシェンは、何か返答に困っているような素振りを見せていた。しかし、やがてリーヴ達の気持ちが本物だと悟ったのか、真面目な表情で話し始める。
「…お気遣いありがとうございます。ですが…わたしにとって、この仕事は1番大きな生きる理由なんです。そもそもわたしは人助けが好きなのですが…送魂は『わたしにしか出来ない人助け』ですから。わたしがどうなっても、わたしがやるしかないんです。それに…それがわたしの幸せでもあるんです。だから、多少の体調不良なんて気にしません!」
「アルシェン…」
リーヴはまだ少し納得がいっていないようだった。
「あ、でも、心配してくれたのは本当に嬉しいですよ?わたし、お友達が少ないですから…」
「…リーヴ。アルシェンがそう言うなら、あたし達が口を挟む余地は無いんじゃないかな」
「そう……だよね。ごめん、アルシェン。あなたの生き方に口を出しちゃって」
「気にしないでください!わたしも体調に気をつけて頑張りますね!」
アルシェンはまた元気そうな声を上げるが、その顔色はお世辞にも『良い』とは言えなかった。
しばらく歩いて、3人はサンサーラの家に帰って来た。
「先生!ただいま帰りました!」
「…おかえりなさい、アルシェン」
アルシェンはいつも通りの声で挨拶するが、当のサンサーラはいつにも増して深刻そうな顔をしている。その横に立つクオンも、些か真剣な表情を浮かべている。
「……先生…?」
「アルシェン…アナタには、辛い事を伝えなければなりません」
「はい……何でしょうか?」
「結論から言って…」
「アナタには送魂士を辞めていただきます」
「「「え…」」」
多少のタイミングのズレはあれど、リーヴとセラとアルシェンはほぼ同時に声を漏らした。アルシェンに至っては、あまりの衝撃に息が乱れている。
「ど…どうしてですか…?わたし…何か失敗でもしてしまいましたか…?」
「いえ…アナタは歴代の送魂士の中でも類を見ない程、よく働いてくれました」
「なら、どうして…?」
「…長くなります。そもそも、死者の魂には毒のような性質を持った魔力が含まれています。勿論これが生者に害を成す事はありませんが、その魔力は迷魂に鈍い苦痛を与えます。元々、送魂というのは『迷魂をその苦しみから解放する』というのが最も大きな目的でした」
「…なら!わたしが送魂を辞める訳には…!」
「最後まで聞いてください。今、『迷魂の魔力が生者に害を成す事は無い』と言いましたが…それは『普通の生者』の場合です。例外は、魂に干渉する者…そう、アナタのような者です。アナタの身体は今、迷魂の魔力に侵されています。こればっかりはどうにも出来ません。そもそも、魂が受けたダメージは蓄積されていきます。正直なところ本当にどうにか出来ない訳ではありませんが…アナタが生者である以上、イタチごっこになるだけです。それに、送魂で死亡した送魂士は往々にして迷魂と成り果てますし」
「…」
「酷な言い方になりますが、アナタの送魂士としての道はここまでです。今辞めなければ…アナタは程なくして死にます。人助けが好きとは言っても、死んでしまっては元も子もありません。送魂士は別の方を探すのでご安心ください」
「…なんで」
「はい?」
アルシェンの中には様々な感情が渦巻いていた。それは言葉にするのも難しいような雑多な感情だったが、それでもアルシェンは語彙を振り絞って言葉を発する。
「なんでいきなりそんな事言うんですか!なら、もっと前から言っておいてくれれば…!」
「…アナタだって気づいていた筈です。アナタは聡明だ…自身の身体に起きていた異変くらい分かるでしょう」
「でも…!」
「死にたければ続けなさい。ワタシにはアナタの選択を強制する権利などありませんから」
「………っ!」
色々な感情がグチャグチャになったアルシェンは、踵を返して竹林の奥へ走っていった。
「アルシェン…!」
セラも場の雰囲気に耐えられないのと、アルシェンが心配な気持ちから、アルシェンを追いかけていった。
依然として冷然と佇むサンサーラに、リーヴが少し『むっ』とした表情で話しかける。
「…あんな言い方じゃなくても、よかったんじゃないの?」
「…」
サンサーラは目を閉じたまま口を開かない。そこで、クオンが代わりに説明をする。
「リーヴさん、私から説明します。サンサーラもこう見えて不死の存在…それに、送魂士という短命な職業の者と関わる立場です。これがどういう意味か、分かりますか?」
「…ううん」
「彼もまた…多くの者との別れを経験して来たのです。普段の飄々とした態度はその辛さを隠す為…サンサーラは確かに変態ですが、悪人ではありません。彼とて、親しい者の死など見たい訳が無いのです」
『変態』の辺りで一瞬だけサンサーラがクオンの方を向いたが、クオンは知らないふりをしていた。
「…そう、なんだ。ごめん。何も知らずに責めちゃって…」
「アナタが反感を抱くのも無理はありません。時に、リーヴさん。送魂士になる方にはある共通点があります。何か分かりますか?」
リーヴは頭を捻るが、案の定というか答えは浮かばなかった。
「…わかんない」
「皆…とても心優しい方々でした。他者の為に自分の命を使う事を厭わない…そんな底抜けの善人達でした。ワタシはもう…善き若者が、ワタシ達の都合で未来をドブに捨てるのを見たくないのです」
「…今の辺りの話、アルシェンに伝えてきていい?」
「ええ、構いませんが…何故です?」
「わたしは2人の関係性なんてほとんど知らないけど…2人には仲良しのままでいてほしいから」
そう言うと、リーヴはセラ達が向かった方向に走っていった。
「…アナタは行かなくて良いのですか?」
「はい……あなたも不器用ですね」
「何がですか」
「先程の台詞……どうせ今までの送魂士にも同じような事を言って来たのでしょう?迷魂の魔力に命を蝕まれた送魂士の方が、あなたの下から離れて行きやすいように…」
「フフ、何を言うかと思えば…ワタシはしがない破戒僧です。他者を思いやる気持ちも余裕もありませんよ」
「はぁ…捻くれてますね」
クオンとサンサーラは、3人が向かった方向を見つめながら視線を合わせずに会話する。会話が途切れてしばらくした後、またサンサーラが口を開く。
「…そういえば、アナタ知ってますか?ワタシが目を閉じている理由…」
「その言い方からして…『死にやすいから』だけではないのでしょう?確かあなたは、出会ったばかりの頃は目を開けていた気がしますが」
またサンサーラは口を閉ざし、小さく息を吐いてから答える。
「……もう見たくないのです。この事実を伝えた時の…送魂士の方の、悲しそうな顔を。送魂の果てに命を蝕まれ、苦しみ悶えて死を迎えた者の顔を」
サンサーラはまた小さく息を吐き、クオンに聞こえるかどうかという声量で呟く。
「…皮肉ですね。輪廻を司るワタシが…この輪廻から解脱出来ないとは」
サンサーラはかつての事を…具体的には、最初の送魂士の事を思い出していた。
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あれは夏の日だった。雨が降っていた。昼に送魂に出かけた愛弟子が、夜になっても帰って来なかった。当然、事前に迷魂と関わる事の危険性は伝えておいた。心配したサンサーラが現場の空き家に向かうと、居間と思しき場所で血を吐いて倒れている愛弟子の姿を見つけた。その家には多くの迷魂の痕跡があったが、全て残らず奈落に送られていた。愛弟子の腕や首には、掻きむしったような痕が沢山あった。苦痛に悶えながらも、決死の思いで迷魂を全て送ったのだろう。
その日から、サンサーラは目を閉じた。それは勿論、ある種の現実からの逃避という意味合いもある。しかしそれ以上の理由として、自分に対する戒めの意味がある。目を閉じていると嫌でも浮かび上がるのだ。真っ黒な瞼の裏に、あの雨の日に無念の死を遂げ迷魂となった、最初の愛弟子の姿が。




