第39話 紫蝶、暝天に舞う
「…」
目が覚めると、クオンはおよそ現世とは思えない幻想的な空間に居た。青白い光が周囲を照らしていて、辺り一面には墓地にあった見た事のない草花が咲き誇っている。
「…はぁ」
クオンは小さな溜め息を吐いて立ち上がる。空には砕けた満月が浮かんでいる。ところどころで紫色の蝶が飛び回っている。ここはあの世とは少し違う場所…言うなれば『クオン専用のあの世』である。ここの事を、クオンは『冥域』と呼んでいる。
(少し…久しぶりですね)
やがてクオンはゆっくりと歩き出す。不思議な事に、クオンが足を踏み出した付近に生えている草花がみるみるうちに枯れていく。
「…」
少し歩いた時、クオンの目の前に薄紫色の光が現れた。いつも通り、クオンはそこに顔を近づける。
「…リーヴさん…セラさん…」
そこには、1人で淵族の軍勢と戦うセラの姿と、こちらに駆け寄ってくるリーヴの姿がスローモーションで映し出されていた。クオンは胸の前で手を握り、少し俯いて涙を流し始める。
「すみません…すみません……あなた達には…沢山の嘘を吐いてしまいました…」
クオンは後悔の念を呟き続けるが、やがて涙を拭っい、光に向かって決然とした表情で言う。
「ですが…あのような素敵な方々を…見殺しにする事など出来ません」
クオンは薄紫色の光に一歩足を踏み出す。それと同時に、クオンは心の中で呟く。
(もう…隠せませんね)
一方現世では、リーヴが糸の切れた人形のようになったクオンの身体を物陰まで運んでいた。一応、手には触れないように。その時、クオンの心臓の辺りから鮮やかな紫色の光が放たれた。
「え…クオン…?」
クオンの身体は心臓部を中心として、一瞬だけ紫色の蝶に分解された。そしてすぐさま元の姿に戻り、傷の完治したクオンがリーヴの前に立っていた。
「ご迷惑をおかけしました。私はもう大丈夫です」
その様子をセラも見ており、セラは驚きを隠せないでいる。クオンは再び大鎌を握り、淵族の群れへ近づいていく。
「セラさん。多くは語りませんが…少し危ないです。リーヴさんを連れて離れてください」
「う…うん。分かった」
セラはリーヴの下に戻り、2人で少し離れた岩陰に隠れる。
「さて…少し本気を出しましょう」
その瞬間、クオンの周囲に紫色の魔力が吹き荒れた。クオンの身体は薄紫色の繭のようになり、吹き荒れる魔力に触れた淵族や魔物は悉く力尽きていく。やがて、繭の側面に一筋の亀裂が入った。中から出てきたのは…
「わ…きれい」
より一層神秘的な、新しい姿へと変化したクオンだった。左目は紫色の花で隠されており、大鎌の刃部には濃藤色の炎を纏っている。
「我が園よ…出でよ」
クオンが厳かな様子で手を横に振ると、先程までクオンがいた空間…『冥域』のような領域が周囲に展開された。それと同時に、セラが既に負傷させていた淵族や魔物が次々に絶命していく。
「豸医∴繧…!豸医∴繧…!!」
訳の分からない叫び声を上げながら、淵族が波のようにクオンに押し寄せる。
「…」
だが、クオンは微動だにしない。ただ悠然と宙に浮き、押し寄せる大軍を見下ろしているだけである。すると、突然クオンを中心に紫色の波動が放たれ、それに触れた淵族達がまたもや次々に絶命していく。
「クオン、つよい、ね」
「うん…あたしでも、あんな数の相手をするのはちょっと気が引けるのに…」
淵族達はクオンの実力を目の当たりにして怯んでいるようだ。だが、クオンは依然として表情を変えない。それは、彼女の油断の無さの現れである。
「驍ェ鬲斐□…!」
その時、一体の淵族がクオンに突撃してきた。
「…無謀ですね」
クオンは落ち着いた様子で左手に魔力を集め、その手を淵族に向かって翳す。すると、螺旋状になった紫色の衝撃波が淵族の身体を吹き飛ばし、淵族の身体は宙を舞ったまま朽ち果てていった。
「そろそろ…終わらせましょう」
クオンが左の手の平を上に向けると、残った淵族達の足元に大きな2つの魔法陣が現れた。
「死よ…私に従え」
その2つの魔法陣はそれぞれ逆向きに回転し、クオンが左手を握るのと同時に、魔法陣の中心から紫色の光芒が天に向かって放たれた。凄まじい魔力の爆発はドーム状に広がっていき、最後には追い打ちをかけるように特大の爆発を起こした。それは、かなり距離を取ったはずのリーヴ達も少し巻き込まれそうになる程の規模だった。
「クオン…すごい…!」
「本当に…1人で全部倒しちゃった」
爆発の土煙が晴れた頃には、そこに立っていたのは普段の姿に戻ったクオンだけだった。深淵に繋がっていると見られる大穴も、徐々に小さくなっていく。
「クオン、おつかれさま」
リーヴ達がクオンに駆け寄っていく。だが、クオンはリーヴ達の顔を見ようとはせずに、身体を紫色の蝶に変えてどこかへと移動する。
「クオン…?」
2人は戸惑った様子でクオンを探す。幸い、クオンはすぐに見つかった。だが、リーヴ達の顔は寧ろ曇った。何故なら…
「ねぇ…クオン…」
「なんで…その穴の前に居るの?」
クオンは後ろを向いたまま涙を拭うような仕草を見せ、精一杯の笑顔を浮かべて振り返りながらリーヴ達に伝える。
「さようなら…お2人とも」
「「クオン!!」」
その言葉を残して、クオンは漆黒の大穴に力無く落ちていった。
今回出てきた技
クオン
・落命の行き交う境(領域。範囲内の生物はクオンに命を吸われ続ける)
・死を兆す波濤(当たった生物の命を削る。一定以上のダメージを受けていた場合は即死。領域内だとこれが自動攻撃になる)
・此岸に響く訃報(死を兆す波濤の単体攻撃版。こっちは自動にはならない)
・早晩来訪の寂滅(クオンの大技。ある程度弱った相手や実力差がある相手は掠れば即死。そうでなくても直撃すれば大体即死。尚、不死の相手にはダメージしか与えられない)




