第184話 崩座:偽神の殞落
足場が崩れて下に落ちたリーヴ達は、ヤルダバオトを見上げながら話していた。
「攻撃は一応通用したけど……装甲が硬くて、致命打は与えられなかった」
「であれば……やはり強力な一撃を叩き込みたいですね」
セラとクオンが視線を向けたのは、先程危機から救ってくれた恩人、リーヴである。
「わたし?」
「うん。この前の戦いで、すごい大きな爆発起こしてたよね。あれなら行けるかなって」
「………うん。多分使える、よ」
「決まりですね。後は……リーヴさんをどうにかして運ぶだけです」
「最初はわたしがやりますよ!わたしはそんなに高く飛べないですし!」
やる事は決まった。クオンとセラはヤルダバオトの注意を引く為に攻撃を続け、アルシェンは杖を地面に立てて風を纏い始めている。
「……よし。行けますよ、リーちゃん!」
「うん。よろしく、ね」
アルシェンはリーヴを横抱きにしたまま空中へ浮かび上がる。するとそれに気づいたのか、すぐさまヤルダバオトの鉄槌がアルシェン目掛けて振り下ろされた。
「させません……!」
が、咄嗟にクオンが割って入って巨大な右腕を弾き返す。
「小癪な……!」
アノイトスが苛立ちを感じさせる声で呟くと、ヤルダバオトは左腕を上に向けて軽く持ち上げた。そしてその背後には無数の光が現れ、流星群のような閃光が飛び回るアルシェンとリーヴを狙う。
「わっ……!ご、ごめんなさいリーちゃん!対処を任せても良いですか?」
「うん。大丈……」
「必要ないよ!温存してて!」
リーヴが右手を掲げると、セラが横から突っ込んで来て光弾を全て斬り落とした。セラも本気を出しているのか僅かな斬撃の軌跡しか視認できず、セラ本人の姿は見えなかった。
「アルシェンさん、交代しましょう!」
「はい!パスです!」
アルシェンは非力な方ではあるが、それでもどうにか頑張ってリーヴをクオンの方へ放り投げた。
「ぅわっ!」
「おっ……と。平気ですよ。落ち着いたらセラさんにお渡ししますね」
あわや落下寸前だったが、クオンも何とかリーヴを受け止める。そしてクオンはリーヴを背負い、セラと合流するタイミングを測りながら実験場を飛び回る。
「蝿のように飛び回れど……死期が先延ばしになるだけです」
実験場の壁に再びグリッジが走り、壁の一部が隆起してクオンを撃墜しようと追ってくる。
「クオン、平気……?」
「ご心配なく。少し揺れますが……」
生き物のように曲がりくねるコンクリートの柱が、クオンの後を追っている。クオンは空中を舞うように移動して躱していくが、その回避は紙一重であった。身を翻せば、2人の周りを気流と柱が駆け抜けていく。
「っと……すみません。私の頭がぶつかってしまいました」
「う、うん……平気」
どうやら避けた拍子に、お互いの頭が衝突してしまったようだ。空中で一瞬よろけた隙に、ヤルダバオトの右腕が炎を噴きながら迫ってくる。
「くっ……クオン、前!」
回避は間に合わないと判断したクオンが、リーヴだけでも逃がそうとして体勢を変えた瞬間……
「クオンちゃん!」
アルシェンの巻き起こした風がクオンの背中を押し、攻撃の軌道から2人を外した。
「……」
アノイトスは何も言わなかった。
「助かりました……攻撃も止みましたし、セラさんにお渡ししますね」
何度も言っているが、ヤルダバオトはとてつもなく巨大だ。かなり長い間飛び回っていたというのに、まだヤルダバオトの腹部程度の高度にしか到達出来ていないのである。ここからは飛行を得意とするセラの役割だろう。
「いいですかリーヴさん、投げますよ」
「……えっ」
セラとクオンの距離が近づいた時、唐突にクオンが言った。
「3、2、1……」
「ま、まってまって!そんないきなり……!」
クオンは普段から大鎌を振るっているので、腕力もそこそこにある。空中で思いっきりリーヴを放り投げ、リーヴは三度宙を舞う。
「目、が……回る……」
「……よし!リーヴ、もう目開けていいよ」
リーヴが恐る恐る目を開けると、そこには見慣れた金髪の少女が居た。
「セラ、大丈夫?さっきまでもずっと、わたし達を守ってくれてたけど……」
「平気平気。空はあたしの得意分野だからね。ヤルダバオトは大きいけど、小回りが効く訳じゃない……なら、この空はあたしの独壇場だよ!」
リーヴに影響が無い程度の速度で、セラはヤルダバオトの周囲を飛び回る。
「小蝿が……!」
その後ろを大量の光弾が追うが、セラはその全てを上手く回避し、光弾同士をぶつけて消滅させていく。
「リーヴ大丈夫?酔ってない?」
「まだもうちょっといける」
「分かった。じゃあもっと加速するよ!」
『今までのはお遊び』とでも言うように、セラは急加速した。流石のヤルダバオトもセラを捉え切れなくなり、一旦追撃を止める。しかしそれは、戦意の喪失を意味する訳ではない。
「……フン。ありきたりな小細工など、全て消し飛ばしてあげましょう!」
ヤルダバオトの両手に再び、あの凄まじい威力を誇る光の槍が現れた。
「どうしようセラ!わたし……もうあれ止められないよ!まだ頭までは遠いし……」
リーヴが見上げた先には、まだ手を伸ばしても全然届かないくらいの距離にヤルダバオトの頭部があった。
「じゃあリーヴ……」
「へ?」
「……一瞬だけ、飛ばすよ」
その短い言葉の意味を問うより先に、リーヴはほんの一瞬だけ、コンマ数秒にも満たない時間だけ意識が飛んだ。そして意識が戻った頃、リーヴはヤルダバオトの頭部の正面に浮いていた。
(今のが……セラの全速力?すごい……早すぎて一瞬気絶してた)
などと感心している場合でないという事は、リーヴもすぐに思い出した。権能を駆使して宙に浮いたまま、上に向けた右手の中央に魔力の渦を形成し始める。
「リーヴ……!」
魔力の奔流は巻き込んだ全てを無に帰し、ヤルダバオトの装甲も軽く削られていく。無論、操縦席に居るアノイトスの意識も、半ば削り取られていた。
「リーヴさん……!」
そして、あの銀色の雫が出来上がった。今まで消去し続け、蓄積し続けた魔力の全てを凝縮した雫。万物を無に帰す、神の雫が。
「リーちゃん……!」
その雫が放つ魔力が、あの時と同じ現象を引き起こした。匂い。音。色。皮膚の感覚。五感の全てを消去された全員は、その雫が落ちるのをただ見ている事しか出来なかった。そして。凪いだ湖面に水滴が一滴落ちたような音が響いた。次の瞬間、実験場が眩い銀色の光に包まれた。先程の静寂からは想像も出来ない程の大爆発と、それに見合う轟音、そして揺れがセラ達を襲う。魔力改造で強化された壁はいとも容易く消し飛び、実験場のあった小惑星全体が崩壊してもおかしくない程の衝撃を放っていた。
ヤルダバオトの機体は原型こそ留めているものの、誰がどう見ても戦えないような損壊具合だった。生みの親のように両手を広げたまま、瓦礫となって崩れていく。
「……」
(よかった……何とか、手加減できた。もし失敗してたら……セラ達も巻き込んじゃうところだった)
リーヴが内心で安堵していると、崩れゆくヤルダバオトの機体からアノイトスの声が聞こえてきた。
「素晴らしい……素晴らしい……!これぞ神たり得る力!神たり得る威光!」
そして、次の声は更にはっきりと聞こえた。
「ア・カカ!クサ・ヴァティ・ウナ!ティ・オイ・ニヴァ!!」
そして、次の声は遠く離れているセラ達にも聞こえた。
「フハハハハハハハ……フハハハハハハハハ……!アハハハハハハハハハハハ!アハハハハハハハハハハハハハハハっ!!!」
戦いに敗れ、崩れ去る叡智の残骸の中で、彼はただ笑い続けていた。




