第?話 追想:常識の証明
ルヴニールの過去編ですが、フォルティに引き続き一人称視点です
昔から分からなかった事がある。何故、気に入らない人間を殴ったらいけないのだろう。何故、殺した生き物を解剖したら異端と呼ばれるのだろう。何故、私は他者の肉体に興味があるのだろう。何故、気に入らない人間を殺したくなってしまうのだろう。何故。何故。何故。
私には所謂『常識』という物が分からなかった。他人の事もよく理解出来なかった。それ故か、物心がついた頃には既に私の周りに人は居なかった。
私は6歳の頃に『道徳』という言葉を知った。アースの尺度で言うところの『小学1年生』という年齢の頃だ。どんな授業を受けたのかは覚えていないが、とにかく『道徳』は人として、そして倫理的な正しさを学ぶ学問だったと認識している。他人の事が理解出来ない私は、その『道徳』を通じて他者を理解出来るかもしれないと考えた。
手始めに教科書を読んでみた。半分程読んだ頃、私はもう教科書を閉じたくなっていた。決して飽きたとか、そういう理由ではない。くだらなかったのだ。『道徳』の教科書には様々な物語が載っていた。しかしそのどれも、辿り着く結論は等しく『正しい事は素晴らしい』だった。今思えば単に年少者用の教科書だったからかもしれないが、その後の学年で時々読んだ教科書も大抵似たような内容だった。
何が『正しい事は素晴らしい』だ。
私にはその『正しい事』が分からないというのに。
むしろ私からすれば皆が間違っているんだ。
世間や『道徳』が声高に宣言する『正しさ』や『常識』という概念は、所詮たまたま適合できる者の多かった価値観の1つに過ぎない。
『それ』は私の『正しさ』ではないし、私の『常識』でもないのだ。
では私の『常識』とは何か。
結論から言えば『他者を解剖する事』だ。
私は昔から他者の理解に苦しんで来た。だから色々試した。対話、問答、調査、統計……頭脳だけは優れていたから、それらの行動を取る事自体は難しくなかった。しかし、そのどれからも私の望む結果は得られなかった。
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私が思いついた手段の中で、残されていたのはあと1つ。それが『解剖』なのだ。腹を切り開いて胃の内容物を見れば、その者の食生活が分かる。胸を切り開いて肺の中身を見れば、その者が煙草を吸うか否かが分かる。眼球を見れば。脳を見れば。心臓を見れば。爪を見れば。膵臓を。腎臓を。腸を。皮膚を。血管を。筋肉を。
人間を合法的に解剖する為、私は医者になった。動機が不純?知った事か。私が解剖するのは基本的に死亡した私の患者だけだ。遺族から許可も得ている。文句は言わせない。
生まれて初めて人間を解剖した時、私は歓喜の情に打ち震えた。やっと。やっと。やっと他者を理解出来たのだ。今まで何をしても得られなかった結果が、十数年以上の時を経てようやく得られたのだ。この時私は『人間の何たるかを解剖を以て明らかにし、自身の常識を証明する』と言う目的を設定した。
となれば必要になるのは、妥協品である死体などではなく、生きた生身の人間だ。私は一切の躊躇いも無く夜の人間となり、夜の街に蠢くならず者達を片端から殺害しては解剖していた。ならず者ならば別に死んでも誰も困らないだろう?
そしてある日。標的に選んだのは淡い緑系の髪色をした青年だった。黒を基調とした学者のような服を着ており、返り討ちに遭う事などまず無いと思っていた。私は以前『超再生』の異能が目覚めた際に施した身体改造により、腕に刃を仕込んでいた。それでその青年を背後から刺し殺そうとしたのだが……
「……何ですかアナタは」
その青年は私に気づくや否や、振り向きざまに発砲して私の脳天を貫いた。一瞬の気絶の後に復活した私は、まず戸惑った。あそこまでの正確性で射撃が出来る人間がいるのか、と。
「もしや……最近巷で噂の人斬りですか」
「……そうだが?」
私は地面に腰を下ろしたまま彼と話していた。彼は私に対する敵意は無いらしかった。
「丁度いい。アナタをスカウトしようと思っていたのですよ。ワタシ専属の始末人として」
「始末人?そんなのが必要な役職に就いているのかい?」
「いえ。ただ、今現在所属している組織の1つが面倒な組織でして。もしそこと対立するならば、対処を任せられる人物が欲しいので。ああそれと……個人的な目的にも」
「断ったら?」
「もう一度撃ち殺して治安局に投げ渡します。何の目的があるのかは知りませんが、アナタが仕留めた標的はアナタの好きに『解剖』して良い事としましょう。ただ……無益な殺生は避けてもらいたいですが」
私は2つ返事でその誘いに乗った。偶然にも彼は、私の勤務する病院の親会社の社長らしかった。始末人の件とは別に、彼は私に時折話しかけてきた。そっちこそ何の目的があるのか見当もつかなかったが、まぁ悪い気はしなかった。そして3年ほど経った頃、雇用主である彼は私の良き理解者となった。私の方も彼を理解してみるべきかと思って、色々と聞いてみる事もあった。しかしいつ聞こうが『アナタに知らせる義務は無い』と突っぱねられるのだ。別に驚きはしない。彼はこういう人間だ。そういう意味では、私も彼を理解出来ているのかもしれない。
そんなある種の恩人である彼は、その名を『アノイトス』と言った。




