第139話 受け入れるしかない
リスティアスは掠れた声で途切れ途切れに己の過去を語った。それはあまりにも救いの無い話であり、リーヴ達は4人も居るというのに、誰1人言葉を発する事が出来なかった。
「……」
この話を聞いて尚、リスティアスに『この雨を止めろ』なんて言えるのは、世界広しと言えど真月くらいだろう。かと言って、雨を止めない限りは問題の解決にはならない。
「どう……するの?」
「今は落ち着いているようですし……仕方ありません、この隙に送魂を済ませてしまいましょう」
リスティアスを刺激しないように、アルシェンは少し距離を取って送魂の準備を始める。次第に雨が弱まって来ている。リーヴ達は何か釈然としないままその様子を眺めていたが、その時事件は起こった。
「駄目よ……!この雨を……止ませる訳にはいかない…!彼が……来られなくなってしまう!」
過去を振り返った事によって『悲哀』という感情が高まったのか、リスティアスは再び降り頻る雨を強める。
「セラ。なんか、パチパチするよ、この雨」
「これ……帯電水?」
「感情によって異能が変化したのでしょうか……いずれにしろ、注意が必要です…!アルシェンさん、一度こちらへ!」
クオンとセラが武器を構え、アルシェンはリーヴの側で再び送魂の準備を始める。
「邪魔しないで……私と彼の約束は…誰も破らせない……!」
リスティアスは帯電水の豪雨を降らせ始め、セラ達の目つきに応えるように臨戦態勢を取る。
「皆さん!送魂の準備が整うまで、どうにか時間を稼いでください!」
「わかった、よ。わたしは側にいる、ね。わたしの能力なら、雨も防げる、から」
リーヴは淡い銀色の光でアルシェンと自分を包み、微弱な痛みを伴う雨からアルシェンを守る。
「ありがとうございます。これで、準備に集中できます」
「……来るよ!」
セラは極光の力を使わず、クオンも紫色の焔を纏っていない。それは、敵意の無い事を証明する、彼女らの精一杯の手段だった。
「嗚呼……どうして……どうして彼が…!」
リスティアスは帯電した水を直線状に放ち、セラとクオンを牽制する。
「あの人は死んでない…!だって約束したもの……あの人が約束を……破る筈がないもの…!」
リスティアスの能力かは分からないが、激しい雨に加えてとうとう雷まで鳴り始めている。彼女の実力が未だ未知数な事も相まって、セラ達の目に映るリスティアスはまさに嵐の神のようだった。
「アルシェン、あとどれくらい?」
「送魂の準備はそこまでかかりませんが……どのみち、お姉ちゃんを落ち着かせないと上手くいきません」
「落ち着かせる手段は、ある?」
「あります……が、そっちは時間がかかるので。セラちゃん達に頑張ってもらうしかありません」
「わたしなら、すぐ落ち着かせられる…と、思う。わたしが、やろっか?」
「いえ、大丈夫です。これはわたし達姉妹の問題ですから……わたしがやります。わたしがやらなきゃいけないんです」
「……そっか」
リスティアスは傘を差し、空を泳ぐように舞っている。目的が『殺害』ではなく『送魂』である以上セラ達も攻撃を仕掛ける訳にはいかず、苦しい時間稼ぎだけが過ぎていく。
そのうち、ふとアルシェンが口を開いた。
「……お姉ちゃん」
その声が聞こえたのかそうでないのか、リスティアスは無言でアルシェンへ目を落とす。
「もう……いい加減認めたらどうですか。あなたの恋人は…アレイさんは亡くなったんです!」
「ちょっ……アルシェン…?」
リスティアスを最も刺激するであろう台詞を吐いたアルシェンに、リーヴは柄にも無く動揺する。
「どうして……そんな事を言うの…?彼は…」
「反論……出来てないじゃないですか。心のどこかで分かっていたんでしょう?」
「違う……違う!」
更に雨が強まる。セラやクオンが何か喋っているが、もうその声は雨音に掻き消されて届かない。
「辛いのは百も承知です……わたしにだって、辛い事は沢山ありました。でも……」
リスティアスは発狂にも近い叫び声を上げている。それにも構わず、アルシェンは生まれて初めて出すような大声で叫ぶ。
「…それが、現実なんです!どれだけ辛い事が起こったって、受け入れるしかない!わたし達に変えられるのは未来だけ……過去も現実も、起こった事はどうにもならないんです!悔しくて堪らないですが……それは紛れもない事実なんです!」
普段は明るく、ふわふわした雰囲気を纏うアルシェンの、初めて聞くような大声。その言葉は隣のリーヴやセラの心を動かしただけでなく、リスティアスの心にも少なからず響くものがあった。
「アル……シェン」
「前に……進む時です。あなたの未練を晴らす手助け、しっかりしてあげますから」
そう呟き、アルシェンは煌めく橙色の魔力を放ち始める。その光は雨で濡れたリーヴの身体を優しく包み込み、冷え始めていた身体を温めていた。
「大丈夫ですよ。きっと……アレイさんにも会えますから」
アルシェンは足元に風を起こして宙に舞い上がり、全身に纏った橙色の魔力を両手に集め、その両手を胸の前で握る。そしてアルシェンが魔力を解き放つと、橙色の煌めく魔力が渦を巻いてリスティアスを巻き込んでいく。
「何……これは…」
魔力の渦はアルシェンの意のままに中心に集まり、最後には橙色の美しい十字の光となった。眩い光が辺りを包む。それはセラでさえ見惚れる程に綺麗で、例えるなら日の出のような、力強い陽光のようだった。
「雨が弱まっていく……」
「アルシェンさん……あんな事も出来たのですね」
リスティアスは戦意を失った……否、落ち着きを取り戻したのか、雨を弱めてそのまま空中に留まっている。
「あ、リスティアス。止まった、よ」
「これで解決……なのかな?」
「いえ、まだでしょう。彼女がまだ現世に留まっているという事は、まだ僅かでも未練があるという事……結局、アルシェンさんに頼らざるを得ません」
3人は揃ってアルシェンの方を向く。丁度送魂の準備も整ったようだ。アルシェンは色々な感情を押し殺すかのように、手早く杖をリスティアスに向けて短く呟いた。
「……さようなら」
その刹那、アルシェンは戦闘前の一幕を思い出していた。『生きて帰る』という約束。もちろん、必ず守れるとは限らない。もし守れなかった場合、自分もリスティアスのようになるのだろうか。息が苦しいのは、視界が霞むのは、何故か喉の奥が痛いのは、きっと送魂を続けた代償だろう。送魂の時はあらゆる雑念を排する。同情や憐憫なども、全て。でなければ集中が途切れ、予期しない問題が起こる可能性があるからだ。それは、アルシェンがサンサーラに教わった送魂の基礎だった。
次の瞬間、リスティアスの身体は虹色の光に包まれて徐々に消滅を始めた。このまま何も起こらなければ、無事に送魂は完了するだろう。
「…ねぇ、アルシェン」
「何ですか……お姉ちゃん」
穏やかに身体が消えてゆく中、リスティアスは久方ぶりに妹と言葉を交わす。
「ごめんなさいね……私は、私と彼の事で手一杯で。あなたにまで意識が回らなくて。あなたも…彼と同じくらい、大切だったのよ?」
「やめてくださいよ今更……分かってます。でなければ、自分の時間を割いてまでわたしを育ててくれなかったでしょう?わたしを施設に預けるって選択肢もあったのに、そうしなかった……そのおかげで、わたしは誰かと暮らす嬉しさや楽しさを知れたんですよ」
「そう……ならよかった。ありがとう、アルシェン。こんな穏やかな気持ちで逝けるなんて……昨日までは思っていなかったわ」
「だからやめてくださいって……せっかく、泣かないように……手早く…済ませたんですからぁ……」
「ふふ……可愛い妹を泣かせる訳にはいかないわね。それじゃ、会って早々だけど……さようなら、アルシェン」
その言葉を最後に、リスティアスは消滅した。先程まで荒れに荒れていた空は嘘のように晴れ渡り、遠くからはびしょ濡れのリーヴ達が駆け寄ってくるのが見える。
(あれ……声が、出ませんね……視界が、何故か横になっていますし……リーちゃん達に、心配をかけてしまいます……)
その時、アルシェンは虚ろな目をしながら地面に倒れ込んでいた。本人に自覚は無いのだろうか。それとも、もう自分の状態を把握するだけの余力すら無いのか。
「アルシェン……!しっかりして!アルシェン!」
「死んじゃダメだよ…!約束したじゃん!『生きて帰る』って…!」
セラは今にも泣き出しそうで、リーヴは既に泣いている。
(ああ……なんだか、眠くなって……きまし……た…ね。少しだけ……おやすみ……しましょうか)
そして、アルシェンの意識は深く沈み込んだ。
ボスキャラ解説
【待ち惚けの淑女】リスティアス
種族 迷魂
所属 雨の星
異能 帯電した水を雨として降らせる力
概要
色褪せた約束の為、星を悲しみの雨で包む者。異能で降らせた雨は凝縮して直線状に飛ばしたりも可能で、中々に多彩な戦い方が出来る。しかし所詮は人間(迷魂)なので、実はそこまで強くはない。そもそもいくら感情バフが乗っているとはいえ、彼女はただ恋人に会いたいだけ。恋人と幸せに笑いたかっただけ。目の前の敵を討ち倒す事も、雨で他者に迷惑をかける事も、彼女の目的ではない。ただ、ただ、彼に会いたいだけだったのだ。




