第129話 名捨人
ノーノゥとの激戦から3日後。リーヴはアルヴィースに言われた通り、1人で付近の街に出てみた。仲間達には『散歩』と伝えてあるが、実際はアルヴィースが別れ際に何をしたのか知る為だった。
「むぅ…結局、なにしたんだろう。あの人…」
色々考えながら歩いていると、リーヴの腹の虫が鳴いた。そういえば、時刻はもう昼を回っている。
「…お昼ご飯、買おう」
近くの店でクレープを購入し、その辺のベンチに座って食べ始めた。
「ふふ……おいしい」
糖分を欲する程頭を使った訳でもないが、疲労した身体に染み渡る甘さにリーヴの顔が緩んでいく。
「…ふぅ。じゃあまた、歩こう」
リーヴが包み紙を丸めて立ち上がったその時だった。
「……え?」
彼女は道行く人混みの中に、よく見知った少年を見つけた。髪型は青色のメッシュが入った白いウルフカットで、両腕と背面に2本の薄い青色の線が入ったパーカーを着ており、左肩から青と白色の肩掛けを身につけていた。例え見た目が変わっていても、リーヴが見間違える筈が無い。かつて敵として戦い、自分自身で手を下し、『友人になる』と約束した存在…ノーノゥが確かにそこに居た。
「ノーノゥ…?」
リーヴは彼を見失わないよう気をつけながら、人混みを掻き分けて進んでいく。やがてノーノゥの背後に追いつき、何とか肩を掴んで声をかける。
「ノーノゥ!…だよね?」
リーヴに気づいたノーノゥは面倒そうに振り返り、聞こえよがしに溜め息を吐いた。
「……人違いじゃないかな。そんな名前…僕は知らない」
「…?なにいってる、の?あなたはノーノゥでしょ?」
「聞こえなかったかい?人違いだって言っているんだ」
「…?」
ノーノゥの発言を理解出来ないリーヴは依然として首を傾げている。
「名乗るような名前はもう捨てた……僕はもう、ノーノゥでもオブリビオンでもない。僕の事は『名捨人』とでも呼んでくれ」
「な、な…すて…?」
「ハァ……まぁ、好きに呼びなよ」
ノーノゥは吐き捨てるように告げると、また溜め息を吐く。
「…アルヴィース……こんな事が贖いのつもりか?」
「えっと…あなたは、なんでここにいるの?」
「僕が聞きたいくらいだよ。大方…アルヴィースが僕に対する償いのつもりで、死んだ僕を生き返らせたんだろ」
「それなら…なんで嫌そうなの?わたし…あなたにまた会えて、すごく嬉しかった、よ」
「…本来のように、『同じ権能と神名を持った違う神』として生まれ変わるなら…僕だって文句は無かった。けど…今の僕はまだ『ノーノゥ』だ。奴のせいで生まれた『未知』の力も、その性質も、僕が犯した罪の数々も…何一つ変わってはいない」
リーヴはハッとした。ノーノゥは未だ『ノーノゥ』という存在なのだ。彼に芽生えた『未知』の力は依然そのままなのである。つまり、ノーノゥは一応生きてはいるものの、彼を覚えているのは彼の権能の影響を受けないリーヴとアルヴィースのみという事だ。
「詰めが甘いんだよ。僕に対する償いのつもりなら…この性質を消せばよかったのにさ」
「まだ…アルヴィースが憎い?」
「当たり前だろ。君達と敵対する理由はもう無いけど…アイツは別さ。いつか必ず…」
見た目は白と青を基調とした神秘的な様相になっているが、彼が内に湛える悲しみ、怒り、憎しみは変わっていなかった。
リーヴがどう返答しようか悩んでいたその時、彼女は少し昔の出来事を思い出した。それはセラの喘息を治した時の事だった。
(…そうだ。わたしの力なら、やれる筈…!)
「ね、ノーノゥ。ちょっときて」
リーヴは微笑みながらノーノゥの腕を引き、自分の近くに寄せる。
「急に引っ張るな。何をする気だい?」
「ふふ。みてて」
リーヴがノーノゥの左手を両手で強く握ると、そこから淡い銀色の光が放たれた。ノーノゥの中に感じた事の無い感覚が現れ、ノーノゥは困惑する。
「…何をした?」
「わからない?なんとなくでも」
ノーノゥは目を閉じて集中する。そして、彼はリーヴのした事に気がついたようだ。
「…まさか」
ノーノゥは反射的に振り返る。何か確かめたい事でもあるのだろうか。その時、通りすがった女性が丁度良くハンカチを落とした。それを見たノーノゥはハンカチを拾い、女性に届ける。
「ねぇ、これ落としてたよ」
「あ、ありがとうございます」
特に気に留める様子も無く、女性は頭を下げて立ち去る。ノーノゥは彼女の視界から自分が消えた事を確認してから、思い切って声をかける。
「…ねぇ!」
「はい?まだ何か…?」
「……僕の事は、覚えてる?」
「…?はい、覚えてますが…」
「…っ!」
女性の返答を聞いて、ノーノゥは目の端が熱くなる。喉の奥が痛くなる。幾度となく流した物が、よく知らない感情と共に流れ出てくる。
「あ、あの…大丈夫ですか?」
「うん。この子は大丈夫。ごめん、ね。行っていいよ」
女性は『よく分からない』と言った表情のまま、軽く会釈して立ち去った。
「…そうか……『無』くしたんだね。僕の…あの性質を」
「うん。権能ごと消さないように、頑張って調整した、よ」
「……」
ノーノゥは涙を拭い、改めてリーヴの方を向く。
「…借りが出来たね」
「いいよ。気にしないで。あなたがいってたんだよ?『友達になろう』って。これは、その第1歩、だよ」
「…うん」
今だけの物かもしれないが、彼の声音や表情は幸福を享受して喜ぶ純粋な少年のようだった。
「何か…今後困るような事があれば、遠慮なく呼んでくれ。僕も…君の力になるよ」
「なら、わたし達と一緒に旅をしない?それなら、いちいち呼ぶ必要もない、よ」
その提案に、ノーノゥは少し悩んでから答える。
「…いや、悪いけどそれは出来ない。さっきも言ったけど、そのままなのは僕の権能だけじゃなくて…僕の犯した罪もだ。君達のような善人の側にいるのは憚られるよ」
「…そっか。わたしは、あなたの意思を尊重する、よ」
「そんな難しい言葉…君使えたのかい?」
「ふふん。勉強の『たまもの』だよ」
「……そう」
珍しく、と言うべきか、ノーノゥは微笑んでいる。当然だ。千年単位で続いた悩みの種が取り払われたばかりなのだから。
「そういえば、さ。1つ、きいていい?」
「何だい?」
「その……あなたはどうして、アルヴィースに直接復讐しないで、色んな星で問題をおこしてた、の?」
ノーノゥは露骨に話したくなさそうな顔をしている。
「あ……嫌なら、別にいいんだけど」
「……アルヴィースは、言わば『世界の管理者』だ。この世界で問題を起こせば、彼が黙っている訳がない。そうすれば……彼も僕を見てくれると思ったんだ。まぁ……結果は知ってるだろ」
ノーノゥがリーヴに抱いている好感は本物なのか、やたら素直に気持ちを話していた。話題に困り始めたリーヴだったが、ここでとある事を思い出したようだ。
「あ、そうだ。あなたを、紹介したい人がいる」
「はぁ?まさかとは思うけど…アルヴィースに会わせるなんて言わないよね?」
「違う違う。ついて、きて」
リーヴはノーノゥの手を引いて、人気の無い場所に移動する。その様子はまるで、昔から知り合っている幼馴染のようだった。
「どこに向かう気さ」
「わたしの、お家」
「君の?」
「うん。わたしの友達に、ノーノゥを紹介したいな…って」
「……まぁいいけど」
そしてリーヴはいつも通りに銀色の鍵を使い、夢界ハウスの中に入る。入った瞬間、3人の仲間が揃って出迎えくれた。
「リーヴさん、おかえりなさい」
「おかえりです!リーちゃん!」
「…おかえリーヴ」
「セラさん…?」
「セラちゃん、今なんて言ったんですか?」
「ごめん、何でもないよ」
もしかしてセラって駄洒落好きなのか。
「ふふ。ただいま」
ノーノゥは初めて来る場所を警戒しているのか、リーヴの後ろに隠れている。拾われたばかりの野良猫のようだ。
「みんなに、ね。紹介したい子がいる、よ」
「リーヴさんのお友達ですか?」
「うん。わたしの友達。ほら、名前いって」
リーヴがノーノゥに前に出るよう促すと、リーヴは名前を言おうとする…が。
「この子はノーノ…」
「名捨人と呼んでくれ。生憎、名乗るような名前はもう捨てたものでね」
ノーノゥが自分で名乗って遮った。
「なるほど…名前を捨てたから『名捨人』ですか」
(何か訳アリっぽいけど…聞いちゃダメだよね)
セラがリーヴを呼んでこっそり聞こうかどうか迷っている時、リーヴが言った。
「みんな混乱しちゃうでしょ。ノーノゥって名乗って」
「その名前は捨てたんだ。あんな忌々しい名前…名乗る訳が無い」
「名前は、あの人からの贈り物だよ?前読んだ本に、そういう事が書いてあった」
「混乱がどうとか言うなら君がそう呼ぶのを辞めればいいんじゃない?」
「やだ。『ノーノゥ』って響き、かわいくて好き」
「やだじゃない。呼ばないでくれ」
「やーだっ」
「やだじゃない」
いつかのノーノゥが言ったように、この2人は相性が良いのだろう。幼馴染のようなやり取りを微笑ましく見ていたセラ達だったが、そこでクオンがある事を思い出す。
「あ、そういえば…その……私の手には触れないようにしてください。えっと、病気が…」
「隠さなくていい。権能だろう?」
「…!どうしてそれを…!」
「…まぁ、色々あるのさ」
そんな時、リーヴの中には再びあるイメージが湧いてきていた。
「そうだ…クオン、手出して」
「?はい…」
リーヴは先程ノーノゥにしたのと同じように、クオンの両手を握って銀色の光で包む。
「これは…!」
「リーちゃん、何したんですか?」
「ふふん。クオンの手、触っても大丈夫にした、よ。『死』の力を『無』くした…って、言えばいいかな」
リーヴの力の強さは、この場に居る誰もが既に知っている。その言葉を本当だと信じるのは試すまでも無かった。
「ただ、クオンの力も強かった、から。完全には消せなかった。手袋の上からなら、大丈夫なはず」
「ほ…本当、ですか?」
「あ、そうだクオン。なんならあたしで試してみようよ」
「い、いけませんよそんな…!万が一の時、責任が取れませんし…サンサーラの所に言って彼で試しましょう?」
アルシェン以外の全員は『それもどうかと思う』と内心思っていたらしい。
「平気平気。それにもしあたしが死んでも、それこそサンサーラさんを頼ればいいでしょ?」
「……ですね。では…」
クオンは紫色の手袋を着けたまま、恐る恐るセラの右手に手を伸ばす。指先が触れた。何も起こらなかった。クオンの心拍が加速する。人差し指を摘んでみた。やはり何も起こらなかった。思い切って手全体を掴んでみた。それでも、何も起こらなかった。クオンは安堵と喜びから大きく息を吐いた。
「本当に大丈夫ですね…すごいです、リーちゃん!」
「ほら、平気だったでしょ?」
「…はい。ありがとうございます…リーヴさん…!」
「ふふ。どういたしまして」
にこやかに会話する4人の後ろで、もう『忘れられた』ノーノゥが呟いた。
「…僕必要か?」
もう帰っていいと思うぞ。
キャラクタープロフィール
【君に、勿忘草の冠を】名捨人(渡世名 ノーノゥ)
種族 概念種
所属 なし
好きなもの 和食 散歩 覚えていてくれる人
嫌いなもの アルヴィース うるさい場所、人
権能 「記憶」
作者コメント
私の作品では恒例の「可哀想な奴は死なない」の体現者。キャッチコピーの「勿忘草」は「わすれなぐさ」と読み、花言葉はそのまま「私を忘れないで」である。混乱を防ぐ為に今後は「ノーノゥ」と呼ぶが、別にどっちで呼んでもらっても構わない。和食の中でも特にざる蕎麦が好物で、わさびをアホみたいに入れて濃いめの麺つゆで食うのが好きらしい。沢山幸せになってほしい




