第110話 彼岸の道程を辿る前に
夢界にて。本来の力を振るえるようになった現と、身の安全の為に流離達を現実へ帰した幻が交戦していた。先端に刃の付いた両腕を鞭のように振り回し、現は幻を徐々に追い詰めていく。
「くっ…!」
「どうした?俺の片割れともあろう者が…酷い姿だ」
否、交戦という表現は些か不適切だろう。幻は攻勢に出る事が出来ず、現の攻撃を捌くのが精一杯だった。何とか致命傷は避けられているものの、その柔肌は段々と赤く染まっていく。このままではジリ貧だと言う事は、幻が1番分かっていた。
(少しでも現の体力を削ってから吸収しようと思ったけれど…やっぱりダメね。むしろ私が消耗させられていくわ…一か八か、無理にでも同化を…!)
幻は気力を振り絞って現の懐に潜り込み、その心臓部に手を伸ばす。だが…
「負けを悟って自棄を起こすか…今まで協力してきたあの剣客も浮かばれないな」
現は触れられる寸前で幻の手を掴み、空中に放り投げる。
「きゃっ…」
そして背中から生やした刃付きの触手を伸ばして、宙を舞う幻を斬り刻んだ。幻は力無く地面に落下していき、受け身を取る事すらままならなかった。
「ぅ…」
一応まだ息はあるようだが、もう虫の息という表現すら誇張と呼ばれる程の状態だった。
「勝負あったな。まぁこれまでよく頑張った方だ、最初はお前を取り込もうとも思ったが…よく考えてみれば、お前と違って俺はお前を取り込む事でのメリットがあまり無い。単独戦闘の役に立たないお前の権能など要らん、ここをお前の墓としてやろう」
現は右手を巨大な刃に変形させ、幻に1歩1歩近寄ってくる。幻は死を覚悟するが、目を固く瞑る程の体力も残されていない。彼女に出来るのは、せいぜい心の内で後悔を語る事くらいだった。
(流離……皆…ごめんなさい。結局あなた達に面倒をかけてしまう…あなた達を危険な目に遭わせてしまう…兄様なら、自分1人でもどうにか出来る筈なのに…私は…)
幻は地面に伏したまま死を待っていた。最後の力を振り絞っても尚、彼女は目をゆっくり閉じる事しか出来ない。
幻が己の無力を嘆いていたその時…
「幻!」
突如として現れた銀色の扉の中から、金色の髪と光輪を携えたセラが飛び出してきた。セラは光の如き速度で現に斬りかかり、彼を幻から引き離す。そのすぐ後から、リーヴ、クオン、アルシェンが幻に駆け寄ってくる。そして最後に、扉の中から流離が歩いて出て来た。
「幻…!大丈夫?」
「現の相手をセラさんに任せてよかったです…これほど濃い死の気配、あと数秒でも遅れていたら間に合わなかったかもしれません」
「今回復しますからね…!」
「あ…なた達……ど…うして…ここは……危ないって…」
幻の絞り出すような声は、主に流離に向けられているらしかった。流離が何か答えようとしたその時、後ろからセラが吹っ飛んできた。
「わっ」
「…うん。まだやれる…!」
両手を握ったり開いたりしながら、セラは1人呟く。そのすぐ後に、現がセラに向かって飛び込んで来る。セラが再び相手をしようとしたが…
「どけ」
「え…わっ!」
流離が半ば強引にセラをどかし、刀も抜かないまま現の正面に立った。
「ハハハハハハ!武器すら構えないとは!現実の俺と同じだと思ったら大間違…」
現の台詞を完全に無視して、流離は向かって来る現の顔面を全力で殴り抜いた。余程苛立っていたのかその威力は凄まじく、現が後ろにのけ反る程だった。
「ぐぉっ…!」
流離はその隙を逃さず、高く上げた足と地面を用いて現の喉を蹴り潰し、仰向けになった現の胴体に刀を3回程刺してから現を遠くまで蹴り飛ばした。
「…やりすぎだよぉ」
「敵なのに同情してしまいます…」
「るー君相当怒ってますね…」
「…っていうか、怒った流離すごい怖いんだけど…」
「…聞こえてるぞ」
「「ひぃ……」」
流離は少し揶揄うつもりで言ったのだろうが、リーヴとアルシェンはかなり本気で怖がっている。
「…その、流離……ごめんなさ」
何とか喋れる程度まで回復した幻が言葉を絞り出すと、流離がその台詞を遮って幻の頭に拳骨を入れた。
「いっ…!な、何をするの!」
「…俺が嫌いな事を3つ教えてやろう」
「あ、あなたの…?」
「半熟のゆで卵を食う事。釣り銭の無いように支払いが出来ない事。それと……約束を破られる事だ」
「…」
前の2つがしょうもないのは置いておいて、最後の1つを聞いた幻はまた黙り込む。
「約束しただろう。『死ぬな』と」
「ええ…覚えているわ」
「…まぁいい。色々言いたい事もあるが、生きているなら充分だ。それよりも優先すべき事があるからな」
幻は感心していた。その時の流離の目が、普段とは違うある種の決意に満ちた表情だったからである。
「…あなた、変わったわね」
「どうした急に」
「出会ったばかりの頃のあなたは…何故かは分からないけれど、生に意義を見出せていないようだった。いつも死を望んでいる、澱んだ目の青年だったわ」
「酷い言われようだな」
「でも今は違う…あなたの目には、何かの意思が宿っている。それが何かは分からない…でも、それがあなたの生きる理由になるなら…私は嬉しく思うわ」
「…なら、俺の生きる理由はお前という事になるな」
流離はそう小さく呟いた。
「え?今なんて…」
幻は聞き返そうとするが、すぐさま流離が遮る。
「勘違いはするな。俺の死を望む心も、生きる理由を見出せないという心も、何一つ変わってはいない。ただ…彼岸の道程を辿る前に、やるべき事があると思っただけだ」
リーヴ達にとって『流離が死を望んでいる』という情報は地味に初耳だった。その新情報に驚く間もなく、少し離れた場所から漆黒の魔力の波動が飛んで来る。
「ようやく回復したぞ…追撃を仕掛けなかった事を後悔させてやる」
戦線に復帰した現は背中から刃の付いた触手を生やし、右手は巨大な黒い鎌状の刃、左手には鋭利な爪を生やしている。現もいよいよ本気を出すという事だろう。
「さて…お前は俺の死になれるか?」
流離も刀を抜き、とうとう本気の現との戦闘が始まる。




