奈落(1)
騰蛇の一件から一夜明け、僕と夜刀神は作戦会議をしていた。
夜刀神から式神の接近に気づくことができなかったことを改めて謝られた。
僕は大丈夫だからといったが、殺す気だったら最初から僕は殺されていたと聞かされ、背筋が凍る思いをしたのを思い出した。
「でも、近づくまでわからないっていうのはどういう理屈なんですか?」
僕は夜刀神に質問した。
「式神は形代を用いて姿を現す。騰蛇が消えた後に残っていた形代がそれだ。それによって顕現していたんだ。本体は別のところにあり、力の一部を形代に込めているだけの偶像に過ぎない。だが、形代が受けたダメージは少なからず力を込めた本体へと反映されることになる。現に騰蛇は自ら形代を破壊することでそれ以上のダメージを抑えることにしたんだろう。これが厄介だ。形代さえあれば何度でも顕現できる、そのうえ形代からの顕現は、顕現された瞬間からしか捉えることができない、だからこそ近づくまでというより出現するまで存在がない、存在がないから感知できない。
ただし、この形代を用意するには相当の力が必要になる。それを可能としているのが、騰蛇が言っていた主という存在なのだろうな。我はよく知らぬが、清明というやつが今もなお生き永らえているのであれば、それは先に現れた謎の男のように、移魂の呪いなどの禁呪を用いている可能性は高いだろうな。いずれにせよ、厄介なことには変わりない。」
夜刀神の言うように、顕現された瞬間からしか捉えられないとなると、事前に危機回避をすることは難しいのだろうと思った。
夜刀神と共に唸りながら作戦を考えていると、夜刀神が長屋の戸を見て言った。
「誰か来たようだな、昨日刹那が言っていた迎えか。」
夜刀神は一応の臨戦態勢を取り、僕も戸から少し離れる。
しばらくして、長屋の戸が叩かれた。
「失礼、渡し屋殿からの依頼で真殿を迎えに参りました。」
戸の外から聞こえたのは、女性の声だった。
どうやら刹那さんが言っていた迎えで間違いないようだ。
僕は戸を開けた。
そこに立っていたのは、黒く長い髪をたなびかせた女性で、白い山伏衣装を身にまとっており、背中には黒く大きな翼が携えられていた。腰の帯には刀のようなものが刺さっていて、いかにも荒事に慣れているといった様子だった。
「改めて、真殿を迎えに参りました、烏天狗の咲夜と申します。以後お見知りおきを。」
そう言って自己紹介をし、軽く頭を下げた。
烏天狗の咲夜さんという怪異は、どこか丁寧ながらも冷たく殺気立った雰囲気だ。
冷やかな目は僕を見ているというより、背後やその先を見据えているようだった。
「初めまして、真です。刹那さんからお話は聞いてます。わざわざありがとうございます。」
僕も挨拶を交わし、頭を下げた。
夜刀神は知らぬ存ぜぬといった感じで僕の肩の上で目を瞑っていた。
「真殿、早速で申し訳ありませんが、出発したく思います。ご準備を。」
咲夜さんはそう言い放つと、長屋の戸を閉め、外で待機した。
僕はすぐに支度を済ませ、戸を開き、待っていた咲夜さんの声をかけた。
「お待たせしました、よろしくお願いします。」
僕は再び頭を下げ、咲夜さんの後をついて駄菓子屋へと向かった。
背中越しからもわかる殺気は、不意打ちにも対応できるであろう強者の風格を醸し出しており、味方としてこれほど頼りになる存在はないだろうと思った。
同時に味方でよかったと心底思った。
しばらく歩くと、駄菓子屋が見えてきた。
駄菓子屋の外では、刹那さんが待機しており、こちらを見つけて手を振った。
「咲夜、すまないね。真君もありがとう。今日は君たちを等活と呼ばれる場所に連れていく。そこは幽世で罪を犯した怪異や人間を罰するために存在していてね、岩牢へ捕らえられたモノとは一線を画す大罪を犯したものが落とされる場所だ。邪や現世で罪を犯した怪異などがそれにあたる。大罪を犯したモノは、天神の手により裁かれ、岩牢への幽閉もしくは罪の重さに見合った奈落へと落とされることになっている。その最も浅い穴が等活だ。奈落ではどれだけ傷つき、死の淵に立たされても、決して死ぬことを許されず、人間も怪異も罪が昇華されるまでは出てくることができない。そんなところだ。」
刹那さんの話を聞いて背筋が凍り付いた。
僕達人間が、死後の世界を想像するときに地獄という存在を思い浮かべる。
刹那さんが前に話してくれたように、人間は死んだら無に帰るだけで、実際は死後の世界などありはしないうのは理解している。だが、幽世で大罪を犯した人間は、地獄のような戒めが待っていたのだと改めて思い知った。
「目的は二つ、一つは等活に居る怪異、炎羅という鬼に会いに行く。この怪異は数百という人間を現世で喰らい、その大罪を戒めるために等活へと落とされた。炎羅は鬼であるが腕のいい鍛冶師でもあってね、等活で鍛冶を任されているんだ。もちろん、罪の清算も行っているが、その腕を買われて減罪を受けている。今回炎羅には、真君の身を守る得物を造ってもらうために話をつけに行く。炎羅は鍛冶をする際、獲物を扱うモノを見定めてからでないと仕事をしてくれないんだ。だから今回は真君を連れていく。ただ、等活に落とされた怪異は皆一癖も二癖もあるモノ達ばかりだからね、私だけでは難しいと判断して咲夜に依頼をさせてもらったというわけだ。」
自身の身を守るための武器を得るために今から等活へと足を運ぶようだ。
正直話を聞いているだけで身震いしてしまった。
しかし、隣で話を聞いていた咲夜さんは眉一つ動かさずにいた。
「それからもう一つ、可能であれば黒縄へと赴こうと思っている。」
黒縄、その名に聞き覚えがあった。
「黒縄さんと何か関係があるんでしょうか?」
僕は刹那さんに質問をした。
「そうだね、怪異としての黒縄は、もともとがこの奈落の穴である黒縄から生まれた存在なんだ。黒縄の管理人としてその名を身に受け、地の底の黒炎を操っているんだ。君が会った黒縄は、その一部であり、幽世を闊歩するときの仮初の身体なんだ。その本体たる身体は奈落の黒縄に居り、大罪を犯したモノの罪を黒炎で炙り出しているんだ。奈落の穴である黒縄に赴くのは、本体の黒縄と話をするためだ。
こちらは特に問題はないと思っている。黒縄は天童の一件にかかわっているし、状況も理解してくれているからね。そこで黒炎を分け与えてもらう。昨日の騰蛇の件、形代からの顕現であればいくら形代を叩いても本体を倒すことには至らない。だけど黒縄の黒炎は形代を通じて本体へと飛び火する。その炎は式神本体が消滅するまで永久に燃え続ける。これがあれば式神を倒すことが可能となるから是が非でももらい受ける必要があるわけだ。」
確かに、形代との闘いでは本体にダメージが返るにしても倒すまでには至らないのだろう。
それが可能となるのであれば十分な収穫だと思った。
「とまぁ、目的はこんなところだ。これで式神に対しての防衛を図ろうと思っている。」
刹那さんが話しを終え、僕は気になっていたことを聞いた。
「生贄の呪いを施した怪異については何か進展はありましたか?」
刹那さんが口を開く。
「真君に生贄の呪いを施している怪異についてだが、こちらは現状扉を使うか、私を殺して権限から真君を一時的に開放して現世へ送るかしかないと踏んでいたが、前にも話した百鬼夜行がまた行われた可能性があってね、いよいよ空亡への接触を試みる必要があると思っている。こちらはすでに天神を通して依頼をしている。雛菊と桜弧、それから塵鬼と雪菜が対応をしてくれているから任せておこう。扉の方は天童と亜咲、天樂で何とかなるだろう。すまないが進展としてはまだない状況だが、対応はしているから安心してくれ。」
刹那さんの言葉を聞き、たくさんの怪異が動いてくれていることにうれしい反面申し訳ない気持ちになってしまった。
「それでは向かうとしよう。こちらの動きが相手側に悟られていないとも限らないからね、急ごう。」
僕たちは、奈落の先にあるという等活へと向けて出発した。
道中咲夜さんは一言も発せず、周囲の警戒に勤めていた。
それとなく、咲夜さんへ話しかけてみた。
「あの、咲夜さんは烏天狗と言ってましたけど、亜咲さん達天狗とは違うんですか?」
「天狗と烏天狗の大きな違いは役割の違いです。我々烏天狗は荒事の解決などを生業としております。対して天狗は山の守護を生業としております。役割が違うだけで本質は同じ怪異と言えますね。」
咲夜さんは相変わらず表情一つ変えずに答えてくれた。
「咲夜はその中でも随一の腕利きだよ。幽世の中でもトップクラスと言っても過言ではないね。天狗の長に話をつけるのが大変だったよ。人間一人のために咲夜を使うのかと小言をぐちぐちと言われたものだ。全く、長く生きた怪異は偏屈になってて困るよ。」
刹那さんはそう言っていたが、僕からしたら刹那さんも相当長生きなんじゃないかと言いたかった。
それからしばらく歩いていると、鳥居が見えてきた。
鳥居がずっと先まで続いており、一体何本の鳥居が立っているのか見当もつかなかった。
一番手前の鳥居まで近づくと、刹那さんが何やら荷物から取り出し、鳥居の先へと投げ入れた。
すると、鳥居の先に大穴が姿を現した。
どこまでも続いているようなその穴を覗くと、下は真っ暗な闇が続いているばかりで底など到底見えなかった。
「さて、これが奈落への入り口だ。ここに入るわけだが、準備はいいかな?」
刹那さんは僕に向かって言った。
こんなところから落ちたら死んでしまうのではないだろうかと冷や汗をかいていると、知ってか知らずか刹那さんが口を開く。
「奈落の底へ罪人が落とされた場合、底まで到達するのに三日三晩かかると言われている。最初はそこで落下の恐怖と痛みを味わうことになるらしいよ。でも私たちは正規な形で奈落の底へと到達しようとしているから、安心していい。すぐにたどり着くよ。」
刹那さんは笑いながら言った。
そんな話を聞いたらますます怖くなるじゃないかと怒り心頭だったが、刹那さんの言葉を信じ、飛び降りる覚悟をした。
が、刹那さんはすたすたとその穴の上を歩いていく。
大穴は見えているのに、まるで透明な足場があるようになんてこともなく歩いていく。
「せ、刹那さん?どういうことですか?」
「言ったろう?正規な形で奈落の底へ向かうと。本来は鳥居を越えると奈落へ真っ逆さまに落下していく。しかし正規な手順を踏むと、鳥居をくぐることができ、長い鳥居の道を登っていくことで奈落へ至る。不思議だよね、奈落に至るのに登っていくとは、どんな仕組みなのかいまだにわからないよ。という事で、真君も咲夜もこちらへ来てくれ。鳥居をきちんとくぐらないと奈落へ落ちるから気を付けてくれ。」
僕は内心落ちるんじゃないかと不安になりながら恐る恐る穴の上を渡っていった。
咲夜さんは全く動じず、ゆっくりと進む僕の後ろについて歩いた。
やっとの思いで大穴の上を通りすぎると、頂上が全く見えないほど坂道が続いており、そこに鳥居がずらっと並んでいた。どうやら全ての鳥居をくぐっていく必要があるようで、一つでもくぐらずに通ってしまうとそのまま奈落へ落ちてしまうそうだ。道なりに進んでいればそんなことはないからと笑いながら刹那さんが進んで行く。僕も離されまいと必死について行った。
登っても登っても先の見えない坂道が続いており、奈落に落ちた方がむしろ楽だったのではないかと思えてしまうほどだった。
それからひたすらと鳥居をくぐりながら坂道を登っていき、体感で三時間ほど登った時、ようやく頂上が見えてきた。
最後の鳥居をくぐると、雰囲気ががらりと変わり、地面は赤黒く、真っ暗な空間が頭上に広がっていた。
ここが奈落なのだと一瞬で理解した。
「ここが奈落の一番浅いところだ、ただし、地上から見ればはるか先の地の底だけどね。奈落の一階層、等活、ここは大罪を犯したモノが阿鼻叫喚するまさに地獄だ。本来であれば我々が足を踏み入れることのない場所だ。当然、大罪人でなければ苦痛を感じることもないし、傷つけられることもない。だから安心していい。ただ、ここに居るモノ達がおとなしくしているとは限らないからね、そこは注意してくれ。そのために咲夜を連れてきたのは言うまでもないけどね。では早速炎羅の元へ向かおう。」
そう言うと、刹那さんはどんどんと先へ進んで行った。
僕と咲夜さんも後に続いていく。
背後にいる咲夜さんは、先ほどよりもさらに警戒を強めているようだった。
背中越しに感じる圧が等活へ来る前よりもはるかに重く感じた。
すこし進むと、鍛冶師の工房らしき場所へとたどり着いた。黒い石で積まれた外観からのびる煙突から煙が立ち込め、熱気を放っている。近づくとそこが他よりもいっそう熱いことに気づかされた。
中に入っていくと、巨大な体躯に一本の角、一つ目をした赤い体色のまさに鬼という風貌のモノが槌を振るっていた。
その鬼に向かって刹那さんが話しかけた。
「やぁ炎羅、久しいね。」
「刹那か!どうした、最近顔を見せないから心配していたぞ。何か用か?」
炎羅は刹那さんに挨拶を返した。
炎羅をよく見ると、背中には大きな杭が刺さっており、絶えず燃え盛っているのが分かった。
あれがこの等活での罰なのだろうか、大きく焼けただれた背中は、それでも再生と延焼を繰り返しているようだった。
等活では決して死ぬことは許されず、長い苦しみを味わうという。まさにそれを体現しているかのような光景だった。
刹那さんが本題を切り出した。
「炎羅に頼みたいことがあってね、そこにいる人間の少年に得物を誂えてもらいたい。頼めるかい?」
炎羅は僕方を見て言った。
「俺が人間に得物を?バカ言え、そんなことしたら俺が閻魔の奴に殺されるぞ。俺は人間に得物を造ることだけはごめんだ。」
閻魔というものがこの等活の責任者なのだろうか?
それにしても人間に得物を造ると殺されてしまうとはどういう事だろうか・・・
刹那さんが狼狽している炎羅に言った。
「閻魔の許可は後から得るから大丈夫だ。それに今回は天神からの頼みでもある。さすがに閻魔も天神が絡んでいると分かれば君を咎めることはしないさ。もちろん私からも口利きをするつもりだ。どうだろう?頼めないか?」
刹那さんは両の掌を合わせて、炎羅に向かって頼んだよと言わんばかりにすり合わせて見せた。
炎羅も最初こそ戸惑っていたが、刹那さんの必死な態度に折れてしまった。
「わかったわかった、そこまで言うなら作ってやる。ただし、閻魔の許可を先に取ってくれ、安心できないと俺もいいものは造れない。それが条件だ。」
刹那さんは少し考えた後、炎羅に向かって言った。
「仕方がない、確かに仕上がりに影響するのであれば困るからね、閻魔のところに顔を出してくるよ。」
そう言うと僕と咲夜さんの方を見て言った。
「すまない、そういう事だから少し待っていてくれないか。閻魔のところへ行って話をつけてくる。」
そう言って刹那さんは工房を後にした。
まったくしゃべらない咲夜さんと、黙々と鍛冶を続ける炎羅、僕は気まずさに耐えられなくなり、咲夜さんに話しかけた。
「あの、咲夜さんのその刀も炎羅さんが造ったんですか?」
咲夜さんは刀に手をかけ一撫でした後、僕に言った。
「この刀は代々より受け継いだものです。私が生まれるよりもはるか昔から存在していたと聞きますから炎羅の打ったものではないでしょう。」
少し見ただけでもその刀がすごいものであることはわかった。
僕には刀剣の知識はないが、業物というものなのだろう。無駄な装飾など一切ない鞘に納められている刀身は、抜刀しなくても威圧を感じるほどだった。
僕たちの話を聞いて、炎羅が話しかけてきた。
「そこの烏天狗の嬢ちゃんが持っている刀、それは相当な業物だ。俺には到底造れやしない。相当腕の立つ鍛冶師が造ったものに違いない、大事に使ってやれよ。」
咲夜さんはふんと鼻で笑い、そんなことは言われなくてもわかっているとばかりにそっぽを向いてしまった。
またもや気まずい空気が流れ始めたため、炎羅へと話しかけた。
「炎羅さんはここで鍛冶師をしていると刹那さんから聞いてましたけど、もともと鍛冶師だったんですか?」
炎羅さんが嬉しそうに口を開く。
「おうよ!もともと現世で鍛冶師をしていてな、あの時代は怪異も人間も関係なく暮らしてたんだ。もちろん武器だけじゃなく、農作業なんかに使うものも造っていた。評判がよかったんだぜ。だがそんな噂を聞きつけたどこぞの領主だかなんだかが武器を造れとうるさくてな、当時暮らしてた村には世話になってたから、その手前断ることができなかったんで造ってやったんだ。その武器を使って戦を起こし、領地を広げていたらしいがそんなこと俺には関係ない、造れと言われたものを造ったまでだ。だが、その領主が起こした戦に村が巻き込まれてな、世話になった連中は皆殺されちまった。だから俺は襲ってきたやつを片っ端から食ってやったってわけだ。」
豪快な笑いと共に話をしてくれたが、内容は物騒なものだった。
けれど、炎羅さんも自分の信念があって人に害を加えたのだと知ると、すこし思うところがあった。
「そういえば人間、お前はなんで幽世に来たんだ?それに刹那が世話してるってことは訳ありなんだろ?」
炎羅さんの問いに答えるように、事の顛末を説明した。
すると炎羅さんは難しい顔をして言った。
「なるほどな、見たところ歳も若い、そんな奴が先祖の不始末を負わされるなんて不憫でならねぇな。俺ができることは得物を造ってやることだけだが、お前に合ったものを造ってやるから期待して待ってろ!刹那の奴が返ってきたら早速作業に取り掛かってやる。」
ガハハと豪快に笑い、目の前の鍛冶仕事を再開した。
幽世にも現世にも、罪人は居る。
それでも完全悪というのなく、正義の反対も悪ではなく別の正義なのだと、幽世に来て思い知った。
人間から見た怪異は恐ろしい存在かもしれない、怪異から見たら人間もまた、恐ろしいモノのかもしれない。
ふと、今までかかわってきた怪異を思い出しながらそんなふうに思った。




