死にゆくモノ
迷い人の一件から一晩が過ぎ、特に何事もなく部屋で過ごしていた。
雛菊さんからもらった時計のおかげか、ある程度の時間的感覚を取り戻すことができていた。
とてもありがたい。
しばらくは手伝うこともないという事だったので、今日は幽世を見て周ろうとおもっていた。
昨日の冒険でまだ見ぬ場所を見つけ、すこしワクワクしていた。
夜刀神を連れていき、周囲の警戒をしてもらうことにした。
長屋から出る際に、雛菊さんに挨拶を済ませ出掛ける旨を伝えた。
雛菊さんは気をつけろよと手を振って見送ってくれた。
すこし歩くと、土手があり、見下ろすと下にはきれいな川が流れていた。
夕日が水面を照らし、キラキラとオレンジ色に輝いていた。
すこし上流の方へと歩いていくと、河原に一体の怪異が座っていた。
水面を見つめながら、ぼっとしているようだった。
老人のようなその怪異は、頭に二本の巻き角を生やし、白く長いひげを携えていた。
丸いレンズの眼鏡をかけており、どこか穏やかな雰囲気のその怪異は、僕に気づくと軽く会釈をした。
ふと肩に乗っていた夜刀神が僕に言った。
「珍しいな、あいつは白澤だな。博識な怪異でな、昔色々と教わったものだ。」
夜刀神はあの怪異を知っているようだった。
それならと、その怪異に近づき話をしてみることにした。
「こんにちは、少しお隣いいですか?」
僕がそう尋ねると、白澤さんは小さく頷いた。
澤さんの隣に座り、話を続けた。
「はじめまして、僕は真と言います。こっちは夜刀神です。貴方とは顔なじみと聞いてお話を聞いてみたくなって声をかけてしまいました。」
僕は肩に乗っている夜刀神を指さして言った。
白澤さんは笑みを浮かべ、小さくなった夜刀神を見て言った。
「これはこれは、ずいぶんと可愛らしくなったものだの。どういう風の吹き回しかな。」
そういった後、僕の方を見て言った。
「はじめまして、ワシは白澤、見ての通り老いぼれた怪異だよ。」
そういった白澤さんは、また水面の方を眺めた。
僕はいろいろと話がしたいと思っていたので、そのまま声をかけることにした。
「白澤さんは何をしていたんですか?」
「ここである約束をしていてね、約束の主を待っているんだ。」
白澤さんは悲しげに言った。
どうやら誰かを待ち続けているようで、様子からして長いこと待っているようだった。
ふいに夜刀神が白澤さんに言う。
「白澤よ、お主まだ待っていたのか。どれくらい経つ?」
「そうさな・・・幽世は時が流れぬからな、どれくらいというのは難しい質問だな。だが色々と忘却するには十分な時間だろうな。なんせ待ち人の顔も声も思い出せぬようになった。」
長い時間待ち人を待っている様子の白澤さんは、約束だけを頼りにここで待ち続けているようだった。
悲しげなその目は、片時も目を離すことなく水面をじっと見つめていた。
僕は白澤さんに問いかける。
「どんな約束をしていたんですか?」
白澤さんは少し考えてから話し始めた。
「ワシはここで人間の少女を助けたことがあってな、迷い人だった。川で溺れていたところを引き上げてやったんだがひどく怯えていてな、こちらが何を話しても震えるだけで答えることはなかった。それからしばらくしてようやく落ち着いたのか、自分の身に起こったことを話してくれた。どうやらその少女は川で足を滑らせ、気が付くと全く知らない風景の川で溺れていたという。現世と幽世がちょうど重なっていたところに足を踏み入れてしまったんだろう。それから訳もわからず溺れていたところをワシに引き上げられたが、およそ人間には見えないワシを見てひどく怯えてしまったと。そのままにしておくこともできんでな、渡し屋のところに連れて行ってやったんだが、そこでもひどく怯えてしまっていてな、ワシから離れようとしなかった。いくら渡し屋が元の場所に帰すと諭しても、ワシの手を握ったまま話もしない始末だった。だからワシはしばらくその少女を預かることにしたんだ。落ち着いたらまた渡し屋の元へ連れていくという約束でな。」
白澤さんは水面を見つめたまま、話していた。
記憶をゆっくりと辿りながら話をしているようだった。
「その後しばらく少女と行動を共にしていてな、ワシの家に連れていき、いろいろなことを教えてやった。幽世の事、怪異の事、縁の事、少女にはどれも新鮮だったようだ。目を輝かせながらワシの話に耳を傾けていたよ。もう名前も顔も思い出せないが、あの瞳だけは忘れていないようだ。それからしばらくして、少女が自分の家にある宝物を見せたいと言い出した。ワシは現世に出向く縁があるわけでもなく、現世へ行くことは難しかった。もちろん渡し屋に交渉をすれば現世へ渡ることはできただろうが、この少女とこれ以上関わってしまうのは良くないと思ってな、断ったんだ。だが少女は諦めず、自分が戻ってくると言いだした。迷い人は一度現世に帰れば、幽世へ戻ってくるのは難しい。そのことを少女に伝えたが、少女は必ず戻ってくると言った。理由はどうであれ、ワシは少女が現世に帰る気になったのなら幸いと、少女に宝物をもってまたあの川まで来てくれ、そこで少女の帰りを待っていると、そう約束した。その約束は新たな縁となり、ワシはそれを今までずっと待ち続けているというわけだ。」
白澤さんはそう語ると口を閉じ、ゆっくりと目を閉じた。
白澤さんの話が終わると、夜刀神が僕に言った。
「白澤が人間と約束を交わしたのは我が岩牢に入るよりもずっと昔のことだ。千年以上も前の話になる。当然その少女が生きているはずもない。もちろん縁もとっくになくなっているだろうさ。それでも白澤は待ち続ける事を決めた。怪異にはなんて事の無い時間だからな。」
夜刀神はどこか虚空を見ながらそう言った。
怪異と人間の時間のズレは、時に残酷だ。
少女はきっと、幽世へ至る道を必死になって探していたんだと思う。
それでも人間の一生では見つけることは叶わず、約束が果たされることはなかったんだ。
僕もいつか現世へ帰る時が来るだろう、そのあとは現世での生活を送ることになる。
幽世へ戻りたくてもそれは叶わないだろうと思った。
僕は白澤さんに問いかけた。
「白澤さんはこれからも待ち続けるんですか?」
「どうだろうな、人間の一生が短いことはわかっている。現世で相当の時間が経っておることも理解している。それでも待ち続けなければならないと思った。。それが縁を紡いだ代償であるからだ。縁は怪異から反故にすることはない。縁をすべて失った怪異は、怪異として成り立たなくなるからだ。たとえ人間が死するとも、怪異が縁を忘れなければそこには確かに縁が存在している。怪異とは不変なものだ。それは不変であろうとするからだ。だがもう待つ意味もないだろうな。人間の少年、君を見てワシは思い出したことがある。その少女はとても澄んだ目をしておった。最初こそ恐怖がにじみ出ていたが、幽世で過ごすうちに自分が見たこともない新しい世界に胸躍らせていたのだろうな。今の君のように。」
白澤さんは僕の目をじっと見つめて言った。
どうやら僕が人間だという事はわかっていたようだ。
つくづく勾玉の効果を疑わざるを得ない。
確かに僕は、まだ見ぬ怪異や幽世に好奇心を抱いていることは事実だった。
それがいいことなのかわからなかったが、それでももっといろいろなことを知ろうと思っていた。
僕を見つめながら、白澤さんは続けた。
「もう待つ意味はないという事をどこかで理解していた。だがそれは縁を反故にすることであるが故に忘却という形を選んだのだろうな。君を見て、大事なことを思い出した。あの少女の瞳に映っていたワシは、今までに見たことがないほど楽しそうな顔をしていたんだ。それは少女との時間がそうさせたのか、今となっては思い出すことはできないが、今、君の瞳に映ったワシは抜け殻のようだった。きっとあの時間は戻ってくることはなく、待ち続けていても無意味だ。それをわからせてくれた。君の好奇心はいずれ大きなものになるだろう。もちろん大きすぎる好奇心は身を滅ぼしかねない。それでも、君と同じく、幽世に胸躍らせた少女が居たことを、ワシの代わりに覚えていてほしい。ワシは、きっとこの時を待っていたのだろう。礼を言うよ、人間の少年。またどこかで会おう。」
そういって白澤さんはどこかへと歩いて行った。
僕はそんな白澤さんの背中を見ながら言った。
「きっとまた、どこかでお会いしましょう!今度は幽世のことを教えてください!約束ですよ!」
白澤さんは振り向くことはなく、歩みを進めて行った。
「夜刀神、縁を反故にした怪異はどうなってしまうんですか?」
僕は夜刀神に問いかけた。
「白澤の縁にどういったものがあったのかはわからないが、少女との縁が最後だとすれば、白澤は怪異として死を迎えることになる。自ら死を選ぶ怪異は少ない。不変であり続けようとするからだ。それだけ縁とは怪異にとって重いものなんだ、白澤もそれは承知の上だろう。あとはあいつがどう選択するか、それは我にもわからんよ。怪異の別れというのはそうそう経験するものではない。友ではなかったがあいつには世話になった。」
そう言うと、夜刀神はゆっくりと目を閉じた。
僕は改めて怪異との時間のズレを認識した。
人間にとって別れは日常茶飯事だ。僕も祖母を亡くしたばかりだった。
それでも人間は亡くなった人をいつまでも思い続ける
怪異にとってそれは恐ろしく長い時間であり、またそれ自体が珍しいことなのだろう。それが夜刀神の言葉でわかった。
僕は白澤さんの言葉を胸に、川沿いを少し歩いて行った。
しばらくすると、池に出た。
どうやら川の上流にたどり着いたらしい。
その池の先にさらに上流へと川が続いていたが、それ以上進むのは難しかった。
ふと池のほとりに小屋が建っていることに気づいた。
誰か居るだろうかと小屋に近づく。だがその小屋には誰もおらず、中にはたくさんの書物がおかれていた。
見たこともないような文字で綴られたそれを僕は読むことができなかった。
ある一冊の本を手に取ると、中から一枚の紙が落ちてきた。
それは現世の文字で書かれており、僕にも読むことができた。
ーいつかきっと、私は戻って来ます。先生、どうかそれまでお元気でー
そう綴られた紙は、きれいに折りたたまれて保管されていたようだ。
紙が挟まれていたその本には、現世の言葉でルビが振られており、僕にも読むことができた。
その本のタイトルは
ー幽世の歩き方ー
きっとこの本の持ち主は、幽世の言葉がわからないモノのためにルビを振り、幽世に何があるのかを説いていたのだろう。紙が挟まれていたページには、今いる池のことが書かれており、そこには角の生えた怪異と少女の絵が描かれていた。仲睦まじく本を読んでいると分かるその絵と、たくさんの解説が書かれたその本を手に取りながら、僕は涙を流していた。
ほかの本に比べて何度も開かれた形跡のあるその本はどこか暖かみを感じ、どうしても手放すことができなかった。
そんな様子をみた夜刀神が僕に言った。
「おそらくこの家の主が戻ることはないだろう。その本はお主の役に立つのではないか?それに白澤から託されたのだろう?」
その言葉にさらに目頭が熱くなった。
僕は託されたのだ。思い出を。約束を。
果たされることのなかったその約束は、いずれ消えうる僕を通じてまだ微かに紡がれているのだ。
僕は託された思いを胸に、主のいなくなった小屋を後にした。
帰りに駄菓子屋へ足を運び、小屋の主のことを刹那さんに尋ねてみることにした。
「白澤は僕が渡し屋になる前からずっとあの河原で水面を眺めていたね。そういった経緯があったとは知らなかった。きっと先代の時の話だろうからね、その少女のことについても私にはわからないね。ただ白澤が何を思い、何をしたかったのか、それは君に受け継がれたという事だ。人間である君だからこそ、白澤は託したのだろうね。その思い、しっかりと受け止めてやってくれ。」
そう言うと刹那さんは店の奥へと引っ込んでいった。
僕は持ち帰った本を手に、長屋へと帰った。
本を眺め、丁寧に振られたルビと解説を読みながら幽世について学んだ。
きっとこの本の持ち主も、それを望んでいてくれているだろうと、そう思った。
手紙の主もこうやって学んでいたのだ。
きっと隣には、手紙の主に優しく微笑みかけながら解説を語る怪異が居たに違いない。




