出会い
突然見知らぬ異界へと迷い込んでしまった主人公の真。
人ならざるモノの世界から人の世へ帰るためにはどうしたらいいのか。
見覚えのない風景。
夕暮れ時なのか、空はオレンジ色を帯びている。
先ほどまで確かに都会の喧騒にまみれていたはずなのに、どこかの田舎に来てしまったような、テレビなどで見たことがある古臭い建物がポツリ、道の左右に立ち並ぶ広い田んぼ、遠くに見える高い山。
「おかしいな・・・さっきまで学校から帰るときに通るいつもの道だったはずなのに。」
僕は首を傾げた。先ほどまで学校から家へ帰るために、毎日通っている通学路を歩いていたはずだった。
7月も中ごろに入り気温も高く、汗だくになりながら歩いていたはずだった。
それなのに、ふと気づくとそこは見慣れない風景だった。
「もしかして・・・僕、死んだ?」
なんて意味の分からないことを呟いてしまった。
とにかくここがどこかもわからないので、近くに人がいないか歩いてみることにした。
しかし、いくら歩いても人に出会うことがなかった。それどころか、物音ひとつない。
田舎の夏の代名詞ともいえる蝉の鳴き声や、風の音すら聞こえない。
おかしい。いくら何でも静かすぎる。
どのくらい歩いただろうか。体感にして2時間は歩いたと思う。けれども夕日は落ちず、オレンジの空が変わらず広がっていた。
ふと、どこまでも続く田んぼの中に人影を見つけた。
「あぁ、よかった!すいません!ちょっとお尋ねしたいのですが・・・」
僕は人影に向かって話しかけた。その人影は麦わら帽子をかぶった腰が曲がった老人のようだった。くるっとこちらに顔を向ける。
「おや?見ない顔だね?どこの子だい?」
こちらに向けた顔には目と鼻がなく、ニヤリと口を大きく開け、笑みを浮かべる口の中には真っ黒い空間が広がっていた。
「あ・・・あの・・・」
僕の本能が危険を察知し、早く逃げろと警鐘を鳴らす。
「どこの子かな?こっちへおいで?迷ってしまったのかな?」
ゆっくりと近づいてくるそれを何とか振り切ろうと踵を返し走り出した。
後ろからそれがずっと言葉を発しているのが分かった。
「どこの子だい?どこの子だい?どこの子だい?」
狂ったように発せられる言葉を尻目に全力で走って逃げだした。
どれくらい走ったのか、気づいた頃には息が切れ、心臓がギュッとつかまれたように痛い。
ふと視線の先に人影が見えた。先ほどと同じように腰の曲がった老人のような風貌。けれど身長は驚くほど大きく、腰を曲げた状態でも僕の身長を越えていた。
それは僕に気づくと、大きく口を開けた。
「どこの子だい?どこの子だい?かわいそうに、こっちへおいで。」
それは手招きをするように腕を前に突き出し、手を上下させている。
よく見ると、周りには目と鼻のないそれが集まってきていた。
大きさは大小さまざまで、子供のようなものから老婆のようなもの、いろいろだった。
それらは皆大きな口を開け、抑揚のない声で僕に向かってしゃべりかけてくる。
「どこの子だい?かわいそうに。こっちへおいで。」
と、口を動かさずに言葉を発している。大きく開かれた口の中をよく見ると、真っ黒な空間に何かが見えた。それは目だった。ぎょろっとした眼球が口の中に一つだけあった。黒目を左右に動かし、視点がいつまでも合わない。
このままでは捕まると、僕はすかさず走り出した。後ろから複数の声が聞こえてくる。皆同じ言葉を発し、不協和音のように響いていた。
何とか振り切り、駄菓子屋と書かれた看板のある建物に逃げ込んだ。
「いらっしゃい」
ぽつりと店主らしき男がこちらに言葉をかけてきた。
年齢は20代後半くらいだろうか。黒ぶちの眼鏡をかけ、髪の毛は肩までかかるほど長い白髪、貧血なのかと思うほど青白い顔をしていた。
しかし、先ほどまで見たモノとは違い、しっかりと目も鼻もある。なんなら整った顔立ちだ。
「す、すいません。化け物が・・・あの・・・助けてください!」
僕はしどろもどろになりながら、駄菓子屋の店主と思わしき男に話しかけた。
店主はゆっくりと腰をあげ、こちらに近づいてきた。
「なるほど。君、どうやってここまで来た?」
どうやって?
どうやって来たかなんてわかるはずもない、気づいたらここに居たのだ。
そう頭の中で考えていると、男がぽつりと言った。
「迷い人か・・・珍しいこともあるものだね。」
迷い人?
そう言いかけたとき、男が続けて言った。
「君、人間だろ?ここはね、人間の住む世とは違うんだ。珍しいこともあるもんだなぁ・・・」
人間?世がちがう?何を言っているんだ・・・理解できない・・・
「あ、あの・・・ここってどこですか?人間の住む世じゃないって・・・」
僕は恐る恐る聞いた。
男は、はぁっと大きなため息をつきながら言った。
「目に見えている世界がすべてではないということだよ。君たち人間が住む世界、現世とは別の世、ここは怪異と呼ばれる、人間ではないモノたちが住む世、幽世だ。」
「幽世?怪異?なんですかそれ・・・死後の世界とか、幽霊とかそういう話ですか?」
僕は幽霊や妖怪なんてものは信じていなかった。信じたくなかった。目の錯覚や精神的なものだとずっと思ってきた。
「君、そういうの信じてないって顔してるね。まぁ大体の人間がそうだからもう慣れてしまったけどね。人間っていうのは自分の不都合なものや見たくないものを理解しない。蓋をするのが好きなんだ。怪異よりよっぽどたちが悪いと思うな。」
確かに、理解できないものを理解しようとしない。認知できないものの存在に否定的な人もいる。
僕もその一人だ。幽霊、妖怪、そんなものは信じない。けれど、さっきまで見てきたものは明らかに人間じゃなかった。
そう考えると、この人の言っていることは間違っていないかもしれない。でも、もしかしたら熱い中歩いていて、倒れた自分が見ている夢なのかもしれないとも思った。
「あの・・・ここは夢ですか?それとも僕は死にました?」
僕は、自分が思っていた疑問を男に投げかけた。
「夢・・・ね。まぁそう思うのも無理はない。自分の理解できない存在を目の当たりにしてしまったんだろうから。安心していいよ、君は死んでいない。ただし、夢の中でもない。現実だよ。」
死んでいないという言葉に安堵した。同時に現実だという言葉が重かった。
ここが現実だとしたら、人ならざる世界に迷い込んでしまった僕はどうなってしまうのか。
「あの、元の世界に帰るにはどうしたらいいですか?」
僕は男に問いかけた。
「そうか、元の世界に帰りたいのか。私は刹那。二つの世を渡す役割を担っている。たまに君のように幽世へ迷い込む人間がいるんだ。そんな人間を現世へ送る仕事をしている。むろんその逆もだ。君を現世に送ろう。ただし、料金が要るんだ。」
男は刹那と名乗った。元の世界に帰るには料金が要る。幸い財布は元の世界と変わらずポケットに収まっていた。
「僕の名前は真です。よろしくお願いします。えっと、料金っておいくらですか?」
「そうだね・・・歳は15.6歳といったところかな?うーん・・・寿命15年でいいだろう。」
え?聞き間違いだろうか・・・寿命15年?お金じゃなく寿命?15年?
とんでもない料金に驚きを隠せないでいると男は続けて言った。
「現世の通貨なんてもらっても意味ないからね。それなら寿命の方がよっぽど役に立つ。ただし、注意してほしいことがある。君がこの先15年生きられるかどうか、私は知らない。15年の寿命がなかった場合、君は死ぬことになる。それでも現世に帰りたいかい?あ、言っておくがびた一年まけるつもりはないよ。どうする?」
男はニヤついて言った。15年の寿命・・・いくらまだ先があるかもしれないとはいえ、15年の寿命を失うのは大ごとだ。それにもし15年の寿命がなかったら・・・死んでしまう?
「もし・・・払えないと言ったらどうなりますか?」
「その場合は幽世に残ってもらうことになるね。そもそも人間が幽世に入り込むためにはいくつかの条件があるんだ。それらすべてを満たしてなお、まれに入り込むことができる程度だけどね。」
一つ、幽世に強い縁があること
二つ、現世に対して絶望的であること
三つ、怪異と幽世を認識できること
刹那さんは三つの条件を教えてくれた。
しかし、僕はすべての条件にあてはまらないのではないかと思った。
「あの・・・僕には当てはまる条件がないんですけど・・・」
「そうなんだよ。君には当てはまるものがないと思うんだ。だから迷い人なんだよ。自らの意志ではなく、何らかの形で迷い込んでしまった。惹かれてしまった。そういったモノを迷い人と呼んでいる。」
貰い事故のようなものじゃないかと絶望した。どうしてこうなってしまったのかと、肩を落としていると
刹那さんが続けた。
「と、いうことで。自らの意志で幽世へ至ったモノが、自分の都合で現世へ帰るためには料金を取っている。至極当然だ。自ら足を踏み入れたのに、帰してくださいなどと。おこがましいにもほどがあるだろう?」
僕はきょとんとした。自らの意志で幽世へ足を踏み入れたモノ?じゃあ僕は・・・
「すまない。久々に人間と話すものだから、からかいたくなってしまってね。君は迷い人だ、料金を取ることはしないよ。渡し屋として仕事を全うしようじゃないか。」
僕は安堵した。同時に涙がこぼれ落ちてしまった。
よかった・・・これで元の場所に帰れる。そう思った。
だが現実は甘くなかった。
「とはいえ、君を現世へ渡すには時間がかかるんだ。君をここまで誘ったモノが居る。そのモノと話をつけなければならないからね。何か理由があって引き込んだのか、ただの偶然なのか。それがわからないと君を現世へ渡したところでまた幽世へ引き込まれる可能性がある。少し話を聞かせてくれるかい?真君。」
優しい声とは裏腹に、鋭い眼光を向けて僕に言った。