4…記憶に無いはずの景色
「カガリー辺境伯邸へ行ってみるかい?」
お客様のカガリー辺境伯家も含んで全員揃っての朝食時に、ミロウ侯爵がエリーゼに遠慮ぎみに聞いてきた。
「私が外に出ても良いの?」
エリーゼは目を丸くしている。
今までちょっとそこまで行くだけでも、隙なく護衛を付けてくるような父親なのに。
「長期休暇中だし、エリィはのんびり過ごすだけだろう? そのまま婚約とするより、もう少しカガリー辺境伯家のことを知っておいた方が良いかもしれないだろう。学園の新学期が始まるのはまだ少し先だ。それに今はもう安全だろう」
ミロウ侯爵がしまったという顔をする前に、ジュークが被せるように話に入ってきた。
「辺境伯家はみんな強いからね!」
ジュークが元気よく身を乗り出している。
その様子を、エリーゼは珍しいものを見るようにしているのだけど、お構いなしにジュークは話を続けた。
「父様、僕も行きたいな。兼護衛で行くのはどう? 僕も結構できるの知ってるでしょ」
知らない間に文武両道で頑張っていたのかと、エリーゼは目を大きくして関心しながらジュークを見た。
学園の座学の成績は良いことは知っていたけれど、可愛い顔をしているので武の方も良いとは思っていなかったのだ。
小侯爵を護衛にというのは、どうかと思うけれど、大丈夫かしら。
「護衛はともかく、ジュジュも一緒だと嬉しいわ。カガリー辺境伯御一家がよろしければ……」
そういう理由で、カガリー辺境伯家が帰ってから3日後、エリーゼとジュークを乗せた馬車が出発した。
「あいつ、帰る前やたらと静かだと思ったら……はぁ。エリィも、ちょっと油断しすぎだよ」
ジュークがふて腐れながらエリーゼにもたれ掛かった。
「えっ、あ、あいつとか言ってはダメよ」
エリーゼが動揺を隠すようにジュークの頭をなでていると、ジュークはエリーゼの手を取って繋いだ。
「良いんだよ、あんなやつ」
ジュークの不機嫌の原因は、3日前、ロイドたちカガリー辺境伯家が馬車に乗り込む前の挨拶の時に起こった。
「では、お待ちしてますね」
カガリー辺境伯夫妻がにこやかにエリーゼとジュークに話かけた後に、ロイドがエリーゼの手を取った。
「どうか、気を付けて来てください」
ロイドはそう言うと、エリーゼの返事を待たず、手にするはずのキスをエリーゼの頬にしたのだ。
息子の行動に驚き固まってしまったカガリー辺境伯夫妻を、ロイドは馬車に押し込んだ。
そして、同様に固まっているミロウ侯爵一家へ振り返り、ロイドの美しい一礼を披露してから馬車に乗り込んだ。
馬車が逃げるように遠ざかっていく。
何となく馬が必死になっているようにも見える。
「ロイドォォォオオ!!!!」
怒ったジュークが声を荒げた時は、馬車はもう小さくなっていた。
◇
思い出して顔を真っ赤にしたエリーゼは、ジュークと繋いでない方の手で自分の顔を必死に隠そうとしている。
それも面白くないジュークは不機嫌極まりない。
「ねぇ、ロイド断っても良いんだよ」
「え、でも優しくて良い人よ」
ジュークはムスッとして、エリーゼの膝を枕にして寝転んでしまった。
エリーゼは目を丸くしたけれど、すぐにふふっと笑って、ジュークの髪をなでながら、窓の外の景色を眺めた。
学園へ行くを除けば、エリーゼにとって初めての越境だ。
勿論、エリィの初めて通る道。
どんどん景色が変わっていくので、興味深くて目を離せないでいる。
カガリー辺境伯領への道は、こんなに美しいのね。
街並みを見ていたと思ったら、広大な農耕地が広がってきた。
そして平原や森が現れて、きれいな新緑に目を奪われていた。
すると、突然大きくて美しい湖が目の前に現れた。
水面がキラキラと輝いて、まるで鏡のように周りの風景を映しているそれは、今日1番エリーゼの目を奪っている。
しかしその瞬間、エリーゼの目から大粒の涙がポロポロと落ち始めた。
「えっ……」
「エリィ?!」
エリーゼの涙が降ってきて、驚いたジュークが勢いよく起き上がり、馬車の窓から外を見た。
なぜか顔面蒼白になったジュークが、ゆっくりと呼吸を整えて、それでも緊張ぎみにエリーゼの方に向いた。
「エリィ、外に、何かあった?」
ハンカチを出して、ジュークに付いてしまった自分の涙を拭きながら、まだあふれてくる自分の涙に、エリーゼも驚いているようだ。
「ううん、特に何も。ごめんなさい、濡れてしまったわ。急に、何だか胸が苦しくなったの。景色が、きっと、とっても美しかったから」
「そっか。あ、ありがとう」
エリーゼが拭いてくれていたハンカチを受け取り、ジュークがエリーゼの涙を拭いた。
「ジュジュ、どうしたの? 少し手が震えてるわ」
ジュークは一瞬動揺したように見えたけれど、いつものように可愛く笑った。
「ああ、きっと驚いて目が覚めたからだよ。大丈夫。エリィは本当に何ともない?」
心配そうに見つめてくるジュークに、エリーゼはにっこりと笑顔で返した。
ジュークが幼かった頃でうろ覚えだが、エリーゼの記憶が無くなるまで毎年家族で遊びに行っていた湖だ。
今も変わらず美しさを保ち、キラキラと輝いている。
再び窓から外を眺め始めたエリーゼを、ジュークは不安そうに見つめた。
緊張した顔で「早速、父様に報告することが」と小さく小さくつぶやいて、ジュークは再びエリーゼと手を繋いだ。
「ロイドにも言った方が良いのか……」




