33…幼い頃③そして、消える
「お母様、今度ロイにはいつ会えるの?」
夕食後に、家族全員で子どもたちそれぞれの寝室へ送りに向かうのが日課になっている、ミロウ侯爵家。
ジュークの部屋へ向かっている途中、エリーゼがミロウ侯爵夫人の腕に抱きついた。
「あら、前会ったばかりなのに。もう会いたいの? エリィはロイドくんが好きなのねぇ」
ロイドとはじめましてをしてから、毎月のように会っていて、アリストを含め今ではとっても仲良しなのだ。
「うん! 格好良いし、笑うと可愛いの。遊ぶのも楽しいの。とっても優しいし、格好良いの」
格好良いを2回も言ってしまうくらい、容姿もべた褒めのエリーゼを見て、ミロウ侯爵が真っ青になっている。
小刻みに震えているように見えなくもない。
「え、エリィ、好きって、お友だちとしての好きだろ? まだ君は6才だからね」
「もう、あなたは心配しすぎです。ねえ、エリィ」
エリーゼの頭をなでながら、ミロウ侯爵夫人はため息をついている。
「ロイはね、特別に大好きなの!! 大きくなったら、結婚してくれるかなぁ」
「エリィ、父様は? 前は父様とするって言っ」
「お父様はもういいの」
父親の言葉を遮って、無邪気な笑顔で辛らつな言葉を発し、トドメを刺す可愛い娘。
それを目の当たりにして、ミロウ侯爵夫人は言葉を失ってしまった。
そんな可愛い娘の頭をなでたまま、ミロウ侯爵夫人は、もちろん後を振り返ることができない。
若き皇帝の片腕として外では格好付けている夫だけれど、きっと見たことのないくらい打ちのめされた姿をしているだろうから。
背後から「皇室もうるさいのに」とか「カガリーもか」とか虫除けするにはどうとかブツブツとつぶやきが聞こえてくる。
「姉様! ダメだよ。結婚は僕とするの」
エリーゼの隣にいた4才になったばかりのジュークが、エリーゼの服をつかんで必死に訴えている。
そんなジュークを、たまらずエリーゼはギュッと抱きしめて頬ずりした。
「今日も可愛いジュジュが、天使すぎる!」
◇
湖の近くで、エリーゼとアリストが笑い声を上げながら楽しそうに遊んでいる。
その様子を見て、近付くのをためらいぎみに、ロイドが少しずつ歩いてきた。
ロイドは、自分に気付いたアリストと目が合うと、挨拶のお辞儀をした。
アリストもお辞儀をして、ロイドに挨拶をした。
「あ、ロイ!! こんにちは」
ロイドがいつものようにエリーゼへもお辞儀をすると、いつものようにエリーゼもロイドに勢いよく抱きついた。
「今日は何して遊ぶ?」
目をキラキラさせているエリーゼの頭を優しくなでながら、ロイドは従者に何やら言って、荷物からロープと板を出させて受け取っている。
すると、ロイドは自分に抱きついているエリーゼをそのまま片手で支えながら、反対の手でロープと板を持って「アリスト行くぞ」と楽しそうに歩き始めた。
「ロイ、何してるの?」
大きな木の下で、何やら考え事をしながらロイドは上を見ている。
まだ自分の片手に抱きついているエリーゼを、そっと離してアリストに預けた。
ロイドは持っていた板を下ろし、ロープの先に拳ほどの石をくくり付けて、上下に回し始めた。
ロイドはそれを上へ投げて太い枝にかけ、戻ってきたロープと手元のロープを板の穴に通して結んだ。
もう1本のロープも同じようにすると、エリーゼが目をキラキラさせて、近くで一緒に待っているアリストに嬉しそうに抱きついた。
ロイドは、面白くなさそうにエリーゼとアリストを見ながら、できた物をチェックしている。
「ほら、できた。ブランコ」
エリーゼが満面の笑みでロイドに駆け寄り、頬にキスをして、ブランコに乗った。
「エリィ、僕には?」
そう言ってアリストが急いで2人のもとに行った、その時。
ガサッ
ロイドがエリーゼとアリストを背に隠して、帯刀していた短剣に手を掛けた。
音がした茂みの方を、ロイドは瞬きもせず見つめる。
ガサッ
「あ、シカ!! 初めて見た。可愛いー」
大興奮のエリーゼが、ロイドの後から見ようとのぞき込んでいる。
「野生は危ねーからな。近付くなよ」
少しホッとしたロイドが、短剣から手を離そうとした瞬間。
鹿が瞬く間に黒くなり、目に見えない速さで宙を走り3人を通り過ぎた。
「あっ」
エリィがそう言う間に。
鹿がエリーゼの髪をくわえて、もう数メートルも離れた所に進んでいる。
痛い
怖い
助けて
大粒の涙を落としながら、小さくなり震えているエリーゼがどんどん遠くなっていく。
「エリィ!! アリスト、そこで緊急信号打って待機しろ」
ロイドも緊急信号の魔法を空へ放ちながら追いかけるけれど、8才の子どもは全く追い付けない。
「エリィ、そのまま小さくいろよ!」
ロイドが加減した炎を鹿へ向けた。
慎重に、狙いを定めて。
ギャアアアァァァアアア
「よし。止まった」
鳴きながらもエリーゼを離さない鹿の様子を見て、ロイドが舌打ちをしながら加速した。
走りながら短剣を抜き、ロイドは黒い鹿へ飛び掛かる。
「!! こいつ……」
「どうされっ、エリーゼ様! ロイド様!!」
アリストを保護した騎士たちが合流してきたが、鹿にまたがって数メートル浮上しているロイドは焦りながら大声を張った。
「こいつ、媒介だ! 反呪じゃねーと効かねぇ。エリィを頼む」
そう言うと、ロイドはブツブツと何かをつぶやきながら集中し始め、黒い鹿に手を当てた。
シュウウゥゥゥ
何かが抜けていく音とともに、真っ黒な鹿が少しずつ普通の鹿へと戻っていく。
スルッと鹿の口元からエリーゼの髪がすり抜け、真っ青になっている騎士が下で待ち構えている。
「ナイスキャッチ」
鹿と落下しているロイドは、そう言いながら態勢を立て直して、難なく着地をした。
「何でこんなとこで呪術が。迷わずエリィを連れてったよな……」
エリーゼは聖属性ということが分かっているけれど、ロイドもまだ知らないし、安全のために公表もしていない。
「侯爵家を狙う者でしょうか」
もちろん騎士たちも知らないため、そう考えるのが筋だ。
騎士に抱きかかえられているエリーゼの無事を確認したロイドは、ホッとして力が抜けた。
ガサガサッ
茂みの音に、ロイドと騎士たちは振り返って真っ青になった。
「黒いイノシシ……」
1頭どころではない。周りを囲まれている。
「嘘だろ、どんだけいんだ」
ロイドがいつになく真っ青になっている。
年齢から、反呪の魔法は1日に1発までしか使用許可が出ていないので、使ったことがない。
こんな数多くの媒介を相手にしたこともないのだ。
震えているエリーゼを見て「んなこと言ってらんねーな」とつぶやき、ロイドは騎士たちへ話しかけた。
「媒介だが、動物だからか呪物は使ってこなかった。本体だけに集中したら良い。死んでも襲ってくるからな。倒そうとせず、防ぐことに集中してくれ」
騎士たちは、ミロウ侯爵家とカガリー辺境伯家からの護衛騎士なだけあって、善戦している。
しかし、何頭もいるので手が掛かってどうしようもない状況だ。
「カガリー辺境伯へは、先ほど連絡済です。あと少しで到着されるはずです!」
ロイドは短剣を持つ手に力を込めた。
「それまで踏ん張れば、大丈夫だな」
木の根元で震えて泣いているエリーゼに向かって、1頭の真っ黒な猪が走っている。
もうダメ。
恐い!!!!
エリーゼが目を閉じようとした瞬間、目の前にロイドの背が見えた。
ロイ……
ロイドは、何とかエリーゼを狙っていた黒い猪を弾き返したが、それで精一杯だ。
黒い猪は、ロイドに容赦なく牙を振るう。
ロイドを転がして、エリーゼに狙いを定めた。
反呪をつぶやきながら、ロイドは懸命に動いてエリーゼに覆いかぶさった。
「ロイ!! 危なっ」
エリーゼの目に映ったのは、ロイドが猪の牙に刺され、振り回されて投げられる姿だった。
「やめて!!!!」
涙でぐしゃぐしゃのエリーゼが手を伸ばした刹那、黒い猪はエリーゼの首に鼻を付けて、木に押し付けた。
匂いを嗅いで、何かを探しているようだ。
「……ゔゔっ」
猪の黒いモヤが辺りを侵食し始め、エリーゼが苦しそうにむせている。
動かなくなってきたエリーゼから、赤く輝く小さな宝石のような物が現れた。
しかし、まだまだ猪はエリーゼから離れようとせず、エリーゼは段々とぐったりしてきている。
シュウウゥゥゥ
真っ黒な猪が少しずつ元の猪に戻り、それと同じようにモヤも晴れてきた。
這いずってきたであろうロイドが、猪の足をつかんでいる。
ロイドが進んだ場所に、血の道ができていた。
赤く輝く石がエリーゼに戻ろうとすると、瞬時に猪はそれをくわえ飲み込んでしまった。
「まじ、か……エリィの、何、なんだよ、それ」
猪は、今度は赤黒くなると同時に、メキメキと音を立てながら大きくなっている。
「嘘、だろ……」
ロイドの目が、ゆっくり閉じていく。
「ロ、イ」
エリーゼはロイドの名前を呼んで、薄く開いていた目を閉じてしまった。
これから先、10年も名前を呼ぶことなく過ごすなんて、思うこともなく。




