7.翻る
「ぜったいバカだ、あんたバカだ」
いらだちを隠そうともせずに立ち上がった彼はキッチンへ消え、ビールを飲みながら戻って来た。
「だってあんた、こんなマンション住んでさ、でかいクルマ乗って……ちゃんと、してるじゃん」
「……え」
いきなり褒められた……のか? しかし声は低く唸るようで、眉寄せた表情も、あまり好意的には見えない。
混乱して手もくちも止まった俺の横に、どかっと座ってピザに手を伸ばす彼は、やはり眉を寄せた悔しげな表情だ。ビールで流し込みながら、ガツガツと言いたくなるような勢いで食い、
「……に、……んで、……んな」
その合間に何か言っているのだが、食い飲みしながらの声は途切れ途切れで、なにを言いたいのかよく分からない。どうしたものかと見ていたら、彼がこっちを向き、ギッと睨まれた。
「ああ、済まない、良く食うなあと思っ……」
「……からっ! なんで!」
「……え?」
「必死なんだ! 俺なんかに!」
なにを言えば良いか分からない。しかし苛立つ理由が不明だ。この苛立ちが、データを壊す方向に行きはしないかと恐ろしくもある。
「なんか言えよっ!」
「あ……ああ……その。……ええと」
よく分からないが、ここは宥めるべきだろうと判断する、が、なにを言えばいい? いらだちを抑えて、プリントさせて貰えるように……しかし……
「なんで! 俺なんかに! あんな必死なんだよっ!!」
また同じ事を言った彼に、慌てて答える。
「いやだから、今日撮った画をどうしても失いたくなかった、んだ。そう言っただろう」
「言ったけど! だけど! 俺なんてほっといて逃げれば良かったじゃねーか!」
「……え?」
「俺はあんたがどこの誰か知らないんだぞ? 迷ってたんだし、あんたは車もあった! ばっくれて逃げれんだろ!? なのになんで……」
「……ああ」
そうか。そう言われれば、……と、思い、ククッと笑ってしまう。
「気付かなかった」
「だからバカだろってんの!!」
「……そうかもな……」
あのとき、カメラの中のデータを守りたかった。それしか頭に無くなって、他に考えが至らなかった。そう考えれば不自然でもないように思えるが……
「……森の画、そして君を撮った何枚か……」
「何枚かじゃねえだろ。ばちばち撮りやがって」
「ああ、そうだったな、済まない」
おそらく、無意識で思っていたのだろう、と思い至る。
この彼と、縁を繋ぎたい。……これからも彼を撮りたいと、そういう欲が無かったとは思えない。
そう考え、ククッと笑いが漏れた。
「うん、その何十枚かの為なら、君の靴を舐めろと言われても、……躊躇わずにそうしただろうな」
「は!?」
彼はいきなりソファから立ち上がり、壁際まで引いた。そこで怯え混じりに俺を見る。
「なに? おっさんそういうシュミ!?」
「趣味って……」
なんだ、怯えて逃げたのか。ククッと笑ってしまった。
「そんなわけないだろう。たとえだよ、たとえ」
「わ、分かるわけないだろっ!」
カァッと顔を赤くして怒鳴りながら、ソファに戻って来たが、少し離れた場所にドサッと腰を落とし、ビールをグビグビ飲んでいる。
微笑ましい。「悪かった」笑みを浮かべつつ炭酸水を飲んだ。
「紛らわしい言い方をして済まない。まあ、それくらい写真を諦めたくなかったって事だ。……さて」
炭酸水のボトルを手に腰を上げる。
「なっ」
彼がソファの端に身を寄せるのを見て、苦笑と共に手を振った。
「気にせず食っててくれ。俺は作業に戻るから」
「………………ああ、そっか。うん」
「ビールもあるだけ飲んでくれ。そうだ、冷やしてないのもあるぞ。流しの下に突っ込んでる」
「つうか冷蔵庫ン中、二十本くらい入ってたぞ」
言いながらキッチンへ向かう彼をチラリと見て作業スペースに戻り、マウスに手をかけながら、誤魔化すように笑う。
「いや箱で買うと、入るだけ入れちゃうんだ」
「うわっ! なんだこれっ!」
「あー、……はは」
おそらく、流しの下に半壊しているビールの箱が複数あるのを発見したのだろう。
「入りきらない分残ってるの忘れて、次の一箱買っちゃったりするんで……」
「……どんだけものぐさなんだよっ!」
いつも箱で購入し、冷蔵庫に放り込んで、入りきらないぶんは流しの下に放り込んで存在を忘れる。冷蔵庫のビールがなくなるとまた箱買いして……同じ事を繰り返し、溜まりに溜まった五百ミリ缶と半壊した箱の残骸。おそらくビールだけでも四~五十本はある。そろそろ片付けないといけないなと思ってはいたのだが……せめて箱の始末はしておくべきだった。
「まあまあ、せっかくだから、……全部飲んでも良いし」
「こんなに飲めるかっ!!」
「はは……好きなだけ……で、まあ……」
「くそっ! 早く終わらせろよなっ!」
やけくそのように何本か冷蔵庫から取り出してソファへ向かった彼を横目で見つつ、作業を進められることにホッとしてデータを呼び出し、ファイルを開いていく。
こちらを見ずに飲み食いしている様子に、ちゃっかりフォルダわけの作業までしつつ、ひとつひとつ開いてはプリント、気が乗れば仕上げを加え進めていく。
作業に入れば、ほぼ無意識に手と目が動いた。
半ば自動的に作業を進め、ルーティンでデータの落とし込みをしそうになってハッと手を止める。
彼にバレたら大変だと冷や汗をかきながら目をやると、彼は変わらずソファで飲んでいた。腹は満足したのか、あまり食ってはいないけれど、こちらを気にする様子は無く、宙の一点を睨んでいる。
ホッとしながら画面に目を戻した。
敵意に満ちた目で俺を見る彼。
……やはりこれを手放すのは惜しい。今なら彼はこちらを見ていない。今ののうちにこっそり、ハードディスクに落としてしまえば。そうすればカードを壊されても奪われても、データは手元に残せる。
そんな衝動が、胸の内に響いた。けれど、そうはしなかった。
そもそも俺には、やったことを隠し果せないだろう。露見したら、と考えてしまえば、恐れの方が勝った。
彼は俺のことを『ちゃんとしてる』と言っていたが、少なくともフリーで仕事を請け負う者としてのスキルは低く、全くちゃんとしていないという自覚があるのだ。
ひたすら撮って求められる画に近いものを渡す。
俺にできるのは本当にそれだけで、ギャラの交渉すらうまくできない。フリーでやり始めの頃は、相手にうまいことやられて買い叩かれる事も多かった。
そうと知ったのは、マネージメントの派遣会社を紹介されて、派遣されたマネージャーを通すようになってからだ。あのときは驚いた。仕事量は変わらないのに収入が倍以上に跳ね上がったのだ。
いまだに現場で仕事を口約束で受けて、後にマネージャーの手を煩わせることになったり、といったことも多い。
そんな俺が下手に隠して露見してしまえば、せっかく薄れてきた彼の警戒心が再燃するかもしれない。そうなれば、ようやく産まれたわずかな対話も絶ち切られる。何が起こったのかは不明ながら、俺に対しての垣根が急に下がったことは確かで、それを無碍にするようなことはしたくない。
叶えばまた彼を撮りたい。良好な関係を保ちたい。そう考えれば、下手なことをして信頼を失うなど悪手としか思えなかった。
それになんとなく、彼はこのデータを奪いはしないのではないか、と思えていた。
そうして作業に戻れば、すぐに集中してしまい、またも彼のことを忘れてしまったのだが、それを自覚することも無かった。
「あ~~~っ!」
いきなり上がった大声、ガタッと聞こえた物音にビクッと手元が狂い、ファイルを消してしまいそうになる。
「ど、どうした」
「もう! くっそ!!」
テーブルにはビールの缶が十本近く並び、その何本かは倒れている。ピザはほとんど食い尽くされ、サイドメニューなどが入っていたケースは几帳面にも見えるほどキレイに畳まれていた。
なのにテーブルは不自然に斜めで、傍らには息を荒くしている彼が中腰で背を丸め、頭を抱えていた。
「まだだっ、まだ俺は……」
声の勢いは急激に衰えて、彼は背を丸めたまま膝をつく。
腰を上げたのも、「お、おい」声を掛けたのも、歩み寄ったのも無意識。
気付いたら床に蹲る彼の背に手を当てていた。
「どうした。具合悪いか」
「……れ、……んだ」
震えた声が漏れるが、なにを言っているかは分からなかった。それより背がときおり震え、泣いているようにも見える。
「おい……」
震える背に手を置いたまま「だ、大丈夫か」「み、水飲むか」何度か声を掛けたが、彼は何も言わずに首を振るのみで、両手で頭を抱えたまま蹲っている。顔を覗き込もうとしても、震える彼を起こして良いものかどうか迷う。
「どうしろっていうんだ」
途方に暮れて背を撫でる。こんな時にまともなことひとつできない自分に、今さらながら失望する。
どうしたら良いんだ。
テーブルの上のビールの本数を見て、『急性アルコール中毒』……と、浮かび、背を撫でる手が震えてきた。
いくら飲むことを強要していないと言い張っても説得力が無い。ここは俺の家で、買い置きのビールを好きなだけ飲めと言って放置したのは間違いなく俺なのだ。テレビも音楽も無いこの部屋で、彼はひたすら待っていたのだ。そりゃあ退屈もするだろう。苛立って飲み過ぎて……
絶望的な気分になる。
「頼むよ……」
思わず漏れた言葉に、彼が激烈に反応した。
「だからっ!」
急に顔を上げた彼の頭と、接触しそうになり、咄嗟に尻餅をついた。
「だから俺なんかに! なんでそんななんだよっ!」
俺を見る彼の顔は、涙まみれで、ぐずぐずのぐちゃぐちゃになっていた。
「ど、どうしたんだ」
「俺はっ! ダメなんだよっ! もうダメなんだっ!!」
「あ?」
怒鳴ったかと思えば、彼は声を上げて泣き始める。
「何度も何度も何度も……っ! なんっかい受けてもオーディション落ちて! でも次こそって! ……頑張ってたのに…………」
涙まみれの目で、ギッと睨み付けられた。
「なんでなんだよっ!!」
すぐに目から涙が溢れてきた。もう意味が分からない。
────いや。……そうか、この意味不明さ……もしかして……
「おまえ……酔っ払ったのか」
「俺は酔ってねえっ!!」
酔っ払いの常套句が返ってきた。
「酔ってねえよっ! ゼンッゼン酔ってねえっ!!」
「そ、そうか」
完全な酔っ払いだ。
なるほど、つまり泣き上戸ってやつか。いや、怒ってもいる……のか?
これはなかなかに面倒くさそうな酔っ払いなのでは……どうしよう。
「今日も、ロケハンで来てっ! 本番は他の奴が来るんだ……あの山の麓あたりからずっとウロウロして、言われるまんまポーズとか、アクションだって……でも全部、本番やる奴の、代わりなんだっ!! スケジュール空かなくてっ! 背格好近いからって! 衣装着てロケハンしてっ!」
また怒ってる。どうしたもんだろう。
「木を昇れとか飛べとか走れとか! 言うから色々やった! いっしょうけん、めい、にっ! やったんだ!! けど……っ!! いっしょーけんめー、やっても…………俺なんて、お呼びじゃねーんだ! 俺なんてっ!!」
ガシッと腕をつかまれ、思わず身を引いたが、逃がさんとばかりに顔を寄せられ、間近で怒鳴られる。
「もうダメなんだよっ!! やんなってフケたんだ俺っ!! 現場から逃げたんだよっ! もう干される! もうダメなんだっ!!」
「いや、そんなことは……」
なんとか声を出す、……彼の両目から滂沱と涙が溢れてくると同時、尻餅をついた状態のままの俺に体重がかかってきた。
近い近い、顔が近い。いかに被写体として心惹かれたとはいえ、泣きわめく男にここまで迫られて、心底ビビる。
「やめようかなーって……思ってたんだっ、なんだかなーって……っ、ちょい前から……けど……ううう~~~」
いきなり涙声になった。同時に一時乾いていた涙が流れ落ちる。
「…………思ってたけどでも…………逃げたんだ俺。もうやだって思って……サイテーだよ、もう干されるオーディション受けれない……もうダメだ、もう俺……ダメ、ダメ、ダメ、でも…………迷っちゃってわけ分かんなくて……開けたとこに出たと思ったら崖だし……したら、あんたが」
涙塗れの目が、俺を見る。間近な縋るような視線に息を止め、「う、うん」なんとか頷いてハッとする。
「あ、俺、……か?」
「あんた……」
ひたと見つめられ、思わず問い返すと、彼は手のひらでグイグイ目を擦り、俯いた。
「そうだよ……なんか必死、で……ちゃんとした、大人、……なのに頼むって……俺に、俺なんかに……」
「お、おい……」
「なんで……俺なんかに…………あんたみたいなのが……」
ゆっくりと、彼の顔が胸に押し付けられた。そこでヒックヒックとしゃくり上げながら泣いてる。色んな酔っ払いを見たが、こんな絡み酒混じりの泣き上戸は初めてだ。
腕を掴んでいた手からは力が抜け、すがるようになっている。いや、しがみつかれてるな、これは。
尻餅ついた体勢のまま、のしかかるように胸に顔を押し付けた青年の背へ、ため息混じりに手を乗せた。そのまま丸くなっている背をゆっくりとさする。
……確か二十二歳と言ったよな。
「いい、泣きたきゃ泣け、言いたきゃなんでも言え。聞くしかできないが……」
「るっさいっ! ……あんたがっ、あんな風に、言わなきゃ、俺、おれは……あんたがっ」
「ああ、済まない」
「だからっ! 謝るなって、……言って……うぅぅ~」
「……はいはい」
俺は知っている。
自分でもなにを言ってるのか分からないような状態でも、ただ吐き出すだけで、少しは楽になるものだ。
色々あって、たくさんの人に迷惑かけたのは、ちょうどこれくらいの年頃のことだ。
プライドばかり高くて、シラフじゃなかなか本音を吐かず、なのに胸の内にわだかまったものにやられて正気を保てなくなる。頼ろうなどと微塵も浮かばず、救いを求める術も知らず、自分と他者を攻撃するのみ。
今思えば、あの頃の俺はめちゃくちゃだった。
だから若いやつがそんな風になってるように見えたら、溜まってるんだなあと思い、声を掛けたり飲みに誘ってみたりしている。
プライドが邪魔して言えないことも、疲労困憊に陥ったとき、あるいは酒に飲まれたとき、ポロリと零れる。たいていがほぼ愚痴だし、ただ聞いてやるだけだが。
彼もおそらくそんな状態なのでは。そう思えば、この泣き上戸も分かる気がした。
ゆきずり以下、敵視していた俺相手に、なぜそんな気分になったのかは謎だが、彼が俺に吐き出そうと思うのなら、受け止めてやろう。
自然にそう思っていた。
「うう~~、俺もうダメだ……ダメなんだよぉ……どうしたらいいんだよぉ……」
「………………そうか」
「おれ、代わりで……スケジュールガラッガラだから……でも俺だって……本番、やりてえよ……だって一所懸命、やって……」
ぐじぐじと同じ事を繰り返す青年の背を撫で、ときどき相づちを返し、ただ聞いていると、やがて呂律が回らなくなり、声は力を失って寝言のようになっていき。
────涙に濡れたまま、彼は眠ってしまった。
さほど身長の変わらない、逞しい身体の酔っ払いは、ひどく重くかった。
「くそ、少しは自分で動け」
悪態をつきながら、なんとか寝室にしている部屋へ引きずっていき、一人暮らしにはデカすぎるベッドに横たえる。
眉間に皺を作ったまま目を閉じた顔は痛々しい。涙の跡の残る頬や目元をティッシュで拭ってやり、肩までタオルケットを掛けた。
拭ってもまだ、泣きはらしたと分かる寝顔。心に負った生傷の癒えていない、そんな表情にも惹かれるものがある。
────本当に良い被写体なんだが。まだ若いのに、諦めるのは早すぎだろう。
そう考えた自分に苦笑する。
自分自身、この年頃で諦めたのだ。それを棚に上げて、偉そうなことなど言えるわけがない。
「さて……」
ひとつ、溜息を吐いて、俺は作業スペースに戻った。
途中だった画像の処理を終え、プリントして次の画を呼び出し、手を入れていく。
手を入れるのはクリエイティブな部分だが、ほぼ感覚でやっているので頭はあまり使わないし、それ以外は単純作業だ。明日は仕事があるので、現場に遅れまいと思えば、さっさとプリントしてしまうしかない。
これはと思うもののみ手を入れることにして、全てをプリントすることを主眼に置き、作業を進めていく。
集中と共に頭は空っぽになっていき、自然と考えはさっきの彼へと向かっていった。
泣き濡れて自分を否定し続けていた。
何が辛いのかも分からないほど辛くなって、胸の内に抱えきれないとき、吐き出すだけで軽くなることは、確かにある。
いや、分かる、などと言っては、彼に対して失礼だ。俺自身、そんなときがあったから、なんとなくだけれど、分からないわけじゃない、という程度。
俺のときとは、まったく状況が違うのだろう。なぜなら彼は、たぶん好青年だから。
ベッドに運んだとき、細く見えた身体がかなり筋肉質であることが分かった。彼のような職業なら、身体を作るのも仕事のうちと聞いた。
一度現場を離れたくらいで干されるなんて事は無いと思うが、そう信じているようだったのは、自分に厳しいのか、あるいは周囲が厳しいのか……
おそらく、彼は真面目な努力家なのだろう。
自らを責めるしかなくなり、それに疲れて他人を責める。
……どうしたらいいか、分からないんだろうな。
そんな理解は、過去の痛みを連れてきた。
家族がいなくなったとき、なぜあんな状態になったか。
それまでの自分が酷すぎたことに気付いたからだ。
たいして根拠の無いプライドにしがみついて、傲慢な言動をしていた俺は、傍若無人で生意気で、さぞ鼻持ちならない子供だったに違いない。父や母は、周囲の大人たちは、よくもあんな俺を許容してくれたものだ。
大切なものを失ってから、ようやくそんな自分に気付いた。しかし遅かった。もう謝罪もできない。そんな感情に苛まれ続けていた、ようにも思う。蹲って母に父に妹に弟に……ひたすら謝っていたような気もする。ただ放心していたような気もする。正直あまり覚えていない。
まともに生活すらできない状態に陥って周囲を拒絶し……まったく目も当てられない、酷い状態だったのだろう。過去の自分の行いを思い出すと、未だに羞恥で胃が痛くなる。
当時、おそらく見ていられなかっただろう友人が引きずるように連れて行ってくれた居酒屋で飲み食いし、強か酔っ払って、そんな心情を垂れ流した。
意味もオチも無い話をダラダラと……さぞかし面倒な酔っ払いだったろうに、友人は時々茶化しながら聞いてくれた、らしい。
あのとき、再び歩き出せたのは、間違いなく彼のおかげだ。
いや、彼だけではない。
どんな顔をして良いかも分からず、ぶっきらぼうになっただけの、しおたれた生意気。そんな俺を普通に受け容れてくれた級友たち。うちに来いと言ってくれた師匠。その師匠にくちをきいてくれた学校の講師。
役に立たない新米に厳しく仕事を教えてくれた先輩たちは、小さな事から初めてはと助言をくれた。
ずっと自分のことで一杯で、ろくに礼も言えなかった。
少し余裕ができてようやく、たくさんの人に返しきれない恩を受けていることに気付いて、今さらのように焦った。
なんとか恩を返したい、なにかできることがあったら言ってくれといちいち尋ねた。自分で考えても思いつかなかったとはいえ、いかにもマヌケなのだが、誰もが『気にするな』と笑うばかりで、要望を伝えてくれない。友人など『じゃあ死ぬほどキャバクラおごれ』しか言わず、途方に暮れた。
『見返りを求めた人などいなかったのだよ。礼など要らない』
そう言ったのは初年度に学んだ講師だった。
『わたしに恩があるというなら生意気な若い奴にかまってやれ。鼻持ちならないくらい生意気だった、おまえだからこそ分かること、言えることがきっとあるだろう。生意気の先達として導いてやれ』
『ははっ、センセきっつい! まあ、どっかの若い奴が困ってたら、なんかしてやるってのは、いいんじゃねえの?』
かつて講師が、友人が、そう言ってくれて、俺の心は軽くなった。
とはいえ、なにをすれば良いか考えても、途方に暮れるばかりだった。友人がしてくれたように救ってやるとか、あるいは先達として導くとか、そんなたいそうなことなど俺にできるわけが無い。
だからせめて、煮詰まってそうなのを見たら声を掛け、相談などされれば受け止めるようにしている。といっても、助言とかできないぞと前置きして、ただ話を聞くだけだ。気がつくと愚痴の受け皿のようなことになっていた。
何もしないよりはマシだと自分を慰めながら、ただ愚痴を受け止め、うなずいてやるだけ。
しかたない。俺にできることなど、その程度でしかないのだ。






