表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/17

3.若さ

 写真の専門学校に入ってまもなく、それまで撮ってきたものを見せるという課題があった。

 今まで撮った作品の説明をして、これから撮りたいものを明確にするという意図で行われた授業だ。

 こんな学校に来る学生なら、自分の撮ったものには多少なり自信があるものだ。無論、俺もその一人だった。いや、その場の誰より傲慢な自我を持っていたかも知れない。

 高校時代、写真部の中では皆に褒められたり羨まれたりしていたのだ。

 しかし顧問には痛い指摘を受け続けていた。おまえのは単に写し撮っているだけだ。頭で考えるな、感覚を磨け、感性を尖らせろ────意味が分からなかったし気にする必要も無いと無視していた。

 別に写真のプロでもなんでもない、顧問の美術教師。分かってないんだと切り捨てていた。


 撮りためたものの中から、最も自信のある数枚を見せると、教室の空気が変わった。

「マジかー」

「ちょ、レベル」

 といった囁き、溜息や呻き声が聞こえてきて、幼い自尊心を擽られながら、俺はあえて淡々と説明する。何人かから質問も飛んできた。慢心を見せないよう気を付けつつ、ぼそぼそと答えると、教室内がざわめいた。

 ほら見ろ、写真をやってる奴なら分かるんだ。

 そう言いたくなる衒気(げんき)を必死に抑え込み、何食わぬ風を装い続けた。

 それから学内で一目置かれるようになり……俺は簡単に天狗になった。


 周囲の目を憧憬の眼差しだと誤認し、()われなき自信はふくれあがる。

 教室で、誰かの部屋で、写真について論議する。虚心に夢を語る。

 同じ夢を抱く同級との語らいは楽しかった。それまで己一人の中に封じていたその野望をくちにするようになるまで、さほど時間はかからなかった。


 いずれカメラマンとして名を馳せるのだと。

 必ずそうなるのだと、大言を吐くようになっていた。


 講師に対するとき、同級に対するような謙遜はしなかった。

 プロの写真家ではあるが名も無い一講師。売れる写真を撮れないようなやつに、なにを言われようが関係なかった。

 しかし傲慢な物言いをする学生が不快だったのだろう。それまでキツイ指摘をするときはあえて一対一で話していた講師が、とうとう皆の前で言ったのだ。

『技術は稚拙、ビジョンも無ければ訴えるものも無い。この程度でよくそこまで自信を持てるな。呆れる』

 鼻で笑うような講師の言に、また教室の空気が変わった。


 実はたいしたことないのか。

 なんか偉そうだったよな。

 ずいぶんデカいこと言ってたな。


 そんな囁きが交わされるようになり、驕りたかぶり高くなっていた鼻はへし折られた。

 憧憬だと受け止めていた視線が、違うものだったのではないか、実は憐憫だったのではないかという疑うようになり。

 ────もう虚心に語り合うなどできなくなった。だが、謂われなき自信は折れなかった。


 俺はやれる。くちだけじゃあないのだ。それを裏付ける為にも結果を出さなければ。その一心で懸命に技術を磨く。

 そこにあったのは『負けるものか』という意地が大半だったけれど、他の誰にも撮れない良いものを撮るのだ、という若さゆえの自負もあった。

 感性を尖らせるのだ、技術を高めるのだ。

 だが必死になればなるほど、現実が襲いかかる。

 夜に『今度こそやった!』と自画自賛した一枚が、翌朝には凡庸な一枚になる。こう撮りたいのにできない、俺はもっとできるはずだ。なぜできない?

 日々一喜一憂し、次こそはと挑む。語り合える数少ない友人と、こうしてみたら、などと理論を戦わせる。


 食べること、眠ることすら二の次。毎日撮ることだけを考えていた。

 やがて機材のグレードは上がり、技術は高まる。それを無邪気に褒める友人たちとだけ過ごすうち、天狗の鼻はまた高くそびえた。

 いずれ天下を取ってやる。内心でそんなことを考えるようになるほどに。


 今思えば、あの頃が最も幸せだったかも知れない。

 専門学校の三年で、そんな驕りは井の中の蛙であったのだと、嫌と言うほど知らしめられたのだから。




 とある雑誌が主宰する、新たに設立されたコンペの新人賞。

 それに出品することが卒業制作の課題となった。


 審査員には大御所写真家や映像作家、有名誌の編集長など錚々たる名前が並んでおり、写真科の講師の名前もあった。おそらくその流れで課題とされたのだろうと噂が飛び交う。

 課題だから仕方が無いと嘯くもの、絶対やるぞと声に出すもの、さまざまだったけれど、誰もが最も素晴らしい一枚を出そうと必死になっていることが分かった。

 審査員の豪華さから、誰かの目に止まるのではという意欲も刺戟されていただろう。エントリー資格が学生に限られていたが、立ち上げたばかりの賞で卒業制作の課題としている所は他に無いとも聞いていた。

 プロがいないなら、あるいは自分にもチャンスが、……そんな思いを、皆が抱いていのただろう。

 無論、俺もそう思った一人だが、立場は少し違った。


「おまえ狙ってんだろ? 新人賞」

「どうせサラッと取るんだろうな」

「結果見えてるってのもな」


 などと言われる程度に、俺の評価は高かったのだ。


「他の学生も出品すんだろ? 分かんねえよ。どんな奴が出てくるか分かんねえし、まあやるだけやるけど」


 などと嘯きつつも、密かに自信があった。俺の技術は、学生の中でなら高いと自負していたしセンスにも自信があった。

 講師に鼻を折られたが、センスは悪くないと言われていたのだから、足りないのは技術だと判断し、俺は機材を手に入れ使いこなすことに生活の全てを全振りしていた。必死で技術を磨いたのだ。


 内心では自分が取ってやるという自信満々だったし、これならと納得できる最高の一枚を出した。プロならともかく、同じ学生という土俵ならけして負けない。けれど────結果は期待賞だった。

 佳作よりはマシだったなあ、などと嘯きつつ、実のところひどく動揺していた。

 新人賞を取ったのは、完全に見下していた相手だったのだ。


 いつだってのんきな顔と声で、やる気があるんだか無いんだか分からない、同級の女。技術を磨くこともせず、なにが楽しいんだか笑ってばかりいる。俺の写真を見るたび「すごいねえ」「きれいだねえ」と笑っていた。

 ひとの作品を褒めているところはよく見るが、自分の写真を見せびらかすようなタイプではない。正直、授業で見た範囲では、稚拙な写真だとしか思っていなかった。

 なのにあいつが新人賞だと? 憤懣しか感じなかった。

「へえ、すごいじゃん」

「おめでとう」

「良かったね」

 彼女はそんな周囲の声に照れたように笑っている。

 いいだろう。

 見てやろうじゃないか。


 発表の会場に赴き、彼女の作品を見て──────圧倒された。


 技術はむしろ稚拙。

 俺ならもっとこうする。こんな風にやればもっと……そんな考えが次々に湧いてくるのに、しかし手を入れては壊れると思わせる。

 理念? 感性?

 そんなわけの分からないものが、その一枚には確かにあった。

 否定したい、けれど俺自身が彼女の作品に魅入られていた。


 これは……撮れない。俺には、撮れない。

 この世界に俺の手は、届かない。

 そんな風に思い知らされて。

 俺は笑っていた。

 彼女の写真の前で、声を上げて大笑いしていた。

 おかしくてしょうがない。これが才能と呼ぶものなら、俺には才能が無い。

 技術を磨けば、だと? 何をやっても無駄だったのだ。俺がクラスで最も優れていると、そう信じてやって来たことなど全て無駄だった。顧問や講師が言っていたのは、このことだったのだ。これで天下を取るだの、なにを言ってたんだ俺は。嗤うしかない。自分を認めない彼らを井の中の蛙だと嘲笑ってきたのに、俺こそが井の中の蛙だったのだ。




 壇上で光を浴び、彼女は照れたように笑っている。のんきにすら見えるスピーチには、いつも通り緊張の欠片も無かった。

 ざわめく会場の片隅で、俺はそれを眺めていた。

 技術など磨いたところで手の届かないもの。

 まぶしく輝く才能。

 それを持つ者がいる。

 当たり前のように笑って、俺が持っていないものを見せつける。今、壇上で光を浴びて。

 その事実に叩きのめされていた。

 深い闇の底に落ちるような心持ち。だが黒や灰色ほど無彩色ではない感情。嫉妬や羨望だけでもない、虚無と自己嫌悪に彩られた、限りなく絶望に近いインディゴブルー。


 気力も何も失せ、続けていたあらゆる努力を放棄した。

 やってもダメだと思い知らされるくらいなら、やらない方がマシだ。


 俺はやさぐれて家族にあたって過ごした。

 そんな中、家族旅行に行くことになったが、俺は行かないと撥ねつけ、俺を除く皆で出かけて―――旅行先で事故に遭った。

 家族全員が、その事故で死んだ。

 学生には過ぎた保険金。父と母と弟と妹の命の値段を手にして、俺は声を上げて笑っていた。金にあかせて飲み歩き、それまで足を踏み入れたことの無かった風俗に通い、形にならないものに金を投げて過ごした。


 なんで家族にあたった? 思いあがっていた自分こそが悪かったのに、なんで? ああそうだ、俺はその程度の人間なのだ。そうだ、そもそも俺にたいしたことなどできるわけがない。


 そんな気分に浸ることは、むしろ救いだったけれど、カメラを手放すことはできなかった。

 気づくとカメラを持って風俗店の女を撮り、酔いに濁った目で白々と明けた繁華街の汚れた風景を撮っていた。


 そんな俺にも友人がいた。高校時代、俺の写真を絶賛してくれたやつだ。

 大学生だったそいつは、飲みに行くといえば朝まで付き合ってくれた。風俗にも一緒に行った。そいつの部屋に何日も泊まらせてもらった。家族と共にいたマンションに帰りたくなかったのだ。

 しかし人間は絶望し続けることもできないらしい。

 飲み歩くことに疲れた頃、学校のを卒業を迎えた。

 特に就職活動も何もしていなかったのだが、声をかけてくれたひとがいた。コンペで期待賞に押してくれた写真家だった。


「うちに来ないか」


 磨いた技術を認めてくれたのだと知り、皮肉に嗤うしかなかった。才能が無いことに気づかず足掻き、ひたすら磨いた技術。それがプロの目に止まった。

 頼れる身内もいない。他にやりたいことも、できることも無い。

 写真家の元で助手を務めることにした。


 使い走りの助手を務めながら二年近く経つと、ちょこちょことおこぼれのように仕事を貰うようになった。

 たいていはチラシやパンフレットに使うブツ撮りだったが、どんな小さな仕事でも嬉しかった。その頃は下働きだけで手一杯で時間が取れず、自分でシャッターを押すことがほとんど無かったのだ。ライティングのあるスタジオでセッティングされたものを撮る行為自体が嬉しい。

 シャッターを切るごとに、今までの自分を見放し気味だった気分が少しずつ浮上していく。磨いた技術は無駄ではなかった。現場で覚えたノウハウも使える。

 食い物は旨そうに、用途のあるものはそれを使うひとが好むように。つまりクライアントの欲しがる画、カネを出す人が満足する画を。気負いもなにも産まれようがない中、ただ培った技術を駆使して撮ることに専心する。

 ファインダーを通すことで、今まで自分がセッティングしていたことで足りなかった部分に気付きもした。それからは下働きの仕事をしていても、こうすればどうかと発言するようになった。


 やがて、名指しで小さな仕事が回ってくるようになった。おそらく安いからだったのだろうが、こういう仕事ならやっていけると思えた。ブツ撮りでいこうと開き直り、その意志を伝えることでコンスタントに仕事が来るようになった。声を掛けてくれる堅い仕事先もできた。


「ひとりでやってみようと思います」


 そう告げたとき、師匠は曖昧に笑んで送りだしてくれた。

 使い勝手の良い助手でしかなかった男が一人、いなくなったところで困りもしないのだろうと思いつつ礼を尽くして、穏便に独立を果たせた。

 名前の出る仕事ではない。自分を主張する仕事でもない。この程度のものなら自分でも人並み以上に撮れるだろう。──そう考え、自ら選んだ道。

 だが、カメラで食っていけているのだ。それで十分ではないか。俺程度はこれが似合いの道だ。

 最初の頃は師匠も仕事を回してくれたし、そこから増えた仕事先もあり、一年も経たないうちに収入は安定した。師匠の下で働いていたころよりは多いが、普通の会社員と考えれば少ない、そんな程度だったけれど、自分ひとりならなんとか食っていける。

 それに住むところはあった。家族と共に暮らしていたマンション。今は一人で暮らしている3LDK。


 その頃、ふと思った。

 もしかして誤りだったのでは無いかと。

 あの時、なぜ諦めたのだろう。

 なぜもう一度頑張ろうと思わなかったのか。

 結論を急ぎ過ぎたのでは? まだチャンスがあったのでは?

 伸びきった鼻を叩き織られ、ほぼ同時に家族を一度に失って、自暴自棄になっていたのでは?

 一度浮かんだその意識が時を選ばず浮かぶ。

 糧を得るためファインダーをのぞきシャッターを切る度に、感性が磨り減っていくような怖れが目を曇らせるような気もして、それも精神を削る。


 『なんでコンナコトをしている?』


 そんな警鐘じみた声が響く。


 『本当にこれで良いのか?』


 ────いいのだ。

 カメラを捨てたわけではない。それどころか『ブツ撮りなら間違いない』などと言われることもあるのだ。なんの不満があるというのだ。

 自分に言い聞かせながら、日々の仕事をこなしていく。




 そうして十年ほど経った。

 新たな仕事先を紹介されたりすることが増えるにつれ、初めての現場へ呼ばれることも多くなってきた。

 申し訳ないが、仕事は選ばせて貰っている。ブツ撮りは単価が低いから数をこなす必要はあるが、ぜんぶ受けていたら身が持たない。

 独立した翌々年からはマネージャーと契約し、自分は撮ることに集中しやすい環境を作った。自宅にはたいていの処理ができる設備が整っている。


 求められ、評価されることは単純に嬉しいことだ。

 日々の仕事に疑問は感じていない。ひたすらクライアントの意図を最も表現できる画を切り取ることに専心している。

 下手に芸術作品で名を売るより、よっぽど収入は安定しているし、食いはぐれる事も無いだろう。フリーランスのカメラマンとして、望みうる最上のところで仕事をしている。周囲はそう見ていると分かっている。


 ────だから、これでいいのだ。


 そう自分に言い聞かせても、ヘドロのようなドロドロしたものが胸の内に溜まっていくような、おぞましい感覚に襲われることが、度々あった。


 ────諦めたのは間違いではない。


 その間、自覚無いまま必死にそう言いきかせていたようにも思う。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ