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2.窮地

「え、いや。……い、いやそれは」


 無自覚にカメラを守るように腕の中に抱え、首を振っていた。

 ────無理だ、諦めるなんて……


「なに、カメラごと壊した方がイイってか?」

「いやだから……その、ああギャラ払うよ! だから」

「はあ?」

「済まない、君のギャラはどれくらい……」


 手のひらを向けたまま、青年の目が細まる。


「……なめてんの?」

「いや言い値で払う! そ、そう! 意に沿わないなら公表しない! 個人的に持つだけにする、そう約束する! だからカードは……」


 あの奇跡。

 森、蒼天、そして彼……今日撮ったもの────ダメだ、これはどうしても持って帰る。手放すなんて、諦めるなんて、そんなことは────無理だ、絶対に。


「信用出来るわけないだろ」


 真っ直ぐな眼差しが冷えていく。だが……撮っただけ、データとしてこの中に入っているだけ、まだ見ていないのだ。ぜんぶじっくり見て手を入れて仕上げて、そのつもりで────


「あ……そう、か、……い、いや、だが……」


 ────諦められるわけが無い……!


「……せめて、……そうだプリント」

「は?」


 だが、……そうだ叶わないならせめて!


「データは渡す! せめてプリントさせてくれ、それならいいだろ?」


 縋るような気持ちで言っていた。

 できれば持ち帰りたい。データで持ち帰って仕上げたい。が……背に腹はかえられない。


「ふーん?」


 だが彼の瞳はさらに冷え込んだ色を帯び、くちもとが皮肉げに歪んだ。


「声もかけずにいきなり撮って? やめろつっても激無視で? 俺の顔も知らないとか超失礼なこと言って誤魔化そうとしたカメラマンが、なーに約束するって?」

「いや、そう思うのも分かるが……」

「分かるが? だからなんだっつの」


 プロの顔を無断で撮影、制止の声も無視してへらへら撮りまくり、あげく相手を知らないとしらを切る。はなからギャラを踏み倒し撮り逃げするつもりと取られても仕方ない。


「信用出来るかよ。プリントを悪用しないって保証、無いよな? だって見てないとこでこっそりデータコピーしてプリントするとか? やられちゃったらさ、俺素人だし分かんないかもしんないじゃん? 信用できるわけないだろ。無茶言わないでもらえますー?」


 彼の言う通りだ。俺ならそんなカメラマンを信用しない。

 知人からそんな話を聞いたら絶対に信用するなと言うだろう。だが……


「た……っ、頼む……」


 恥も外聞も無く、俺は頭を下げていた。


「俺は何ヶ月もここに通ってたんだよ! この山にも何度も来たし何百枚撮ったか分からない、だけど今日は……! 今日は最高の画が撮れたんだ! こんなのはもう二度と撮れない、まさに奇跡的な……!」


 あれをぜんぶ諦めるなんて……絶対に無理だ。諦められない。 


「そんな最高の……、だからどうしても……! 全部手放すなんて! できない……絶対に!!」

「知るかよ」


 彼の画も諦めたくない、だが


「だっ、だから君の写真は渡す! データ消去だってなんだって」


 しかしそれが無理ならせめて! あの森の画を! あの蒼天を!


「だから頼む、それ以外は……、頼む! プリントさせてくれ!!」

「んなこと言って、こっそり俺のデータとっとくとかすんだろ? 分かってんだよ」

「そんなことはしない! 疑うなら一緒に行こう。すぐそばで監視していてくれ、プリントしたらすぐカードを渡す。それならいいだろ?」

「は? 一緒に……て、あんた」

「今日撮った画をぜんぶ諦めるなんて絶対にできない、しちゃいけないんだ! これを諦めたら俺は…………! だから、なんでもする! 君の納得いく方法に従うから、頼む……! プリントだけ、させてくれ!!」

「……なんて顔してんだよ」


 自分がどんな顔をしてたか、そんなのは分からない。

 だが彼の目の圧が弱まった。

 期待を込めて見返していると、目をそらして横を向く。ふて腐れた少年めいた表情を浮かべ、眉を寄せた横顔に見入ってしまう。

 最初にシャッターを押したときの、放心していたあの顔、その後の挑戦的な表情、そのどちらとも違うこの表情。

 ああ、これもいい────いや


 慌てて奥歯を噛みしめ、胸元に抱えたままのカメラを構えたい衝動と戦う。

 ────ダメだ。


 今また写真を撮ったら、確実に交渉は決裂する。ウズウズする指を抑えようと必死に耐える。

 だがこの青年の表情が、蒼天を背景にしたままの肌や髪が、どうしても刺戟する。

 ────無くした、いや捨てたはずの……

 ふぅっと息を吐いた。

 こめかみから流れる汗を手の腹で拭う。

 しかし目を逸らせない。逸らしたくない。撮れないなら、せめてこの画を記憶しておきたい────


 眉を寄せたまま目を閉じ、彼は大袈裟なほどのため息を吐いた。


「……俺の写真以外、……なら、いいか」


 気の抜けた声と共に頭をがりがりと音がしそうな勢いでかき乱し、青年がこちらへチラッと目を向けた。


「あんた車で来た?」

「あ、ああ」

「んじゃ、さくっとプリントしちまうか」


 忌々しげな声と共に、青年は脇をスッと抜け森へと足を踏み入れる。こんな表情も良いなと見ていると、すぐに足を止め、眉寄せた顔だけこちらに向けた。


「ちょっと、何回も来てんだろ? 先に行けよ」

「……?」

「道分かんないんだって! 迷ってココに出ちゃったんだから!」


 木漏れ日を受け睨んでくる彼は酷く子供じみた表情をしていて、その可愛らしく見える表情も、やはり撮りたいと思ってしまう。……が、イカンと自分を抑え、麓へと足を進める。

 それから車に辿り着きエアコンを効かせるまで、青年は黙々と動き、溜息ひとつ吐かなかった。


「あ~、涼しい」

「山歩きには向かない格好だからな。あんなところで何してたんだ」

「言ったろ、迷ったんだよ」


 腹立たしげな声が返り、青年はまたくちを噤んだ。

 どうにかデータを持ち帰れないものかと未練がましく思ってしまう。会話の端緒として、なぜあの里山にいたのかと当たり障りない話をしてみようと考えたのだが、あっさり絶ち切られてしまった。

 ため息混じりに車を発進させ、くちびるを噛みしめる。しょうがない。ここまでの譲歩は得られたのだ。未練は断ち切らなければ。


「……ここらへんでプリントできるところ、知ってるか」

「は? 知るわけないだろ」

「……ですよね。いや悪い、一応確認したかっただけだ」


 この片田舎にデジタルプリントができる店など無い。

 ネットが繋がらないことをパソコンが動かないと表現するような老人がほとんどのこの村、いや町で、プリント設備のある家があるとは思えない。

 いや、あるかもしれないが軽々には聞けない。聞いたらどうなるか、簡単に予測できるからだ。

「ほお。その『ぷりんと』とかってのができると、あんたは都合がいいのかい」

 などと言い出し、いつのまにか設備を揃えて「越して来い」と強要されかねない。既に複数の人に越して来ないのかと言われているのだ。

 ここは好きだが、住むとなると話は別だ。


 そこで青年に、まず都心へと向けて走らせると告げた。

 途上に町はあるものの、いつも素通りしているだけなのでデジタルプリントのできる店など心当たりは無い。探して見つかるか分からない。

 そう言うと、「ふうん」気のなさそうな声がポツリと聞こえ、それと同時、車のアラームが鳴った。助手席のシートベルトが外れたのだ。チラリと目をやると、青年は後部座席に腕を伸ばしている。


「おい、なにを」

「もーらい」


 カメラバッグを膝に乗せ、青年がニッと笑う。


「これ、人質な」


 さあっと血が引いた。


「そっ、それは人じゃ……」

「安心しろって、いきなりカード抜いたりしねえよ」


 クスクス笑いながらシートベルトを嵌め、アラームは鳴り止んだが、心臓がバクバクと早打ちし、脇や背中に汗が流れる。


「そうだな、コンビニとかってプリントできるんじゃ無かったっけ」

「あ? ああ、できるだろ。枚数あるから時間かかるとは思うが」

「ええ~、冗談じゃないなぁ。誰が来るか分からないトコで長時間なんて」


 眉をしかめた彼に内心胸を撫で下ろした。

 できれば少しでも良い設備のあるところで、という欲がある。コンビニでもプリントは可能だが、質は望めないので気が進まない。

 しかし彼の手に大切なカメラを握られているのだ。激しい焦りを感じている。

 この期に及んでもデータカードを渡したくないという思いは打ち消しようもなく強まるばかりだ。しかしそうくちにしたなら、彼は即座にデータカードを抜き、壊してしまうだろう。いや、カメラを壊してしまうかも知れない。

 本来なら自宅でプリントするのが一番良い。が、さすがに無理だろう。彼に余計な疑いを抱かれては、即座にカードは壊される。

 自宅ではできない加工を頼むことがあるので、設備の整った店はいくつか知っている。知り合いの家でプリントすることも可能だろう。

 しかし自分の馴染みのある場所で、彼に疑われたら……そう考えるだけでじわりと汗が滲む。

 危険は犯せない。俺に拒否権など無いのだ。


 商店街らしきものを見つけては車を置き、カメラバッグを膝に乗せたままの彼を助手席に残してウロウロした。しかしある程度設備の整ったところなら、たいてい知っている。そういう場所を避けようと思えば、簡単には見つからないと分かっていた。

 車に戻って「この町もダメだ」と告げると、彼はスマホを弄りながら言う。


「ふうん。じゃあ、次行こう」


 妙に弛緩している様子が不気味だ。

 ただスマホに夢中な様子で、焦れているようには見えず、残念そうな素振りもない。だからこそ、恐ろしい。なにをやり出すか分からない。膝の上のカメラバッグを車の窓から放り投げるだけで、機材ごと全てなくなる。それで彼の望みは叶うのだ。

 そうした上で言を翻して肖像権侵害で訴えを起こすと言い出すかも知れない。カードを渡し解放されたとしても、名前や住所を押さえられたら……いつでも俺を干上がらせることができる。俺を終わらせるなど、彼にとって簡単なことなのだ。

 だから彼を苛立たせるようなことは避けなければならない。慎重に言葉を選ぶのだ。不審を抱かせる行動をしてはいけない。

 エアコンが効いているのに、背中やこめかみや首筋には粘つく汗がじんわりと滲み続け、シャツもじっとり重くなっている。早くこの状態から解放されたい。


「もうさあ、諦めなよ。カード渡せばそれで終わるんだから」


 助手席から聞こえた気のない声。諦めれば楽になるという声が頭を()ぎった。しかし


「イヤだ。絶対に諦めない」


 反射的に答えていた。

 こんな抵抗に意味があるのか分からなくなってきているのに、それでもやはり、あの画を諦めたくはない。

 その思いも全く弱まらない。


「なんだってそんな頑張るんだよ」

「今諦めたら、絶対ダメな気がするんだ」

「なにそれ」


 彼は呆れたように声を上げる。


「諦めちゃえって~、楽になろうぜ~?」

「いや」


 自分に言い聞かせるかのような、抑えた声が漏れた。


「……俺はもう諦めない……二度と」

「あ~めんどくさいなアンタ」


 チラッと目をやると、下唇を突き出した子供のような横顔が見え、思わずくちもとが緩んだ。


「……おまえいくつだ?」

「は? 関係ある?」


 子供じみた表情はそのまま、生気に満ちた目線でこちらを見る青年。

 敵わないな、と、自然に思えた。


「あるさ」


 あの時光を浴びた『彼女』も、こんな目をしていたような気がする。

 俺だって、若い頃はこんな目をしていたのかも知れない。けれど……


「俺は諦めたんだよ。ちょうどお前くらいの頃だ」

「だからなに? 俺はアンタじゃない。分かってる?」


 分かってる。

 ────が、そんな感傷などクソ食らえだ。


「俺は、生活のためじゃない、金にならない写真を撮るんだ」

「は? 意味分かんない」


 だろうな、と苦笑が滲む。

 彼のように輝くものを持つ若者には分からないに違いない、感傷でしかないもの。

 しかし俺の場合、それは苦い後悔とセットになっている。あのとき『彼女』に対して感じた、敗北感に似たなにか。それはなにより強い感情を育み……俺を変えてしまった。けれど納得していたはずだった。


「なんかあったぽいけど」

「ああ、まあな」

「ふうん。やっぱあったんだ」


 だが、いつからだろう。考えるようになっていた。


 あの時、写真を生活の手段にするという選択をしなければ、諦めずに進んでいたなら、今ごろどうなっていたのだろう。度々湧きあがるその思考は、鈍くも重い後悔に(まみ)れて、これで良いのかと俺を苛み続けている。


「……じゃあさ、どうせ暇なんだし、聞いてあげる」

「……はは……」


 さして興味もなさそうな声に、思わず乾いた笑いが漏れた。ハンドルを握る手からも力が抜ける。

 そうして初めて自覚した。必要以上にぎっちりハンドルを握っていたことに。

 ────そうか、俺は緊張していたのか。

 その自覚に深い息を吸って吐き、気づくと自嘲気味の声で言っていた。


「……俺はまあ、挫折したカメラマン……いや写真を撮る職人だ。今は物撮りメインで、仕事で人物は十五年くらい撮ってない」

「へ? でも俺のこと撮ったじゃん。もっとくれ的なこと言ったし」

「人物を撮ったのは本当に…………久しぶり、だったんだよ」


 無自覚に苦い笑いを纏いながら、俺は記憶を探った。

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