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16.鴇色

 町の写真集を出して二年。

 スタジオ兼宿泊施設が町にでき、俺の名前が冠された展示が常設されるようになってからしばらくして、俺はとうとう生活の拠点を町へ移した。


 町人(まちびと)が勝手に作った畑の手入れも、慣れてくればけっこう楽しくなっている。

 庭の樹木は季節折々花や緑をくれる。夏は暑く冬は寒いけれど、足をタライに突っ込んで涼を得るのも、コタツに潜り込んでテレビを見るなんてことも、この家ならできる。テレビも洗濯機もあるし、マンションとは大違いの生活感溢れる家になっているのだ。

 まあ料理はしないが、町にもコンビニはひとつあるし、しょっちゅう町人が来てお裾分けをくれるので空腹で困ることも無い。

 誰も来なければ一人になれる。風や鳥や虫、自然な音だけに囲まれてボーッとするのもいい。

 たまに町人や社員、友人なんかとテレビを見ながら飲み明かすこともある。

 そんなことは二十年以上無かったのに、この家なら、そんなこともできる。


 ここ何年も会社か町の家での寝起きがほとんどになっていた。

 たまにマンションへ行っても寒々しさしか感じず、足が向くことすら無くなっているけれど、手放そうとは思わなかった。

 古いマンションだし、置いてあるのは三十年近く前に買った巨大なベッドのみ。住まないなら売った方が手間暇は減ると分かっているのだが、安く買いたたかれるのは面白くないし、どうにも気が向かない。……いや。

 モノを処分してしまった分、家族と繋がるのはあの部屋のみ、のように感じているのかもしれない。いうなれば『実家はあるが、あまり寄りつかない』といった感覚だろうか。




 会社で仕事、生活はこの町で、という日々を送るようになって一年ほど経過し、俺は四十八歳になった。


 ここのところ、プライベートの時間が増えている。

 仕事を詰め込まれることが少なくなったのだ。

 社長に言わせると


『こういう時は逆にレア感出した方が良いんですよ』


 なんだそうだ。

 俺の仕事の単価が上がってるってことらしい。



 奇跡の森、そしてあの蒼天のもとの出会いから十年。


 俺の生活も仕事も、あの頃とはえらく変わった。

 その前の十年がたいして代わり映えの無いものだったことを考えると、この急激な変わりようには笑うしか無い。


 社長と出会い、スタッフに恵まれ、仕事相手にも恵まれた。

 たまたま巡り合わせが良かったとしか思えないチャンスがあり、それが次のチャンスを呼びこむ連鎖があった。今現在の俺はベスト以上、能力以上の結果を貰ってしまっている。

 積み重ねたものも確かにあった。けれど、それ以前とは俺の心構えが違った。それが巡り合わせを呼び、ひとつひとつ積み重ねたがゆえに、次のチャンスを貰えた。会社のみんな、町のみんな、友人、知人、仕事仲間……本当に恵まれた、それゆえの今。

 けれど────


 彼と会う前の俺なら、おそらく社長の誘いに乗ることは無かった。その後も貰ったチャンスや出会いを活かすことができたかどうか。仕事の仕方や生活を変えることもできなかっただろう。


『俺はもう、諦めない』


 そう思ったからこその今だ。

 だからこれは全て、彼とあのとき出会えたからだ。


 この頃しみじみ考えることがある。

 四十近くなってたくせに、中身は青いまま腐っていたよな、とか。

 いい年をして怯えて気後れして……いつもそればかりだったよな、とか。


 それがあのとき、諦めないと考えたあのときに、ようやく少し変われた。

 あれから少しずつ、まともに年齢を重ねられるようになったのではないか。


 こんな風に考えるのも、やはり年を取ったからだろうか、と笑ってしまうのだが。


 紅葉の盛りのような、雪に埋もれても暖かみを感じさせるような、そんな円熟にはまだ届かないという自覚もある。

 けれど少しはマシになってるんじゃないか。いうなれば、ほんのりと鴇色(ときいろ)に染まる程度には熟してきているのではないか、などと考えが進み、梅雨前の縁側で日の落ちてきた空を見上げながら、やはり苦笑してしまう。


 さて、そろそろ次の仕事だ。

 また海外か、と考えつつ、俺は縁側から腰を上げたのだった。


  ◆ ◇ ◆


 暑さがようやく引いてきて、過ごしやすくなった頃、俺はまたこの町へ来ていた。

 それまで三ヶ月以上、海外を回って疲れが溜まっていた。秋の紅葉が盛りを迎えるくらいまでは休んでて良いよ、と社長から言われている。


「先生、こんどはどれくらいいるんかね」

「二~三ヶ月ですかねえ」

「おお、じゃあちっとはゆっくりできるな」

「兄ちゃん、また来たのか。いつまでいるんだ」

「今さっき答えたんですけど。ていうか、もう兄ちゃんて年じゃ……」

「けっ、俺から見りゃ若造だ。兄ちゃんでじゅうぶん」

「はは……そうですね、はい」


 縁側で次々やってくる町人の相手をしながら、ゆったりと日々を過ごす。

 あちこちへ行って土地土地の風景や人々を撮るのは楽しいが、やはり気の置けない人たちに囲まれているのが気楽だし、畑の世話でもしながら鋭気のようなものを充填してる感じだ。

 この町にはなにも無いが、少し足を伸ばせば温泉のある地域にも行けるので、たまにそこの旅館に泊まったり、適当に車を走らせて気が向けば写真を撮ったり。

 ここで過ごすだらしないおっさんは、仕事でファインダーをのぞいてる俺とまったく違うんだそうだ。いつも助手してくれるスタッフに言われ、そんなものかと思ったが、自分では良く分からない。


  ◆ ◇ ◆


 町が秋の色に染まり始めて、しばらく経ったある日。


 俺は昼前から庭を整える作業に没頭していた。

 収穫の終わった夏野菜の残骸を抜き、空いた畑を耕して肥料をまいてよく混ぜる。雑草を抜き、枯れた花を摘み、落ちた葉を掃いて、一息ついた。

 こうした庭の手入れも慣れたものだ。最初は虫が出る度に騒いでいたなと、いつもからかう町人たちも、珍しく今日は来ない。

 台所へ入り、手を洗う。コーヒーメーカーに豆をセットしてスイッチを入れ、コポコポ音を立て始めたのをしばらくボーッと眺めて、マグカップを手に縁側へ向かった。

 は、と息を吐き、足を投げ出すように座る。


 暑くも寒くもない、ちょうど良い季節。渡る風も心地良く、目を細めてコーヒーを啜り、湯気を顎に当てながら、目に映るものを見るともなしにぼーっと眺める。


 秋晴れの空が、落ちて行く太陽に染まりつつあった。秋の色に染まり始めた木々の葉も、朱色に輝く陽光を受けている。


 いいな、と思い、いつもポケットに入っているデジカメを手に取った。

 まだ浅い紅葉が夕陽を受けて、赤や橙では無い鴇色(ときいろ)を帯びている。なかなかにキレイだ。

 シャッターを押し、カメラをのぞいたままパンしていく。

 空だけ、空と樹木、露光を変え、シャッター速度を変え、撮っていく。


 ファインダーからのぞく視界の端に、人の影が入った。

 町人が来たのかとカメラを下ろしてそちらへ顔を向け、


 ──────固まった。


 片手を腰に当てたバランスの良い立ち姿。町人では無い。

 落ち行く太陽を背に、鴇色を帯びて不敵にニヤリと笑う男。


 一瞬で、空気が変わったよう。

 見慣れた庭先が、まるで違う世界になったよう。

 表情にゆとりを感じさせるものを滲ませた男が、橙色の陽光を背に、半熟の鴇色を纏って堂々と立っている。


「シケたトコに住んでるんだな」


 ──────彼、だ。


「手間掛けさせやがって。めっちゃ探したんだぞオッサン」


 彼だ。間違えるわけが無い。ずっと見ていたのだ。


 スクリーンで、テレビの画面で、雑誌などで……見る度に表情は違った。けれどだんだんに自信をつけていっているのが見て取れた。芝居だけじゃなく、言動にも自負と自信が見えてきていた。その度に、なぜか誇らしい心持ちになっていた。


「奢ってくれるんだろ、ウマイもん。逃げてんじゃねーよ」


 若かったあの日、青い光を帯びて、不安を内包した危うげな表情だった。それが魅力的だった。


「まあ、こっちも色々あったんだけどさ。やっと時間できて部屋に行っても留守。何回も行ったのにずーっと留守。あんた名前も言わなかったし、写真家ってことしか分かんねーし、探しようも無くてさ、マジでまいった」


 ……だが今、まったく違う色を纏い、彼は不敵に笑う。


「でも、見つけたぜ」


 目の前まで歩み寄っってくるのを、縁側に座ったまま見上げる。

 俺を見下ろしてニヤリと笑った男は、身をかがめ膝を折って、動けずにいる俺に覆い被さるように首に両腕を回し────

 柔らかく……抱き締められると同時、耳元に、かすかに響いた囁き。


「やっと……見つけた」

「……諦めなかったんだな……」


 いつか逢えたなら言おうと思っていた言葉。それが自然にくちをついた。

 耳元に震えた溜息がかかり、継いで低い囁きが落ちる。


「あんたもな。……あのとき言った通り、諦めなかった。見てたよ、先生」

「……俺のこと、知ってるのか」


 俺は彼の名前を知っている。有名俳優なんだから当然だ。しかしそんな有名人が、俺ごときを知っているなど想像もしていなかった。


「誰がスタジオとか建てたと思ってンだ?」


 ハハッと笑い、続いた声に絶句した。


「………………え。じゃあ、あの話の有名人、……って」


 言い終える前に両肩を掴んだ手に押され、声が途切れる。間近で笑む彼を見上げた。


「あんな寝顔撮ってたなんて、反則じゃねえ?」

「……あ。はは……写真集、見てくれた、んだ」

「当たり前」


 彼はニヤリと笑みを深め、少し声が低くなる。


「つうか俺の写真は誰にも見せないとか言ってなかったか?」

「み、見せてない。あれは、君と分からないだろうと────」

「まあな、俺も最初は気付かなかった。けど……」


 また抱き締められて、また声は絶えた。


「あの森の写真があった。貰ってったのと同じのが。マジで……ビビった。やっと見つけたって、しばらく震えが止まらなかった」


 そう囁いた声も、震えていた。

 俺は、ただ頷いた。


 ──────探して……くれていた。


 そのことに胸がつまり、何も言えなくなって。

 自分を取り戻すまで、ややしばらくかかった。

 彼の震えが収まり、ようやく落ち着いた様子になったと見て取り、背をポンポンと叩いて言った。


「コーヒー、飲むか」

「えっ! あんた、が!?」

「おい、馬鹿にするなよ」


 バッと身体を離し、驚きを隠さない彼に苦笑を向ける。


「まあコーヒーメーカーだけどな」

「進歩してる……炭酸水しか無かったのに……」

「おい、いつの話をして……」


 互いに動きが止まった。

 そうだ。十年前だ。あれから十年経っているのだ。


「……そうか……」


 俺は見ていた。映画も、ドラマも、コマーシャルやインタビューに答える彼も。……けれど彼は、十年前の、あの半日程度の俺しか知らない。


 じんわりと目が合う。

 見開いた瞳に、スクリーンで見るような鋭さは無かった。


「あんた、年取ったな」


 泣き笑いのような、情けない顔。


「お互い様だ。おまえはえらくイイ男になった」

「……あんただって、イイおっさんになってる」

「そりゃ……うん」


 イイおっさん。あまり褒められた気はしない。

 けれど照れたような情けない顔で笑う人気俳優を見ていたら、どうでも良くなった。


「……座ってろ」


 苦笑しながら言い、腰を上げて家に入る。台所に向かい、コーヒーメーカーに豆を入れていると「ここって、あんたの家?」彼も来て言った。


「うん、まあ……受け取らされた」

「買ったとかじゃなくて?」

「色々あったんだよ」

「どんな? いろいろって、どんな?」


 コーヒーが落ちるまで、問われるままに話した。

 驚くべきことに、彼は俺の仕事を把握していた。個展をやったあとに出した写真集も初版で持っていると聞いて、さらに驚いた。


「あれから、あんたの撮ったやつ見てから、よく写真とか見るようになって。今じゃちょっとした写真家オタクだよ。アレ見たとき、こういう写真を撮る人って他にもいるんだ、なんて思ってた」


 コーヒーを手に縁側に戻り、並んで座る。

 秋の夕陽を眺めながら、ぽつぽつと彼が問う。


「あの山の写真見て、あんただって分かった。あの寝顔の写真とかさ、ふざけんなって……でも、笑っちまったよ」


 そこから俺の仕事を遡って見てくれていた。

 だから俺は語った。その間に何があったのか。なにを考えたのか。


 社長との出会い、会社になって仲間が増えたこと。最初はプレッシャーでしょっちゅう胃痛になっていた。ポートレイトや風景の仕事が増え、あのマンションには帰らなくなった。今はブツ撮りをしていないこと、今やってる仕事のこと────


 彼もポツポツと語った。

 あの後オーディションを受けまくった。

 役を掴んでから旨いメシを食おうと、諦めたらあのマンションには行けないと、そう思っていた。


 ようやく端役を掴んで、彼は何度もマンションに来てくれていた。しかし俺はいなかった。

 おそらく急に忙しくなった時期だったのだろう。会社のために仕事をしなければと胃痛に悩まされながら必死になっていた頃。


 出演したドラマの共演者の伝手で事務所を変わった。そこから少しずつ状況が変わった。

 がむしゃらにやっていた。ドラマも、コマーシャルも、バラエティだって手を抜かなかった。

 気付くと良い役が貰えるようになっていた。

 探しても探しても見つからない写真家。けれど諦めない、そう考えて探し続け、気付くと写真オタクになっていた。


 そうして手に取った写真集のひとつ。

 なかなか良いなとめくって────その中の数枚が、手元にあるものと同じだと気づき、……しばらく息もできなかった。


「諦めないって、あんた言っただろ」

「……そうだな」

「諦めなきゃ、なんとかなるって、な。俺も分かった」


 写真家がこの町に住んでいないことは分かっていた。それでもどうしても来たくなり、スケジュールの空きをついて、この町へふらっと来た。

 そのとき町役場の掲示板に、俺の写真集が出たと掲示されていた。それを見ていたら、町人たちが展示する施設を作るという噂をしているのが聞こえ……

 思わず役場に入り、プロダクションの名前を出していた。


 あのスタジオや畑を購入したのも、ほぼ私費だった。俺がどんな顔をするかとワクワクした。

 すぐにも逢いたかったけれど、なかなかスケジュールが調整できなかった。俺も海外を飛び回る生活になっていたし、タイミングが合わなかったらしい。


「で、今日は、あんたがいた」


 ニッと笑った彼は腹が減ったと言い出し、勝手に台所へ入って行く。


「鍋もフライパンもある。やっぱ進歩してる。けど材料はなんもねーな! そこは相変わらず……」

「少しはある」


 野菜や卵を貰っていたのでそれを出すと、手早くいくつかつまみを作った。なかなかの手並みに感心したら、ひどく嬉しそうに笑った。

 冷蔵庫にあるおばちゃんの裾分けを出し、相変わらずストックしてあるビールと、誰かが置いていった焼酎も出して、二人だけの宴会になった。


 食べながら飲みながら、この十年を語った。

 ずっと聞きたかったこと、知りたいこと、伝えたいと思っていたこと……

 互いに言葉は止まらない。


 やがて酔ってきた彼が抱きついてきた。

 相変わらずあまり酒が強くないようだが、若い頃より逞しくなった身体には厚みがある。不思議な気分になりながら、俺も酔いに任せて抱き返し、背中をポンポンと叩いたら、肩口に額を擦りつけて懐いてきた。


 自分の性指向は公表していない。事務所に止められていると苦笑していた。

 前の事務所の社長はどうしたと聞いたら、知らんと返された。

 今好きな人はいるのか、そう聞いたら、


「あんたはバカか!」


 いきなり怒鳴られた。




 そして寝落ちする直前


「ずっと、あんたに会いたかった」


 甘い声と表情で、そう言った。

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