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13.思い出

 最悪のときに手を差し伸べてくれた友人は、俺の恩人だ。


 大手広告代理店に勤め、家族を養い、家を買い、俺なんかの面倒まで二十年以上にわたって見てくれる。

 フリーでやり始めた頃はこいつの会社から時々仕事をもらえて、ずいぶん助けられた。

 むろん今でも、こいつの口利きなら、どんな仕事だろうと叶う限り優先して受ける。


 なのにこいつは、飲みに行くと俺を羨ましそうに見るのだ。


『昔のおまえは、そりゃあ面倒だった。けどな、俺はそういうおまえが眩しかったんだよ。俺にはできないことを、おまえならやるんだろうなって、なんとなく思ってた。その通りだったよな』


 なにを言うのかと、いつも思う。今の俺があるのはすべてこいつのおかげ。本当に凄いのはこいつだ。


『おまえは凄い、夢を叶えたんだからな。俺にはリスクを背負って夢に生きるなんて無理だった』


 それは違う。俺は夢に生きたわけじゃ無い。ただカメラを手放すことができなかっただけだ。カメラを手放したら、なにも残らなかったから。

 それだけのことだ。


『おまえは俺の誇りだよ。俺のダチはすげえカメラマンなんだって自慢してるんだぞ』


 違う。そんなもんじゃない。まっとうに生きる道も身の丈に合う道も、探そうとせず見ようともしなかっただけだ。そのとき手の届くものにしがみつき、ひたすら触れていただけだ。


 今は、それなりに自信もついてきていると思う。とはいっても今の俺があるのは仕事をくれる取引先や社長を初めとする会社のみんなのおかげだ。そういう人が周りにいてくれるからだ。


『おまえ、もうちょい自信持てって』


 しかしこいつは無理を言う。

 ろくでもない若造が、ろくでもないまま年を取って、ろくでもないオッサンになっただけ。そんな俺に価値があるとしたら、カメラを持っているときだけだ。


 翻って、こいつは本当に凄い。

 ボロボロになっていた俺に手をさしのべてくれた。見返りも求めず、ただ居酒屋で奢れとだけ言った。とりとめない話を聞いて、ときに笑い、ときに怒り、ときに涙を流して共感してくれた。

 あのときこいつの助けが無ければ、俺は狂っていたかもしれない。自ら命を絶っていたかもしれない。こいつのおかげで俺は命を永らえ、曲がりなりにもここまで生きてきた。


 けれど。

 今はあの頃みたいに自棄になるなんて許されない。明日も仕事が入っている。会社の経営のためにも、ちゃんと働かなければならない。


 だから俺は緊張で震えそうになる指をなんとか抑えながら、自分から電話を掛けた。


「おっ、久し振りだな。元気にやってるみたいじゃねえか」


 電話から聞こえる友人の声に、緊張していた頬が少し緩む。


「や、……ひさしぶり」

「噂は聞いてるぞ~、調子よさそうだな。つうかそろそろ契約更新だろ。付き合ってやるよ。いつ行く?」

「いや、そのことなんだけど」


 二十二年間、ただ使用料を払い続け、預けっぱなしで放置しているトランクルーム。

 そこには家族が使っていた家具や諸々、腐るもの以外すべてを詰め込んである。家具はもちろん、本やノート、服や靴、タオル一枚、ティッシュの果てまで全て。


 いずれ見なければいけない、とは思っていた。

 預けたまま放置している自分が許せない……とも、思っていた。

 けれど今まで、契約更新はこいつに付き合ってもらっていた。


「……今年はいいよ。俺ひとりで……」


 こいつがひとりで部屋に入り、積もった埃などきれいにしてくれている間、俺はロビーで待っていた。

 ずっと、こいつに頼り過ぎているという自覚はありつつ、甘え続けてきた。


「ていうか……もう来てるんだ」

「ええ? ……大丈夫か?」

「うん。ゆっくり考えたいし」


 けれど、きちんと向きあおうと思い……初めて、ひとりで来たのだ。


「でも、やばいことになるんじゃないか」

「やばいってなんだ。あれから二十二年経ったんだ。大丈夫だよ、たぶん」

「たぶんって……分かった、なんかあったら絶対連絡しろよ」


 心配そうな声のまま通話を終え、フッと息を吐き、かなり緊張が緩んだ感覚に笑んでしまいながら更新手続きを済ませる。


 家族のことは、ずっと考えないようにしてきた。そうしないとやっていけないように思えた。考えないように、思い出さぬように。何かの拍子に思い出した片鱗を気にせぬように誤魔化し、自分自身すら騙して……


 けれど今なら。

 会社は安定している。俺以外のカメラマンもいる。だから俺が一時的に使い物にならなくなっても、それほど迷惑かけずに済むだろう。そんな計算もあるし、そうなってもちゃんと復活できるだろう、とも思っている。


 忘れることができないなら、正面から見つめ返すべきなのでは。ただしまい込んでいるだけでは、なにも変わらない。いくらか大人になったとは思う。

 若い無鉄砲な覇気が消えた今、自分はただ気弱で事なかれ主義な人間になってしまっているが、これもある意味成長なのかもしれない。


 今まで入ったことの無かったトランクルームの鍵を開け、扉を押し開いた。

 室内を目にするのは、始めてだ。


 このトランクルームの中で、最も広い区画に詰め込んである、3LDKに住んでいた家族の全て。

 箪笥、ソファ、食器棚やベッドといった大きな家具は奥にあり、手前に積まれた数多(あまた)の段ボールに埋もれている。

 埃っぽい匂いの中に、違う匂いが、混ざっているような気がした。

 その匂いが、意識の外に追い出し続けていたものを呼び覚ます。


 ────ずっと、見るのが怖かった。

 ────自分がなにを思うか予測できず、それが怖かった。


 気合いを入れて来たつもりだが、今も少し怖い。なにが怖いかもよく分からないが、怖い。友人の言う通りだ。俺は色んなものが怖い。

 物知らずで、それゆえに傲慢だった若い自分に戻るのが怖い。

 あのときの虚無に満ちた思いが蘇りそうで怖い。

 怖い。怖い。怖い。

 手前の段ボールを開こうとする手は震えた。


 ふわり、と匂いを感じた。


 服だ。誰の服だろう。分からないが、女物のようだから母か妹のだろう。

 次を開く。これも服。ジーンズやトレーナー……弟のものか。次は……ああ、カーテンだ。そういえばリビングはこんな柄のカーテンだった。俺と弟の部屋のカーテンもある。見覚えないのは妹の部屋か両親の寝室か。次はタオルやシーツ。靴の入った箱。次の箱は風呂道具や掃除道具。スーツやワイシャツの入った箱は、父の衣類か。

 専門学校の入学式で、父のスーツを借りた。新しくスーツを買うと言われたが、着ないから要らないと断って父のものを着たのだ。身長がほぼ同じで丈は問題無かったが幅が余ったのだった。


 次は……これは、ああ、妹の本だ。


「……マンガばっかりだな……ちゃんと本読めよ……」


 届かない呟きを漏らし、苦笑が漏れた。当時中三だった妹はマンガばっかり読んでいたのだろう。妹が俺と弟の部屋に来ることはあったが、俺から妹の部屋に足を踏み入れたことは無かった。怒られたからだ。


『お兄ちゃんは絶対に入っちゃダメ!』


 しばらくぶりだからか、はっきりしないながら妹の顔と声が浮かぶ。受験生らしく書き込みの残る教科書やノートもあり、頑張ってたんだな、と笑みが深まった。


 次は……サッカーボール。その下にはユニフォームやスパイク。さらにその下に教科書。弟のものだ。

 二人部屋で寝起きしていたので、思い浮かぶのはスパイクを磨いていた姿や口を開けて寝ている姿。高校生で俺より背が高かった。


「……教科書、キレイすぎだろ。ぜんぜん勉強してねえな」


 ニヤニヤしながら呟いた。そういえば教科書を開いている記憶が無い。というか、机に向かっている姿を見た記憶が無い。将来どうするつもりだったんだ。

 弟の遺品には書き込みされたものなどほぼ無く、若い男の匂いだけが感じ取れる。モノ言わぬそれに、俺に対してキツい言葉ばかり浴びせていた顔がぼんやりと浮かんだ。


 次の箱は父のものだった。

 小説や自己啓発本、本がほとんどだ。宮沢賢治の詩集は読み込んでいたらしく、少しくたびれている。写真集も何冊かあった。廃校になった木造の小学校や、ヨーロッパの街角、ほとんど人物のいない写真ばかりだ。

 携帯や手帳もある。手帳には仕事の覚え書きや読みたい本、飲み屋の場所や連絡先の他、家族の誕生日や親戚で集まる日程などの予定が書き込まれていた。几帳面な父らしい。


 次は……俺のものだ。もともと持ち物は少なかったからひと箱に収まったと聞いていた。

 本は、……ほとんど写真集だ。ああ、この小説、確か読みかけだった。ビデオ……VHSかよ。今はもう見れないな。


 ふと目をやると、奥には空っぽの本棚があった。ほぼ俺の本だけが詰まっていた本棚。弟はその一角にサッカーの本とマンガを並べていた。

 箱の中に目を戻す。あとは服と、そして……


 時計があった。

 俺と弟の部屋の壁にあった、丸くて白い時計。


 俺が中三、受験生だった年に、三人で寝ていた子供部屋から妹が父の書斎として使っていた部屋に移り、俺と弟には二段ベッドが与えられた。それは解体してガムテープで纏め、本棚の横にある。

 どっちが上に寝るか騒ぎながら、カラーボックスに本を入れたり、机の位置を決めていたとき、父がのそりと入ってきて、これを壁に掛けた。長身の父が腕を伸ばして掛けた時計。その頃の俺たちは、そこに手が届かなかった。


『まあ、受験頑張れ。時間は守れよ』


「──────おやじ……」


 親父のことは、なにも知らない。

 そもそも顔を合わせること自体あまり無かった。言葉数の少ない父との思い出はほとんど無いのだ。

 勤務先は知っているが、父がどんな仕事をしていたのか、俺は知らなかった。葬儀の際に来てくれた人が何か言っていたような気はするが、ほとんど覚えてない。


 次に開いた箱には母の化粧品や衣類、次はタオルやエプロンや、髪をまとめていたシュシュ……いつも母が手にしていたもの。そしてノートが何冊かあった。

 開くと、罫線などお構いなしに文字が連ねてある。母の字だ。

 職場で聞いたお手軽献立のメモ横にあるのは、不足している材料だろうか。

 そして日付と共に日記のようなものも書かれている。

 お父さんは疲れ気味のよう、気になる。食も細くなっている、などと書かれている後に献立のメモ。少ない量で栄養あり、などと矢印で付け加えてある。

 弟がたくさん食べるので、安売りの肉を大量に買ったらしい。その後に連ねてあるのは、同じ肉を使ってできる献立のバリエーションの覚え書きか。なぜかその脇に、靴が壊れそう、とメモってある。

 妹が化粧品を勝手に使っていた。おばさんの口紅なんて中学生には似合わないと言ったつもりが臍を曲げられた。お父さんに聞いても困り顔をするだけで、弟に言っても「しらねーよ」と役に立たない。お兄ちゃんが色つきリップと髪飾りを買ってきた。「中学生なら、これくらいの方が可愛い」と言ったら素直に聞いていた。やっぱりお兄ちゃんが一番頼りになる。


『出世払い、期待してるからね。老後は楽させて貰うよ』


 母の屈託無い顔がぼんやりと浮かんで、俺は頬に流れているものを自覚した。

 俺は……泣いているのか。


 遅すぎる自覚。

 決壊した涙腺は、なにを見ても流れを止めなかった。


  ◆ ◇ ◆


 狭い区画の中には嗚咽や鼻を啜る音が響いている。


 ひとつひとつ開く箱には、忘れようとしていた父が、母が、弟が、妹がいた。

 肉体では無いところに刻みつけられた深い傷は、既に膿を流し尽くし、乾いてかさぶたになっていたはず。

 けれど箱を開く度、かさぶたに細かい傷が刻まれる。そこから滲み出る膿のように、目から流れるものは止まらなかった。時々思い出したように袖で顔を拭い、次々箱を開いていく。


 妹には髪型や服装など、気付くと『それはやめろ』『こうしろ』などとくちを出していた。弟が憎まれ口をきけば蔑んだ目を向けて『能なし』『バカ』などと辛辣に返していた。しかし父や母とは何年も、まともにくちをきくことすら無かった。

 けして仲良し家族というわけでは無かったはず。良い思い出ばかりでは無かったはずなのに、思い出されるのは、優しく美しい光景や言葉や表情ばかり。


 永遠に失ったのだと思い知らされているからか、なにを失ったのかも分かっていなかった自分を哀れむ心持ちからか、あるいは二度と会えない顔を思い出し悼む気持ちからか。

 頬を伝うものは途切れること無く、誰もいない区画に座り込んで、嗚咽を堪えることもせずに、俺は思い出を辿った。


 どれくらい時間が経ったのか、疲労を感じて袖でグイッと顔を拭い、床に座り込んだまま顔を上げる。ようやく涙が少し乾いてきた。さんざん泣いて水分が枯渇したのかも知れない。

 換気口と照明だけの殺風景な天井を見上げて、ほう、と息を吐く。腰を上げると、よいしょと声が漏れた。苦笑しながら区画を出てトイレに向かう。

 洗面台に水を流し、手で掬ってバシャバシャと顔を洗う。袖でグイグイ擦ったからか、目や頬が火照っていて、水の冷たさが気持ち良い。渇きを覚え、掬った手から水を飲む。喉を通る冷たさに何度も飲んで、胃に染みる感覚から腹が減っていると気付きつつ、またバシャッと顔を洗う。


 顔を上げると、鏡には濡れそぼったおっさんが映っていた。

 こんな状態は予測していなかったが、ともあれひとりで来て良かった。情けなすぎる。ククッと笑いが漏れた。

 頬を擦ると、ざりざりとした感触がある。顎もだ。

 毎日髭を剃る習慣は無いし、手入れが大変らしいので髭を蓄える気も無い。気が向くと剃る程度なので、わりと常に無精髭が残ってる。肩に掛かりそうに伸びた髪はボサボサ、床屋に行ったのは三ヶ月前だ。


 父はいつもキレイに髭を剃っていた。二週間に一度は床屋に行き、いつも身ぎれいにしていた。こんな顔をしていたわけが無い。なのに……疲れ切ったようなオッサンの顔は、少し父に似ていた。

 あの事故の時、父は確か四十六歳だった。あと二年で、その年になる。


 くくく、と笑いが漏れた。笑んだ顔は、やはり父に似ている。

 止まらない。笑いが止まらない。


 いい年をして、なにをしている。逃げている場合か。

 父の亡くなった年になったとき、こんな状態のままでいいのか。父に勝てるわけなどないけれど、いつまでも二十二歳のまま、足踏みしている状態で良いのか。

 いいや、良いわけが無い。分かっていたことだ。


 ずっとずっと、分かっていた。

 なのに気付かないフリをしていた。

 ずるずると気付かないフリで逃げていた。……怖かったから。

 思い起こせば胸を締め付けると分かっているもの。胸苦しさや痛みを感じることを厭い、俺は二十二年間、受け容れることを逃げ続けていた。

 けれど必要な時間だったのだ。分かっていた。


 鏡の中の顔は徐々に険しくなり、俺を睨み付ける。

 父に似ただらしない男が、無精髭を纏わせながら情けないと俺を怒る。いい加減吹っ切れとハッパを掛けるように、視線は鋭くなっていく。


 ギュッと目を閉じた。

 厳しい眼から逃れ、流したままの水でまたバシャバシャと顔を洗う。再度顔を上げると、鏡には濡れた髪が額や頬に張り付いた情けない顔が現れた。プッと吹き出してしまう。

 なんだこの顔。

 情けないにも程がある。

 クスクス笑いながらペーパータオルで顔を拭き、部屋へ戻る。様々なものが投げ出されたままの惨状に眉尻が下がった。

 適当に箱に放り込み、積み直す作業で(したた)か汗をかいた。

 汗を拭いながらそこを出て鍵を掛ける。

 泣いたからか、あるいは顔を洗ったからか、妙に気分はスッキリしていた。

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