吸血姫の好きな食べ物、俺。〜婚約破棄された俺と一緒にいてくれる彼女と、共依存〜
「のう、おぬし。その生命、要らぬのならば、妾にくれてたもれ?」
足音もなく現れ、俺の目の前で薄く嗤う、整いすぎて人形のような美少女。
風になびく白銀の髪と、吸い込まれそうな紅の瞳。その奥には、例えようもないほど深い闇がある。
どこをどう取っても異質でしかない彼女を見ても、その時の俺は変だとか怖いとか、そういうことを感じなかった。ただ。
「どしたの?」
何となく、仲間なのではないかという気配を感じただけで。
事の始まりは、時を遡ること数日前。
「私には、あなたみたいな地味な成金は相応しくないの! 邪魔だからどっか行って! もちろん、婚約なんて無かったことにするから!
私は、愛のない結婚なんてしたくないの!」
長く婚約してきて、俺なりに大切にしてきた彼女に一方的に怒鳴りつけられ、婚約破棄された。
「ミーシャ、少し待ってほしい。俺に時間をくれないか。やり直すチャンスが欲しいんだ」
俺は必死に縋りついた。
しかし、彼女は振り返らない。
分かっているんだろう。俺たちの間に打算はあっても愛などないことを。
俺は大きな商家の次男坊で、ミーシャは貧乏男爵家の長女。
二人共兄がいて、家を継がないということは決まっているから、せめて家の利益になる結婚を、ということで二人の婚約は決まった。
貴族の娘らしくわがままなミーシャに付いてまわりなだめ透かし、何とか機嫌を取り持っていたのはひとえに家のため。
ミーシャの実家アスバール家は、男爵と低いながらも貴族階級で、ウチのイオデル商会とは比べ物にならない地位とコネを持っている。
ウチが金を出し、向こうがコネを使う。
Win-Winな婚約だったはずだけれど、当のミーシャにとっては不本意だったらしい。
まあ、俺は見目が良いわけでも特別頭が良いわけでもない。カネも、商会のものであって俺のものじゃない。
フラれてやさぐれていた俺に、実家が更なるダメージを与えてきた。
曰く。
「これから販売する予定だったルートが全てパァになった」
「投資だけして回収する宛てが無くなった。どうしてくれるんだ」
「女の機嫌をとることすら出来ないのか」
父と兄に散々罵倒され、もう人生が嫌になって。
何もせずにラクになれはしないかと、川べりに座り込んだ俺の精神は限界だったのだろう。
ぼうっとしている内にとっぷりと日は暮れ、そんな時に出会ったのだ。
この上なく夜の似合う、白銀の少女に。
▷◁
「おぬし、どうした、というのは、どういうことじゃ?」
「ん? いや、何の用かな、と思って」
「くふふ。良くぞ聞いてくれた。今からおぬしの血を啜るのじゃ!」
銀髪少女はやたらと嬉しそうにそう言う。
コイツ人生楽しそうでいいな。
「ふうん。美味いの?」
「もちろん美味じゃ。特に、恐怖に震えるニンゲンの血はめっぽう美味いからのぅ」
「じゃあ美味くないじゃん」
「なぜじゃ?」
「俺が、怖がっているように見える?」
「そうじゃのぅ。じゃが、それは困る。
うぅむ……。そうじゃ。わらわの正体を教えよう。
わらわは千年の時を生きる吸血鬼なのじゃ!」
「へえぇ。大変そうだねぇ」
生きるのが嫌になっている俺からしたらどんな地獄だよ、って感じだな。
「大変だねぇ、じゃ無かろう。今からおぬしの血を啜るのじゃぞ?」
「そうしたら、死ぬ?」
「ん、んん……。微妙なことを聞いてくるのぅ……。まあ、量によるじゃろうな。ニンゲンはか弱いからの、血を吸いすぎたら直ぐに死による」
「死なない程度に調整出来ねぇの?」
「わらわは吸血鬼の中でも器用じゃから、出来るぞよ? しかし、おぬしの血は美味くなさそうじゃ。少しも怖がらぬ。
というか、妾を見てもその反応とは、頭が少々おかしいようじゃのぅ。可哀想に」
何をとち狂ったか、俺の頭をなでなでしてくる。
なんだか満足気だったから、俺と比べたら絶対お前の方が頭おかしいぞ、とは言わなかった。俺はコイツと違って大人だし。
「じゃが、おぬしは面白い。わらわの赤い瞳はニンゲンにとって怖いらしいが、おぬしは気にせぬのだな」
「まあ、綺麗なんじゃねぇの?」
月の光を反射して煌めく瞳は、どんな宝石よりも美しいと、素直にそう思った。
「くふふ。褒めても何もしてやれぬぞよ?
しかし、これほど面白いニンゲンとは、これまで出会ったことがない。
…………。よかろう、特別じゃ。
わらわの影へ、案内してやろう。光栄に思え?」
最初は、俺の生命をくれと言っていたはずなのに、どこかへ案内すると言う。
まあ、行き先が川底でも影でも、大して変わらないだろうな。
少女は立ち上がり、くふりと嗤うとその場で優雅にターンをした。闇色の豪華なワンピースの裾がはためき舞い上がる。
その色に目を惹かれた次の瞬間、カーテンが引かれたかのように視界が暗くなり、更に一瞬で、見たことがないほど豪華な屋敷に切り替わった。
▷◁
「はっ?」
壊れきって役目を果たしていなかった危機感が、ようやく動き始めたらしい。もう遅いけど。
「どうじゃ? ここがわらわの影。ニンゲンで言うならば、屋敷じゃろうか?」
「お、おぅ……すごいな」
見事なまでの装飾の施された屋敷で、今まで俺が見た事のあるどこの屋敷よりも立派だった。もちろん、ミーシャの実家なんて比べ物にならない。
少し古めかしくも感じる伝統的な建築様式で、こんなに荘厳な屋敷、今どき観光地でしかお目にかかれないんじゃないか?
ここに実際住んでいるというのも驚きだ。
「どうじゃ、どうじゃ? 妾の屋敷は美しいじゃろう?」
「うん、綺麗だ。とても」
「くふふ。そうじゃろう?」
何よりも、この少し退廃的な雰囲気が、満足気に嗤う少女によく似合っていた。
「ああ、そうだ。名前、聞いてもいいかな?
俺は、ロルフ・イオデル。君は?」
「妾の名か……。そう、ユーシャトリミアーナ。それが、妾の名前じゃ」
「いや、名前思い出すのにめっちゃ時間かかったな」
「うむ。名を使うことは、ほとんどない故な」
「そんなに引きこもりなのか!?」
「引きこもり、とは違うぞよ? 狩りのため、外出することも多い。ただ、名乗ることがほとんどないだけじゃ」
まあ、今から血を啜るというのに呑気に名乗り合いはしないだろうな。
「そんだけ長かったら忘れても仕方ないか。ってことでユリアちゃん、俺をここに連れてきてどうすんの?」
「ユリアちゃん、じゃと!? 妾は千年を生きる吸血鬼じゃぞ!! もっと敬うのじゃ!」
「吸血鬼なのは知ってるよ。敬ってはないけど。
ユーシャトリミアーナ、って、長すぎるだろ? 日常的にその名前で呼ばれることあんの?」
「そもそも、誰かと会うことがほぼない故、名を呼ばれることもない」
「思ってたより変わった生活してんだな、吸血鬼って」
「ニンゲンのように群れたりはせぬな。まあよい、その名で呼ぶことを許そう」
そのまま何事もなく、他愛のない会話が弾む。
まるで旅芸人のような面白おかしいやり取りは、互いの文化も背景も全く異なるのに、何故か異様に楽しかった。
「ふぅ。ユリアは面白いな」
ゲラゲラと笑い転げて少し落ち着き、ふとそう言った。
「そうかの? 妾は話すことに慣れていないが、ニンゲンはもっとよく話すであろう?
ニンゲンと話す方が面白いのではないかえ?」
「そうでも無いよ。ユリアと話すのはとっても楽しい」
「くふふ、それは良い。妾も、楽しいと感じたのは一体いつぶりじゃろうな?」
「そんなに生きてるのか?」
「吸血鬼としてはまだまだ若いぞよ? およそ250年、といった所じゃな」
「千年生きるなら、人生の1/4くらいか。俺は18で、ニンゲン80まで生きるとしたら大体1/4くらい。感覚的な年齢は同じくらいなのか」
「ふうむ、おぬしはまだ18年しか生きていない、と。まるで赤ん坊ではないか!」
「お前のほうが子どもっぽいだろうが。250年何してたんだ?」
「失敬な! おぬしより余程充実した人生を送って来ているぞ!」
結構ガチで怒っているユリアはそんな時でも美少女で。
「ふむ、しかし、ニンゲンというのも面白いものだな。いや、違うか。おぬしの頭がおかしいだけじゃな!」
からからと笑う彼女をみて、ふと思った。
俺の方こそ、これだけ楽しいと思えたのはいつぶりだろうか、と。
そしてその次によぎったのは、《帰りたくないな》そんな想いだった。
「そーいやさ、ユリアはいつもご飯どうしてるんだ?」
「飯は、食わぬ。ニンゲンとは違うのだ」
「血だけでいいの?」
「うむ」
「毎日血だけ? 飽きない?」
「ニンゲンのように、毎日食事をしたりはせぬ。
せいぜい月一回で充分じゃな。生きるだけなら、もっと少なくても良いやもしれん。
おぬし、もしかして腹が減ったのか?」
「うん」
容易く見抜かれて少し恥ずかしい。
「ふむふむ。ニンゲンの食事、というと、こういうものか?」
ユリアが軽く手を振るだけで、ダイニングテーブルとチェア、その上のほかほかのご飯が現れた。
ステーキもスープも出来たてのように湯気が立っていて、見るからに美味しそうだ。
「めっちゃ美味そうじゃん! 食べてもいい?」
「良かろう」
「ありがと! いただきまーす!」
ここしばらくゴタゴタしていて、こういう高級なものには縁が無かった。
久々のステーキは身に染みわたるようだった。
「うーむ。それはやはり美味いものなのじゃな」
「めちゃくちゃ美味いよ? 食べる?」
「妾はニンゲンの食事を必要とはしておらぬ」
「食べたらお腹壊したりするのか?」
「どうじゃろうか。食べたことがない故、分からぬ」
こてん、と首を傾げる仕草は全く子どものようで、長く生きているとは思えないほど。
「じゃあ、一口だけ食べてみなよ。ほら、あーん」
ユリアの口に入る程度に小さく切ったステーキを目の前に出すと、少しの間迷ってから。
はぐりと大きな口を開けてかぶりつき、もぐもぐと音が聞こえて来そうなほど真剣に味わう。
「ふむ……。悪くないぞよ?」
まだ口を動かしながらも嬉しそうに笑ってみせる。
その姿は小動物のようで、とびきり可愛かったんだ。
「というか、こんなに簡単に物が出せるなら、わざわざ外で人間を探さなくても、血を出せばいいんじゃないのか?」
「我ら吸血鬼は、影の中では神のように思うがままに生きられる。しかし、幾つかの制約もあるのじゃよ。その一つが、生き物は生み出せぬ、というものじゃ」
「生きてる血じゃないとダメなのか?」
「うむ。そなたらニンゲンが死んだ生き物を食べるように、吸血鬼は生きた血を必要としておるのじゃ。
我らは、生き物の血を啜るよう定められた存在。おぬしらとは、分かり合えるはずもなかろう」
達観したような、何かを諦めたような、そんな声音で。
彼女の長い人生には、様々なことがあったのだろう。そう思わせられた。
「……そう」
ただその言葉を吐き出すだけで精一杯だった。
あまりの重さに。
そして同時に、思ったんだ。
彼女と俺は、似たもの同士だって。
寂しがりのくせにひとりぼっちで、独りが好きなのだと虚勢を張ってる。
俺はと言えば、家のためだと割り切った、と賢い振りをして歩み寄ることを諦めて、心を許せる人もいない。
独りで生きていけると言いつつも、誰かと一緒にいたいんだ。
「そんな存在じゃからのぅ……血が、欲しいのじゃ」
絞り出すようにそう言われて、俺の心まで苦しくなった。
いくら仲良くなりたいと願っても、生き物としての在り方が、それを許してくれなかったのだろう。
その証拠に、吸血鬼としての本能が強く出ていることを表して、紅い瞳が輝きはじめる。
「おぬしは、先程妾が出したステーキを見て、食べたくて仕方なくなったであろう?
妾は、おぬしを見て、そう思ってしまうのじゃ。
……どれだけ、おぬしとの時間が楽しいと思っていても」
その表情は苦悶に満ちていて、とてもじゃないが好物を目の前にした少女のものとは思えなかった。
「楽しい? 俺が居て?」
喰われる、逃げないと。
本来はそう思うべきだったのだろう。
ただ、俺は自分の生命の危機よりも、嬉しさが勝った。俺を必要としてくれる人が居る、それだけで。
家のための利益でもなく、むしろ今は俺が居ることで苦痛を感じている。
それでも俺を喰いたくはないと葛藤してくれることそのものが、嬉しかった。
だから。
「……いい、よ」
「良い、とは?」
「血が欲しいんだろう? 月に一回だけ、俺が死なない程度に。
それならそれで、いいんじゃないか?」
一瞬だけ、吸血鬼に血を吸われると自分も吸血鬼になってしまう、という話が脳裏をよぎった。
しかし今は、それならそれで良いとさえ思う。
だって、彼女と共に生きられるのだから。
ただ、俺のその提案に彼女は息を呑んだ。信じられないと言いたげに。
「……ん。」
顎をくいっとあげて、喉元をさらす。
本能がまた強く抑えられなくなったようで、瞳の輝きが増した。まるで夜空に輝く紅い月のよう。
「いいや。
妾は、おぬしと、そうじゃな、仲良くしたいのじゃ」
途切れ途切れに言葉を選びながらそう言って貰えたことが、言い表せないほど嬉しかった。
だからこそ。
「家賃代わりとでも思ってくれたらいい。
ユリアに血をあげる代わりに、俺の生活を保証してほしい。それでどうだろうか」
不器用な俺なりの最大限の提案。
何の保証もなしに一緒に居るのは、怖い。
いつか、知らない間に崩れ落ちてしまうから。
「…………ぃや、」
まだ拒否しようとする肩を優しく抱き寄せると、彼女は抵抗しなかった。
俺と本能、二つに操られるまま、俺の膝に乗りあげて。
かぷり。
喉元に噛み付いた。
喉を傷つけられているにしては痛くないけれど、それでも感じた痛みに身体を震わせると、微かに彼女は躊躇った。本能に逆らって。
だけど、それは俺の望むことじゃない。
この小さくか弱い少女に、満足してほしい。ただそれだけ。
だからまた、銀の髪を優しくなで、首筋に口元を戻してやる。
遠慮がちに弱々しく血を啜る姿は、とてもじゃないが強大な力を持って永きを生きる吸血鬼とは思えず、ただの幼い女の子だった。
血を飲んでしばらくすると本能は収まったようで瞳の輝きは無くなったが、その代わりに涙の膜が膨れ上がった。
「……のぅ、ロルフ。妾は、どうすれば良いのじゃ?
おぬしの血は、美味すぎる。滑らかで優しくて豊潤で。今までに飲んだどのニンゲンの血とも、比べ物にならないほど美味い」
「そう」
下手な返事を返すとそのまま崩れ落ちてしまいそうなほど儚くて、何も言えない。
「おぬしの血だけは、吸いたく無かった。それなのに、おぬしがこの世で一番の好物になってしもうた。どうすれば良いのじゃ?」
ぼろぼろと涙を流ししゃくりあげてそう訴える彼女は、感情の抑えが効かない様子。
だから、俺は彼女の罪悪感が少しでも少なくなるように、言ってあげた。
「さっきも言っただろう?
血をあげるから、生活を保証してほしいって」
「じゃが、それではロルフが、妾のことを嫌いになってしまうであろう?」
「なんで?」
「妾は、おぬしを害するものじゃから」
「そんなことはないよ。ユリアは俺を必要としてくれていて、俺はユリアを必要としている。それだけで充分じゃないか」
自然と笑みがこぼれ落ちた。
俺がそうなるほどに、ユリアが意外そうで、そして嬉しそうだったから。
「妾を、必要としている?」
「そうだよ。俺は行く宛てもないし、そもそもユリアはかわいいし」
ばふっと音がしそうなほどに、一気にユリアの顔が赤くなった。
「かわいい、じゃと!? 妾が!?」
「うん、もちろん」
「そのようなこと、生まれて一度も、言われたことがないぞよ?」
「そっか。それは残念。
だけど、これからは俺が言ってあげるから大丈夫だよ?」
「ぅうぅ……」
照れすぎでどうにもならないらしく、俺の肩口に頭を擦りつける。
白銀の髪がぱさぱさと揺れてくすぐったい。
「だから、ね? 一緒に居よ?」
彼女からの返事は無かった。
ただ、頬と同じくらいに紅い瞳が、涙の膜の向こうからこちらを見上げているだけで。
その瞳の奥の深い闇が、ほんの少しだけ揺らめく。
たったそれだけで、しあわせだと思えた。
こちらの短編は、連載候補作品です。
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