お笑いとは嘘の最小単位である
私の会社には虚言癖のある人が居る。
その人は半年前に中途採用で入ってきた方だが、私よりひと回り以上、歳が上だ。名前を石狩さんという。
その人の前には、永見くんという若い男の子が居て、彼もまた虚言癖があった。
面白いことに、私の会社には虚言癖の人のための「席」があるようだ。
大学時代に入っていた同好会に、一人だけ居たと思う、虚言癖のある先輩が。
その先輩については、同好会の全員から、嘘を見抜かれていたけど、彼の先輩の付く嘘は、みんなから面白がられていた。覚えている中で、最後に聞いた嘘は『魔女に会った話』だっけな、たしか。
永見くんとはしばしば一緒にご飯を食べに行ったりしたものだが、彼が退職してからは、てんで付き合いが無くなってしまった。転職して、忙しいらしい。「持ってた会社を全部売ったんですよ」という話を彼がしていたので、『大変なんだなー』と思って、それ以来、電話もしていない。
見え透いた嘘ばかりなのだが、会社のみんなは騙されている人がほとんどみたいだ。私は彼とよく話をしたので、星の数ほどの矛盾に気付けたのかも知れない。
虚言癖のある人に共通しているのは、突拍子もないことを言うところだ。それぞれに得意分野?のようなものがあり、好み(といった方が良いだろう)の嘘の付き方、ストーリーの特徴がある。
彼らは 好んで嘘を付くのだが、そんな人とは付き合いたくないと思う人が多いと思う。
ただ、嘘を付かない・付いたことがない人間なんて居ないと思うし、それに私自身「嘘」が「好き」なので、本当は『嘘は嫌いだ』なんて言う資格は私には無いんだと思う。
私は、職場で自社の人や、関係者の方々に、冗談ばかり言っている。自分の本音を隠したり、相手を良い気にさせたりするのに冗談は便利だ。例え話やジョークは、大袈裟かも知れないが、【嘘】である。
石狩さんに以前、「私は嘘つきです」と言ってみたことがある。「森山さんは嘘つきじゃないですよ」と石狩さんは言ったが、私は『ああ、石狩さんは石狩さん自身のことを嘘つきだと思いたくないんだな』と思った。
「私は冗談が好きで冗談ばかり言ってるんですが、冗談言うのって嘘つくのと同じだと思うんですよ」と私が続けると、「冗談は嘘とは違いますよ〜」と石狩さんは言ったが、
冗談は【嘘】だ。
私たちは嘘のテーマや嘘の物語で盛り上がって楽しんでいる。誰かを標的にして仲間外れにしたりするのが本能としてインプットされているのだ。
標的になるのは弱い個体。種の存続のために弱者を淘汰するためのプログラム。
現代においては選別を行わない。行わないための冗談なのだ。仮想の標的を作って攻撃する、これがお笑いの本質である。私たちはこれが面白くて仕方がない。なぜなら本能なのだから。
グループ内の誰かを仮想の弱者にして笑うことは、考えてみれば誰かが傷付く可能性がある。
ここまで考えてみると、虚言癖とは実は、進歩している人たちの特徴なのかも知れないと思えた。
いや、同じか。
創作をしてみんなに共有するという意味では、三大欲求以外のすべての活動は同じなのかも知れない。
寝る前に聞いていたジョーイ・デフランセスコも、ウイスキーを飲むという行為でさえも。
今朝、このベーコンエッグを作ったこともか?
分からなくなってきた。
私はフォークで出来る限り "残酷" に半熟の黄身の部分の膜を切った。中からとろりと黄身が出てくる。口に運ぶ。美味い! ウスターソースと絡んで絶妙だ。
休日の朝から、何をごちゃごちゃと考えていたんだ私は。
『今日はやりたいことがたくさんあるから急いでコイツを食べてしまわないとな』
と思ったが、予定が無いことにすぐ気付いた。起きたら何をしたいか考えようと思ったのだが、思いつく前に入眠していた。
ちなみに石狩さんの付く嘘は、自分はお金持ちで相当稼いでいるという類のものです。
大学時代の同好会の先輩が話してくれた「魔女に会った話」は機会があったら書きます笑