残酷なエンターテイナー
私は立ち上がり、私の隣の席にいる子に、まだボケているふりをしながら話しかけた。その子は、いつもおとなしく、クラスの中では地味な存在だ。
「さっきまで夏休みだったよな、な?」
「ううん。違うけど……」
私の足元に落ちてしまいそうな声で、その子は、必死にそう答えた。話しかけた人が話しかけた人なだけあって、狙い通り、さらに笑い声が充満していく。私は、その子に構わず続けた。ふざけて。早口で。客観的にみて残酷だが、はじめからそういう算段なのだ。
「いや、聞いてくださいよ先生。さっきまで確かに、七月だったんです。夏休みだったんですよ。ホントなんです。はあ、夢ならば覚めてほしい。お母さーん、早く起こしてー」
「たわけ。寝言は寝てから言わんか。で、この問題の解は?」
「それは、初めからわかりませんけど」
「たわけ」
そうやって、十分すぎるほどの笑いを生み出して、私は、とてつもない満足感と達成感に浸かりながら、ゆっくりと自分の席に腰を下ろした。
先生はもう授業を再開し、教室は元の姿に戻ったが、私の心は高鳴ったまま、しばらくの間、元に戻ることはなかった。だってそうだろう。時間はせいぜい三分間程だろうが、私は確かにその時間、一人のエンターテイナーだったのだから。話すことという自分の好きなこと、得意なことで、みんなを幸せな気持ちにさせたのだから。
夏休みが夢だったのは、一高校生としては残念なことなのだろうが、そんなことは、今の私にとってはどうでもいいことだ。