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いつかは辿る路[前編]

作者: まーちゃん

大都市を結ぶ幹線道路では、一日二十四時間休み無く多くの車が走っている。その道路沿いで生活する住民に、安眠と言う言葉は死語なのかもしれない。深夜、車両の騒音が多少でも緩和されたと思われる時間帯でも、緊急車両は容赦なく走る。静寂とは言わないまでも、静けさをぶち壊すサイレンの音は、昼間の騒音の中で聞く時と比べると、何倍もの音量に聞こえるものであるが、その幹線から五十メートルも離れると、車両の騒音とはほぼ無縁に近い環境になる。それは、幹線道路沿いの建物が、防音壁の役目を担ってくれているからだろう。


そんな幹線道路から少し離れた脇道に、鶴岡琢磨の家が在る。室内に居ると、余程近くでない限り緊急車両のサイレンの音など聞こえないが、建物の屋上に一時間も居れば、

『必ず、一度はサイレン音が聞こえる。』

と、言っても良いくらい、何らかの事件、事故、急病人搬送などが、毎日どこかで頻繁に起こっていると言う事の証左なのだろう。この日も日課としている自宅の屋上で、草木やプランターに植えられた家庭菜園の水やりをしていると、遠くから聞こえていたサイレンの音が、自宅方向に向かって次第に大きくなってきた。


自宅前の道路は、幹線道路への抜け道になっているので、一般車両は勿論、緊急車両も時々通る事も有り、

『救急車だな。』

と、気付きはしたが、さほど気にも止めずに作業をしていると、自宅の真ん前と言っても良いくらいの場所で、サイレン音が止んだ。

さすがにこうなると、俗に言う(野次馬根性)が湧き上がり、水やりは放り投げ、

『向こう三軒両隣の誰なんだ?』

屋上から身を乗り出して路上を見下ろすと、救急車の後部からストレッチャーが降ろされ、向かいの通路に入って行った。通路の先には、独身者専用と思われる、小規模の木造アパートと、それに隣接して建てられたアパートのオーナー、田所夫妻の住む家が在る。夫妻共に、七十歳も後半と思われる年齢ということもあり、

『田所さんか! 多分旦那だと思うけど、二人のどちらかに何かが発症したんだな。』

と、勝手に想像して見ていると、十数分程して運ばれて来たのは、三十代の男性。アパートの住人だった。

もうこの時点では、

『誰なの? 何が有ったの?』

と、近所の住人がどこからともなく集まり、お互いに、何やら小声で話し合っている様子までもが、屋上から見ることが出来るようになっていた。

救急車が去り、今迄、救急隊員の人と接していたのであろう、田所の妻(佐智子)が出て来て、「どうも、お騒がせしました。」

そう近所の人に挨拶をすると、今迄とは格段に違う音量の声で、佐智子を交えた会話が始まった。

「誰だったの?」

「アパートの人なの。自動車教習所の先生なの。今日休業日っていうのかな、仕事は休みなので、昨日、友達と遅くまで一杯やっていたらしいの。朝になって、その友達が家のインターフォンを(ピンポン・ピンポン)うるさい位に鳴らすでしょう。何かと思って飛び起きたら、近藤さんがおかしいって言うじゃない。」

「近藤さんって?」

「今言った教習所の先生。で、近藤さんの部屋に行って見たら、

『さっきまで、すごくお腹が痛かったんだけど、今は落ち着いたから大丈夫』

って、言うので帰って来たの。」

「そんなことでいちいち呼ぶなよ! って、ことか。」

「そこまでは言わないけど。そしたら、救急車が来る二十分くらい前かな、また呼ばれ、行って見たらのた打ち回っているじゃない。慌てて一一九番したのよ。救急車ってすごいわね。あっという間に来るんだもの。」

近所の住人の立ち話が続くなか、野次馬根性が抜けきらない琢磨も下に降り、佐智子を囲む、数人の人の輪に入っていた。

「てっきり田所さんの旦那さんかと思いましたよ。前にも倒れた事が有ったし・・・」

「俺は、鶴岡さん、あんたかと思ったよ。だってあんたの家の真ん前に、救急車が横づけ

されたじゃない。」

「冗談言わないでよ! って、言いたいけど、もう僕も高齢者の一人だからね。何時どうなるか分からないですよ。近藤さんってまだ若いんでしょう? 朝、挨拶くらいはした事あるけど。」

「三十四~五歳かな? 婚約者は居るみたいだけど。」

「いいなぁ、若い人は。でもどこが悪いのか分らないけど、結婚控えて、救急車は乗りたくないね。」

「こうやって、集まってみると、皆さん、高齢者ばかりだなぁ。」

「そうねえ。あたしもそうなんだけど、皆さん、後何年っていう歳だものね。」

「そんな、淋しい言い方するなよ。俺は百歳まで生きるつもりなんだから・・・」

「こないだ中学の同期会に行ってね。当時の私達中学生は、一クラス五十人近く居たでしょう。それが八クラス在ったんで、一学年四百人よ。四百人も居れば、この年齢としに成っても、三十人近くは出席者が居たかなぁ? でも会場だって○○ホテルとか、それなりの場所でやるし、会費も千円、二千円じゃないからね。出席者は、年々減っているみたい。体力的、金銭的に考えても、いつまで続くのかしらねぇ。」

「それに比べて 今の我が母校、校舎や体育館、プール等、私達の頃では考えられないくらい立派に成っているのよ。トイレなんて、信じられないくらい綺麗なんだもの。私達の頃のトイレと言えば、イコール臭いだったでしょう。」

「学校だけじゃなく、一般の家庭もそうだったものなぁ」。

「五月に(音楽発表会)って、言ったかなぁ。孫がブラスバンド部に入っているので、聞きに行ったの。それがさぁ、二・三年生だけなんだけど、部員たったの十人だけ。十人のブラスバンド部って、考えられる? 子供達が皆頑張って演奏しているので、拍手はしたけれど練習風景を見に行ったって感じ。甲子園で見る高校生の演奏までは、要求しないけど、何かねえ。」

「学校は綺麗になっても、子供が居ないんじゃねぇ。昔に比べて、少な過ぎるのよ。」

「俺と山下さんは、小学生の頃から、此処で育ったんだよね。」

「そう、あの頃は、男の子は、ベーゴマとか、メンコ、ビー玉、鬼ごっこやかくれんぼ。女の子は、縄跳び、ゴム飛び、お人形さんやおままごと。そんな遊びを近所の子供と、外で遊んだ事覚えているわ。」

「今の子は、家の中でゲームだもの、対人関係のコミュニケーションなんて、取れる訳無いよ。」

「外で遊びたくても遊ぶ相手が居ないし、それに親の立場で言えば、こんな一方通行の狭い道でも、車が頻繁に通るでしょう。

『外で遊びなさい。』

なんて言えませんよ。」

「そういう時代になっちゃったんだよなぁ。」

「その反面、この通りだけじゃないけれど、自分も含めて年寄りの多い事。」

「この通り。(こうそく道路)って、言われているの知っている?」

「ええ? 知らないよ。そんなにスピードを出して走っている車、無いと思うけど。誰が言っているの。」

「誰っていう訳じゃないけど、ご近所さんで救急車の御厄介になった人、確か五~六人は居る筈よ。」

「そんなに居るの?」

「うん、そのほとんどの人が自宅で倒れたので、(脳梗塞)や(心筋梗塞)じゃないの? って事で、(梗塞道路)。」

「上手い事言うなぁ、なんて感心していられないか。いつ俺も、梗塞道路を走るようになるかもしれないから、常に気を引き締めて運転しないと、事故っちゃったらお終いだからね。」


高齢者同士の会話では、半分以上の時間を使うのが、病気、事故、同年代の有名人を含んだ知人の死亡、それに伴う年金、介護。そんな暗い話題がほとんどで、孫が生まれた、海外旅行に行った、そんな楽しい話題は、共通の話題とは成り得ない。成ったところで、ほんの数分。自分の為に、自由に使える金を持っている高齢者は、どの位居るのだろうか? (五体満足、健康で、金銭的にも安定し、海外旅行も行ける)そんな事を言ったら、妬まれるのが落ちだ。

適齢期を過ぎた子女を持つ人に、可愛い自分の孫の話をしたら、

『それは、おめでとうございます。良かったですね。』

口では、それらしい事は言うだろうが、心の内では

『家では孫どころか、嫁もいないのだから・・・もう、諦めてはいるけど・・・』

どう思われているかは、計り知れない。

適切な例えではないだろうが、スポーツで、勝者が敗者に慰めの言葉を掛けて、敗者が喜ぶだろうか? (黙っていてくれよ。)が真情だろう。

会話のきっかけはどんな話でも、最終的には老後。一歩、二歩と進むと、三途の川の先の話、若者には、理解できないだろうが、これが高齢者の現実なのだ。

誰もが同じ思い、同じ考えの話題でする会話が、温和な近所付き合いの第一歩だと、常日頃から頭の隅に置いている琢磨だった。


早朝、と言っても、もう八時過ぎ。遅寝遅起きの琢磨には、まだ夢うつつの時間だが、携帯の呼び出し音で起こされた。

「琢ちゃん! おじさんが倒れたの! ちょっと来てよ!」

慌てふためき、悲痛な叫び声に聞こえた声の主は、数日前に救急車で運ばれた男性の部屋の

家主、田所の妻佐智子だった。

八十歳に手の届く年齢の田所源蔵は、数年前から入退院をくり返し、二、三度救急車で運ばれている事を知っているので、簡単に服装を整え、急いで田所家に駆け付けた。

何年か前に、脳梗塞で倒れた後遺症による手足の麻痺で、自力歩行が困難の田所源蔵、週に何回かリハビリ施設に通い、歩行を主とした、(運動機能回復の訓練)を行っていると聞いていた琢磨は、倒れた! と聞けば、最悪の状況を想い浮かばずにはいられなかった。

家の外に出ていた佐智子に、

「如何したの? おじさん、倒れたって大丈夫なの? 救急車呼ばなくて良いの?」


田所家とは姻戚関係でもなく、年齢も、さほど離れている訳ではない単なる隣近所という程度の付き合いの琢磨が、(おじさん)と呼ぶのを世間の人が聞けば不自然と思うだろうが、田所のアパートの住人は、ほとんどが若い単身者。父親以上の年齢の源蔵を、普段彼らが(おじさん)と呼んでいるのが通例となり、近所の親しい人も(源蔵さん)などと呼ばず、おじさんと呼んでいる。当然だが、妻の佐智子も(あなた)とか(源蔵さん)(げんちゃん)等ではなく、呼ぶのは(おじさん)。もっとも、二人だけの時は、何と呼んでいるのか他人には分からず・・・だが。


リハビリの効果か、最近は杖を必要としてはいるが、トイレは自分で行くことが出来、利き手の右手はまだ不自由だが、食事は、左手でスプーンを使って介添えなど必要なく、何でも食べる事が出来るまでに回復はしていた。そのおじさんが倒れたと言う。

「散歩を兼ねて、自宅の裏庭でグッチ(愛犬)を見ていたら、そのグッチを繋いでいたロープが杖に絡まり、弾みで倒れたの。あたしじゃとても起こせなくて・・・」

裏庭に行って見ると、土の上でじっとして動かず、無言で横たわっている源蔵が居た。

「おじさん、大丈夫? 痛い所は無い?」

抱きかかえ、声を掛けると、

「うん、大丈夫だよ。」

「頭打ったりしていない?」

「何処も痛くないよ。起き上がれないだけだよ。」

四肢は不自由だが、思考力や会話の受け答えは正常なので、救急車を呼ぶ程ではないのかな? と思い、妻の佐智子に倒れた状況を聞くと、

『源蔵の傍で、寄り添うようにしていた佐智子の上に、乗りかかるように二人共に倒れた。痛いのは自分だ。』

そういう答えだった。

いくら痩せ細った老人の身体と言っても、足腰が不自由となれば、一般の女性では、立たせるのは困難だろう。まして、七十代後半の女性では・・・

立ち上がらせ、杖を渡すと、

「有難う。」

その一言で、玄関方向に歩き出した。

「今日ね、(デイ・サービス)の日なの。毎日、朝から晩まで家の中でテレビでしょう。外に出るのはデイ・サービスの日だけ。だから楽しみなのよ。待ちきれないで、ちょっと外に出たらこれだものね。もう疲れるわ。あっ、お迎えの車が来たみたい。」

「おはようございます。」

若々しい、元気な声で、介護の職員が迎えに来た。

「今、ちょっとそこで、転んじゃったの。」

「あら、大丈夫ですか? お怪我は?」

「何ともないですよ。あたしが下敷きになったんで、・・・」

笑って答える佐智子だったが、職員の立場とすれば、若しも施設で源蔵に、何かの事態が起こった時を考えると、笑ってはいられないのかも知れない。挨拶をした時の笑顔は消え、

「そうですか、でも、若し何かが有った時は直ぐに連絡しますから、よろしくお願いしますね。」

そう言って源蔵の腕を抱え、送迎の車に乗せ走り去った。

「さっちゃんから、

『おじさんが倒れた。』

って、携帯が来た時は、最悪の事を思ったよ。でも大した事無くて良かった。」

「心配掛けちゃったわね。ありがとうね。琢ちゃんが傍に居ると思うと、助かるわ、お茶でも飲んでいく?」

「実は、まだ寝ていたんだよ。夢うつつですっ飛んで来たので、まだ歯磨きして無いんだけど、さっちゃんの美味しいお茶、頂こうかな。」


自宅から、そう遠くない所に、二店舗の美容院を持つ未だに現役の美容師の佐智子。と言っても、美容師には定年が無いからだけで、実際には、娘の弥生が経営者と成っている。

従業員の美容師も二桁に近い数が居り、佐智子自身は、源蔵の相手が仕事の様なものだ。

佐智子が源蔵の元に嫁ぎ、この地に住みついた時には、まだ中学生だった琢磨。当然の事ながら年齢差のある二人、佐智子がたくちゃんと呼ぶのは理解できるが、琢磨が、さっちゃんと今でも呼ぶのは、琢磨の母親が佐智子を(さっちゃん)と呼んでいた為、今この歳に成っても、二人の間では、(さっちゃん)と呼ぶことに、何の違和感は無いのだ。

「もう毎日でしょう。疲れるわ。あの人にとっては、デイ・サービスに行く事が、たった一つの楽しみなんだけど、あたしも、行ってくれるとホッとして、気が休まるの。何処かの施設にお願いしようかなぁ。と、思っても、民間の施設だとお金がかかるし・・・でも、お金で済む事なら、不動産を売れば何とかなるけど、入っても、いろいろトラブルが有るみたいだしね。」

「最近、テレビの報道で、その問題がよく出て来るよね。」

「ひどい扱いを受けている、なんてこと聞くと可哀そうで・・・だって、入所している人って、体力無いから抵抗できないでしょう。」

「口で抵抗するしか無いよね。」

「そんな所は、ほんの一部でしょうけど。でも、このままで居ると、あたしが参っちゃいそう。あの人、あたしが居なかったら、どうなるのかしら。他人じゃ看てくれないものね。」

「でも、会話はしっかりしているんだから、大丈夫でしょう?」

「そう言うけど、考えてみてよ。今日だって、アパートの人、皆仕事に行っちゃって、誰も居ないのよ。琢ちゃんが居たから良かったけど、居なかったら、介護の人が来るまであの状態よ。」

「そりゃ、辛いよなぁ。まぁ、居る時は何時でも携帯してよ。すっ飛んで来るから。」

「そういってくれるのは、琢ちゃんだけ。こういう事は、どんなに親しくしていても、近所の人には頼み辛いしね。」

「これって、おじさんだけの問題じゃないからなぁ。僕だって、もしかすると・・・っていう歳に近づいているし・・・」

「ええ! 琢ちゃん、今幾つよ?」

「僕が小学一年生になった時、さっちゃんが中学一年生。入学式が同じだって、昔、母にそう聞いた事あるよ。」

「そうだったっけ。じゃ六九歳か。一人で居て、何か有ったらどうするの? 結婚しないの? 良く来る女の人どうなのよ?」

「ね。どうしましょう。ふふふ。」

「笑っている場合じゃないわよ。早く、人生の行路を決めなさいよ。ゴールはもう目の前よ。」

「そうね、道は梗塞道路だけじゃないものね。傷害道路、臓器道路、都会でなくて、痴呆の道路もあるし・・・最近、僕、痴呆道路の料金所を通過したみたいだよ。」

「そんな冗談言わないでよ。笑えないわ。お金が掛っても、優良道路を走ってよね。」

「やられた。」

「これ、アパートの人に、旅行のお土産です。って、頂いたの。美味しいから食べて。」

菓子を摘み、茶をすすりながらの二人の会話は、高齢者の会話とはとても思えない。

「おじさんと一緒になった頃は、いつか、こうなる時が来るとは分かってはいたけれど、でも、直ぐに弥生が生まれ、その二年ぐらい後に皐月でしょう。子育てに追われ、老後の事なんて全く考えなかったわよ。」

「皐月君、今どうしているの?」

「どこで、何しているのか分かんないわ。一生懸命育てたつもりなんだけど、親の心、子知らずっていうことなのね。おじさんの現状は、多分、弥生に聞いているとは思うけど、ここ十年、会いに来た事無いのよ。もう、私の頭の中からは、皐月は消えているわ。」

「僕も、両親が元気だった時は、これといって何もしなかったなぁ。今、

『あの時、ああすれば良かった、こうしてあげたかった。』

と、思っても、後の祭り。」

「人生、全てがそれの繰り返しなんでしょうね。この通りの人達も、若い人が多かったじゃない。当然子供も多く居て、煩いくらいだったわ。」

「すいません。特に僕が煩かったと思います。」

「良い意味での煩さよ。近所の子供が遊んでいて、喉が渇くのね。当時はまだ井戸だったでしょう。家の中に勝手に入って来て、井戸から水を汲んで飲んでいるの。そんな事当たり前だったし・・・皆さん子育てに忙しくて、年取ったなんて感じる時間無かったのね。琢ちゃんのおかあさんだって、同じだったと思うよ。それが、ふと気が付いたら、もうすぐ喜寿でしょう。米寿まで生きていられるかなぁ。」

「そんな淋しい事言わないでよ。さっちゃんは百歳まで大丈夫です。」

「百歳か! それまで生きて良いのかなぁ?」

「良いんです。元気に生きてください。この前の救急車が来た時、堀田さん、

『俺は絶対に百歳まで生きるんだ。』

って、言っていたよ。淋しくなるから、もうその話はお終い。」


子供の数が少なくなったと世の中では言われている。自宅前の通りには、鉢植えの樹は有っても、立ち木の有る家はほんの数軒。古くから有る家は相続等の関係からか売られ、その土地には、軒先を連ねて建てられた、数軒の家が建売されている。当然庭など有る訳無い。だから、樹木が立つわけがない。家の数は増えているのに、遊んでいる子供どころか、子供の声すら聞こえない。どうなっているのだろう。

自分が通った小学校、当時の生徒の人数が、一クラス五十人超え。それが六クラス。全校生徒数で言えば、二千の数字に届きそうな数の生徒が居た。教室が足りなくて、一、二年生は、午前と午後の二部授業、なんていう時も有った。

それが今は如何かと言うと、一学年一~二クラス。多くて三クラス。それも一クラス、三十人学級とか三五人学級とか言っている。三一人になったら、一五人と一六人の二クラスに分けると言う話を聞いたが、本当なのかよ! でも、こういう事は、お役所、政治家の仕事で、自分達一般庶民は、ただ黙って、時の流れに身を任せていくしかないのだけれども・・・


思い返せばあの当時、教室が足りず新しい小学校が、知っているだけでも二校は作られ、新学期になると、新設された学校に近い生徒はそこに移る事になり、お別れ会等した覚えが有る。

戦後まだ間の無い時期、この自宅の在るエリアも、沢山の畑地、荒地が在り、学校建設にもさほど問題は無かったのだろう。今ではネコの額どころか、ネズミの額ほどの畑地すら無い。

勿論空地等皆無だ。相続等で手放された土地は、宅地として開発され、多くのマンションや建売住宅が建てられ、その家に人が住む。昔と比べて所帯数では、雲泥の差と言っても良い程、多くなっていると思えるのだが、子供の数がこうも少ないとは、如何いう事なのだろう。

反対に、多くなったのが老人。ではない、高齢者だ。老人と言ってはいけないのだ。

(船頭さん)という童謡が有る。その歌詞に、

『♪今年六〇のおじいさん♪』

のフレーズが出て来る。

自分達が子供の頃の六十歳と言うと、お年寄り、老人、と言われても問題はなかったが、今では、八十歳を超えていても、スポーツ・ジムで身体を鍛え、旅行に行ったり、趣味の活動をしたりと、年齢を感じさせないで、毎日を過ごしている多くの(高齢者)を知っている。

確かに、日本人全体が、生活にゆとりを持てるようになったことも、一つの要因だろう。だが、誰もが第一に挙げる要因は、(医療の充実)これに尽きると思う。

スポーツ・ジムで身体を鍛え、何か身体に異常が有ったら、医療に向かうのか? それとも、

人間ドック等で検査を受け、毎日の自己管理をして、何か有ったら直ぐ医療に向かい、健康体であることを確かめて、スポーツ・ジムなどで、より一層の健康体を作るのか? 鶏と卵になってしまうが、どっちが先でも良い。(健康即長寿)これが尤も安価な長生きの秘訣だと、いつも思い実践しようと心掛けてはいるが、飲食、不規則な生活、等、目先の欲望につい負けてしまい、反省、また反省の連続は琢磨だけでなく、誰の思いも同じだろう。


前日の強い風で、玄関先に溜まった落ち葉を掃き集めていると、自宅の真向かいに、いつもの介護施設の送迎車が止まり、職員が田所家に向かった。暫くして職員に手を引かれ、ゆっくりとした歩行の源蔵が出て来た。傍らには、妻の佐智子が付き添っている。

「おはようございます。」

どちらからともなく朝の挨拶を交わし、その後の源蔵の様子が気になっていた琢磨は、佐智子に近寄り、

「おじさん、どうですか?」

「どうってこと無かったわよ。意外とこの人不死身なのよ。ね! 源蔵さん!」

「何でもないよ、ちょっとよろけただけ。」

動作と会話が一致しない源蔵。自分で自分を肯定出来ないもどかしさで、強がりを言う源蔵の心中を、理解しようと思えば思う程、言葉が出て来ない琢磨だった。

源蔵を車に乗せ終わると、職員が一枚のポスターを佐智子に渡し、

「来週の金曜日に、細やかなイベントを開催します。是非、いらっしゃってください。家族の人でなくても、来客大歓迎です。では、行ってきます。」

そう言って、運転席に座り、走り去って行った。

「何よ。イベントって、」

佐智子が見ているポスターを横から覗き込むと、アマチュアのバンドの演奏、奇術やゲーム、ダンスをしたりと、盛沢山の内容が書かれてあった。

「年に何回か、こういうのをやっているみたい。でもあたし、一回しか行ったことないの。

好きじゃないのよこういうの。だって侘しい気持ちになっちゃうじゃない。幼稚園児に対してやっているのと、同じなんだもの。」

「意味分かんないけど、如何いう事?」

「演奏に合わせて、歌ったり、タンバリンやカスタネットを叩いたり、ゲームって言っても、輪投げとか、ボールを的に当てる。そんなのよ。幼稚園児だったら、可愛いから仕事休んでも行こうと思うけどね。」

「ふう~ん。」

「メーン・イベントは、いつもカラオケ。あそこでお世話になっている人、(通所者)って言うんだけど、その人達の歌なんて、今の若い人が聞いたって、誰も知らない歌ばかりよ。東海林太郎だとか、藤山一郎、岡晴夫、女だと、並木路子や笠置シズ子、だもの。」

「ええ! 僕はそういう人の歌知っているよ。さっちゃん知らないの?」

「知っているわよ! あたしは昔の若い人! でも、そう言う歌聞くと、淋しくなっちゃうの。東海林太郎なんて、直立不動で歌っていたって言うじゃない。今は聞く歌じゃなくて、見る歌だものね。」

「美空ひばりは良いんじゃない?」

「でも、ご存命じゃないでしょう。どうしても、自分に置き換えちゃうの。」

「まぁ、分らなくはないなぁ。趣味の問題もあるし・・・」

「琢ちゃん、家族でなくても自由に参加できるんだから、行って見てきたら。感動するかもよ。」

含み笑いの佐智子だった。


ハンチング帽子に付け髭、柄物のジャケットにピンクの蝶ネクタイ。ピエロの格好で現れたのが、いつもの見慣れた制服姿から変身した、女性職員のお出ましとなると、場の空気は沸騰状態になり、小さな会場は、隙間の無いほどに人が溢れていた。

「おはようございます。指折り数えていた【若人の祭典】の日になりました。今日一日、元気に楽しく過ごしましょう。」

そう言って、舞台から消えた。

『若人の祭典? かよ。まぁいつまでも若さを保っていることは良い事だと思うけど・・・』

プログラムに沿って、演目が続き、途中、食事休憩が入り、再び午後のプログラムが開始され、いよいよ最後のイベント、(カラオケ大会)が始まった。

カラオケ大会とは言うものの、通所者で歌ったのは数人程度。ほとんどは、司会者の指示で、家族や来賓が歌った。と言うか、歌わされた。

平日ということもあり、来場者の殆どが高齢者の為か、歌も佐智子が言ったように、今では骨董品の歌ばかり。その半分近くは軍歌だった。

歌そのものも、見せる、聴かせる歌ではなく、ただ、自己満足で歌っている、としか思えない歌い方であったが、ここはカラオケスナックや、カラオケルームじゃない。自宅でもほとんど歌など歌わない人が、人前でマイクを手に声を出している。

佐智子の言うように、家族の人が見たり聞いたりしたら、侘しくなるのかもしれないけど、

これが、高齢者の心身の健康の為には、最大で最安の方法だ。もっと多くの通所者が歌えるようにするにはどうしたらいいのか? 部外者の琢磨でもそう思うのだから、施設の管理者、職員は、皆そう思っているのだろう。

「まだ時間が有りますが、どうでしょうか。誰か歌う方居ませんか。じゃ私の方から指名します。そこの、縦縞のTシャツを着ているハンサムな方、お願いします。」

機械の操作をしながらの司会者が、琢磨の方向に指を差したが、ハンサムの一言が、自分で無い事を知り、後ろを振り返ると、

「その、今後ろを見た人、お願いしますよ。」

『やべ~、俺かよ。』

断る事も出来ず、そうかと言って、歌う事は嫌でもないので返事をためらっていると、誰からともなく、小さな拍手が起こり、

「それじゃ、上手くはないですけど、歌わせていただきます。」

そう言うと、一段と大きな拍手になった。

舞台の袖で、小声で司会者に、

「(困っちゃうな)をお願いします。」

「困っちゃうなですか。こういう歌、歌った人は、今まで誰も居ませんよ。」

そう言って、笑いながら機械に曲をセットし、

「次に歌われるのは、田所源蔵さんのお知り合いの鶴岡さんです。急に指名されたので、

『何を歌おうか分からず、困っちゃいます。』

と言われたので(困っちゃうな)を歌っていただきます。」

笑いを採った司会者の後にメロディーが流れ、何とか歌い終え、その日は終わった。


「琢ちゃん。今日暇?」

携帯に出ると、間髪を入れずに出た佐智子の言葉がこれだった。誰が掛けてきたのかは、保存してある名前で分かるが、それにしても『もしもし。』はカットかよ! 親しい付き合いをしてきている証左か、と苦笑いをしながら、

「さっちゃんからの携帯なので、またおじさんに何か起こったのかな? って、ドキッとしたけど、『今日暇?』の一言を聞いて安心したよ。はい。いつも通り暇です。」

「あのさぁ、琢ちゃん、(麻雀)出来るよね。」

「若い頃はやったけど、もともと賭け事って好きじゃないから、出来ると言うか、知っているって、言う程度ですけど・・・何で?」

「麻雀って、頭の体操に良いって言われているでしょ。おじさんが通っている施設で、賭けたりはしないのよ。純粋にゲームとして、麻雀を週二回やっているのね。今日がその日なのよ。」

「へぇー、で?」

「麻雀って、四人居なけりゃ出来ないでしょう。」

「三人麻雀って言うのも有るよ。」

「余計な事は言わないでよ。四人でやるものなの、麻雀は!」

「はい、言葉に気を付けます。」

「気を付けなさいよ! フフフ。で、いつもボランティアの人に来てもらっているんだけど、急用で来られなくなったらしいの。そこで、あたしに来てくれないかって言うのよ。」

「良いじゃないの、行ってあげれば。」

「あたしはね。琢ちゃんみたいな暇人じゃないの! おっと、言葉に気を付けます。」

「気をつけてくださいよ。で?」

「琢ちゃんに、あたしが(白羽の矢)を立てたって事よ。行ってくれるでしょう?」

「何十年も麻雀やってないからなぁ。」

「勝ち負けは如何でも良いの、遊びだから。通所者は点数を付けて、月末なのかな、一位の人には賞品が出るそうよ。もっともチョコレートとかそんなものらしいけどね。脳の活性化を兼ねた遊びだもの。やってくれるでしょう?」

「さっちゃんにそう言われちゃ、しようがないなぁ。」

「OKね、じゃぁメール入れて置くから、一時半までに行ってね。」

『麻雀のお手伝いのボランティアか。部外者の僕が、麻雀したり、カラオケ歌ったり、良いのかなぁ。』


女性介護士に連れられ、麻雀卓の有る場所に行くと、既に三人の通所者が卓に着いていた。

「今日は、いつも来てくださっている林さんに急用が出来て、代わりに鶴岡さんに来ていただきました。こちらは、西口さん、田中さん、山田さんです。」

「初めまして、鶴岡と言います。よろしく。」

紹介され、麻雀卓を囲み、初対面の挨拶をするも、二人は無言の無表情。

『こんにちは。』

と、声を出したのは、只一人。それも、口の中に籠るような小さな声での挨拶だった。

過去を思い返すと、競馬、競輪はもとより、パチンコ等、見学程度でやったことは有ったが、買わなければ当たらない。が、買っても当らない、だから買わない。そう思っていた宝くじなど、未だかって一度も手にした事は無く、(賭け事で倉が建つのは、胴元だけだ)。そんな強い信念を持っていた琢磨。麻雀も、学生時代に嫌な場面に遭遇して以来、ほとんどやったことは無かった。その数少ない麻雀経験も、友達同士で冗談を言い合い、笑いながらやっていた記憶が有る。が、先日のイベントの時には感じなかったが、今は、この施設内に流れる、何か異様な寒気を感じる空気に、圧倒されそうになっていた。

「じゃぁ、始めましょうか。」


琢磨の通った大学のみならず、過去には、何処の大学の周りにも、必ずと言って良いくらいに、喫茶店と雀荘が在った。それも二桁の数に近い軒数が・・・しかし、最近はと言うと、ほとんどと言って良い位に雀荘は無くなっている。スマホでネット麻雀が出来るし、色々なゲームも手軽にできる。暇つぶしには事欠かないスマホ。電車内はもちろん、歩いている時にもスマホは手放せないのだ。講義は友人に代返を頼み、朝から雀荘で麻雀に没頭。なんて、もう過去の絵柄だろう。


全自動卓と言うのか最近の麻雀卓は、牌を積む事、点数の計算、全て機械がやってくれると聞いているが、此処の卓は、テーブルの上にマットを置き、牌をかき混ぜ手で積み上げる、昔の家庭麻雀そのものだった。後で聞くと、

『リハビリの一環としてやっている麻雀なので、これでないと駄目なのです。』

成程ね。と、納得した琢磨だった。

名札を付けては居るので、三人の名前は分かるが、ポン、チー、ロン、そんな麻雀用語以外の会話が殆ど無い静かな麻雀になかなか溶け込めないでいると、

「鶴岡さんは、何の仕事しているの?」

初対面で挨拶の声を出した、西口という人から聞かれ、

「え! もうリタイアーですよ。」

「うそ、そんな年じゃないでしょう。」

その一言に釣られたように、他の人からも、

「介護度は?」

「介護度ですか? まだ計った事無いですけど・・・」

「体温じゃないよ。保険の何とかだよ。」

「ちょっと良く意味が分からないのですけど、健康保険や介護保険はちゃんと払ってますよ。」

「田中さん、この人はまだ六十五歳に成っていないんだよ。」

「だって、リタイアーって言ったじゃない。」

「すいません冗談言って。年齢は、何年か前に六十五歳を超えました。家でパソコンを使って、IT関係の仕事をしていますけど、その話をすると長くなるから、これでこの話はストップね。」

「何だ、まだ若いのか。今まで俺は、新人かと思っていたよ。」

「さっき、林さんの代わりに来てくれたボランティアの人って言ったじゃない。」

「そうか、おっと、それロン。」

会話が弾むにつれて、牌を動かすスピードも加速しているように思えた。

『なんだ、この人達、ごく普通の人じゃないか。初対面の誰だか分らない奴が来たんで、警戒していたのかな? 』

麻雀以外に絵を書いたり習字をしたり、カラオケで歌ったりと、それぞれが、やりたい事をやって、昼食後の二時間近くの自由時間が終り、それぞれが送迎車で、帰って行った。

「どうも有難うございます。おかげ様で助かりました。またお願いしても良いでしょうか?」

そう女性職員に言われ、良いとも駄目とも言えず、

『時間が有ったら・・・』

としか言えなかった。

「皆さん、最初は何も話さないので、どうしたら良いのか、不安でしたよ。」

「今日の人は、皆おとなしい人ばかりです。何時もあんなもんですよ。」

「 西口さんに私の仕事を聞かれ、それを切っ掛けというのかな、いろいろ楽しく会話しながら

麻雀ができましたよ。」

「そうですか。じゃぁ次回もお願いしますよ。」

「考えておきます。あのぉ、田中さんって言う人に、介護度は幾つ? って、きかれたんですけど、介護度って何処で測るんですか?」

「鶴岡さんは、介護度はゼロです。見ただけで分りますよ。何でも自分で出来る人はゼロなんです。ずっとゼロで居てくださいよ。」

笑いながら言う職員に、

「保険は払っているんでしょう? って、言われたんで、払っているって言いましたけど・・・」

「介護保険は、火災保険と同じですよ。使わないのがベストの保険です。でも何時、何が起こるか分りませんからね。その為の保険ですよ。自動車の保険も同じかな。」

「介護の事、全く知らない訳じゃないけれど、介護度の話なんて今まで誰ともしたことが無かったもんで」

「私達だって同じですよ。介護されたいなんて思っている人、誰も居ませんよ。」

「貴女みたいな人に、違う意味の介護はされたいかも・・・いや、これは冗談です。」

「ここでは冗談は禁止ですよ。冗談は、ここから一歩外に出れば、堂々とできますからね。」

笑顔で話す介護士。注意されているのか、それとも、冗談禁止の話が冗談なのか。

「ここに来る人は、さっき言われた介護度で、要介護から、介護度1,2の人だけです。介護度3以上の人は、違う施設です。麻雀が出来たり、カラオケで歌ったりができる人に、介護度幾つって言うのもちょっとねぇ。何か他の言い方無いんでしょうかねぇ。」

「そうかぁ。良い勉強させて頂きました。それと、今日、田所さん来ていませんよね。」

「今日は、リハビリだと思いますよ。リハビリは、ここじゃぁないのです。」

「そうなのかあ。田所さんも、大変だな。」

「ですから、また来てくださいよ。麻雀は週二回やっていますし、カラオケでもいいんですよ。

さっき介護士に、【若人の祭典】の日にもいらっして下さったと聞きました。(こまっちゃうな)を歌われ、拍手喝采だったって言ってたわよ。いらっしゃいよ。介護保険払っているんでしょ!」

「そう来たか。考えておきますよ。」


遅めの朝食を取り、茶を飲みながらテレビのワイドショーを見ていると、インターフォンが鳴った。

「あのぉ、私、小学校六年生の時同級だった、(かじかわ)です。お分かりでしょうか?」

『小六? 五十年以上も前の同級生? 今の声は女性? 当時女の子との接点は、ほとんど無かったからなぁ』

「かじかわ・・さん・・ですか? ちょっと年をとった為か名前も顔も浮かんで来ないのですが。」

「あら、私と同じ年なのに・・・」

「まぁどうぞ、入ってください。」

リビングに通し、茶を勧め、

「かじかわさんってどんな字でしたっけ?」

「本当に、鶴岡さんの記憶から私って飛び出ちゃっているのね。普通、(かじやまさん)とか言うと、木偏きへんにしっぽの尾の(梶)でしょう。でも、私のかじは、(きへん)に口と耳の(楫)なの。思い出してくださいよ。」

「ちょっと待って、卒業アルバムみて見るから。」

書棚を探すも見当たらない。

「無いなぁ。捨てはしてないけど、卒業以来見た事ないもんで、何処かにしまいこんじゃったんだと思います。で、今日はどんな事でいらっしゃったんですか?」

彼女が言うには、

『Aさん、Bさん・・・皆地元に帰って来ているので、一度皆さんと集まりませんか?』

との事だった。

物売り、保険や宗教の勧誘、挙句は詐欺。そんなことで、昔の名簿を元に歩き回っている輩の多いこの時勢、警戒心を持って接していたのだが、ほぼそうでないことが分り、多少気が楽になった。

とは言っても、五十年前のクラスメイトの女子。その間、一度も会った事が無い。当時の顔が、

浮かんで来ないのはともかく、名前も記憶に無い人と会話しても、話題なんて有る訳が無い。一五分も居ただろうか。

『またお邪魔しますね。』


玄関横の植木に水やりをしていると、何時もの車と違う、ボディーに【悠優園】と書かれた送迎車が止まった。杖を突き、脇を抱えられた田所源蔵と、その後ろを、大きなバッグを持った佐智子と共に、娘の弥生が出て来た。バッグを車の後部に積み、源蔵を乗せると、

「じゃぁ、行ってきます。」

「よろしくお願いします。」

そんな、いつもどおりの挨拶を交わし、車は、発車した。

「久しぶりだね、弥生さん、今日は、おじさん一人だけ?」

いつもは、この近辺の要介護者の家を回る為、源蔵が乗る前に、何人か乗車しているのだ。

「今日から(ショート・スティ)なの。いろいろ支度があるので、昨夜手伝いに来たのよ。」

「何だよ、ショート何とかって?」

「ショート。スティと言って、寝泊まりから食事、入浴。みんな向うでやってくれるの。今行っている、デイ・サービスとは違って大きな施設よ。」

弥生の説明に、

「へー、良かったじゃない。でも、大丈夫なの? 最近そういう所でトラブルって言うのかな、

事件を良く聞くけど。」

「数多くの中には、有るかもしれないけど、そんな事心配していたら、私が、おじさんより先に、別世界に行っちゃうわよ。一週間だけだけど、その間、のんびり出来るわぁ。」

両手を大きく広げ背伸びして、言いたかった安堵の気持ちを、身体全体で表現する佐智子だった。

「そうかぁ。でもたった一週間?」

「ショートだもの。二週間の所も有るらしいけど、でも良いの一週間で。父も、温泉旅行気分でルンルンでしょう。母も精神的に疲れているし・・・」

ルンルン気分は、源蔵以上に佐智子のように思えるが・・・

「ねえ、琢ちゃん! 今日何か予定有る? 無かったら温泉行かない?」

突然の佐智子の言葉に、

「予定は無いけど、今から温泉? あぁ、そう言えば、日帰りの、(温泉も出るスーパー銭湯)なんて言うの、テレビでよく見るけど、そう言う所? 」

「うん、そう言う所。でも温泉は出ないけど、すっごく安いの。隣の藤井さんもよく行っているらしいわよ。何年も前には、私も友達と良く行ったけど、おじさんがああなってから一度も無いわ。今から、弥生と骨休みに行こうって言ってたの。行こう!」

「琢磨さんが行ってくれるなら、あたし、家に帰ってちょっと用事済まして、後から行きますから母をよろしくね。」

         

専用のバスで、区内の何ヶ所かに在る乗り場を回り、到着した所は区の施設。(老人休養ホーム)と書かれている、保養施設だった。

「此処かぁ。この辺りは車でよく通るけど、此処がこういう施設だとは知らなかった。でも、老人専用でしょう? 僕、まだ七十歳に成ってないしそれに老人じゃないけどなぁ・・・」

「大丈夫よ、私の付き添いで来たって言えばいいの。」

「そうなの? でもどう見たって、さっちゃんに付き添いは要らないんじゃない?」

バスを降り入口に向かうと、入場できる年齢は六十歳以上と書かれた掲示板が掲げられていた。

「なんだ、僕も、入場資格が有るんじゃない。」

「そうよ、冗談で、言ったのよ。付添は。」

老人休養ホームと謳われてはいるが、パッと見、老人のイメージで見れる人は数少ない。高齢者、又は老けた青年。その呼称が適当だろう。

五十人は十分に座れる舞台付の大広間。その舞台では、奇術、落語、詩吟、等などと、自己の得意分野を披露できるそうだが、この日、琢磨が居た時間内では、カラオケだけで、他の演目を見る事は出来なかった。カラオケに合わせ、男女が輪になってダンスをする。ダンスと言っても、フォーク・ダンスや盆踊りのダンスでは無い。社交ダンスだ! 一曲終ると、歌い手が替わり、踊り手も相手を変える。

『皆さん、毎日の様に此処に来てダンスをしているので、顔馴染みなのか。そうでなければ、見知らぬ人と社交ダンスは出来ないなぁ。尤も自分なんか、社交ダンスそのものが出来やしない。皆さんお若い!』

座布団をひき、席に着くなり、

「ちょっとトイレに行ってくるから、これ見ていてね。」

そう言って席を外し、なかなか戻らない佐智子。佐智子が不在な為話す相手は居らず、やることも無くただ座椅子にもたれかかり、ボォーっと舞台上を見ていた琢磨に後ろから、

「たまに踊ると疲れるわ。」

「ええ! 踊っていたの? どこで?」

「どこでって、舞台よ。」

「うっそー、さっちゃん、踊れるんだ? 気が付かなかった。」

「ほんとぉ、私って影が薄いのね。若い頃は良くダンスしたのよ。」

「でも、知らない人でしょう? 一緒した人。」

「前に、三回くらい踊ったかな? トイレを出たらばったり会って、

『久しぶりですね。ダンス良いですか?』

って、言われちゃって、OKしちゃった。」

「若いんだなぁ。僕には無理だ。第一、踊れないし・・・」

「ねぇ、お腹空かない? 食堂行こうよ。」

入口には、食品ケースが置かれ、本物と見間違えそうな、サンプルが置かれている。

中には、粗末では無いが、質素な椅子とテーブル。そこの一卓に座り、

「ビール飲もうか? ここのビールは、ほぼ原価よ。区の施設だもの、儲け無しは当然よね。」

「いいねぇ。酔わない程度にやりましょう。そして、ここの支払いは僕にさせてね。」

ビールと二・三品のツマミを取り、何の祝いか分からない乾杯をしていると、

「あら! 田所さんじゃない。久しぶり。誰? この人、もしかしてご主人お亡くなり?

て事は・・・無いわよね。」

「もう、止めてよ。近所の人よ。まだこの人若いでしょう。だから私の付き添いで良いからって言うので、連れて来たのよ。」

『えええ!? そうだったかなぁ? それに若い人って紹介かよ。ここの入場年齢制限には、十分過ぎる年齢に達しているんだけど・・・』

「そうなのか、まあいいわ。ビールご馳走してよ。久しぶりに会ったんだもの、良いでしょう。」

グラス置き場から、グラスを持って来て、佐智子の横に座りビールを催促する佐智子と同年配の女性、

「誰なのよぉ、近所の人って。紹介してよ。」

「鶴岡って言います。」

「うっそー、」

「嘘じゃないですよ。鶴岡琢磨って言います。」

「鶴岡さんかぁ。良いお名前ね。あたしの名前聞きたい?」

「聞きたいような、聞きたくないような・・・」

「あらぁ。じゃ言おう。亀山です。鶴岡さんと亀山。何か有りそうね。ふふふ。」

含み笑いの亀山を見て、佐智子が

「本当なのよ、亀山たみこさんって言うの。」

「たみこは、美しさが沢山有りますように。って、多い美の子、(多美子)って、父が付けてくれたって、死んだ母に聞いたけど、あたしの何処に、美なんて有るのかしらね。」

「いっぱい有りますよ。美に溢れていますよ。」

「今までにそう言ってくれたの、鶴岡さんだけよ。ビールお代わりして良いかしら?」

『何なんだよ。この女! お世辞と分かっていても、良く言われたら、普通は自分がご馳走しますだろ!』

そうこうしているうちに、

『あら、田所さん、久しぶり。』

『お元気?』

と、何処からともなく、田所の知人らしき高齢女性が何人か集まり、

『あれ食べたいな。ご馳走してよ。』

やっとのことで、解散し、

「ごめんね、琢ちゃん。此処はああいう人多いのよ。皆、暇は有るけど、お金無いでしょう、毎日のように来て、お金有りそうな人に、ああやってたかるんだって。私、あの人達とそんなに親しくは無いのよ。ここでちょっと知り合っただけなのに・・・」

「でも、元気なだけ良いよ。お金は有っても、外に出られない人、多いんだから。」

「そうね。うちのおじさんみたいにね。」

「そういう意味で言ったんじゃないけれど・・・」

「どう? お風呂入る? 一緒には入れないけどね。」

「そこまでは、求めません。ただ、タオルが。」

「持って来ました。二人分。」

          

舞台付の大広間だけではない。囲碁、将棋の部屋、新聞、読書等をしながらくつろげる談話室、ガラスで仕切られている約六畳ほどの広さの浴槽が二槽。ジエット水流と言えば良いのか、腰の辺りを水圧でマッサージする機能付きの浴槽と、もう一方は、外気を取り入れた、露天風呂形式になっている大浴場。風呂上りには、仮眠も出来る静養室。肩こり腰の痛みには、安価でやってもらえるマッサージ。安くて美味しいと評判の食堂。売店も有り、予約すれば宿泊も出来ると言う。千円も持って来れば、一日が十分に楽しめる公営の施設が、こんな身近に有るとは、今迄全く知らなかった。


浴室には、十数人が入浴していた。

(ひとの振り見て我が振り直せ)。言う意味は、(他人のことは、隅々まで分かっても、己のことは殆ど分らない)。このことわざが、当てはまるのかは定かではないが、ここでは、どうしても他の入浴者の身体を見てしまう。一見して後期高齢者と思える人達の身体には、張りが無い。歌ったり、踊ったりの動きは、自分と大差無いのだが、

『身体の色、艶、張りとたるみ。やっぱり高齢者なんだなぁ。歳には勝てないかぁ。』

そう思わずにはいられなかった。

でも、でも、自分の身体を、俯瞰的に見た事って有ったっけ? 自分の背後など、まず見たことが無い。何時までも、張りの有る身体を・・・そんな事を湯船に浸かって目を閉じ、思案していると、

「おいおい! 何しているんだよ!」

隣の湯船から、大きな怒鳴り声がした。

何事かと視線をそちらに向けると、浴槽の縁に両手を掛け、湯船に【大便】をしている高齢者がいた。仕切られていると言っても、隣の浴槽での出来事を見て、気持ちの良い訳はない。湯に浸かっていた何人かと共に、飛び出てしまった。

(浴場内で、何か事が起きた時の為に)と、設置してあるインターフォンで、誰かが通報したのだろう。早速何人かの職員が飛んで来て、その高齢者を連れ去り、この後をどうしようかと、相談していた。

ぷかぷか浮いている汚物を掬い取れば良い。と言う問題ではない。だからと言って、湯を抜き取り、入れ替えていたのでは、送迎のバスの出発時間に、間に合わない。

職員のやることを見ている訳にもいかず、上がり湯のシャワーを使い、衣服を身に付けて、待ち合わせの場所にした談話室で佐智子を待った。

『浴槽外なら、まだ許せるとしても・・・いや、冗談じゃない。浴槽外だって、ダメだ。

あの人、誰と来たんだろう? あの動きから推測すると、一人で来れる体調じゃない。浴槽内に、連れの人が居なかったことは確か。って、ことは、連れは女の人。奥さんか? 娘さんか? ヘルパーさんか? ヘルパーさんのやる仕事って分らないけど、ヘルパーさんが男だったとしても、ここには連れて来ないよなぁ。入浴の世話をするなら、自宅の風呂だろう。でも、あの人可哀そう。今後は、当然入館禁止だろうし・・・。』

新聞に目を通していても、今浴場で起こった事が脳裏から離れず、新聞に書かれた記事等、全く頭に入らなかった。

「あ~良いお湯だった。」

そう言って、佐智子が帰って来た。

「如何だった? 良いお風呂だったでしょう。」

「あまりにも良い風呂だったので、身体も洗わないで出て来ちゃったよ。」

「ええ?! どういうこと?」

「湯船に浸かり、カラオケでも一曲やろうと、声の調子を整えていたら・・・」

風呂での出来事を、佐智子に話して聞かせると、

「そうだったの。そんなこと滅多に無い事なのに、初めて来た日に、体験できるなんて、ラッキーじゃない。」

「ラッキーなのかよぉ。答えが出て来ないよ。」

「色々有るわよ。そんなこと忘れて、カラオケ歌ってよ。デュエットしようかぁ。」

「さっちゃんとデュエット? 気が乗らないなぁ。そう言えば弥生さん、来ないじゃない。」

「二人だけにしてあげようと、気をきかせてくれているんでしょう。」

「意味わかんね~。」

『今日は、良い社会勉強させて頂きました。年取るとあんな風に成っちゃうのか。正常な思考力が有れば、浴槽の中でやれるかよ。あれじゃ、絶対に小便はやっているよ。湯に浸かって、好い気もちで顔を洗っている人を見かけるけど、あれも考えたら、・・・ああ嫌だ。これからは、(福は~内)じゃなくて、(風呂は~家)か。 温泉だって基本は同じ。考え様には、温泉の方がヤバイかも・・・風呂付の部屋に泊まるしかないかぁ。』


振り返って自分を見直すと、子供の頃、というか、高校生の頃には、早く大人に成りたいと、いつも思っていた。煙草が吸える、酒が飲める、親元を離れて自活し、思う存分好き勝手に生きて行ける。今思えば、大人に成りたい目的は、そんなろくでもない事ばかりだったが、月日の経つのがとても長く感じたものだ。

それが今は如何だ。酒を酌み交わし、新年会を兼ねた正月、満開の桜の下での宴会、旅行先で見た新緑そして旅館での酒盛り、Tシャツ、短パン姿で、ジョッキ片手に花火鑑賞、秋は紅葉狩り、稲刈りの季節が過ぎ、雪がちらほら舞い落ちる頃になると、クリスマス、忘年会。

友人と共にした数多くの飲み会。はっきりと覚えてはいないが、全て最近の出来事に思えてならない。

何でこんなに一年間って早いのか? 温暖化の影響で、地球上の至る所で異常現象が起きている現在、もしかすると、子供の頃の一分が、今は五〇秒くらいに短縮されているんじゃないか、と思えるほどだ。

孫に

『お爺ちゃん。』

と呼ばれると嬉しくなり、甘いお菓子が欲しいと言われれば買って与え、息子やその嫁に嫌味を言われても、孫の笑顔を見るとまた買い与える。そんなお爺ちゃんでも、

他人、それも成人に

『お爺さん。』

そう呼ばれたら、

『あんたの爺いじゃねえよ!』

そう言いたくなるくらい、

『まだまだ若い者に負けない。年寄りと呼ばれたくない。』

と気持ちだけでは思っているのが、琢磨を初めとした今の高齢者だ。

公的機関も、元気な高齢者の為の施設を各地に作り、(健康で長生き)を後押ししてくれている。振り返って自分自身を見ると、自分の寿命は、まだ平均寿命に達するには、八分の一程は残っているが、気力、体力、行動力、全てが下降線を辿っている。若さなどは、微塵のかけらも無い。老後の為にと、多少の貯えは有るが、浪費は出来ないこれからの短い人生。他人に迷惑を掛けないように。と、常日頃思ってはいるが、残された人生を考えると、陰鬱な気持ちになるばかりであった


愛犬、チワワの(ドリアン)を連れて、自宅近辺を散歩していると、反対方面から、犬のリードが括り付けられた車椅子を押す、中年の女性が来た。なんとなく源蔵の姿がオーバーラップしたので、すれ違う直前に、車椅子に座る老齢の男性を見ると、どこか見覚えの有る人に思え、

「あのぉ、 松田さんじゃないですか?」

と、声かけをしてみると、

「はい、そうですが・・・」

そう答えた女性に、

「松田さん! 何処か具合が悪いのですか?」

この状況を見れば明らかに、場違いの質問である事は分かるが、聞く言葉は、これしか浮かんで来なかった。

「私は、ヘルパーですので、医者的には分りませんが、足腰の衰えと、初期の認知症が出ているとの事ですが、お宅様は?」

具合の良し悪しを松田本人に聞いたのだが、答えるのは車椅子を押す女性だけで、其処に座る当人は、うつろな眼差しの無表情でただ前方を見ているだけだった。

「急に話しかけて、失礼しました。もう三十年位前に成りますか、松田さんの隣に住んでいた鶴岡と言います。」

「あら、そうなんですか。」

「はい、今は散歩ですか? でしたら立ち話もなんですから、歩きながら・・・」

「散歩と言うか、スーパーで買い物をしに行くだけです。お医者さんが来るので直ぐ帰ります。」

「え! 医者?」

「先日転んで、骨折して・・・」

「あらら、年取ると、ちょっとの事で骨折に成るそうですからね。私が隣に居た頃は、よく家の前で、ゴルフクラブを持って、素振りをしていました。三回位、一緒にコースに出た事も有るんですよ。あの頃は、すごく元気でしたけどねぇ。」

「そうなんですか。ゴルフは好きみたいですね。私は、ゴルフの事は分らないのですが、今でも部屋の中の絨毯の上に、私がボールを置いてあげると、パターって言うんですか、あれで叩いて、ボールを転がしていますよ。椅子に座ってできますから、楽しいのでしょうね。」

「僕が居た頃ですが、早く奥さんを亡くされてね。ずっとその間一人でいたのかぁ。そう言えば、息子さんが、一人居たはずだけど。」

「今でも居ますよ。」

「結婚は?」

「どうなんでしょう。でも今は、松田さんと二人住まいみたいですね。」

「隣に居ても、僕と息子さん、顔を会わした事が無かったので、全く知らない人なんですが、時々、大きな声が聞こえてね。松田さんと、よくトラブっていたみたいだったなぁ。」

「松田さんがこういう状態でしょう。仏壇を見ると、奥さんの位牌が有るんです。でも、埃まみれ。花も無く、線香に火が付いた形跡も無いの。何か淋しいですよねえ。私達は仕事で派遣されて来ているので、決められた事以外には、やってはいけないのですが、自分が奥さんの立場だと思うと何かねぇ、時々ですけど、位牌を拭いたりしてあげてはいるんですよ。」

「息子さんは何もやらないの?」

「どうなんでしょう。私もほとんど顔を会わした事無いんです。部屋から出て来ないのよ。」

「何時も家に居るんですか?」

「週に二回だけのお手伝いなので、良く分りませんが、仕事は何をしているのやら・・・」

「僕と同じかぁ。ははは。」

「あら、ごめんなさい。」

「良いんですよ。僕は僕なりの仕事をしていますから。」

「本当の事言うと、松田さんの家に行くの、怖いのです。分かるでしょう?」

「分かるような分らないような・・・いや、分りますよ。色々事件がありますからねえ。」

「そうなのよ。皆さん、どう見ているか分りませんけど、私は一応女ですからね。」

「そんな自分を卑下しちゃぁ駄目ですよ。まだまだ美しい女性です。」

「あら、そんな言い方されると、どうしたらいいのかしら。何もあげる物無いわよ。」

「僕も、この年になると、欲しいものなんて有りませんよ。」

笑顔のヘルパーに、笑顔で応える、琢磨だった。

時々松田の肩を叩き、ヘルパーが、

『お水飲みますか? トイレは大丈夫? 疲れませんか?』

等と、声を掛ける事に対しては、短い単語の返答はするのだが、今迄自分の家庭、家族を話題にした二人の会話を、ずっと聞いていても、それに対しての反応など全く無い。


考えてみればこの松田、源蔵とほぼ同年齢の筈だ。杖が必要だが、自力で歩き、滑舌では無いが、それなりの会話の受け答えをする源蔵と見比べると、ずっと源蔵の方が良いように感じた。

松田の隣家から離れて約三十年、あの頃の元気だった松田は何処へ行ったのか。

何処でどう、人生の進む路が違ったのだろう。

「何を買いにスーパーへ?」

「分りません。行って見て決めるのです。買い物って言っても、松田さんが買い物をするんで、私はただ椅子を押すだけ。歩行の補助っていうことになっているんですよ。だからと言って、この状態での買い物なんて、一人じゃ無理ですよねぇ。」

「無理って言うと?」

「言って良いのかしら・・・見てお分かりかと思いますが、アルツハイマーが出ているでしょう。お金の支払いだとかね。ハッキリ言ってもう幼児と一緒、欲しいものを、ただ駕籠に入れるだけで、値段は無視。一人では食べきれない量を買ったりしたら、私が疑われちゃうじゃない。買い物に付き合うのは本当、精神的に重労働なのよ。仏壇に供える花なんて、まず買わないし、買いなさいとも言えないし。だからと言って、自分で花を買って、献花するのはねえ。」

「そうかぁ、いろいろ部外者には分からない、難しい問題があるんですね。それはそうと、この(ワンちゃん)どうするの?」

「スーパーの前の木に繋いでおくと、大人しく待っていますよ。とても良い子なの。松田さんに可愛がられていたと、近所の人に聞きましたけど、今の松田さんの事、何処まで分かっているんですかねえ。」

「餌は?」

「息子さんがドッグフードをあげているみたいだけど。」

「そうなんだ。犬だって、家族の一員だからね。その事がちょっと気になっていたんだけど、それを聞いて少し安心しました。じゃぁ、僕はここで、失礼します。さようなら、松田さん。」

その呼びかけに手を振った松田、

『ちゃんと聞いていたのかよ。分かっていたのかぁ?』

「それじゃぁ。」

そう言って、ヘルパーの女性は、買い物に向かった。


隣同士で居た頃は、自分は子育ての真っ最中。自転車がパンクすると、

『松田さんのおじさんに直してもらったよ。』

少年野球チームに入っていた息子が、外で素振りをしていると、同じ様に、ゴルフクラブを振っていた手を止めて、バットの振り方、構え方等を指導してくれていた松田。

都合で其処を離れ、現在の場所に住まいを移して約三十年、子供達も皆成人し、他の地に移っての生活をしている。

当たり前の人生、これからも、この延長線に乗って生きていくのが当然と思っていた今までは、

恵まれた人生だったのか。自分の為にも、もっと現実を見なければ・・・そう思わなければいけないのかもしれない。

先日行った、(老人休養ホーム)。松田さんと同年代の高齢者が、カラオケで歌い、ビールを飲み、社交ダンスをする。その人達のレールから外れたと思える人も、中には居たが、あれが、真の老後の生き方で、(自分もあのように生きなければ)、との思いと、現実が何処まで一致するのか。全くの見ず知らずの人ならば、黙って見過ごしてしまうのだろうが、多少なりとも、過去に接点の有った人の現状を見ると、暗い気持ちになるのは否めない。

          

机に向かい、キーボードを叩いている琢磨。一息つき、茶を淹れにテーブルに着くと、源蔵の顔が浮かんできた。

ショート・ステイに行って、今日で四日目。自分とは、必要最小限の会話だけだった源蔵、悠優園で、今迄は見ず知らずの人たちとの合宿生活。

『楽しく過ごしているんだろうか?』

『見知らぬ世界にポンと入れられて、戸惑いの日を送っていたのでは可哀そうだなあ。』

そう思うと、無性に今の源蔵の様子を知りたくなってきた。

佐智子に携帯を入れると、

「おじさん、元気にやっているわよ。今から洗濯物の交換や着替えを持って、弥生と行くので、一緒に行く? 」

佐智子の快活な声が返って来ると、今迄持っていた、

『源蔵が侘しい生活をしているかも・・・』

そんな不安感も一瞬で、吹っ飛んでしまった。

悠優園にも、クリーニングは有るそうだが、要介護者となって初めての自宅以外での飲食を兼ねた外泊。佐智子も、のんびりと開放感に浸っているとは言ってもやはり心配で、一週間の短期介護ではあるが、一日おきに見舞いがてら、日常の必需品を持って行っているとの事。今日で三回目の悠優園訪問だそうだ。

「先週の木曜日に行ったんだから、もう、明日退院か! あっという間だね、一週間なんて、」

「そうなの、だからその為に今日はいつもより持っていく物が多いの。助かるわぁ。一緒に行ってくれて・・・たださ、病院じゃないんだから、退院はね。」

「そうか、じゃ、何て言えばいいんだろう? 出所じゃもっと悪いし・・・言葉って難しいよね。」

「そうね。ふふふ。」

          

都心から山梨を経て、長野県の諏訪辺りまで行く道を甲州街道、別名国道二十号線と呼ぶそうだ。現在は、その甲州街道にほぼ沿って、高速道路(中央自動車道)が通っている。八王子を過ぎ、暫く行って、相模湖辺りで圏央道に入り、青梅料金所を出ると、同じ東京都であっても、都会の雰囲気は無くなり、大きな田舎町を感じるようになる。

「青梅に来たの、生まれて初めてだよ。長野や山梨には、中央道を通って何度も行ったけど。」

「私は、今回の父の事を除けば、梅まつりを観に一回だけ来たかな。」

「そう言えば、青梅の梅、全滅って聞いたけど、本当なの?」

「名前は忘れたけど、ウイルスにやられたらしいわね。」

「止そう。今日はそう言う話、明るい楽しい話だけにしましょうね。」

「は~~い。」

純真無垢な子供と同様の返事をされただけでも心が洗われ、心身共に一回りも二回りも若返った気になったのか、三人共に頬が緩んだ。

「今日は、琢ちゃんが車を出してくれたので、助かったわ。」

「前は、どうやって来たの?」

「二回目は弥生が一緒に行ってくれたので、何とかなったんだけど、最初は一人で行ったので、電車の乗換が良く分からないし、青梅の駅からバスは出ているんだけど、悠優園行き、なんて無いでしょう。電車賃とタクシー代で往復五千円よ。家を出て着くまで三時間、道が分らなかったこともあるけれど、もう直ぐ私、喜寿よ。はっきり言って、ショート・ステイなんてもう行かせない。疲れるもの。毎回琢ちゃんが来てくれるのなら、良いんだけどねぇ」

「ルンルン気分じゃないんだぁ。」

「面会は行かなくても良いのよ。でもねぇ。そういう訳にもいかないでしょう。家から近い所じゃないと無理だわ。」

続きの言葉が出ず、陰鬱な空気になった。

ナビゲーターの指示どおりに進み、広い路から小道に入り、助手席に座る佐智子が指す先に、周り一面が畑地の中に、小高い山を背にした三階建ての、白い建物が正面に見えてきた。

「あの建物がそうなの。ね、この場所じゃ、バス来ないの分かるでしょう。」

「そうね、送迎車でやっとかな。」

玄関前で、佐智子を降ろして駐車場に車を置き、弥生と共に、佐智子が待つロビーに行った。

「随分立派な施設だね。」

「うん、でも、此処は長期介護者用の施設なので、ショート・ステイはメインじゃないの。」

「だろうね。短期間受け入れて、夜間うろついたり、暴力をふるったり、器物を壊したり、そんな手の掛かる人は、【ご遠慮願います。】なのかな。」

「そりゃあ、介護しやすい人のほうが、介護士は楽で良いだろうけど、そんな選別はしないでしょう。あ! 母があそこに居る。」

佐智子の元に着くとほぼ同時に、介護士の押す車椅子に乗った源蔵が来た。

「お待たせ致しました。丁度今、入浴が終った所なんです。もう明日帰られちゃうのね。やっと、慣れたところなのに。ねぇ、源蔵さん!」

微かに、頷いたように見えたが、無表情の源蔵、

「どうなんでしょう。父は、手が掛るほうでしたか?」

弥生の問いかけに、

「いいえ、全く手が掛るなんてこと有りませんよ。ぜひ、又うちでお世話させてください。」

「良かったぁ、介護士さんから、そう言う言葉を聞けて。」

「じゃぁ、私は仕事に戻りますので、何か御用が有りましたら、このブザーを押してください。直ぐに参りますから。源蔵さん、奥様達と、ゆっくりしてくださいね。」

そう言って、この場を去って行った。

『食事はどう? 美味しい?』

『同室の人と仲良くできていた?』

『此処と家とどっちが良い?』

そんな問いかけをしても、これと言った反応の無い源蔵、

会話の主と成るべき源蔵からの会話が無く、動作、表情での相槌も無いとなると、これ以上

ここに居ても空しさだけになり、介護士を呼んで、帰る事にした。

「お父さん、風呂上りで、ゆっくり横になりたいでしょう? もうこれで帰りますね。明日は、十時だったわよね。迎えに来るからね。」

源蔵と面会していたその間の時間は、十五分程だったが、その何倍もの時間を費やした感じだった。好きな事、楽しい事をしている時の時間の経つのが早い事に比べ、それと裏腹という事なのだろう。

「ねえ、お母さん、お父さん家に居た時と、ちょっと違うように思えるんだけど・・・」

「そうかしら、」

「琢磨さんは、如何思う?」

「まあね。言われてみれば、言葉の数が前より少なくなっているよね。表情も変化無いし、

急に環境が変わったんで、此処の生活に戸惑っているのかも。」

「学生時代に、友人の実家に行ったのね。其処は農家なの。食事はともかく、洗面とか、風呂やトイレ、とてもじゃないけど私には、一週間なんて無理だったわ。その時は、一泊だけだから、それほど苦にはならなかったけど、生活環境、人間関係、急に変わると、如何して良いのか分らなくて、健常者でも、精神的におかしく成っちゃうんじゃないかしら?」

「それは言えるかも。刑務所なんかは、その典型的な例かもね。」

「あら、入った事有るの? 刑務所。」

「あ・り・ま・せ・ん! まぁ、おじさんも、此処に来たくて来た訳じゃないし、明日は、帰れるんだから、それで(良し)と、しましょう。」

複雑な気持ちで帰途に着いた。

          

居間に置いてある琢磨の携帯が鳴った、その音で目を覚まし、枕元の置時計を見ると、まだ薄暗い早朝五時。一向に鳴り止まない携帯を取りに、慌ててベッドから出ると、床に敷かれたマットに足が引っ掛かり、前のめりに転んでしまった。

「イテェ。ったくもう。こんなに朝早く、誰だよ。」

携帯を開くと、佐智子の名が出ている。

「もしもし、琢ちゃん、こんなに朝早くごめんね。おじさん、骨折して、救急車で入院したから、今日は帰れないって、今悠優園から連絡が来たの。」

「骨折? だって今の時間、寝ていたんじゃないの?」

「トイレに行きたくて、車椅子に乗る時、ベットから落ちたらしいの。」

「ええ! ぼくと同じかよ。骨折はしないけど、今起きがけに転んじゃって・・・」

「あら、ごめんね。そんな事で、今から一緒に行って貰えないかしら・・・」

「だって、骨折でしょう? 骨折で死ぬ事は無いから、心配だろうけど今日のところは悠優園の人に任せて、一段落してから行ったほうが良いよ。今行ったって何もできないじゃない。」

「弥生さんには、連絡したの?」

「まだしてない。」

「その方が先だよ。僕も出来るだけは手伝うけど、差し当ってする事と言えば、病院を聞いて、見舞いに行くことくらいだし・・・それも様子が分からないとね。」

「そうね。死んだ訳じゃないものね。じゃぁ直ぐ弥生に電話するわ。」

「うん、それと、死んだは禁句ですよ。」

『帰る日の朝に、ベッドから降り際の骨折だって? そんなこと有るのかよ。今日が最後の介護ってことで、介護の人に気の緩みが有ったのだろうか? 同じ日に俺も・・・あんな薄いマットに引っ掛かるなんて考えたこと無かったし、いつもなら有り得ない。慣れと不注意は事故の元・・・か。』

何も分からない愛犬・ドリアンが、ソファーの上で大股広げて仰向けになり、気持ち良さそうに、いびきをかいていた。

          

源蔵が入院して、はや一週間。骨折と言っても、ヒビ程度の軽いものだったので、骨折に関しては、それ程心配は無かった。問題は気力、体力だ。弥生が見舞いに行くと聞いたので、同行した。悠優園から十分も車で走ると、源蔵が入院している友愛病院に着いた。

悠優園とは提携関係の病院だということで、源蔵の骨折も園の車で運び、素早い処置がなされたと、受付で聞かされた。

係りの案内で、源蔵の居る六人部屋の病室に着いた。

入り口には、患者の名前が書かれた六枚の札が掛っている。当然この部屋には空きベッドは無い。と言うことになるが、中に入ると、源蔵の他には見舞客と談笑する患者と、ベッドを囲むカーテンを半分程閉めて本を読む患者、残りの三人は、部屋を出ているとの事。

「こんにちは。お父さん、どうですか?」

弥生の問いかけに、相変わらず無表情の源蔵。

「今日は何食べたの? もう直ぐ歩けるわよね。そしたら家に帰れるわよ。」

なんとか、会話を引き出そうとするのだが、全く無反応の源蔵。

部屋のドアが開き、源蔵の元に看護師が来て、

「田所さん、お食事を持って来ましたよ。」

「どうもお手数掛けます。田所の家族です。」

食事の乗ったトレイをベッド横の小さなテーブルに置き、

「この部屋の人は、皆骨折で入院しているのですが、少し良くなると、松葉杖を突いて部屋の外で、見舞客と談笑したり、患者用の食事は美味しくないと、食堂に行って食べたり、していますので、ベッドが空いているんですよ。部屋に居ても若い人ばかりなので、田所さんと話したりして、相手をしてくれる人が居りません。田所さんを見ていると、とても孤独で可哀そうなのですが、私達は看護師ですので、長い時間、一人の患者さんだけに食事などの世話ができないのです。でも、もう直ぐですよ。退院は。」

「有難うございます。後は私がやりますので・・・」

「そうですか? じゃぁお願いします。」

そう言って、出て行った。


自宅で佐智子と二人で居た時は、必要以上の会話は無かったが、話しかければ応答し、表情にも喜怒哀楽が有り、身体の不自由さ以外には何も問題は無かった。介添えが無ければ、外出は出来なかったが、大好きなプロ野球観戦は、毎夜テレビで欠かさず見ていたし、サスペンス・ドラマを見て、犯人は・・・等と、自分なりの推理をしたりして、思考力も有った。

テレビ等が紹介する(カリスマ美容師)に、男性美容師の方が数多いのは気のせいだろうが、最近の美容院は、男の美容師も数多く、佐智子の美容院もその例に漏れない。

佐智子も、美容師達を自宅に集め、食事会などをしたり、アパートの住人が、旅行や、帰省した帰りに土産物を持って来たりするので、今迄は、若い人との接触は有り、いくら初対面の若い人であっても、会話が出来ない訳がない。

それがどうだろう。たった一週間のデイ・サービスで、明らかに、源蔵の様子が変わっている。その退園当日の骨折事故で入院、もう落ち着いただろうと、一週間経って見舞いに行けば、全くの無表情、無反応。

『たった二週間前と後で、こんなにも変わるものなのかよ!』

思わず心の内で、大声で叫んでしまった。

部屋の外で何をしていたのか分らないが、同室の患者が帰って来た。

三角巾で、腕を吊っている人、松葉杖を使って歩く人、彼らの顔に、悲壮感など微塵も感じられない。その一人に

「どう? 彼女。」

そう話しかけたのは、本を読んでいた患者。

「いいねぇ。タイプだよ。」

笑いながら話している二人の話題は、ここの看護師のことのようだった。

この部屋の入院患者の病名は、皆骨折。医学的な難しい事は分からないが、骨折は病気とは言えない。単なる怪我だ。それ故に誰も落ち込んでなどなく、話題も女性や趣味のことなど多種多様で、内容も明るい話ばかりだ。源蔵が入り込む余地など全く無く、誰も相手にしてくれないのは、致し方ないのかも知れない。患者同士が笑顔で話し合える環境を、皆で作ることが早期退院の必須条件とも思えるが、今の源蔵にそれを要求しても、無理なことだった。

元々、歩行が不自由だったのに、その足の骨折。骨粗しょう症かどうか分らないが、八十歳に手が届く年齢。家族は、車椅子での生活に対する介護を、覚悟しなければならないだろう。

いや、下半身の自由が無く、車椅子を使って生活をしている人など、数多くいる。

パラリンピックの選手の活躍には、健常者が感動し、彼らから、勇気ややる気を得ている。

車椅子生活など何の問題も無い。有るのは、介護される本人の気持ちだ。

「どうする、琢磨さん、帰りましょう。顔が見れただけでも良かったわ。」

「そうね。」

後の言葉が続かなく、同室の人に、会釈程度の挨拶をして、部屋を出た。

受付に寄り、源蔵の今の状態、退院までのスケジュールなどの説明を聞き、帰途に着いた。

          

今では、温室やビニールハウス、品種改良、海外からの輸入などで、きゅうりを初め、白菜、きゃべつ、トマト、その他が一年中スーパーの店頭に並べられ、季節感が分からなくなっている青果だが、やはり安くて美味しいのは、露地栽培物だ。

琢磨が屋上のプランターで栽培しているレタスも、そろそろ食べごろになってきた。が、適当な間隔で、成長してくれれば申し分がないのだが、一斉に成長するために、とても一人じゃ食べきれない。直ぐに塔が立ち、花が咲き枯れてしまう。それじゃもったいないので、隣人、知人に

「僕が作ったレタスです。よろしかったら食べてください。」

あげるのではなく、お願いして、貰っていただくと言ったほうが正しいのかもしれない。

この時期は、農家で作られた露地野菜が大量に出荷され、スーパーの売値も安くなっている。それに比べて、プランターに植えられた自家栽培のレタスは、味は変わらない? が、見かけが良くない。でも、

「柔らかくて、美味しかったわ。」

そう言われると、今度は茄子に、きゅうり、しし唐、人参、大根、何を作ろうかと、励みにもなってくる。


この日もプランターの土に肥料を混ぜ、苗床作りをしていると、夕刻六時頃、佐智子からの携帯が入った。

「ご飯まだでしょう? だったら、美味しいものあげるから七時においでよ。」

何かが有るのなら、今くれれば良いことで、意味の分からない内容だったが、言われた通り、七時に行くと、佐智子と同年代と思える男女の客数人が、テーブルを囲んでいた。

「あれ! 今日は何ですか?」

「何でも良いから、此処に座りなさいよ。」

後で知ったことだが、美容関係の昔からの知人たちが、佐智子と共に源蔵の見舞いに行き、帰りに立ち寄り、酒席を持ったという事だった。その席に、部外者の琢磨が呼ばれたのは、先日、源蔵の見舞いに行ったので、その礼を兼ねてのお呼びが掛ったのだな。と、勝手に解釈した。

『美容界も、自分達の若かりし頃と現在とでは、ヘアー・スタイルは勿論、何から何まで変わっちゃって、ついて行けないわ。』

『白髪を黒く染めるくらいは、どこでもやっていたけど、今じゃ、金髪、ピンク、イエロー、オレンジ、・・・お前ら日本人だろ! って、言いたいよ。』

『染めるって今は言わないのよ。トリートメント。髪の手入れ全てを言います。』

『そんな、小難しいことは、どうでもいいよ。仕事は若いもんに任せて、これからは、自分のトリートメントだな。』

『うまいこと言うわね。』

高齢者が集まると、日常的な仕事のことから、誰と誰が如何した如何なった。そういった共通の過去の話で盛り上がり、最終的には、老後の事が話題になるのが落ちで、酒が進むにつれて多分に漏れず、この時も老後に向かって話が進んで行った。

名前を聞いても直ぐ忘れる。朝何を食べたか分からない、そんな、必ず出る話題から始まり、

『料理中、冷蔵庫を開けたは良いが、何を出そうとしたのか思い出せないの。』

『あら、あたしなんか、何しに二階に上がったのか分かんないの。未だによ。』

『手紙書いても、漢字が出て来ないのよ。ひらがなばかりで小学生と一緒よ。』

『俺なんか、トイレでケツ拭くの忘れちゃって・・・』

『やだぁ、きったない。』

『冗談だよ。そこまでは、まだ進行していないよ。』

真実と冗談の境目は何処なのか、分らないまま適当に聞き役に徹して、帰って来た。

茶を淹れ、何を見るともなくテレビのスイッチを押すと、寄席からの生中継とかで、漫才が会場を笑わせていた。

六十歳代と思われる。二人の漫才師、

「最近、名前が思い出せなくて、嫌になっちゃうよ。えーと、君の名前は何だっけ?」

「おいおい、相棒の名前、忘れないでくれよ。林君。」

「よせよ、おれの名前は森だよ。」

「そうだった森君だったな。こないだ二階に上がったんだけど、何しに来たのか分からなくて。」

「それは、俺には無いな。なぜかって? 家には二階が無いの。」

そんな話を最後まで続け、聴衆を、おおいに笑わせていたが、

『なんだよ。今までさっちゃんの所で話していたことを、漫才でやっているのかよ。これは、お笑いのレベルじゃないんだけど・・・』

漫才を聞いても笑うどころか涙が浮かび、テレビの画面が霞んで見えた。


年齢を積み重ねると、誰でも身体のどこかに不具合が出て来るもので、その最たるものは、体力の衰えだ。

運動機能の衰えは、散歩、ランニングなどの初歩的なことから、水泳、筋トレ、そして、趣味を兼ねてのゴルフなどで、現状維持を保つことは出来るかも知れない。また、脳に関しても、毎日の食事の献立を自分で作るとか、サークル活動に仲間入りして、変化の有る日々を過ごすなどで、衰えを無くす、若しくは遅らせる。要するに、(頭を使う)。この一言なのだが、視力となると、こればかりは鍛えようが無い。老眼程度なら、メガネで矯正すれば良いのだろうが、白内障、緑内障、網膜剥離などとなると、失明に至ることも有る。早期発見、早期治療が、必要かつ必須条件なのだが、これと言った兆候が見られないと、なかなか検査に赴かない。

『気づいたら、手遅れだった。』

そんな話を、よく耳にする。

特に、何処が悪いという自覚症状は無いのだが、

『自分より年の若い芸能人のAさんが、癌を宣告され、番組を降板した。』

そんなニュースを良く見聞きするため、もしかしたら自分も。と、そんな恐怖心も有ったので、知人の紹介で、生まれて初めての(人間ドック)に行った。

受付で、簡単な手続きをして料金を払い、診察着とでもいうのか、簡単に着脱できるガウンを着て、頭部から内臓を含めた下腹部まで、隈なく時間を掛けて検査を受け、結果は後日郵送で知らせると言われ帰って来た。

定期的に行われる、区などが行う公的の健康診断は必ず受けており、今迄、どこが悪いと特段指摘されたことは無かった。人間ドックの健診料は、イコール安心料。そんな気持ちでいたので、ある意味、健診結果が郵送されて来ることを忘れていた。

送られて来た封筒を開け、結果を見ると、

『大腸にポリープと思えるものが見られる。専門機関で、精密な検査をして下さい。』

この様な要旨が書かれていた。

「マジかよ! ポリープって何? 癌?」

早速パソコンを開き、ポリープを検索すると、難しいことがいろいろと書かれていたが、要するに、早く切除しなさい。結論はこの一言だ。

医療機関への紹介状も同封されていたので、それを持って、診察に行き日時を予約して、体内から、ポリープを取り去った。

結果を先に言えば、局部麻酔をかけられたため、全くといっても良いくらい痛みは無く、また、若い執刀医の会話が楽しく、手術という恐怖を感じずに終わってしまった。

「現状では、悪性ではないので心配はないですが、若し、あのままの状態で放置して居たら、ポリープは大きくなり、大腸が詰まっちゃいますよ。その結果はどうなるか、分りますよね。」

と、言われ、

「はい、便秘になります。」

そう答え、傍に居た看護師共々声を出して笑った。

医者が、暗に癌になりますよ。と、言っているのは十分過ぎるほど分かる。

医療技術は当然だが、患者に対する接し方、話し方で、医者に信頼性を感じるのは、琢磨一人だけではなく、多くの患者の総意だろう。

俗に世間で言う、定年の歳を超えて間もない琢磨、自他共に健康体だと認めてはいたが、もしも今回、人間ドックに行かずにいたら、ポリープが悪化して癌になっていたかも知れない。

『常日頃の節制を心掛けるように、そして、健診を初めとした、自己管理をするように。』

と、天からの声を聞いた琢磨だった。

          

家族で別荘に行き、一寸目を離した隙に幼児が見えなくなり、一昼夜経って後、少し怪我を負ってはいたが無事に見つかって、両親が泣いている映像が、テレビに映し出されていた。

誰が悪いとは言えないが、敢えて言えば、親の不注意からの出来事で、同年代の子を持つ親の、子育ての手引きとなるだろう。この件は、微笑ましく一件落着となったのだが、それと正反対の、生後間もない乳幼児、それも、自分で生んだ子を虐待し、死に至らしめる事件も、後を絶たない。

『生まなければ、殺人犯にならなかったのに、何故なの?』

『世の中には、欲しくてもできない人が多く居るのに何故なの?』

それよりも悲惨なのが、成人した親子間の殺しだ。他人には分からない、そこに至った理由が有るのだろうが、それにしても親を、子を殺すなんてどうなっているのだろう?

そんな親子間、親族間の事件、トラブルが、数多く報道されている。


琢磨の家から十数メートル離れたところに、五十所帯は有るだろうか、現代的なあか抜けたマンションが在る。

何処と特定はできないが、マンションの一室から、小学生と思える子供達の楽しそうな遊び声や、ピアノを弾く音が屋上に居ると聞こえる。が、それを不快に感じたことは全く無い。しかし、最近新しく転居してきた住人なのだろう、大声で怒鳴り、喚く声が時々聞こえ、何を言っているのか分らないだけに、余計に不快感が増して来る。

警察、消防、救急、その他ガス、水道などの事故。それらに即対応してくれる緊急車両も色々有るが、サイレン音がそれぞれ違うため、サイレン音を聞いただけで、おおよその緊急車両の種類が分かる、当然の事ながら、圧倒的に多いのが救急車だが、遠方から、救急車とは違う、複数の車両からのサイレン音が聞こえてきた。

『進路を開けてください。』

とでも言っているのだろう。スピーカーを通してまくし立てる、大きな声も聞こえる。

『交通事故に向かうパトカーとは違うな。何かあったのかな?』

とは思いつつ、いつものことなのでさほど気にも留めないでいると、サイレン音が徐々に近づき、表通りで停まった。その後、一分も経たなかっただろう、後続の車も何台か来て同様に、

サイレン音が消えた。

『何が起きたんだ! 火事か?』

誰もがそう思ったのだろう。何台もの緊急車両が来るのは、火事以外に普通は有り得ないが、火事でないのは確かなのだ。近隣の住人、その他に交じって、琢磨も飛ぶようにして見に行くと、既に、規制線と言うのか、テープが張られ、多くの警察官がマンションの内外、近辺を行き来していた。

何か事が起こったのは誰でも理解できるが、それが何なのか分からない。

この時間、この辺りに、こんなに人が居たのかと思う程、多くの人が集まり、それぞれが、もしもテレビで生中継されているとしたら、交互に司会者、解説者、目撃者、現場からの報告者、となるだろう。そんな気分になって話していた。

結論の無い話で盛り上がっている中に、良く知る近所の住人達の一団が輪を作っていたので、

「何が有ったんですか?」

その中に入り、聞いてみるも、

「わからないよ。俺が聞きたいよ。」

「消防車も来ているけど、火事にしては、一台だけだし、警察が多過ぎますよね。」

「あれは、レスキューだよ。何か事件が起きたんじゃないかな。」

「レスキューって言いますと?」

「高い所に梯子を伸ばして、助けたりするじゃない。どこかの部屋から、助け出そうとするんじゃないの?」

「でも、まだ、そんな様子無いですね。」

「こんな四階建ての小さなマンション、逃げられない訳ないし、火事でもないみたいだし、何だろうなぁ。」

「あっ! 救急車も来ましたね。病気にしては、今頃来るなんて、遅すぎですよね。」

病人と思われる人が乗せられたストレッチャーが、野次馬の視線を遮るように囲われた、青いビニールシートの中を運ばれ、マンション入り口に横付けされた救急車に乗せられて、サイレン音を響かせ走り去った。

規制線も解かれ、中に入れずに、外で立ち尽くしていたマンションの住人たちも、何事も無かったように建物の中に入って行った。

「何だよ、これで一件落着かよ。」

「病人を運ぶだけにしては、大袈裟過ぎないか?」

何かもっと大きな出来事を期待して見ていた訳ではないことは分かるが、さりとて、あっけない幕切れに不満なのか、それぞれが言いたい事を言ってその場を去って行った。

夕方のテレビのニュースでは、間に合わなかったのだろう、夜間のニュースを見て、初めてこの事の詳細を知った。

昼間、現場に居た時は、報道関係者はいなかった。もちろん、テレビ・カメラなどは無かった。

それが、マンション関係者の話は後で聞けるとしても、救急車で運ばれる様子が、動画で放映されている。

最近は、スマホで動画が撮れ、それを即テレビ局が買い取り放映する。それが結構な小遣いになるそうで、(スマホ命)の人間がこれからも益々増えそうだ。

事の詳細は親子の喧嘩から刃傷沙汰になったと、アナウンサーは言っていた。

確かな事は分からないが、時々聞こえていた、マンション方向から聞こえる大きな怒鳴り声。この事件の舞台は、あの人たちの住む部屋だったのか?

三十代無職の息子が、父親を殴り、刃物を持って大怪我をさせたということらしい。

最近は、この種の事件が後を絶たない。子が親を・・・が多いが、その反対も少なくは無い。結婚して子を授かり、教育を受けさせ、その子が成人し、所帯を持ち、孫ができ、後はのんびりと余生を楽しむ。高望みはしない。普通であればそれで十分。誰でも、思いは同じはずだ。それが高齢者となった今、子に虐待される。これは誰が悪いのか? 子が悪いのは当然だが、育て方に問題は無かったのか? 子にひどい仕打ちはされないものの、子供が犯罪者になったとしたら、家族皆が一時であれ、世間の視線を浴びるのは覚悟せねばならない。

運動会で孫が一着になった。発表会で上手にピアノが弾けた、ダンスが踊れた、上手な絵や字が書けるようになった。そんな他人から見れば些細なことであっても、その子の家族にとっては、それがメーン・イベントなのである。

(暖かい日差しの中、孫の笑顔に囲まれた好々爺)。そんな絵柄を思い描いて育てた子供に痛い思いをされて、病院のベッドに横たわる老後など、誰が想像するだろうか。

(失敗は成功のもと)と、昔から言われているが、子育ての失敗は、取り返すことなど出来はしない。

自分には、家族崩壊などまず有り得ない。安穏とした老後を送りたいと、切に願う琢磨だった。


今日は、週二回の生ゴミの回収日、愛犬・ドリアンに起こされ、時計を見ると、九時を回っている。慌てて、昨夜脱ぎ捨て置いたズボンをはき、シャツを被るように身に着けて、収集場所に生ゴミを出しに行った。

過去には、よく見られた事だが、カラスに生ゴミを食い荒らされ、散らかされた苦い経験が有ったので、食い荒らされないように工夫した集積場を作り、近隣の人とも相談して、深夜、早朝のゴミ出しは禁止。収集時間に合わせたゴミ出し時間を決め、皆でそれを守っているので、この近辺では鳴き声は、時々聞くことはあっても、ゴミ集積場でカラスの姿を見ることはほとんど無くなった。


ゴミ出しに集積場に行くと、主婦、久保田が居た。お互いに朝の挨拶を交わすと、

「鶴岡さん! 今起きたばかりでしょう?」

久保田に言われ、

「ええ、そうですけど・・・どうして分かるの?」

「だって、シャツ裏返しよ。」

言われて、シャツを見ると、裾の縫い目が表に出ている。

「ありゃ、本当だ! 昨日は、寝たのが三時。今日出さないと、一週間分のゴミが溜まっちゃうからね。慌てて・・・」

「ふふふ。ねえ、夜中の三時まで、何していたのよ?」

「パソコンを使って、ちょっとした仕事をしていたんだけど、説明しても分からないと思うから、これ以上は聞かないで。」

清々しいこの日の朝、笑顔の会話で一日が開けた。

「裏返しのシャツのこと、言ってくれて、ありがたく思っています。」

「え! どうして?」

「だってさ、見ても言わない人多いでしょう。」

「そうかしら・・・」

「こないだ友人と、駅で椅子に座って電車待っていたのね。そしたら、サラリーマン風の人が、歩いて来て、僕の隣に座ったの。」

「・・・」

「僕は気づかなかったんだけど、友人が、

『隣の人、オープン。』

そう言うの。見たらズボンのチャックがオープン。」

「あらぁ。」

「多分、駅のトイレに入ったのだろうけど、そのままオープンだったんでしょう。耳元で

『開いていますよ。』

そう言うと慌ててチャックを上げ、

『有難うございます。年なのかなぁ。ボケの始まりですね。』

『年じゃないですよ。僕なんかも良く開けっ放しのとき有りますよ。でも、誰も教えてくれないので、気付いた時は恥ずかしいですよね。』

『これからお客さんの所に行くんですよ。どこかで気付くとは思いますけど、このまま行ったら、商談になりませんでしたよ。』

そんな話をしていたら、電車が来たので、それで終わったんだけど、今この格好でスーパーに行ったら、

『裏返しですよ。』

って、言ってくれる人いるかなぁ?」

「いないかもね。あたしも、鶴岡さんじゃなかったら、言わないかも。ちょっと言い辛いわよね。まして、ズボンだと・・」

「見知らぬ他人に注意するって、難しいよね。若い女の子が浴衣来て、靴を履いているのを、見たことがあったんだけど、こういうのどうしたら良いんだろう。」

「注意はできないわね。」

「『おじさん、下駄買ってよ。』

なんて言われたら困るしなぁ。」

「鶴岡さんにだったら、言うかもよ。フフフ。当然と思っているのか、無知なのか、何となくいつも通りに、靴で来ちゃったのか分らないしね。それに、浴衣に靴が、今の若い人のファッションなのかも知れないし・・・」

「年寄りが余計な事言うな! て、言われ兼ねないか。」

「シャツの裾を、外に出して歩いている若い人、たまに見かけるけど、あれなんかファッションなんでしょう?」

「昔は、だらしが無い! って、言われたけど、今は、格好良い! だものね。」

「私達の感覚で見ちゃいけません。って、ことね。」

「でもね、チャックレベルなら、どこの国の人だって有るからね。外国人にインタビューする番組、好きでいつも観ているんだけどね。」

「ああ、あれでしょう。私もよく見るわ。あれを言いたいんでしょう? インタビューした外国人のチャックが下がっていたこと。」

「観ていたのかぁ。でも、テレビ局の人はさすがだよ。ユーモアで教えていたもんね。外国人も『ワオー。』なんて言いながら、笑っていたでしょう。ちょっとした言葉のやり取りで、どうにでも変わるからなぁ。ねえ、女の人が下着姿で、外に出てきたらどうする?」

「うっそー、そんな人いるの?」

「うん、何年か前だけど、見たんだよ。高齢者だったけどね。」

「高齢者かぁ。やっぱりねぇ。あ! 収集車が来たわ。」

どうでも良い話だし、収集車が来た事も有って、話はそこで終わり、家に入った。

一連の作業を終えた収集車は次の場所に移動し、収集の際散らばったゴミを掃き集め、路上を水で洗い流し終えた二人の主婦が立ち話をしている横を、買い物に行こうと通り過ぎると、

「あ! 鶴岡さん、ちょっと、桑田さんが聞きたい事が有るんだって。」

先程まで話しをしていた主婦・久保田に呼び止められた。

「スーパーに買い物に行こうと思って出て来たんだけど、何?」

「さっきの、下着で外に出て来た高齢者の話、桑田さんに話したの。そしたら、もしかして、家の母じゃないか? って。」

「う~ん、はっきり言うとね。何処の誰だか分からないけど、見たのはこの近所なの。」

「やっぱりそうか。」

「意識してやっている事じゃないし、誰しも、年を取るとそうなるのだから、仕様が無いよ。問題は、それを見ても周りの人が、注意しない事だよ。僕も、その一人だったけど。」

「いつ頃のことですか?」

桑田に聞かれ、

「もう、四・五年前だったかな。でも、見ず知らずの人に、係わりたくないって誰でも思っちゃうよね。誰かが110番したのかな? パトカーが来て、連れて行ったって聞いたけど、桑田さんのお母さんだったの?」

「はい、たぶん主人の母じゃないかなぁ・・・と。いつもは義姉が看ているのですけど、都合で一週間看てくれって言われ、連れて来たの。元々あたしとは反りが合わなかったでしょう。その上あの病気だし・・・来た次の日に、いつの間にか居なくなり捜索願を出したの。そうしたら、スーパーで万引きして捕まって、警察で保護よ。笑っちゃったわよ。捜索願出さなかったら、どうなったのかしらね。病気の話聞いてはいたけど、あれ程だとは思ってもいなかったから、あのときの一週間、疲れたわ。」

この時とばかりに、一気に今まで溜まっていた気苦労をぶちまける桑田。

「じゃぁ、下着の事は、知らなかったの?」

「うん。誰かが連れて来てくれたのかしら。家にお義母さんが居るなんて、誰にも言ってないのよ。一週間我慢すれば良い事だから、世間体を考えちゃったのよ。」

「判った! お巡りさんに連れられて来たんじゃないの? お巡りさんは、万引きの件で、顔とか家は知っているんでしょう?」

「何だか分からないわ。あたし、いつも家に居たのよ。買い物の時だって、鍵は閉めて行ってるし。ミステリーね。ははは。」

「今はどうしているの? お義母さん。」

「介護施設よ、千葉の畑の真ん中。主人は何回か会いに行っているけど、あたしは一回だけ。だって、行ったって会話は無いのよ。有るのは苦痛だけ。」

もとを正せば、夫婦は他人、正常な他人の親なら、親しくできるのだろうが、そうでなければ、接することが苦痛になるのか? 田所源蔵がオーバーラップして、琢磨の脳裏に浮かんだ。

「私の友達のお父さん、もう、亡くなったんだけど、徘徊で大変だったらしいの。家の鍵閉めても、中からは開けられるじゃない。ちょっとの隙に出て行って、その度に警察に届けを出していたでしょう。お父さん、お巡りさんとも顔見知りになり、

『交番でお茶ご馳走になった。』

だって。その人、涙浮かべて笑って聞いていたって。いつも、幼稚園の子供みたいに名札を首に下げているのに、ある日、青山で、保護された事も有ったんだって。」

「青山で? マジ?」

「そうよ。三軒茶屋から渋谷を通って青山よ。信じられないでしょう。それも、室内用のスリッパを履いて歩いて行ったらしいの。その間に何百人もの人とすれ違っている筈なのに、誰も声かけてくれない。最終的にはお巡りさんよ。」

「そんなもんなのよね。皆さん、係わりたくないからね。」

「最近は、どこの会社でも、名札みたいの下げているじゃない。街中だから、年配だし幹部社員と思われたのかもよ。」

「それもあるね。畑地だったら、違和感があるかもしれないけど・・・」

「でもさ、幹部社員が、街中をスリッパで歩かないでしょう?」

「そりゃぁそうね、そうならないようにしないとね。」

またここでも、結果的にはいつもと同じ話になってしまった。見知らぬ高齢者に対しての接し方の難しさ。面倒くさいことには、ノータッチが最良な方法なのかなぁ? 何ともやるせない思いに苛まれた琢磨だった。


最近のテレビでは、医学的な内容の番組が多く放映されている。誰でもが、多少なりとも関心の有る事なので、それなりの視聴率が稼げるからだろう。そうは言っても、講師が大病院の院長、診療科目の専門医、医科大学の教授、そのような人々なので、どうしても難しい内容に成るのは、止むを得ない。

「今日は、ゲノム編集について、〇〇先生にお話ししていただきます。」

そんな前置きから、医学のコーナーが始まった。

ゲノム編集? 敢えて見ようと思っていた番組ではなかったが、書籍や映像、それらの関係者がする編集なら分かる。が、医科大の教授がする編集って、どんな編集をするのか興味半分で見ていた。

【ゲノム編集】。そんな、聞いた事のない言葉の説明と解説を、モニターに映る画面を見ながら

する教授から、聞いた事の無い単語が幾つも出て来る。【ウイルスは、色々な病気の元になる病原体。】位は分かるが、【クリスパー・キャス9】こんな言葉、生まれて此の方見た事も聞いた事も無い。当然ながら、説明を聞いても、全く分からない。

『ああ、そう言うことなんですか。』

としか言いようがない。

『いままでの遺伝子治療では治せなかった治療法が【ゲノム編集】を使うと治る。』

そういうことらしい。原理は分からなくても、これまで不治の病とされていた病気も治すことができる。そんな結論だけが十分に理解できた。

(人生僅か五十年)こんな事が言われていたのは、いつの時代なのだろう?

調べてみると、戦国時代の武将たちは、当時では最高級の栄養価の高い食事を取り、先端医療を受けていたと思われるが、それでも、寿命は六〇歳前後。一般人ましてや農民などは、はやり病、飢饉での餓死、年貢の取り立てに伴う重労働。長生きできる訳が無い。

勝海舟は長生きしたみたいだが、それでも七十歳で没。坂本竜馬は、暗殺なので、例外。

それに比べて、現代は、栄養価の高い食事、完ぺきな医療、後は、自己管理だけで、誰でも戦国武将以上の長生きができる。

日本は男女共、世界でトップクラスの長寿国。今では、百歳の人口が七万人近くになっているという。喜ばしいことだ。だが、本当に喜ぶべきことなのか。過去には、コレラ、ペスト。そんな病気に掛ったら、即、死を覚悟しなければならない時代が有った。それが今はどうだ。そんな病気少しも怖くない。そんな病気が、この世に在ることも分らないくらいに、患者もいない。

癌にしたって、早期に発見すれば、どうってことはない。そんな素晴らしい現代医学の進歩で寿命は伸び、家康だって、今の医療がその時代に有ったら、没した年齢時でも現役バリバリで働いていただろうから、日本史も大きく変わっていただろう。

その上、【ゲノム編集】とかで、体内にいる全ての悪玉病原体を、善玉に改心させることが出来たとしたら、八十歳は働き盛り。そうなるかもしれない。でも、医学の進歩で寿命は延びても、体力の衰えはどうなるのだろう。幼児の身体の柔らかさ、肌艶の良さは、羨ましい限りだ。が、そんなものは手入れもせず、放っておいたら瞬く間に無くなる。食前食後の歯磨きだって、怠らずにやっていれば、入れ歯の必要も無いだろう。頭の毛にしたって、荒地を開墾して畑にするように、毛根の有無にかかわらず、実りの秋に出来る時代が来るかも知れない。でも、でも、実りの秋の地下の空洞、言い換えれば、頭骨の内部は、どうにも仕様が無いのじゃないかなぁ。

五体満足で百歳。願ったり叶ったりだが、その為には五体プラスα。このαが正常な動きでないと、五体の動きに統制が利かず、各ポジションが勝手な動きをしたら、どうなるのだろう。

現代医学を取り入れて、長生きする事は真の幸せなのか。ああ、分らね~~。


一人で家に籠っていると、どうしてもネガティブな気持ち、考えになってしまう。

話す相手が居なければ、テレビと会話をするしかない。コメンテーターの言うことに、反論したり、ドラマでの犯人を、捜査官になって捜したり。人それぞれに、趣味、嗜好が有るから、

どうしても、同種の番組ばかりを見てしまう。スポーツ、お笑い、ドラマ・・・

興味のない他人に言わせれば、

『どこが勝ったって関係無いよ。』

『いつも同じパターンじゃないか。犯人はアイツだよ。』

そう言うだろう。でも、

『録画予約までしても、見たい番組なの。』

『やることが無いし、好きだし。だから、見ちゃうんだよ。』

一つの事に熱中し、研究し、完成させる。自分自身で刺激を与えれば、その事によって活性化するであろうが、外からの刺激で、脳が活性するであろうか?

外に出て、多くの人と会話し、美しいものを見て、心を洗う。その為に、(心身共に鍛え、若さを取り戻す。)若さそのものを取り戻すのは、不可能なことだけど、心の若さ、考え方の若さ

は、年は取らない。二十代でも、三十代にでも戻れるのだ。

『女が酒を飲むなんて!』

『男子、厨房に入らず。』

こんな事は、遠い昔の話。

生まれた時点に、神が男女に振り分けただけで、男の生き方、女の生き方、そんな区別に縛られないのが現代なのだ。

子孫を誕生させるという目的で、男女には多少の身体機能の違いはあるが、男のスポーツとされていた格闘技を初め、ほぼ全てのスポーツにも、女性が進出し華やかさが加味されている。反面、女性の職業となっていた酒席での接待業に、(ホスト)と言われる人たちが進出している。『男のくせに、女のくせに。』

そういう言い方は今では通用しない。故に、

『高齢者だから。』

も、理由にならない。

高齢者であるメリットを活かせる仕事だって、少なくはない。介護の現場にしても、働き手が居ないなどの理由で、アジアの若い人に言葉を初めとした職業訓練をし、介護の現場に送り出そうとしているが、そんなのは付け焼刃に過ぎない。全てがそうとは言えないが、熱意を持って介護してくれる人が、どれだけ居るだろうか?

金を稼ぎに日本に来ている、それ自体は、何も悪いことではないが、衣食住と多少の生活費を与え、職業訓練をしても、言葉を覚え日本の生活に慣れたら、楽して稼げる職業に行ってしまうのは過去の例から見ても明らかだ。

それより身近に、多くの元気な高齢者が居るじゃないか。週一度でも良い。友達として、介護を受ける人の遊び相手になるのでも良いと思う。反面、自分自身もテレビとお話ししなくても、外に出て友達と話す事も、脳の活性化に繋がる。

人の集まる場所に、積極的に参加すれば、愛も芽生えるかも・・・恋愛に年齢は無い。一人の食事よりも二人での食事。一人での買い物よりも二人での買い物。旅行などはその最たる例だ。そして結婚・・・? しかし待てよ! そこに生じる難しい問題が有る。相続だ!

『いまさら結婚かよ!』

他人にはそのくらいの言葉で収まるが、家族、子供達にしてみれば、

『冗談じゃない、財産半分取られるんだよ。何考えているんだ。』

そう言われるのが目に見えている。

介護を必要としながら長生きすれば、厄介者扱いされ、心身共に健康で、若者に負けない生き方をしようとすれば、後々の家族の事を考えろ! と、言われる。これからのまだ長い人生、

どうやって生きれば良いと言うんだ! 

別所帯でいる三人の子供達は、

『若しも、お父さんが具合が悪くなったら、俺と、あたしと一緒に住みましょうね。』

そう言ってくれている。どこまで信用して良いのか分からないが、そうならないように・・・と、心掛ける毎日だ。


今は、インターネットで配信されるニュースは勿論、新聞に入るスーパーのチラシ広告までパソコンで見ている為、新聞屋さんとは疎遠になっている人も多いと思う。

前かごに沢山の新聞を入れたまま、エンジン掛けっぱなしの状態でマンションの前にバイクが止められている。新聞配達員は、マンション内に入っているのだろう。

一人の男が、そのバイクから新聞を一部抜き取り、持ち去って行ったのを偶然見ていた女性が、

「ねえ、今、あの真っ赤なトートバッグを持っている男の人、バイクの新聞持って行ったのだけど、新聞屋さんに言ってあげたほうが良いかしら。」

見ず知らずの女性に、声を掛けられた琢磨、玄関横の植木に水やりをしていた手を止め、マンションの方向を見たが、その男の姿はすでに視界から消えていた。

「どうしたら良いんでしょうかね? 現場を見てない僕が言うのもねえ。貴女が言えば、あ、 行っちゃった。」

話し終らないその時、配達員は、次の配達先にバイクを走らせて行ってしまった。

「行っちゃいましたね。」

「新聞読みたければ、買えばいいのにねぇ。コンビニで売っているんじゃないですか?」

「さあ、どうなんだろう。最近、新聞買ったことないので。」

「あの人、こんな天気の良い日に、傘持って歩いていたのよ。ビニールの傘じゃ日傘にもならないし、あの傘も? そんなことどうでも良いわね。ごめんなさいね。お仕事の邪魔しちゃって。」

そう言って、女性は去って行った。

なんとなく、子供の頃に読んだ(レ・ミゼラブル)が浮かび、

『例え新聞紙一部だけだって、取れば窃盗罪だよなぁ。現行犯で捕まったらどうなるんだろう?

ジャン・バルジャンは、飢えに苦しみ、パンを盗んで投獄された。今の日本では、閉店間際のスーパーに行くと、パンだけでなく、多くの食品が売れ残っている。多分、今はフランスでも同じ状況なのだろうが、あの時代のフランスでは、少量のパンでも投獄されたのだ。ジャン・バルジャンがパンでなく、新聞紙を盗んだとしたら?・・・パンが買えないのだから、本など買える訳がない。せめて新聞でも読みたい。と、向学心に燃えるジャンバルジャンは、路上に置かれた新聞紙の束から、一部を抜き取った。それを見ていた男が通報し、ジャンバルジャンは検挙・・・』

今女性に聞いた事に尾ひれを加え、発展させている自分がバカなことを悟り、思い出し笑いをしながら夕食前の酒の肴は何にしようか? そう思いながら部屋に戻った。

琢磨は、献立など考えたことがない。冷蔵庫に有るもの、無ければスーパーに行き、適当に食材を買い、適当に調理して食べる。その繰り返しが、毎日の食事だ。


スーパーに出かける前には予め、ネットのチラシを見て購入するものは決めている。本日の特売コーナー欄に、銘柄牛のステーキ肉が平常日に比べて安値に書かれている。五等級の銘柄牛、偶には高級な肉を食べようと出かけたのだが、結局買った肉は、外国産の歯ごたえの良い? 肉、自分の生まれ持った性格、嗜好は、多分死ぬまで変わらないなぁ。と、鼻先で笑っていると、赤いトートバッグを持った、七十歳は超えていると思われる男が、店のカートを押しながら、店内を回っていた。三〇分も経たない前に聞いた、(赤いトートバッグの男)。老若は聞かなかったが、トートバッグを持って買い物に来る男の人、まして赤いバッグとなれば、さっき聞いた新聞抜き取り男は、此奴なのかな? そう思い、テレビで時々放映される、万引きGメンに自分を被せて、暫くその男の行動を見ていた。赤いバッグには、ふくらみができており、その男の持ち物なのか、それとも店の商品なのかは分からないが、確かに何かは入っている。商品棚を曲がり、小物を手に取ると、素早くバックに滑り込ませた。

『やったな!』

自分に全く関係ないことなのに、何故か胸の鼓動が激しくなった。先程の女性と今度は同じ立場になった琢磨、この場合、どうしたら良いのか分らない。新聞の時は見ていなかったので、

何も言えない、言うことはできないが、今は自分の目で確かに見たのだ。でもスーパーの店内でのこと。これからレジで精算するかもしれない。琢磨の今することは、自分には関係ないということで見なかったことにするか、それとも店員に言うかの二者択一しかない。当然の事ながら、後者を選択した琢磨、傍で、商品整理をしていた店員に告げた。

「ちょっとお待ちください。」

そう言うと、近くのインターフォンで上司と思われる人を呼び出すと、その上司に、

「お急ぎでなかったら、事務所までお越しくださいますか?」

と言われた。

『んんん、俺が、何で?』

そう思いつつ、急いですることも無いので、後に着いて行くと、

「ご協力、ありがとうございます。万引きには、どう対処していけば良いのか私達の悩みの種なんです。」

そんな話をしている所に、先程の店員が駆け込み、

「店長! お客さんの言う通りでした。管理室に連れて行き、警察にも連絡しました。」

矢継ぎ早に話して出て行った。

「じゃ、帰らせていただきます。でも、何で私がここに連れて来られたのですか?」

「申し訳ありません。実は、やってもいないお客様に対して、万引きしたと告げ口したり、中にはグルになって、店を脅す人間もいるので、・・・」

「そうなんですか。自動車の当たり屋みたいな奴らが居るんですか。クレーマーも居るみたいですし大変ですね。テレビでよく見ているんですよ。万引きGメン。かっこいいですね。女の人が多いみたいですけど。」

「女性の方が、テレビ映りが良いからじゃないですか。あの~これ、私からのお礼です。お菓子ですが、お持ちください。」

そうこうして買い物も終わり、店を出ると、パトカーが停まっていた。

万引きは、高齢者だけの問題ではないが、あのきちっとした身なりから推測すると、独り身とは思えず、生活に困窮しているとも思えない。他人の物も自分の物も、分別出来なくなっているのだろうか? 多分身元引受人として、家族が呼ばれるのだろう。自分に置き換えたら、一番近くに居るのは長男の夫婦。二人とも仕事に出ているので近所の誰か。と言ってもこんなことを頼めるのは、田所さん位しか居ない。

「おい! 琢磨! 万引きするのかよ! 」

どこからともなく、佐智子の声が聞こえてきた。自分には有り得ないことだが、気が滅入る琢磨だった。


我が家の愛犬、チワワのドリアンは、室内は勿論、ゲージの中でも絶対に大便はしない。反面、その兆候になると、散歩の要求も有るのかもしれないが、うるさいように吠える。

『外に出してくれ~!』 と。

リードを付け外に出ると、田所アパートの住人、先日救急車で運ばれた近藤に会った。

お互いに、朝の挨拶を交わし、

「どこが悪かったの? 最近見かけないけど、入院していたの?」

「はい。急性膵炎だって言われました。」

「膵臓かぁ。あれって、内臓の奥の方に有って、小さいから見つけ辛いって聞いたけど。」

「そうらしいですね。酒の飲み過ぎなんですよ。一人でいると、夕食の主食は酒、おかずも酒、ですもんね。チビリチビリやっていても、気付いたら、さっき開けた瓶が空瓶なんて、毎度のことですよ。」

「婚約者がいるって田所さん言っていたけど、体調整えないとね。」

「はい。ありがとうございます。じゃぁ、行ってきます。」

職場は近くなのか、バイクに乗って走り去った。

『今まで、会釈程度の挨拶で、言葉を交わしたことはなかったが、話してみると、良い青年じゃないか。彼も一人か。(独居老人)は良く聞く言葉だけど、(独居青年)も多いのかもなぁ。』

いつまで話しているんだよ! そう言いたい目つきで、琢磨を見上げるドリアンに気付き、散歩に出かけた。


さて、夜は何を食べようかな?

スーパーに出かけると、

(今夜は鍋。鍋フェスティバル開催中)

こんな垂れ幕が下がり、肉、魚、野菜、その他多くの鍋材料が、いつもの値段より安売りされていた。何でもかんでも鍋に入れ、火に掛ければ個々の味が混ざり、誰でも失敗無く美味しく作れるのが、鍋料理の醍醐味だ。

『よし! 今夜はこれに決定!』

白菜、えのき、しめじ。奮発して国産牛しゃぶしゃぶ用、鱈とむき海老。焼き豆腐。と、好みの食材を買い揃えた。なるべく少量の物を選んだのだが、ほとんどがパック詰。とても今夜だけでは、食べきれる量ではない。ここ2~3日は毎晩鍋だな。

両手にレジ袋を下げ、家の前まで来ると、仕事を終え、帰宅した近藤と出合った。

「お帰り、どう? 体調は。」

「ええ、何とか今のところは・・・」

「これからどうするの? 出かけるの?」

「どこにも行きませんよ。」

「じゃぁ、家に来ない? 今夜は鍋にしようと、いろいろ買って来たんだけど、一人の鍋って

淋しいじゃない。いらっしゃいよ。手ぶらで良いからね。」

「じゃぁ、お言葉に甘えまして。何時頃行けば良いですか?」

そんな会話から、見知らぬ間柄であった二人が、テーブルを挟んで向かい合い、鍋を突くことになった。

「鶴岡さん、料理上手ですね、美味しい。」

「誰が作ったって、鍋は美味しくできるよ。醤油味にするか、味噌か、塩か、それは個人の好みだけど、今は鍋用のタレなんかも売っているしね。」

「そうか、問題はやる気ですか。自分一人だと、鍋にしようと言う発想が無いからなぁ。」

「あと一味加えると、もっと味が良くなるんだけど・・・何だと思う?」

「一味ですか? 何だろう? 分りませんけど・・・」

「答えは、愛です。一人で食べるより、二人の方が美味しく感じるでしょう。」

「それは、今、身に染みて分ります。」

「僕じゃぁなくて彼女と二人だったら、今より何倍も美味しくなるよ。そこに君たち二人の子供が居たら、それ以上だよ。」

「分ります。なんか鶴岡さんが父親に見えてきて、涙が・・・」

「あらら、酒、もう少しどう。浴びなければいいんだろ?」

「医者には、少量ならって言われましたけど、好きだから少量の限度が分からないんですよ。」

「僕も、若い頃はそうだったよ。でも今は年のこともあるし、適量を守っているよ、ふふふ。

話は変わるけど、近藤君は、教習所の先生って聞いているけど、運転の指導員なの?」

「はい、でも今は、ほとんど毎日、高齢者の講習です。」

「高齢者講習の先生って?」

「先生ではありませんよ。何も教えていませんから。七十歳以上の人が、免許更新の時にする検査を、警察に代わってやっているだけですよ。」

「どんな検査をやるの?」

「法令の説明や、視力検査、後は運転技術。そんなことを三時間くらいかけてやってます。」

「じゃぁ、そこで、免許取り消しになる人もいるんだ。」

「それは無いです。それは警察がやることです。」

「じゃぁ、何の為にやるの?」

「普通の視力検査の他、動体、視野、夜間の視界の検査。あと運転は、運転免許取得の時の試験と思ってください。鶴岡さんが免許取得の頃は無かったと思いますが、わざと縁石に乗り上げ、急ブレーキを踏む。なんて検査もあるんですよ。要するに、この人は今後三年間運転しても大丈夫かどうか点数を付けて、警察に送るだけです。」

「何か、分ったような分らないような。」

「検査の方法の説明は、長くなるからいいですよね。鶴岡さんは、お幾つなんですか。」

「実は僕も、来年免許の更新なんですよ。確か誕生日の前後二ケ月の間に更新するんだったよね。誕生日が来ると大台到達だよ。そろそろ更新の連絡が来るかなぁ。」

「なんだ、まだまだ先の話じゃないですか。」

「そうは言っても、月日の経つのは、あっと言う間だからなぁ。自分では、運転技術は衰えていないつもりなんだけどね。

『この人の運転じゃ、怖くて乗っていられないよ。』

って、言う人は居た?」

「はっきり言うと、半分近くです。技術もそうなんですけど、安全確認とか、状況判断が遅いんです。教習所で信号無視する人がいるんですからね。それだけでテストだったらアウト。でも、テストじゃないから、セーフ。」

「いるんだ、そんな人が。」

「(縁石乗り上げ、即ブレーキ)ができなくて、1メートルくらい行っちゃたり。そんな時は、

僕が補助ブレーキを踏んで止めますけど。」

「それが、店に突っ込むパターンかぁ。」

「高速を逆行なんて信じられないですけど、もう法令と言うより、注意力の問題ですよね。」

「それもあるけど、どうやって、高速で逆行出来るんだろ。」

「パーキングの入り口から出ちゃうんですかねぇ。考えられないですよ。」

「自殺行為だものなぁ。それも、他人を巻き込んでだろ。そういう人でも、取り消しにはならないのか。」

「事故を起こしたとか、違反点数が多いとか、そう言うことが何も無いと、運転の技術だけでは、取り消しにはならないみたいですね。仮免も合格できないレベルなんですけどね。それと、普段は運転していないのでしょうね。」

「高齢になると、全ての機能が退化するからなぁ。せめて、他人様に迷惑を掛けないようにしないとね。ねえ、もっと食べてよ、肉全部食べちゃって。」

          

知人の台湾人から、マンゴーが送られてきた。その後の源蔵の様子が気掛かりだったので、

マンゴーのお裾分けがてら、源蔵の様子を聞きに佐智子の家に行った。

「あら、ありがとう。台湾のマンゴー美味しいのよね。あたし、大好きなのよ、嬉しいわ。」

世辞も有るが、こう最大限に表現されると、一個じゃ申し訳なくなってきた。

淹れてくれたコーヒーをすすりながら、

「どうなの? おじさん。」

「もう直ぐ退院できそうなの。」

「そう? 普通は、(よかったですね。おめでとう。)なんだけど、さっちゃんの場合喜べないか。」

「何でよ? このマンゴー、退院祝いに持って来てくれたんじゃないの?」

「たまたま、今日送って来たから持ってきたんだよ。退院の事、今聞いたばかりじゃない。」

「そんなこと分かって言っているのよ。でも、今日は何でも良い方に考えたいの。」

「だって当分はおじさん、寝たきりでしょう。ヘルパーが来たって、二四時間居るわけないし、ヘルパーの仕事って限られているって聞いたけど・・・さっちゃん、やっぱりおじさんのこと、好きなんだぁ。一人の生活は淋しいものね。身に染みて分かるよ。」

「そんな事じゃないの。全然反対のこと。だからルンルンなのよ。」

「意味わかんね~。」

「悠優園が、おじさんのこと、受け入れますって言って来たの。」

「本当なの? 自分の所で骨折したので、責任感じたからかなぁ?」

「それは分からないけど、何か嬉しくて。」

「そうなんだろうけど、でも、もっと違う事で喜びたいね。例えばおじさんが、一人で歩けるようになったとか。」

「それは、夢物語よ。」

心底からの嬉しさを身体全体で表わし、笑顔で話す佐智子。

ショートステイが決まり、喜んでいた佐智子だったがたったの一週間、それも一日おきに青梅までの面会じゃ、気休め、骨休みなど出来る訳が無い。それに輪を掛けたように骨折で自宅療養となり、その結果、佐智子迄もが寝付いたら、だれが介護するのか。二店舗を切り盛りして、忙しく動き回っている娘の弥生に、そんな時間的な余裕は無い。これが老老介護の典型的な例だ。

骨折は、病気ではない。ギブスをはめたり、腕を三角巾で吊ったり、松葉杖を使って歩いたりと、リハビリしながら元の身体に戻し、現場に復帰している人は、スポーツ選手を初め多くの人が居るが、これが高齢者、もっと細かく言えば、後期高齢者となると、どうなんだろう? 特に下半身の場合、それが元で、社会復帰ができなくなった例が、数多く有る。

佐智子の喜びは理解できるが、複雑な気持ちだ


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