ちびねこちゃんの魔法の一日
「ねえ、ママ。だれかをきらいになるって、いけないこと?」
不安そうにママのかおを見つめるちびねこちゃん。その青い瞳から、ぽろぽろと宝石のように涙がこぼれ出します。
ママは、ちびねこちゃんの涙をそっとぬぐいながら、考えました。正しい答えがわからなかったからです。
ちびねこちゃんのママが子どもだったころのこと。ママの先生は「人をきらいになるのはいけないことだ」と話していました。みんなでなかよくしなければいけないのだ、と。でも、おとなになった今のママには、どんな人でも好きでいることはむずかしく思えました。
いじわるな人を好きでいるのには、たくさんがまんが必要です。かなしいきもちも、おこったきもちも、すべてこころの中にとじこめて、しっかりと鍵をしておかなければいけません。そしてママは、がまんをしているうちに、苦しくなったことがあったのです。
そこで、よく言葉を選んで、こう話しました。
「ちびねこちゃん、泣かないで。あのね、ママは、だれかをきらいになるのは、いけないことじゃないと思うわ」
ちびねこちゃんの目が大きく開かれました。
「でもね、先生はみんなを好きになろうっていうの。きらいになるのって、いけないことで、変なことじゃない?」
「うん。もちろん、みんなを好きになれたらすてきだよね! ママもそう思うわ。でもね、ちびねこちゃんのきもちは自由なのよ。だれを好きになってもいいし、だれをきらいになってもいい。きらいなだれかがいたって、ママは、ちびねこちゃんを怒らないわ」
ちびねこちゃんは、ほっとしたように、目を細めました。
「たとえば、ちびねこちゃんにいじわるをするお友だちがいたとします。やめてって言ってもやめてくれない。大事なものを壊したり、毛を引っぱったり、悲しくなることを言ったりする。そういうお友だちを好きになれるかな?」
「好きになんてなれないわ」
ちびねこちゃんは、口をとがらせて答えました。
「そう。いやなことをたくさんしてきて、どうしてもやめてくれないお友だちなら、好きにならなくてもいいの」
「じゃあ、もうお話ししなくてもいいの?」
ちびねこちゃんの質問に、ママは首を横にふります。
「それはだめです」
「どうして?」
「ちびねこちゃんがお友だちに話しかけて、無視されたら、どんな気持ちになる?」
「……かなしいきもちになる」
「そうね。いじわるなことだよね?」
ちびねこちゃんは、うなずきます。
「きもちは自由なの。いじわるをやめてくれない誰かを、きらいになってもいい。でもね、きらいだからといって、ちびねこちゃんが、お返しにいじわるするのはいけません」
「じゃあ、きらいな人にはどうしたらいいの?」
ママは、考え込みました。それからしばらくして、「ふつうにすることかしら」とつぶやきました。
「ふつうにするっていうのは、たとえば、無視をしないことや、きちんと挨拶をすることです。もちろん、いじわるをするのは、絶対にだめです」
「わかったわ」
「それから、きらいなお友だちでも、もし困っていたり、助けてってお願いされたりしたら、そのときはちゃんと手伝ってあげようね」
「なんだ、かんたんなことなのね!」
ちびねこちゃんは、ぽんと手をたたきました。
「あのね、仲良しのお友だちがいるでしょう。その子たちじゃなくって、でも、同じ白猫組のお友だちもいるの。その子たちと同じようにすればいいんだわ」
「そうよ、ふつうにするっていうのが大事なこと。ママはそう思う」
「じゃあ、もしそれでも、いっぱいいじわるをされて、もっともっと悲しくなったらどうするの?」
「そうね……。まずは、おうちに帰って、ママに話してくれる? そうしたら、何があって、ちびねこちゃんがどんなきもちなのかを一緒に考えられるでしょう?」
「きもち?」
「あのね、かなしいきもちだけじゃなくて、おこってるきもちとか、くやしいきもちとか、恥ずかしいきもちとか、……いろんなきもちがあるのよ。まずは、どんなきもちなのかを知ろうね」
ママがそう言うと、ちびねこちゃんは、少し考え込みました。
「……あのね、今日ね、いやなことがあったの。ちびねこちゃんの毛は、くるくるしてるでしょう? しまねこちゃんが、それが変だって笑ったの」
ちびねこちゃんの瞳には、また涙の山がふくらみはじめます。ママも、胸がきゅっと痛くなりました。ちびねこちゃんが泣いていることが、かなしかったのです。そしてママは、いじわるをしたお友だちに、こころの中で怒りました。
「そっか。ちびねこちゃんは、くるくるの毛が気に入ってるものね。好きなものを変だって言われたから、悲しくなったの?」
ママは、ちびねこちゃんの背中を優しくなでました。
「――うん。それと、みんなはまっすぐでつやつやの毛をしてるでしょう? ちびねこちゃんの毛は、パサパサした毛玉みたいだって言われたから、恥ずかしくなったの。みんなとちがって、変なんだって」
「恥ずかしいことなんてないわ。お隣の黒猫おばちゃんも、ふわふわ美容室のおねえさんも、三毛猫ばあさんも、みんな、ちびねこちゃんの毛がかわいいって言ってたでしょう? 自信を持っていいのよ」
「変じゃない?」
「うん。とっても素敵な毛だよ」
ママが言うと、照れたようにちびねこちゃんは笑いました。
「ちびねこちゃんは、かなしくて、恥ずかしいきもちだったのね。もし、また今度変だって言われたら、しまねこちゃんにかなしいって伝えようね。そして、やめてって言おう。もしも、それでもやめてくれなかったら、ママと一緒に、また考えようね」
ママが頭をなでると、ちびねこちゃんの瞳からは、また涙がひとしずく、ぽろり。それを手の甲でぐい、と拭いました。
ママはにっこり笑って、ちびねこちゃんを抱きしめます。
「かなしい気持ちを忘れられるように、今からママが魔法をかけてあげます。今日、ねむる前には、ちびねこちゃんはきっといい1日だったって思えるわ」
「まずは、かくれんぼよ!」
ママはそう言うなり、目をかくして、1、2……とかぞえはじめました。ちびねこちゃんは、はっとして、ぐるりと部屋のなかを見渡すと、たんすの中にとびこみました。
「もういいかーい」
ママの声がひびきます。ちびねこちゃんは「もういいよ」とさけびました。
探しに来たママは、たんすの引き出しから、ふわふわのしっぽが揺れているのを見つけました。ぬきあし、さしあし、しのびあし。そうっと近づいて、くるくるのしっぽを優しくつまんで「みいつけた!」と言いました。
それから、すっかり日が暮れるまで、ちびねこちゃんとママは、たくさんかくれんぼをしました。
ばんごはんは、ちびねこちゃんの大好きな、お豆のシチューです。
ちびねこちゃんもおてつだいをしました。野菜をきれいにあらったり、お花のかたちのにんじんをつくったりしました。それから、ママが盛りつけをしているときは、テーブルをきれいにふいて、スプーンをていねいにならべました。
ごはんのあと、洗いものを終えたママは、たっぷりの絵本と、木のトレーと、ふわふわのクッションをもってきました。そして、いたずらをするときの男の子のような顔で笑います。
「お行儀が悪いから、今日だけのとくべつね。パパにはひみつよ」
ママはそういうと、床にクッションをしきつめました。
木のトレーにはおいしいものがたっぷり! スコーンののったお皿と、木苺ジャムと、クロテッドクリーム、それからミルクティーです。とくべつにねころんで食べるので、クッションのそばに並べます。それから絵本もたっぷりと、山のようにつみあげました。
「ちびねこちゃん、ねころんで!」
それからママとちびねこちゃんは、クッションの上でごろごろして、たまにスコーンをつまみながら、絵本をたくさん読みました。
その夜、おふとんの中で、ママはちびねこちゃんに聞きました。
「今日はどんな日だった?」
「たのしかった!」
ちびねこちゃんは、にっこりします。ママはほっとしたように笑いました。
「かなしいことがあっても、たのしい1日に変えることができるのよ。まずはママに話してね。一緒に、ちびねこちゃんのきもちを探して、どうしたらいいか考えよう。それから、たくさん体を動かして、たくさん楽しいことをしましょう」
「うん!」
ママのふわふわの毛につつまれていると、まぶたがとろとろしてきました。おうちに帰ってくるときは、あんなに悲しいきもちだったのにふしぎです。
「……ママ、大好き」
「大好きよ、ちびねこちゃん」
やがて、ちびねこちゃんは、とても幸せなきもちで夢の中へと落ちていきました。
もうすぐ年少さんになる娘のために考えたお話です。
今は満3歳児保育ですでに幼稚園生です。今は毎日楽しく通っています。でも、自分が幼稚園のときを考えてみると、やっぱり、多少なりともいやなことはありました。これから、そんな場面になったとき、娘が思い出して、相談してくれるきっかけになるといいなあと思っています。
人との付き合い方に完璧な正解はないと思います。だからこそ、私だったらこれが正しいかな、と思うことを「ママの考え」として伝え、一緒に考えていくお話にしてみました。これが正解!と押し付けるのじゃなくて、自分で自分の答えを見つけるのが一番いいことだなあと思っています。
また、魔法の1日は、ネガティブだった私が1時間で嫌なことからとりあえず立ち直れるようになったメソッド的なものを、娘に向けた内容にしつつ入れています。
子どもに向けて書いたお話ですが、どんなに理不尽な相手でも、きらいになることに対して強い罪悪感を持つ自分にも向けて書いています。心は自由。でも、行動は誠実に生きていきたいです。