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好きだが嫌い

賢杖はここ100年ほどで自身が段々とひねくれていくのが分かっていた。いつからこんな性格になっちまったかなァ、やっぱあれだよな、確かあれがきっかけだ。そう原因まで分かっていても元に戻れるような気はしない。


賢杖は人間が好きだ。好きだが嫌いだ。全知の力を持つ賢杖にとって、人間というのはあまりにも愚かに見える。疲れるだけなので基本会話もあまりしたくない。しかし前提として可愛い存在だ。精霊の本能がそう思わせるのだ。


例えて言うなら、静かに眠る赤子は可愛いと思えても、大声で泣きながら暴れ続ける子どもを可愛いと思えない大人のような疲労。賢杖はすっかり人間に対してそれに近しいものを感じるようになってしまっていた。全知の力のおかげで、賢杖は他の精霊たちよりも人間の良くないところも随分知ってしまっていた。


とは言えやはり人間に対しての興味は失せていない。散々見飽きた思考の人間がいくらもいる中で、稀に興味を惹く者がいる。キィキィとうるさい喚き声の中に心地の良い声をしている者がいる。たまにそんなものを見付けてしまうので、賢杖は人間から完全に離れられないでいる。


にしても、と賢杖はファレーゼの大図書館にいるエルヴィスに対して溜息を吐いた。


「あいつぁダメだな……前よりマシとは言えポンコツだ」


やれやれと肩をすくめた賢杖だが、仕方のないことだとも分かっている。力の集合体である精霊には人間のように脳はなく、つまり記憶や思考を保存できる部位がない。身体がすり減ればすり減るほど思考や記憶もすり減っていくのだ。己の身体を霊薬として枯れるまで削り取ったエルヴィスには、最早精霊の身体は人間1人分程度しかない。


賢杖は顎を手を当てて考えた。人間の身体を再生できるのは聖者の金杯であった頃のエルヴィスだけだ。枯れる直前の金杯は精霊としてはごく僅かしか残っておらず、その頃には意識は常に朦朧としていて会話が成り立たないような状態だった。最後の力を振り絞るようにして地面に転がっていたラザラスの肉片を掻き集め、足りない部分は再生して作った人間の身体を器にしたのがエルヴィスだ。つまりエルヴィスは人間の脳を得た精霊だ。精霊としては今が最もすり減っているはずだが、意識はどうやらはっきりしているらしい。


賢杖は最早エルヴィスを友人とも同志とも思っていない。これまでになかった未知のものに対する好奇心の対象だ。そもそも精霊として認めていいのかも分からない。だが人間だとしたら、自分は無条件にエルヴィスを好くようになるのだろうかと考えるとそれも不自然だ。


「ま、いいか別に」


そんなことよりもまずは服装だと、ちょうど服飾品店の店員が見繕ってくれた服にいそいそと着替える。最初こそあまりにもボロボロな服装で不審がられたが、賢杖は品のある振る舞いがどういうものかも知っていた。自分に粗末な接客をしないであろう性格の店員がいる店を選び、申し訳なさそうな顔で旅人を装えばどうとでもなる。服を買うだけのウィーガルは、道中立ち寄った町で無所属の冒険者としてこなした仕事で手に入れた。これも過去に悪質な行為をした依頼人を避ければ簡単だった。


「いかがですか?」


「いやー超良い感じ、ありがとう! 助かった!」


ボロボロの服から脱した賢杖は上機嫌でチョコレートを置いてある店に向かう。次から休憩する時は紙幣じゃなく硬貨を多めに用意しておこうと考えて、そこで自身の失敗に気付きピタリと固まった。服を着ている人間の姿になりゃよかったじゃん、と。


「……ま、いっか」


魔物を相手にしたのは久しぶりだが、精霊である賢杖には何の問題もない。安い金額で魔物の被害から解放された若い夫婦の感謝の表情を思い出せば、やはり気分は悪くない。そして。


「やっぱまずはプレーンなやつと、乾燥ダロベリー入りのやつと、あとアンベルディン産の紅茶とネロリの香りのやつ。あとシュペルヤのワインパミスを使ったやつも、全部1袋ずつ!」


世のため人のために働いたご褒美のようなものだ。8年ぶりに口にする食べ物は甘美で、賢杖の顔は綻んだ。やはり人間の作るものは美味しいと、賢杖はどれだけ人間を煩わしく感じてもそれだけは素直に認めている。


賢杖は1種類ずつ順々に口に放り込んでにやにやと笑った。この程度の良いとこ取りのような関わり方が、今の賢杖には最高に楽しい。


「にしても、魔物退治なあ」


霊薬が枯渇した影響で魔物退治を生業とする冒険者の数は減った。死亡率が上がっただけでなく新たに志す者も少ない。ウィツィとアルヴィン、ごく少数の金階級によって強制指令をこなしてはいるものの、やはり白金階級の魔物と戦える者はかなり少ない。


精霊にとって魔物はあまりにも脆い。魔物は人間や他の動物と違い魔力以外の力に対する順応性がなく、魔力だけが生命力として身体を巡る生き物だ。純粋な精霊である賢杖は触れるだけでその流れを止めてしまう。現時点で明確に精霊を感知する術はなく、攻撃しようともふわりと風を切るばかりですぐにまたひとつに纏まって元の形に戻っていく。更に攻撃のために接触した箇所から魔力が打ち消されていくため、魔物にとっては災厄でしかない。


そりゃあ俺が魔物退治なんかやったら最強で当然だよなあ、と賢杖はチョコレートを舐め溶かしながらつまらなそうな顔をした。


賢杖は魔物退治をするつもりはない。やるとすれば今回のように些細な楽しみや暇つぶしのための小銭稼ぎだ。しかしならば過ぎていくだけの膨大な時間をどうする、と考えても思い付かない。昔のように国家の運営に口出しする気もない。


賢杖は乱雑に頭を掻いて、わざとらしく大きな溜息を吐いた。優先していた食欲も満たされた。


「行ってやるか」


金杯が自身を探していることなどどうでもよかったが、カサネを利用するつもりなら話は別だ。カサネ自身が構わないと思っていても賢杖自身は気に食わない。しかしそれはカサネのことを特別気に入っているからではない。人のいない裏路地から建造物の陰に隠れながらふっと空高く浮かび上がり、遠くからファレーゼを眺めてみる。


「大図書館か……」


賢杖はいまだに正しい歩み方が分からない。与えられた力はあくまで全知であって全能ではない。現在と過去の事実を知ることはできても、未来を見据えた時の最善が何かまでは分からない。選ばなかった選択肢のその先に何があったのかも当然知り得ない。色々と抜け落ちているエルヴィスが、よりにもよってそんな己の本音を覚えていることが気恥ずかしくて気に入らない。気に入らないので、賢杖は真っ直ぐエルヴィスのところに行ってやるつもりはない。


「可哀想になァ。どいつもこいつも難儀でさ。そんでもって……」


賢杖はつい数日前まで自身が休憩していた森に、数年前に見た覚えのある男たちが足を踏み入れていることに舌打ちした。賢杖は彼らの行いが心底嫌いだ。


あーあ、休憩し過ぎたばかりにさ、本当にどうしようもねーよ、どうしてあいつらは、どうして俺は。賢杖はそうやってどうしようもないことに心揺さぶられる自身も、大して賢い存在ではないのだと分かっていた。

かなり久しぶりの投稿になります。年単位で空いてしまいましたが、ここから完結を目指していきたいです。

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