疾風の賢杖
フォロアリカの統治に協力する最も大きな貴族。彼らの人生は富と栄光に溢れているわけではない。彼らは一個人としての幸せを掴む権利を持ち合わせていない。
倒懸の一族。役割を逃れた者は皆、ヴォルトシャヴェン家をそう呼ぶ。そしてその役割とは、疾風の賢杖の加護である全知を得ることである。だが実際の所それは加護と呼べる代物ではなく、また賢杖にとっても不本意であった。
「んあ?」
賢杖は目を開けて勢い良く起き上がった。随分ぼんやりしていたような気がしたが果たしてどれくらいの間そうしていたのか。彼は勿論それも知っている。
「8年……ちょっとサボり過ぎたか」
賢杖は眠る必要がない。食事も不要で傷を負うこともない。彼はただ目を閉じて数年を過ごしていた。精霊具がこの世に落とされてから約900年が経過していて、これからも長い年月を過ごす彼にとって8年とはほんの休憩であった。
「あー、そういや金杯のやつ、外に出てたっけか」
賢杖は何でも知っている。エルヴィスが人としてこの世に現れたことも、そして現在自身を探していることも、その理由も何もかもだ。
「あの娘……」
賢杖は面倒臭そうに顔を顰めて立ち上がった。エルヴィスが何を考えてカサネと行動を共にしているのか分かって、ならば彼の元へ向かうべきだと考えた。自分が必要とされているからという分かりやすい理由ではない。
フォロアリカとプラヴィアルは同じ大陸にあり国境は石の壁で隔たれている。数ヵ所に門があり、各国から発行される許可証によって行き来が可能だ。
賢杖は許可証を持っていない。そのため空を駆け上り人間の肉眼で捉えられなくなるまで上空に昇る。人に見られずに移動するために専ら空を飛んでいるのだ。杖は器に過ぎず自分自身は風を模した力の集合体だ。エルヴィスとは違い、人間の形をしてはいるがまったく別の生き物だ。
「なんだあれ、んまそーじゃん」
ふとカサネの持っている菓子が気になった。甘くて美味しいことを知ってはいるが、食べたことはないので実際の味は未体験だ。8年間の間に美味しそうなものが増えているじゃないかと舌舐めずりした賢杖は爪先の向きを変えた。
「まァいいか、行こうと思えばすぐ行けンだしな……」
アルヴィンとやらはお優しいようだから、何かあればあいつが止めるだろう。少しくらいなら寄り道したって何の問題もない。それに金杯もどうせ途中で思い直すだろう。賢杖はあっさりと食欲を優先した。彼には食事くらいしか楽しみがない。
エルヴィスたちが二シェル領へと向かっているのは知っている。賢杖はまず然程離れていない王都に向かうことにした。その菓子もそこにあるからだ。
そして賢杖が知る通り、アルヴィンたちは列車の中で雑談をしていた。観光するような時間はないが何もしないのもあまりに味気ないだろうと、主に名産品や菓子を楽しんでいる。
「んっふふふ、これ何か分かる?」
カサネが掌に取り出したのは焦茶色の塊だ。ふくよかな香りが上品に、かつ強烈にエルヴィスの好奇心をつついた。
「えっ、なにそれなにそれ」
「これね、昨日買ったやつでね、実はね……なんとあの作るのに手間かかってめちゃんこ美味な……」
「まさか……! 王都を中心にお店が増えてってるって噂の……!」
「そう! チから始まる!」
「うわぁチョコレートだー!」
「なんですかそれ」
嗜好品に明るくないアルヴィンがつい見つめてしまうほど甘やかに香るそれは、肌触りの良さそうな布製の袋の中にわざわざひとつずつ包装された状態で入っている。いかにも高級品だ。
「はいあーん」
「うわあぁ、いただきます!」
「はいアルヴィンもあーん」
「あ、いや自分で食べ……いただきます」
恥ずかしげもなく餌付けされたエルヴィスがきらきらと目を輝かせた。カサネは特に惜しむ様子もなくアルヴィンの口元にも押し付け、自身も口に放り込んだ。
「うわ、え、食べたことない味ですけど、なんか凄い」
「美味っしょ。良き良きの良きまる」
「はい。すごく贅沢な味がします」
「だしょ?」
「店を見掛けたら俺も買いたいですね。これっていくらくらいするんです?」
「それはねアルヴィン、1袋で僕らの4日分の食費くらいだよ」
「えっ」
カサネはしばしば高級品をアルヴィンとエルヴィスに分け与える。ルドラとマルタのような値の張る店に当然のように連れて行き、アルヴィンがいくら申し出ても決してウィーガルを受け取らない。
「カサネさんって太っ腹ですよね」
「そお? いやほらあ、アルヴィンとエルヴィスが来るまで私が最年少だったわけよ。聖火の鏡って実力者が集まるからさあ、どうしても子どもって来ないんよ。ようやく来た歳下だからさあ、お姉さん張り切っちゃってるわけ」
リンガラムの国営キャラバンでは幼い子どもも食い扶持を稼ぐために仕事を探していた。ろくな装備も持っていない寄せ集め集団で死亡率も高く、人材がすぐに入れ替わるために平均年齢は聖火の鏡より低かった。
「カサネさんは聖火の鏡に来る前はどうしてたんですか? いつから魔物退治を始めたんですか?」
「んーとね、私は6歳から。最初から聖火の鏡だったわけ」
「え? いやいや、冗談ですよね。俺たちも8歳から働いてましたけど魔物退治を始めたのは12歳ですよ」
「いやこれガチよ。12年前にミズチに七頭龍が出てきて、そこから逃げてそのままコルマトンに来たわけ」
「えっ……けど、それで6歳が魔物退治しようってなるもんですか?」
「うん」
カサネは槍を指先でなぞった。カサネの槍は武器として使うために加工して穂と石突きを付けているが、重要なのは柄だ。
「逃げて西に向かってる時に魔物に襲われてさあ。そしたらなんか手の届く位置にこれの元になった枝があるの見えて、そのまま殴り殺したんよね」
「なんかトラウマになりそうですけど」
「まあフツーはそうかもね。けどまあ私は初めて魔物を殺して、その時にこれだって思ったわけ。これで食べてこうって」
「才能の開花が過激だよね」
「才能なんて大層なもんじゃないって。枝が手に入った時点でもうそれ超よいちょまるじゃん?」
「よいちょ……? ええと、その枝って特別なものなんですか?」
「なんか精霊樹の枝らしいんだけど加護があるらしくて。後から知ったんだけど」
霊薬が湧かなくなったことでプラヴィアルの若者は精霊の恩恵を受ける機会が少なく、精霊に詳しい者も少ない。アルヴィンは加護があることすら知らなかったし、カサネも明確に理解していない。
「なんかね、大地の盾の加護らしくて。エルヴィスは知ってんでしょ?」
「うん。大地の盾の特性は不可侵なんだ。他の精霊具と違って人間じゃなくて土地とか物とか植物に加護を与えるんだよね。だからその枝でできたカサネさんの槍は絶対に折れないはずだよ」
「こんな細くて軽いのに折れないって時点でもう鬼強いよねー」
「しかも魔力が全身を巡る魔物にとって精霊は天敵だから、弱い魔物ならこれで叩かれただけで重傷だよ」
「なんだそれ強いな」
ただでさえ並外れて機動力があるカサネが精霊の加護を2つも持っている。なるほどたしかに強いはずだとアルヴィンは膝を打った。
「カサネさん、それってやっぱり才能だよ。使いこなせるからカサネさんの前に転がってきたんだよ。だって精霊樹も不可侵なわけだから人や魔物が枝を落とすのは無理だし、精霊だって人を選ぶんだよ」
「マ? んじゃ私ってめちゃんこパないってことじゃん」
「そうだよ。カサネさんはきっと精霊に好かれてるんだろうね」
「やば照れる」
エルヴィスがカサネの耳を見落としたのは、加護を複数受けている人間を過去に見たことがなかったからだ。カサネは精霊との親和性が極めて高い。実際エルヴィスもカサネに対しては、全ての人間に対する愛おしさだけではなく心地の良い親しみがある。
「で、えーと? 人探しするんよね」
「そうそう。ファレーゼみたいな場所が好きな人なんだ」
「けど名前も分からんとか無理み強くない?」
「だからそこはカサネさんにお願いしたくて。声とか身体の音の聴こえ方が違う人がいたら教えて欲しいんだよね。その人は精霊……の加護があるから、カサネさんならもしかして分かるかも」
「ふうん? どんな人なの?」
「外見は素朴で柔和な感じかな。ちょっと考え過ぎるし心配性なところもあるけど、物知りで頭が良くて優しい人なんだ」
一方、賢杖はエルヴィスにそう思われていることを知りつつファレーゼには向かっていなかった。王都に到着した彼は、さあチョコレートを買おうとポケットに手を突っ込んで絶望した。
8年間、服の内側に入っていたとはいえ雨風に晒された日もあった。粉々になって布地に張り付いた紙幣と僅かな硬貨が彼の所持金の全てであった。
「んだよチョコ買えねーじゃん!」
街に到着して気付いたが服もボロボロだ。体臭がないのが幸いだが王都に不相応な身窄らしさだ。
「しゃーねぇな、久々に稼ぐか」
ふふん、と強気に鼻を鳴らした賢杖は、迷う素振りもなく軽やかに進んで行った。久しぶりにやってきた王都は街並みが大きく変わっていたが、賢杖にとっては何の問題もなかった。
よいちょまる=ラッキーらしいです。
この世界にないものが由来の若者言葉は使ってないんですが、おけまるくらいなら「OKって英語由来やん」とは思いつつなんかフィーリングでいいかなと思って使ってます。そこは作品のディティールより親しみやすさを優先してます。
NG例
ベッケンバウアー(別件という意味ですがこの世界にサッカー指導者のベッケンバウアーはいない)
ヤグる(この世界に矢口真里はいない)
おけまる水産(この世界にはなまる水産はない)
フロリダ(風呂に入るので離脱という意味ですがこの世界にフロリダはなく、また一般家庭で浴槽のある家は少なく大衆浴場を使うのがポピュラー)
了解道中膝栗毛(この世界に東海道中膝栗毛はない)
うれしすぎスギ薬局(この世界にスギ薬局はない)
草こえて森こえてアマゾンこえてマダガスカル(この世界に草というネットスラング、マダガスカルはない)
etc……




