世紀の大告白
宿の食堂にて、湯気の立つ朝食を前にアルヴィンは額を抑えて項垂れた。頭が痛いわけではない、ただただ落ち込んでいた。
「本当に覚えてないんだ」
「はい、まさか本当に記憶が飛ぶとは思ってなくて、店を出てちょっと歩いて、そこからはまったく……」
「ああ、あるある分かる。俺も若い頃に飲み過ぎて何度か記憶なくしたことあるけど、急に酔いが回っていきなり飛ぶんだよな。本当急にくるんだよな、そんでいきなりストンッて醒めて戻ってくる」
「俺は残念ながら戻ってこれなかったみたいです……」
「眠くなる部類でもあったみたいだしなあ」
ベルナルドはけらけらと笑ってアルヴィンの背中をばしばしと強めに叩いた。幸い翌日に残る体質ではなかったが、アルヴィンは自分で思っていた以上に酒に弱かった。
「あの、本当に、本当に変なこととかしてないですよね、俺」
「してないしてない、お行儀も良くて可愛いもんだったって。俺がしたのなんてせいぜい上着脱がしてベッドに放り投げたくらいだし」
「お手数お掛けしました」
どうやらとんでもない酔い方はしていなかったようだと胸を撫で下ろしたアルヴィンは、遠慮がちにエルヴィスを見遣った。だとすれば何故相棒が不機嫌なのか、見当がつかないのだ。
「あのー……そう言えば昨日、エルヴィスの故郷探しをするかしないかみたいな話になったよな」
「そうだね」
「それって結局どうなったんだ。その、結局探すのか」
アルヴィンがそう訊ねると、エルヴィスは眉根を寄せて怒りを露わにした。どうしてそうなるのかまるで分からなかったが、アルヴィンは自分が悪いことをしたような気がした。エルヴィスは理不尽に怒ることはないし、そもそも滅多に怒らない。記憶のない間の自分が何かしたようにしか思えなかった。
「探さない! 絶対に探さない!」
エルヴィスの機嫌があまりに悪いので、見かねたファウストが追加で注文した果物の盛り合わせを差し出した。腹を立ててはいてもしっかりと受け取ったエルヴィスだが、この間も困ったように自身を見つめてくるアルヴィンとは目を合わせようともしない。
「まあ落ち着け、何があったかは知らないが、酔っ払いの言動は間に受けなくてもいいんだ」
「うーん、やっぱりそうなのかな……」
「ああ。例えばベルナルドなんかは、過去に女性言葉で犬に喧嘩を売ってから街灯に謝罪して回って、気が付いたら知らない老人3人と朝食を食べていたこともあるが、普段はそんなおかしな思考はしていないし」
「あっちょっどうして俺の黒歴史を持ち出してくるんですか! 言っときますけど俺のはファ、ブライアンさんに比べればマシですからね、ほらあの海藻ノコギリ事件!」
「やめろ! 人の傷を抉って楽しいのか!」
「そのままそっくり返しますよ!」
ぎゃあぎゃあと言い争ったファウストとベルナルドは、その後テーブルに額をつけて沈んだ。互いに傷は深い。
「あの……大丈夫ですか、ベルナルドさん」
「ごめ……触んないでそっとしといて……」
「ファ、ケビンさんも大丈夫ですか」
「いや、うん、お構いなく……」
「ねえ海藻ノコギリ事件って何?」
「頼むから訊かないでくれ」
酷く落ち込んでいる2人を見て、アルヴィンはヴァレマン領を走る列車の中でファウストから貰った助言を思い出した。ファウストは匂いだけで酔うほど弱いので不可抗力もあっただろうが、とにかくあの助言を守らなければ2人のようにいつか精神に多大な損傷を受けるのだろう。アルヴィンは空笑いするしかなかった。
「それでエルヴィス、俺は一体何をしたんだ。お前をそこまで怒らせるようなことをしたのか」
「そういうわけじゃないよ……僕の世紀の大告白を忘れてるのも、そもそも君が酔っ払ってる時に話すべきじゃなかったし。ちょっとモヤモヤすることがあっただけ」
エルヴィスは勧められたジュースを飲み干して目をきらきらと瞬かせた。昨晩ファウストも飲んだリンゴとコケモモのジュースだ。どうやら気に入ったらしく、ファウストの注文した瓶から勝手に2杯目を注いで空にした。そうして多少気が済んだのか、エルヴィスは上唇を舐めて笑った。
「なんだか随分と淡泊な喧嘩だな」
「うーん、なんかね、僕もアルヴィンもどんなに怒っても最終的に許すんだろうなって、分かっちゃってるんだと思う。僕がアルヴィンを怒らせた時もこんな感じだったし。あんまり本気の喧嘩にはならないんだよね」
「互いに譲歩が上手いんだろうな」
「僕はそうかも。けどアルヴィンはとにかく優しいから許してくれるんだ」
アルヴィンはエルヴィスに嫌われることを恐れている。人好きのエルヴィスが人を嫌うことは滅多になく、ましてやアルヴィンが嫌悪の対象になるなどほぼあり得ない。アルヴィンもそれを分かってはいるものの、それはそれとしてやはりエルヴィスに振り回されがちだ。
「ところでさ、この後は評判のケーキ屋行ってみようよ」
「朝飯食ってる最中にその提案か。お前本当によく食うよな」
「アルヴィンが少食なんだよ」
「違うと思う。とにかく甘いものは午後にしてくれ」
「うーん、そっかあ。それじゃあ午前は、行きたい場所があるんだけど付き合ってよ」
3人分のパンと4人分のスープ、2人分のオムレツと果物の盛り合わせまで綺麗に平らげたエルヴィスの瞳の奥には、まだ僅かに酸味が残っている。アルヴィンは目の前の朝食に集中するふりをして目を逸らした。
「行きたい場所って?」
「聖者の金杯。あ、キャラバンの方じゃないよ。折角だから観光しようよ。世紀の大告白もやり直したいし」
アルヴィンは自分がエルヴィスの言う大告白を覚えていないのが、なんとなくばつが悪かった。なので今日はなるべく付き合ってやろうと素直に頷いた。
ほのぼの回というか箸休め回?
ちなみに海藻ノコギリ事件は、赤ワインひとくちで酔っ払ったファウストさんが「僕は自由だ!」と言いながら飛び出して街中を駆け回り、マルシェで「僕は自由だ! 海にだって行ける!」と言いながらワカメを浴び、さらに爆走してから手すりに纏っていたワカメを引っ掛けて転んだ事件です。
そして悟ったように「そうか……自由とは代償もなしに簡単に得られるものではないということか」と呟き、ノコギリ(酔ってどこかから勝手に持ってきていた)を追いかけてきたベルナルドに渡して「これで僕の足を切り落としてくれ。生涯ここに縛られるくらいならば足の1本などくれてやる!」と叫んだ後「無理……やっぱり無理……足切り落とすとか無理……!」と泣き出した後に卒倒して寝ました。カオスですね。ワカメ代とノコギリ代はその後ベルナルドが払いました。ノコギリは大地の盾の倉庫の奥底にしまわれてます。
ベルナルドはもう飲み屋自体に連れて行きたくないけど、打ち上げとかに参加できないのは可哀想だからと連れてってます。ボスをハブるわけにいかないので。
これを機に飲みの場でのファウストさんへの監視が強化されました。どんなにやらかしても冒険者として尊敬してるからベルナルドは辛うじて許してます。苦労人ですね。別に本編とは関係ない事件です。
ちなみにファウストさんももう断ればいいのに「窓際の席で窓を開けっ放しにしているし今度こそ大丈夫なはず」と意気込んで挑んでは撃沈してます。




