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聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜  作者: 雪月黒椿
4章 ボリューニャ・チェルトラ編
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希望 中

「こんばんは」


「ん? ああ、こんばんは。ファウストさんの召使いの人……いや部下だっけ」


「そうそう、僕はエルヴィス。こっちは相棒のアルヴィン」


奥の席で千切ったパンを口に放り入れていたラザラスが、エルヴィスたちを認めて小さく会釈をした。


「ここ座っていい?」


「ああ、どうぞ」


「こんな所で会えるとは思ってなかったなあ、なんだか忙しそうだったから」


「今日は元々休みだったから。手術が終わってティモテ……他の身体いじり担当の団員も復活したし、ついさっき上がらせて貰ったんだ」


「本当にあっさりしてるんですね……人の身体をいじるとかくっ付けるとか、すごく精神力が必要そうですけど」


「そりゃあ切断面がズタズタだと大変だけど、今回のは割と綺麗にすっぱり……いやごめん、食事の時にする話じゃあないね」


出会って然程経っていないにも関わらず、エルヴィスとラザラスは随分と親しげに話す。ラザラスが緊張するのはどうやらファウストの前だけだったらしい。


「ところで君たちだけ? ファウストさんは?」


「あの人は見つかると大変なので、宿から出てこれそうにないですね」


「ああ、たしかにそっか。というか、敬語なんか使ってくれなくていいのに。歳も同じくらいでしょ?」


「いや、まあちょっと、慣れたらってことで」


ラザラスは元来明るく積極的だ。子どもの頃から外国を勉強しに巡るだけあって行動力も並ではない。職業柄とはいえ、友好的な態度で血生臭い発言をする、今までに出会ったことのない人間に対してアルヴィンは距離感を測りかねて内心少し困惑していた。


「ところで、君たちはどうしてこの店に? 観光客に人気の店もあるのに。ここの料理は美味しいけど、いかにも素朴な家庭料理って感じだしあんまり他所の人は来ないんだよね」


「そういうお店って混んでそうじゃん。お腹も空いたし、すぐ入れそうな所がいいなって」


元々観光するつもりで来たわけでもないので、アルヴィンとエルヴィスは人気の店など知らないし、エルヴィスは真っ直ぐこの店へとやってきた。


アルヴィンは最近ようやく気付けるようになったのだが、エルヴィスはごくごく自然に嘘を吐く。ただそれは誰かの損や害になるものではないし、事実と異なるからと言ってどうもしない。なのでその嘘を咎める気もないし、そもそも人は皆少なからず日常に嘘を織り交ぜているものだ。以前は自分以外の人間は潔白に違いないと思い込んでいたアルヴィンだが、エルヴィスでさえ決してそうではないことを知り始めていた。


「ラザラスさんのおすすめってどれ?」


「ラザラスでいいよ。僕がよく頼むのはこれかな、この白蛇の揚げたの。これに果実酢を使ったソースをかけて食べるのが好きなんだよね」


「わ、それ美味しそうだね。それとあと……」


アルヴィンは先程の話の続きを急かすこともなく、真剣に品書きを眺めるエルヴィスを一瞥した。非常に不思議なことに、エルヴィスは魔物だけでなく人の存在も感知できる。真っ直ぐこの店にやって来て、偶然を装ってわざわざ今日初めて出会ったラザラスと同じ席に着いた。アルヴィンにはそれが無意味なことには思えなかった。


「ねえ、もしよければ教えて欲しいんだけど、ラザラスってどうしてキャラバンを作ろうと思ったの?」


「ええ? そんなこと聞いて楽しい?」


「僕はすごく興味あるよ」


「不健全だなあ。まず僕とご飯を食べるよりも、女の子に声でもかけてくればいいのに」


「ラザラスの話が聞けるのはここだけでしょ。女の子に声を掛けるのは別に何処だっていいんだから」


「言うねえ。仕方ないなあ、そんなに聞きたいなら特別に語っちゃおうか。途中で面倒臭くなっても知らないよ」


アルヴィンはラザラスからほんのりと酒の匂いがすることに気が付いた。その手元には葡萄酒のグラスがある。それが気さくな性格を助長して、元から柔らかいラザラスの表情筋を弛緩させている。


「そうだなあ、何から話そうか。やっぱりあれかな、聖者の金杯。君たちも知ってるでしょ」


「ラザラスのキャラバンでしょ。それとも10年前に壊滅した方?」


「違くて、お伽話にも出てくる水の精霊具の方だよ。チェルトラの観光名所でもあったけどさ……」


この世には神から与えられたとされる4つの精霊具がある。聖火の鏡、聖者の金杯、疾風の賢杖、大地の盾。4つの大国がそれぞれを保有し、プラヴィアルにあるのが聖者の金杯だ。


「10年前、魔物の群れが攻め入ってきて、それを機に金杯から霊薬が湧かなくなったんだよね。それってなんでだと思う?」


「ええと、魔物が何かした、とかですかね」


「実はそうじゃないんだよ。これから言うことは絶対に秘密だよ、いいかい?」


「そんな大事なこと、ほいほい喋っちゃっていいの?」


「そうだなあ……なんと言うべきかな」


清涼な輝きの瞳が、自分の顔に埋め込まれている2つの目玉とはまるで別物のようで、アルヴィンは取り込まれるようにラザラスの瞳を見つめた。この瞳で見据えられたなら何でも聞き入れてしまいそうな、狂気的な何かに満ちているように見えた。得体の知れない、しかし恐ろしくはない、心の何処かで熱望しているような何かに。


「ええと、エルヴィスだっけ。君の目って不思議だね。真っ直ぐ見られると何でも話してしまいそうになる気がする」


「よく言われるよ」


「やっぱり? それに、だからと言って無闇に言いふらしたりしなさそうだ。だからいいかなと思ったんだ。それと相棒の……アルフレド?」


「アルヴィンです」


「アルヴィンも不誠実には見えないし。まあ、もし言いふらされたとしても、今なら多少なんとかなるような気はするし。あ、でも言わないでね」


「うん、約束するよ」


ラザラスは嬉しそうに頷いて身を乗り出した。低く落とした声を潜めて、しかし内緒話とは思えないほど表情だけは嬉々としている。


「霊楽が湧かなくなった原因、多分僕なんだ」


しかしいざ落とされた告白は、その顔に不相応なものだった。


アルヴィンが魔物退治を始めた頃には既に霊薬も霊水もないのが当たり前で、実際使ったことはない。しかしエルヴィスが赤蛇に噛まれた時は縋りたくなったし、リンガラムのキャラバンで身体の一部を失う冒険者たちを何人も見ていた。霊薬が必要とされていることは理解しているつもりだ。


だからこそアルヴィンはラザラスを理解できなかった。何故そんな告白を嬉しそうに口にできるのか、自分だったらきっと死んでしまいたくなるに違いない、と。


「言い訳すると、意図的に枯渇させたわけじゃないよ。魔物が攻め込んできたあの日、僕は本当に酷い目にあってさ。朦朧としてたし、ちょっと記憶が曖昧なところもあるんだけど、たしか結構な大惨事で。両脚は喰われてたかな。ああ、あと片腕も。お腹もやられてた気がする」


「え?」


「ん、どうかした?」


「あ、いや……続きお願いします」


どこかで聞いたような話だと思い記憶を巡らせたアルヴィンは、相槌を打つエルヴィスを一瞥した。初めての強制指令の打ち合わせ、その帰り道、似たような話をすぐ隣に座る相棒の口から聞いていた。


「その時は多分、まだ霊薬は湧いてたんだ。僕はとにかく死にたくなくて、這いずって金杯に向かった。そこに辿り着いて、たったひとすくいでも口に含めば助かると思ってさ。だけど子どもがそんな身体で行こうだなんて無理があるよね。案の定途中で力尽きかけたよ」


アルヴィンは到底その光景が想像できなかった。当時6歳の子どもがそこまでの生命力を持って命に執着する様は異様とすら言える。ほとんどの子どもは泣き喚く間に死んでいるだろうし、そんな状態になって動けるはずがない。


「だけどいざ死ぬって時、僕の目の前に光が広がって収束した。そして気が付いたら朝になって僕の身体は治ってた。けどそんなこと、霊薬がないと不可能だよね。それで金杯へと向かったら、霊薬はもう湧いてなかった」


「それは……ラザラスさんが原因とは限らないんじゃないですか」


「いやあ、それはほら、直感ってやつかな。聖者の金杯が、僕の命を救おうと向こうからやってきてくれたんだろうなって。本当に、なんとなくだけど……見られてた気がするんだ。その光に」


気が付けば、ラザラスの口角は上向きではなくなっていた。この人はこんなに真剣な顔をしていただろうかと、アルヴィンは肺を締め上げられたような気分になった。


「あの奇跡に相応しい人間になる。失われた霊薬に相応しくなってみせる。僕は自分が生に特別執着している人間だって自覚してたから、興味は自然と湧いてきたし、霊薬に代わるものと言えばやることは大体決まってた。そしてそれが僕の、与えられた命への報い方だと思ったんだ」


やっぱり語るのってなんか恥ずかしいね、真面目に聞かなくたっていいから、君たちも食事を楽しみなよ。そう言ってラザラスは葡萄酒を一気に呷った。赤らんだ顔を手で扇ぎながら誤魔化すように笑う彼は、キャラバンにいる時とは違いまるでただの青年だ。アルヴィンはふと、そんな彼が羨ましくなったが、何に対してそう思ったのかは自分でもよく分かっていなかった。


「だからまあそんな訳で、僕はキャラバンに水精霊の善行って名前をつけたんだ。聖者の金杯は水の精霊具だから」


「……なんだか凄いですね、本当に。そういうの、自ら背負うなんて。俺だったらとても無理ですよ、すごく重そうですし」


「正直止めたい時もあったよ。だけど僕が続けようが放り投げようが、霊薬はもうないわけで、助かるはずだった命はこれからも積み重なってく。罪悪感からの自己嫌悪は酷いものだったけど、仲間の力を借りながら人の命を救えるようになってようやく、そういう感情も報われた気がする」


頬杖をついたラザラスは緩やかに微笑んだ。


「生きてて良かった」


アルヴィンは愕然とした。自分は()()で生きる気力を大きく損ねたのに、何故そのような境遇に置かれて尚そう思えるのか。例え渇望しているものでも、決して手が届かないと知ってしまえば途端に諦めがつくように、最早ラザラスに対して羨望は抱かなかった。

ラザラスはまだまだ一般的な感覚の持ち主です(多分)

私が学生時代実習に行った病院とかでは、すっかり慣れ切って

「Aさんの余命宣告は?」

「B先生がしてる! なんか男と男の話してくるキリッて格好つけてたけど〜」

「やだウケる〜」

みたいな会話もありました。

腎透析の病院とかだともっと麻痺しそうですね。

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