希望 前
聖者の金杯。10年前までチェルトラに存在していた、社会刑事系キャラバンの名だ。総団員数は54名、殉職者は49名。日頃の戦闘訓練は対人を想定したもので十分な武器もなかったが、果敢に魔物たちに食らいつき人々を守って散っていった。その災害による総死者数は殉職者を含め58名。死人が出ている以上明るい言葉を使うべきではないが、それでも奇跡的な数字だったと言える。
ファウストはチェルトラの英雄と呼ばれることが苦手だ。何故なら彼にとって、英雄と呼ばれるべきは自分自身ではないからだ。
殉職者たちも勿論讃えられているが、ファウストは分かりやすい英雄なのだ。魔物の群れを殲滅した事実ばかりで飾られた自分を、子どもや若者にきらきらと輝く瞳で見られたなら、胃が絞られているようかのようにきゅうきゅうと痛む。しかもそれが目の前の美しい青年からとなれば尚更だ。チェルトラはファウストにとって大切な街だが、自身の臆病と矮小さの象徴でもある。
「すみません、紅茶を淹れるのが得意な人がいなくて。僕が淹れたので拙いですけど」
「いや、ありがとう。頂くよ」
ラザラスはまるで恋する少女のように頬を紅潮させている。どうやら彼の視界にはファウストしか入っていないようで、だからと言ってどうもしないアルヴィンたちは無言でユナの淹れたあまり美味しくない紅茶を啜った。恐らく本当に紅茶を淹れるのが得意な者はいないらしい。
「君は今いくつなんだ」
「16です」
「その若さで四大の団長兼代表者か。恐ろしい能力と志だな」
「そんな、良い仲間が集まってくれたから形になっただけですよ。それにファウストさんだってそうじゃないですか」
「僕にはセッティの名もあったし、ある程度形になっていた組織を買い上げただけだ。だが君は1から作り上げたんだ。本当に素晴らしいのに謙虚だな」
「いやそんな……」
ラザラスは恥ずかしそうに俯いて、しどろもどろな謙遜をぶつぶつと呟いた。その顔は緊張と興奮で真っ赤になり汗ばんでいる。
「あの、本当に嬉しいです。つい強引に誘ってしまって迷惑だったかなって思ってたんですけど、ファウストさんにそんなことを言って貰えるなんて」
「迷惑なんてとんでもない。僕は今日、君と出会えて本当に良かった。実際に会ってみると人伝に聞くよりずっと立派だ。それが知れて良かった」
「ひぇ、えっ、あっ、そんな……」
「ちょっとぉ、これ以上センセェを誑かさないでくださる?」
顔に血液が集まり過ぎて、ラザラスの顔色はおかしなことになっている。ファウストもアルヴィンも、すっかりエルヴィスとは別人に見えるようになっていた。しかしそんな奇妙な空気は突然に破られた。
「入るぞ代表!」
「うわっ驚いたな、どうしたの?」
「エッカルトさんとこの息子が大工道具触って指落としたって」
「あれ、けどそれくらいならティモテがなんとかするんじゃ?」
「あいつは初めてのコーヒーが腹に合わなかったらしくて休憩室で死んでる」
「ええ……分かった行くよ、何分経ってる?」
「15分くらいだ、んな汚ねえ取れ方じゃねーから早いとこくっ付けてやってくれ」
「了解。そうだ、ジェンマも呼んで!」
ラザラスは一礼だけして急いで部屋を出て行った。ファウストは先程の会話に面食らったらしく目を白黒させた。
「指が落ちたのをそれくらいで、か。怪我した側からすると一大事だと思うんだが、なんだか凄いな」
「あらぁ、そう? 一々深刻に受け止めてたら、こっちが持たないんですもの。もっと酷い患者だって沢山いるんだし、指くらいならすぐに処置できるし日常よぉ。特にセンセェは今日は元々休みだから少しくらい面倒に思ったって仕方がないじゃない?」
「そうか……たしかに、僕らの仕事も自殺行為だと呼ばれることがあるが、当事者にとっては日常だものな」
僕たちもお暇しよう、ファウストはそう言って紅茶を飲み干した。治療も終わったし長居する理由はない。
「ユナさん、僕たちはこれで失礼するよ。ラザラスさんに有意義で楽しい時間だったと伝えてくれないか」
「はぁい」
「さあアルヴィン、頼むぞ」
「えっ、またあれやるんですか」
上着を羽織ったファウストに再び背中に貼り付かれ、アルヴィンはここでチェルトラに来たことを後悔したくなった。これと周囲の視線だけで精神の消耗が酷い。
「宿は確保してあるからそこまでだと思って、そこからは好きにしてくれて構わないから」
「ああ、はい……」
「だってさ! やったねアルヴィン、僕行ってみたい場所あるんだ!」
「あのファウストさん、やっぱり俺じゃなくてエルヴィスに貼り付いて貰えませんか。こいつの方が元気そうなので」
「エルヴィスは目を惹くからダメだ」
「そう言えばやけに見られてると思ったの、ラザラスさんに似てたからだったんだね」
「中身はまるで似てないけどな」
エルヴィスはいつも通り呑気で柔らかい雰囲気を纏って、鼻歌を歌いながら歩いた。アルヴィンは彼の金髪が揺れるのを眺めながら、エルヴィスの秘密について考えた。
母と再会できたらという約束をわざわざ繰り上げたのだ、急がねばならない事情ができたのだろうが、だとすれば何故チェルトラに寄り道などしているのか。人生の半分以上の年数をエルヴィスと過ごしても、アルヴィンは彼の考えを読み切れたことはほとんどない。
ベルナルドが確保しておいた宿に辿り着いてから、アルヴィンとエルヴィスは観光に出掛けた。色が変わる湖を眺めたり、装飾品の店でカサネへの土産物を見繕っていると時間はあっという間に過ぎていく。
そうこうしている内にすっかり空は薄暗くなった。エルヴィスが空腹を訴えたので、まだ少し早い時間だが夕食をとりに店を探すことにした。アルヴィンも食べ盛りだ、実は空腹だった。
「ところでエルヴィス、前に言ってた秘密ってなんのことだ。強制指令が終わったらって言ってただろ」
「うん、そうだね。けどどうしよっかな。本音を言うとちょっと迷ってるんだ。アルヴィンに信じて貰えるかなって思うとさ」
「お前はへらへらしてるけど、意味もなくふざけたことを言うやつじゃないだろ。ここに来たのだって何か理由があるんじゃないか」
「そうだよ。別にファウストさんが怪我しなくたって来る気だった。今じゃなくたってきっと必ずいつか、ここに戻ってくるつもりだった」
エルヴィスは建物の前に立つ案内板を眺めて、家庭料理の店を指差した。
「ここにしよっか」
特に反対する理由もないので、アルヴィンは大人しく頷いた。列車の中で聞いていた通り、建物の中は外観とはまるで印象が違う。右を向けば青、左を向けば赤、少し進めばまた印象の違う店が客を呼び込んでいる。
「アルヴィン、僕はね。君と出会った時にはとっくに決めてた。だけど君と楽しく生活してる内に決心が鈍っていったんだ。それで今は自分でもどうすればいいのか分からない」
「……それは、俺と出会わなかった方が良かったってことか?」
「違う。それだけは絶対にないよ」
エルヴィスは先程覚えた微かな魔力に向かって迷いなく進み、アルヴィンのその後ろを着いて行った。久しぶりのチェルトラでも迷う素振りを見せない相棒が不思議だった。
「僕は君にあんな依頼をしたことを後悔してる。だって君に出会ったばかりのあの頃の僕は、君がこんなに優しい人だって知らなかったから。そんな君に片棒を担がせるのって、それってなんて酷いんだろうって」
「お前の依頼は故郷探しだろ。何の話をしてるんだ」
「ちょっと事情が変わってさ。僕の依頼は、アルヴィンに投げるのはあんまりなものになっちゃって。だから依頼を取り下げるかそうしないかは僕が決める。ただ君の意見をちょっと聞いて、それで……どう決断するにしても、ほんのちょっと、背中を押されたいんだ」
2人が料理屋の入り口を通れば、店員が案内をするために早足で迎えにやって来た。アルヴィンが初めて入る店の中を興味津々で眺めていると、今日初めて出会った見慣れた顔が視界に入った。
キャラバンは現実でいう会社みたいな感覚で書いてます。代表者=CEOみたいな感じで、団長が代表者を兼ねてるところもあれば、雇われ社長をやってるところもあって、それはキャラバンそれぞれって感じです。だから買収や合併吸収もできます。
社会系は多くは国に帰属してるので別枠ですが、聖者の金杯は民間病院みたいなもんなので、また更に別枠かな。社会系でも初の試みです。
産業系だったけど、名前を貰った時に社会系に変更したことで、補助金も貰えてキャラバンを大きくできて、団員の生活も保証できた大団円です。別にこの設定は今後特に出てきたりしませんが。




