霊薬のいらない世界
アリグレットと違い、ヴァプトンの金鉱山はまだ資源の採取が期待できる。棄てられた土地ではない。交通に関しても、4つ隣の町では氷大蛇の出現前と同じように鉄道が運行している。氷大蛇が白金階級に指定された時こそ騒がしく避難する者もいたらしいが、今では住人たちも慣れてしまったらしい。危ないのは分かってるんだけどねえ、まあ避難した方が良いんだろうけど。などと口にしながらも暮らし続けている。
白金階級の魔物は、実は皆が皆危険視しているわけではない。住処を確保してしまえば、それ以上を求めてわざわざ人を襲った例もない。しかしまさか恩恵をもたらすことを予想した人間はいなかった。
雷神象の棲みついていたレストニア領アリグレット。不作の地に青々と緑が茂った。
「食糧が不十分なはずのレストニア領で、あそこまで巨大な体躯。確かに、言われてみれば不可解だった」
「そういえば雷神象の背中、木が立派に育っていたよな」
ルクフェルとファウストは強敵の姿を思い出しながら頷き合った。雷神象の時とは違い、団長2名の余裕は虚勢ではない。
グリフィロ領を駆け抜ける汽車の中、聖火の鏡と大地の盾の面々は最終確認を行った。必要な話が終わってからは皆が雑談に花を咲かせている。緊張が解れるのならいいだろうと、ファウストは特にそれらを咎めることはない。
雷神象の討伐後、その巨体をどう処分するか困った領主は人が住んでいないからと先送り、つまり放置した。するとどういうわけか腐敗した雷神象を中心として草木が栄え始めた。雷神象は植物的特性を備え太陽光などから活動力を自己生成していた、身体の分解物は土壌を変質させ等、考察が出回っているが真相はまだ不明だ。
「もし植物の育つ土地になれば農地にもなるんだろうな」
「ああ、将来的にはあり得るだろうな。まずは人の住める土地にすることが先だろうが」
「なんだか感慨深いよな。人の役に立てている自信はあったけども、ついに土地まで取り返してしまったからな」
「取り返す、か……僕にしてみれば、彼らもやれるだけのことをして生きる動物に思えるな」
魔物と動物の差は明確ではない。ただ魔物と定義されている生物を、皆そう呼んでいるだけだ。火を吹いたり雷撃を撒き散らすならばともかく、白蛇や草狸のように害獣と然程変わらない魔物もいる。
もっと予算欲しいんですよぉ、なんとかお願いしますよぉ、魔物退治系だってもっと情報あった方が安全で良いでしょう! ファウストは産業系キャラバンで魔物生物学の研究をしている知人がそう言って泣き付いて来たのを思い出した。
「お、もうすぐ到着じゃないか。ここから2日に分けて徒歩か、なかなか堪える距離だよな」
「そうは言っても町4つ分くらいだから、レストニア領よりはずっと楽だろう。あっちは広大な上に足場も荒れていたからな」
「その通りなんだが、昔ほど若くないからな。なんだかんだ30……あっ一昨日で31だった」
「おめでとう」
前回からもう1年も経ったのか、とルクフェルは衝撃を受けた。年々時の流れが早くなっているように思えて素直にそれを口にすれば、ファウストは共感して深く頷いた。
「マ!?」
一際大きな声が聞こえて皆そちらに注目した。カサネが騒いでアルヴィンの髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回しているところだった。
「ねーねー、アルヴィン今日誕生日なんだってさ!」
「いぇーい!」
エルヴィスが焼き菓子の入ったおやつ袋を掲げて便乗した。差し出されたそれはケーキの代わりらしいが、アルヴィンはそれが昨日の残りであることを知っている。とは言えそんなことで機嫌を損ねる性分でもないので素直に受け取った。
「そりゃあれだな、戻ったら打ち上げも兼ねて盛大に祝おうじゃないか」
「いえそんな、大丈夫ですよ」
「まあまあ、いいじゃないか。君は若いんだし思い切り騒ぐべきだ」
いや本当に……と遠慮するアルヴィンの肩に手を置いたのはファウストだ。その表情は妙に険しい。さすがにうるさくし過ぎたかとアルヴィンが謝ろうとした時、ファウストは極めて真剣に勧告し始めた。
「いいか気を付けろ。16の誕生日祝いなんて、合法的に酒が飲める世界に引き摺り込むための口実だ。まずは水で薄めた上でひとくちずつ、様子を見ながら飲むんだ」
「えっ、あっ、え?」
「さもなくば君に黒歴史ができるし、なんなら永劫なにかと蒸し返されて君の精神を容赦なく抉ってくる」
何かあったんですか、アルヴィンはそう訊ねようとして止めた。訊くまでもなく何かあったに違いない。アルヴィンはあまり気に留めていなかったが、ファウストにとっては子どもの前で誤って飲酒し、号泣して部下を罵倒したのは立派な黒歴史だ。とにかく酒を飲んでロクなことをしたためしがないのだ。
「さて、もうそろそろ到着だな。忘れ物はするなよ」
ファウストは双剣を腰に携えて部下たちに声を掛けた。新しく用意したらしいそれは装飾も控えめだ。
キャラバンの代表者や団長にもなると自身を華美に飾りたがる者もいるが、ファウストはそうではない。むしろ飾らない姿こそが彼の魅力とも言える。アルヴィンがつい目で追っていると、にやりと笑ったカサネがその頬を突いた。
「アルヴィンってさ、結構惚れっぽかったり影響されやすかったりしない?」
「えっ、そんなこと……そう見えますか?」
「んー? あっはは、さあね。かぁいいねー、アルヴィンは」
「だから、その可愛いって……」
アルヴィンが不服そうにするほど、カサネは可愛い可愛いと言いながら嬉しそうに少し跳ねがちな赤毛を掻き回す。
身長は伸び、幼なげな丸みもなくなりつあって、少なくとも出会った時より可愛いはずがない。だと言うのにカサネは以前より頻繁にそう口にするようになった。
「カサネさん僕は?」
「エルヴィスも可愛いよ。きゃわたん」
「わーい」
「いやこれ嬉しいか?」
車輪と線路が激しく擦れ合い甲高く鳴いた。窓の外を走る見慣れない風景が静止したところで皆それぞれ立ち上がった。今回は大地の盾の冒険者も実力者揃いだ、アルヴィンは逞しく自信の溢れる背中が素直に羨ましくなり心躍った。
グリフィロ領は金鉱山によって栄えていた地だ。氷大蛇が現れてから5年、街並みは平穏を失いつつあった。地面は所々ひび割れていたり、人がいなくなり劣化した店や住宅の抜け殻が廃墟のように置き捨てられている。資源の採掘ができない今、はっきり言って景気が悪い。石畳の修繕費用さえ出し渋っている始末だ。
「とは言え、氷大蛇が現れなくてもいずれは金鉱山を当てにできなくなっていただろうが」
「そうなんですかね」
「資源はいつか枯渇するだろう。他に金策があればまだここまで寂れなかったかもしれない」
ファウストが先頭を歩きながら赤蛇の頭を切り落とした。人が少なくなったためか魔物が住み着き始めているようだ。現れるのは雑魚ばかりとは言え、武器も力もない住人にとって最早安寧の地にはなり得ないだろう。
「リンガラムよりも多いな」
「ね。それにあっちは出てもせいぜい蛇と、たまに群れから逸れた小鬼くらいだったしね、っと」
エルヴィスの矢が約450ルィート先の黒蛇を射抜いた。アルヴィンは視力が良い方だが、それでもそのくらいの距離となると何かがいる、程度にしか認識できない。やはりエルヴィスは射手としてはかなり優秀だ。
「というか今更だけど、なんで強制指令に来てるんだ」
「え、ダメ? 自分から希望したんだけど」
「いやダメと言うか、はっきり言って白金階級の魔物に矢が通るとは……」
相手が能天気なエルヴィスとは言え、さすがに思ったことをそのまま口に出してしまうのは憚られてアルヴィンの言葉はもごもごと尻すぼみになる。しかしエルヴィスはそんなことは百も承知でここまでやって来た。
「白金階級の魔物が増え始めたのって、冒険者が減ったことが大きな理由って言われてるじゃん」
「ああ、まあ」
「それってつまり、霊薬がなくなったからだよね」
魔物退治の職業としての人気は年々落ちている。なり手が少なくなっただけでなく、既存の冒険者たちの死亡率も上がったため需要は増えているが供給が追い付いていない。しかし霊薬が今でもあって、雷神象も氷大蛇も誰かが早期に対処していれば。
「僕ね、霊薬がなくなって世界がどう変わっていくのか見たいんだ。それが使命というか義務みたいに思っててさ。だって僕の身体を治してから湧かなくなっちゃったんだから……というか本音を言うと、霊薬がなくたって大丈夫な世界を見たいんだ。だからね、アルヴィンやカサネさんたちが氷大蛇を仕留めるところ、僕はどうしてもこの目で見たい」
なんだか大層な期待をされているような気がして、アルヴィンはつまらない返事をするくらいならと相槌を打つだけだ。エルヴィスはそれを見てくすくすと笑った。
「けどねアルヴィン、それを待っているだけじゃなくて、僕だって霊薬のいらない世界の一部になりたいんだ。だからね、ちゃんと秘策を用意してあるんだ」
「秘策?」
「まあ使う機会があるかは分からないけど。大丈夫、いつも通りやるだけだよ」
もし霊薬の必要ない世界になれば、あとは気兼ねなく人生を楽しもう。きっとそれだって、与えられた命への報い方のひとつだ。
エルヴィスの心は期待で踊った。アルヴィンは妙に機嫌の良い相棒を見てただただ不思議そうにした。
今年の年末年始は暇だから頑張ってたくさん書きたいですね!
この休みでどれくらい話が進むかな。
あと別に大した変更じゃないけど、過去の話に出てる長さの単位とかをちょっと変えました。別に話の流れには影響ないです。