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聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜  作者: 雪月黒椿
4章 ボリューニャ・チェルトラ編
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短い人生

顔には出していないものの、エルヴィスは内心がさついていた。ブラムがアリアのために霊水を買っていたことを、アルヴィンは知らない。知っていたらもの凄く気に病んでいたはずだ。そして赤蛇に噛まれた時にエルヴィスが飲んだ霊水があれば、アリアはもう少し生き延びただろう。


「ねえブラムさん、霊薬があればアリアさん治ってたんですかね」


「そりゃあ霊薬なら大体のことはなんとかなっただろうが、まあ、今更だよな。今となっては国中駆け回って探しても見つかるか分からないんだから」


「そっか。うん、そうですね……」


間違えた、とエルヴィスは思った。ブラムにそんなことを訊ねるのはあまりに配慮に欠けているような気がした。なんとなくばつが悪くなって、エルヴィスは遠慮がちに視線を床に向けた。


アルヴィンがあの時買ってきた霊水を、エルヴィスは決して無駄だとは思わない。節約家の彼が、顔が青褪めるような金額のそれを息を切らせて買ってきたのだ。他ならぬ家族である自分のために。エルヴィスはそれが嬉しかったし、雷神象を討伐する際カサネの脚をすぐ治すのにも役立った。


そして実際、霊水があと1本あったからと言って、アリアが迎える結末は同じだっただろう。ブラムは霊水がなくなるまで同じことを繰り返していたに違いない。


しかし霊薬であれば。そしてリリアナについても、霊薬があれば。


「その黒いの、使い果たしたら消えてくんだ。だからリリアナさんのその黒い手足は、いつかはなくなるものなんだ」


「えっ、そうなんですか?」


「うん。だけど無理に欲しがらないで欲しい」


「……欲しがれば、手に入るものなのですか」


リリアナの瞳が仄暗く揺れるのを見て、エルヴィスは唇を引き結んだ。だがそれだけだ。エルヴィスは彼女がそこまでする人間ではないと思っている。


「どうすれば手に入るのか、多分薄々気付いてると思うけど。なんとなく、そういうのって感覚で分かるよね。だけどね、僕はリリアナさんがそんなことする人じゃないって信じたい」


エルヴィスが目を鋭く細めてリリアナを見据える。いつも涼しげな色ながら温かい瞳が、厳しく冷たく彼女を射抜いた。


「君が取り返しのつかないところまで間違えたなら、僕は君を殺してやる。何処にいたって僕には分かる、絶対に殺してみせる」


幼なげな丸みのある頬が恐れと緊張で強張る。しまった怖がらせてしまった、などとエルヴィスは思わなかった。いざとなれば本気で、この手で。そうでなければならないのだ。少なくとも魔人に対しては。


リリアナはひとまずブラムの家で隠れて暮らすことになった。元々人の出入りが多い家ということもあり、ブラムは特に抵抗はない。エルヴィスはリリアナが欲しがらないかが気掛かりではあったが、現状ではそうする他ない。


ブラムの家を後にして、エルヴィスは列車に揺られながら窓枠に肘をついた。今日の夕方には戻るはずが、結局明日になりそうだ。過保護な家族の怒る顔が安易に想像できた。


リリアナが人間の身体を保つ方法は簡単だ。食事と睡眠、それでなんとかなる。あの黒く錆び付いた魔力から、身体の生命力でもって命の主導権を奪い返せばいいだけだ。


詰まるところ、身体を使って人間として生きるか、魔力を使って魔人として生きるか、そのどちらかなのだ。ただ魔人として生きればいずれは……エルヴィスはリリアナがそこに辿り着いてしまう前になんとかしたいとは思ったが、どうすればいいのかは未だ検討がついていない。


実を言うと、エルヴィスは高を括っていた。霊薬がなくなってから10年足らずでその必要性に直面するとは思っていなかった。少なくとも自分の短い人生くらいの猶予はあるだろう、その間に解決策を見つけようと思っていたのだ。


「どうしよっかなあ……」


考えるまでもない、以前の自分であればすぐにでも解決策を探しに東へ西へと駆けていただろう。今だってそうしたい気持ちはある。だがそうすれば間違いなく今の生活を手放すことになる。


はて、とエルヴィスは伏せていた顔を上げた。それの何がいけないのだろう、以前はそんなことを気にも留めなかったはずなのに、一体どうして。いや、考えずとも分かっている。


エルヴィスは今の暮らしをもの凄く気に入っているのだ。目覚めてアルヴィンの作るスープを3杯は平らげ、仕事をして金を稼ぐ、家族と共に送るそんな生活が。最悪朝のスープはなくなったとしても、孤独に戻ることは想像したくない。


僕も随分わがままになったんだなあ、たった9年でこんなにも。でもそうだなあ、こういうの、もしかして人間らしいって言うのかな。


「……ふふっ」


人間らしい。まさか自分が。エルヴィスはつい笑い声を零したが、車両と線路の摩擦音に掻き消された。他にも人のいる車両ではできないが、地平線に向かって叫び出したい気分だった。


そうだ、こういうのだ! ずっとこういうのに憧れてたんだ!


翌日、コルマトンに到着したエルヴィスは、早朝の清涼を切り裂くように駆け出した。一刻も早くアルヴィンに訊ねて、その答えを確かめたかった。そうするまでもないことは分かっていたが、それでも確かめたかった。


大通りを外れればすぐにでも賑やかな色彩を失って閑散とするコルマトンの道を、住処に向かって駆けていく。エルヴィスの空っぽの腹がくぅ、と音を立てた。


あぁ、お腹空いたな。アルヴィンのスープが飲みたい。遅くなって怒ってるかな。僕の分も用意してくれてるのかな。


「ただい――」


「遅い!」


扉を開けてまず叱咤が飛んできた。予想はしていたので、エルヴィスは素直に受け入れて謝った。しかしアルヴィンがそれ以上追及してこないので、エルヴィスは却って気まずいような、申し訳ないような気分になった。


「まあいいか、ほら。朝飯できてるから手くらい洗ってこいよ」


「あれ、もっと怒られると思ってた」


「そもそも昨日の夕方に戻って来れるはずないって分かってたからな。お前は昔からその辺の時間の感覚というか、算段が大雑把過ぎるんだ」


呆れたように言いながらスープをよそうアルヴィンの手元を見て、エルヴィスは上機嫌に微笑んだ。鍋の中にはいつものようにたっぷりとスープが入っている。


「その様子だと、ブラムさんとレナルドは無事だったみたいだな」


「うん。あ、レナルドには会えなかったんだけどね。使用人の人に訊いてみたんだけど、留守にしてるみたいで」


「そうか、まあ無事なら良かった。多分忙しいんだろうな、あいつ変に行動力あるし」


テーブルの上に料理が並び、2人揃って手を合わせて挨拶をする。エルヴィスは食事をしながら、リンガラムでの出来事の一部をアルヴィンに話した。主にアリアのことだ。彼女が亡くなったことを伝えると、アルヴィンはやはり自分も行くべきだったと後悔を口にした。エルヴィスはそんな相棒を見て、やはり行ったのが僕だけで良かったなどと考えた。


「ねえアルヴィン、前に話したこと憶えてる? いつか君がお母さんと会えたら、僕の秘密を教えるって」


「ああ、言ってたな。それがどうかしたのか」


「約束と違っちゃうけど、強制指令が終わったら、その秘密を聞いて欲しいんだ。それでその上で、僕の故郷探しを再開して欲しいんだ」


アルヴィンなら聞いてくれる、そして僕の頼みを受け入れてくれる。エルヴィスは彼の首が縦に振られることを期待した。


「前々から思ってたけど、その故郷探しに俺って必要か?」


「うん。僕の短い人生は、そうやって彷徨うことに使うんだろうなって思うんだ。だけどね、そこに家族がいてくれれば、何かある度に会話があって、全てのことが思い出になる気がする。君がいてくれれば、つまらない人生が旅にも冒険にもなるんだ」


「お前、俺には散々自分で決めろとか、怠慢で時間を浪費するなとか言っておいて、自分はそういうのでいいのか」


「僕は家族とそうやって過ごしてみたくて、この世に生まれてきたんだから。アルヴィンがそれに付き合ってくれるなら、それって凄く幸せな人生だよ」


朝っぱらから恥ずかしいやつ。今までも何度かアルヴィンはそう思ったが、今朝は特に恥ずかしい。真面目な顔で言うものだから余計に気恥ずかしい。


ふと、アルヴィンはエルヴィスのスープ皿が空になっていることに気が付いた。いつもならとっくにお代わりをしているはずだが、エルヴィスはそんな気配もなくじっとアルヴィンの答えを待っている。まさか自分が答えるまでお代わりしないのだろうかと思うと、アルヴィンはなんだか笑えてきた。


「ああ、いいよ。元々は依頼だしな」


「本当? やった!」


「ああ。故郷が見つかるか、お前が諦めるかまでは付き合うつもりだからな」


望んでいた答えが得られたので、エルヴィスはぱあっと笑ってお代わりをよそった。ああ良かった、やっぱりアルヴィンは頷いてくれるのだと、ひたすら喜んだ。


料理を口に含む相棒があんまり嬉しそうなので、アルヴィンはまたこの心地良さを手放し難くなった。だが少なくとも、エルヴィスが自分を必要としてくれる内はいいだろうと、一瞬頭を過った過去に蓋をした。どうせエルヴィスが最後の家族なのだ。


「楽しみだなあ。僕らの夢がどっちも叶うかもしれないね。アルヴィンはお母さんに会えて、僕はいろんな地域の美味しいものを食べて」


3杯目を飲み干したエルヴィスが、あくまで呑気に言った。アルヴィンは食事に集中する振りをして、そうだな、と空返事をした。

エルヴィスが何か知っている模様……。

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