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聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜  作者: 雪月黒椿
4章 ボリューニャ・チェルトラ編
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死ねばいい

4名中2人は放心状態だったものの無傷、1名は負傷、1名は死亡。負傷者はラザラスとユナが右足を切断した少女だ。そしてラザラスが情報を集めているのは、死亡した青年についてだ。


「だから、うちの娘は友達が亡くなったことに傷付いてるんだ」


「それはもちろん分かっています。だからこそイネスさんの治療のために情報が欲しいんです。もし毒でもあれば薬を作らなくてはいけないので」


「だけど……」


「これでイネスさんにまでもしものことがあれば、娘さんはもっと傷付くのではないですか。どうか会わせていただけませんか」


厳格そうな父親が、ラザラスの熱意にたじろいだ。彼の声が聞こえてか、なお渋る父親の後ろから当事者である娘がひょっこりと顔を出した。


「ねえ」


「うん、こんにちは」


「信じてくれる? バカにしない?」


「しないよ。する理由がない」


臆病さを滲ませた少女の顔が僅かに緩んだ。


イネスの治療に役立てるという目的もあるが、ラザラスはより多くの症例を書き留めておきたいのだ。彼自身、それこそが使命だとすら思っている。


少女からの話を聞き終えて、ラザラスは早足に宿へと戻った。部屋の中ではユナがテーブルに複数の小瓶、イネスの血液を並べている。


「ユナ、毒の線は?」


「なさそうだわ。これで全部試し終わったけど、あたくしが持ってる薬、どれも反応しなかったもの。やっぱりそういう力のある魔物ってことなのかしらぁ」


「ああ、死亡した青年は全身が酷く腐敗していたけど、その日の朝は元気に生きていたらしいからね。けどそうだね、魔物……なのかな」


「魔物じゃないのかしら? まさか人間がこんなことできるとは思えないものねぇ」


「それが、人の言葉を話していたらしいんだ」


「じゃあ人ってこと?」


「いや……」


少女曰く、衣服を纏い長い髪を持ち、後ろ姿は一見人間のそれ。しかし振り返ればそれは到底人には見えない。黒い靄のようなものが人の形を作っていて、顔面は奥に骨が透けて見えていた。


「さしずめ……そうだな、死神ってところかな」


「そうね、話を聞く限りではその呼び方がしっくりくるわねぇ」


「キャラバンに戻ったら疾風の賢杖に調査依頼を出そう。とりあえず今はイネスさんだ」


「センセェ、今日も行くの?」


「気に食わないって顔だね」


「当たり前じゃない。センセェが他の女のところに通うだなんて、あたくし本当は嫌なのよ」


口では文句を並べつつも、ユナは薬の準備をする。ラザラスが行くと言えば何処にでも着いて行くのが彼女だ。


イネスの右足を切断してから4日が経過した。幸い感染症の心配はなさそうだが、彼女はベッドから出ようとしない。顔も見せずに毛布に包まって泣き続けている。


「もう、そんなに泣かれちゃあたくしもやり辛いわぁ。痛いかそうじゃないかくらい言って欲しいわぁ」


「うーん、せめて一言会話したいね。とりあえず創部見ますね」


ラザラスが声を掛けてもイネスは無反応だ。仕方がないので勝手に毛布から右脚を引き摺り出して診察しようとすると、すかさず左足がラザラスの頭を蹴り付けた。


「いてっ」


「イネス! 何してるんだ、謝りなさい!」


エリクが注意しても、イネスは毛布から顔を出さない。ラザラスは足をばたつかせるイネスを見て、こめかみを摩りながらどうしたものかと眉を下げた。


「あなた何してるの?」


怒気を含んだ声がイネスの枕元に落ちた。痛み止めを打ってから部屋の角に寄り掛かって眺めていたユナが、大きな足音を立ててベッド脇に立った。エリクが慌てて謝罪したがユナの視界には入っていない。


「聞こえなかった? あなたどうして今みたいなことしたの?」


「あのぅ、本当にすみません、娘はまだ気持ちの整理が」


「センセェの顔を蹴るなんてどういうつもりかって訊いてんのよこのクソガキが!」


ユナは毛布を鷲掴んで、勢い良くイネスから引き剥がした。薄手で頼りない鎧を失ったイネスは、驚いて思わず伏せていた顔を上げた。


「……そっちこそ、なんなの」


「は?」


イネスがボサボサに乱れた髪と泣き腫らした顔で言い返せば、ユナが即座に彼女を睨み付けた。女性の方が怒ると怖いよねと、ラザラスはエリクが狼狽えるのを横目に彼女たちを眺めた。


「人の足切り落としといて頭おかしいんじゃないの! なんでパパはそんな人たち家に入れてんのよ、さっさと追い出してよ!」


「はあああ!?」


「間違ってる? 私間違ったこと言ってる!?」


「自分の無知を棚に上げてんじゃないわよこの恥知らず! あんたなんか一生ベッドの上で芋虫やってろ!」


怒声が室内を埋め尽くす。普段は飄々とした態度のユナだが、ラザラスに何かあるとすぐに頭に血が上る。自分をそれだけ慕ってくれていると思えば嬉しいような、だが手元に置くには困るような。実の所、ラザラスはユナを持て余しているような気がしている。


「イネスさん、元気そうですね」


「はあ、元々切り替えの早い子ではありますが」


「感染症の心配もなさそうですし」


甲高い声で罵り合いを始めた女性たちを前に、ラザラスは呑気に苦笑した。エリクはただただ困惑した。


「あのー、2人とも」


「ババアは畑で芋でも掘ってろよ! なに偉そうな顔で説教垂れてんだよ!」


「あの、ちょっと、落ち着いて」


「あんたの言うババアより無様な顔のくせに言ってくれるじゃないの! あんたがあたくしくらいの歳になったら豚か猪かしらね!」


「2人ともなんの話をしてるの」


てっきりユナが自分のために怒ってくれたと思いきやそうではないような気がする。ラザラスは複雑な気分になった。


「ふざけんな! なんで足切り落としたんだよ!」


「そうしなきゃあんたは死んでたの! よくも恩人の顔を蹴れるわね!」


「知るか! 知るわけないじゃんそんなの、だったらそのまま死なせとけば良かったじゃん!」


「はあ!? あんた恥知らずの上に恩知らずなのね!」


「そっちが勝手にやったんでしょ! あたしはこんな足になってまで生きたいなんて言ってない! お洒落とか仕事とか絶対無理だし、だったらそのまま死なせとけば良かったじゃん!」


ふっと冷たいものが腹の中に落ちてくるような感覚。ラザラスはエリクの横顔を一瞥した。


なんて表せばいいんだろう、これ。僕は処置をしたけど、彼女の生き方に口を出す権利はないし、なのにこのまま口を閉じるのはどうしても気に食わない。自分のことをあまり分かってる気はしないけど、やっぱり僕は善人じゃあないんだな。


「じゃあ死ねばいい」


ラザラスの声が部屋の空気を震わせて、3人に苛立ちを叩き付けた。途端にユナもイネスも凍り付いたように動きを止めた。ラザラスに限らず、普段怒りそうにない人物の怒りというのはどうしても存在感を持つものだ。


「何か勘違いしているようだけど、僕たちは勝手に治療なんかしていないよ。君みたいに治療が終わってから騒ぐ人がいるから、僕が先走りそうになってもユナが止めてくれるんだ」


「え、だって、でも、あたしは頼んでない……」


「気絶してたからね。僕たちに治療を頼んだのはエリクさんだ。エリクさんの同意があったから君の治療ができた。そんなに死なせて欲しかったならエリクさんに文句を言ってくれ」


ラザラスにそう言われて、イネスはエリクと目を合わせた。4日前からずっと毛布に顔を埋めていて、目を覚ましてからまともに父親の顔を見ていなかったことに、そこでようやく気が付いた。


「足をそのままにしておけば、まだ生きている組織まで腐っていた。虫も沢山寄ってきて肉を食われてただろう。腐敗した肉は毒素を発するから、それが頭にまで回っていたら錯乱して死んでいたかもしれない。もし君がそうやって死にたかったなら今回の結果は残念だろうけど」


「そんなわけ、ないじゃん……」


「まあ、そうだろうね」


優しげに見えるラザラスから飛び出す言葉の衝撃は大きく、イネスは頭を垂れて身体を縮こめた。エリクが恐る恐る、小声で止めるように頼んだが、ラザラスは敢えてそれを無視して続けた。


「君がこうやってベッドの上で駄々をこねていられるのは、エリクさんの努力と犠牲の上に居座って、常に守られているからだ。それに報いる気がないのなら、これ以上エリクさんを食い潰す前に早く死んだ方が良いと思うよ」


イネスが泣き出しそうな顔で首を横に振った。エリクは愛娘が暴言を受けていることに腹が立ってラザラスに掴みかかろうとしたが、即座にユナに手首を鷲掴みにされた。骨をへし折らんばかりの怪力だったので、エリクは思わず小さな悲鳴をあげた。


「だけど、君に立ち上がる気があるのなら、僕らはその手伝いができる」


「えっ……手伝いって、なに?」


「君に足を作ってやれる。僕らの仲間に義足とかを作るのが上手い人がいるんだ。結構良い評価を貰ってるし、見た目もある程度は生身の足に寄せられるから、多分……まあ、お洒落もできるんじゃないかな」


「……それ、本当に? 変なもん渡して高額請求とかない?」


「本当だよ。費用は……うちの寮への宿泊費を合わせても4000ウィーガルで済ませるよ。ただし条件はある」


途端に警戒心で顔を引きつらせたイネスを見て、ラザラスは分かりやすいなあ、と微笑んだ。鞄の中には取引先や後援者に渡すための資料の予備が入っている。それを受け取ったイネスは驚愕で目を丸くした。


「なんならほら、団章もある。僕らのキャラバンのものだ。これで信用して欲しいんだけど」


「本当だ……えっ、本物? ラザラスってあのラザラスなの?」


「イネス、お父さんよく分からないんだけど、彼は有名人なのか?」


「パパ知らないの!? ほんっと新しいことに疎いよね。時代遅れって言われちゃうよ」


「はは……」


本来の辛辣さを見せ始めた娘に少しだけ安心したエリクは、小声でユナに謝罪した。ユナが念を押すように爪を立てたが決して傷は付けていない、エリクは却ってそちらの方が恐ろしいような気がした。お前の手首くらいなら簡単に粉砕できるぞと言わんばかりの怪力であった。


「今すぐベッドから降りて身体を動かすこと。それが条件だ」


「えっ……それだけ? てかなんで?」


「身体が元気そうならさっさと動いた方が良いんだ。左足まで衰えるからね。で、どうする? 僕らもそろそろここを発ちたいし、できれば明日までに決定して欲しいんだけど」


「やる!」


「わあ良い返事、そして良い笑顔」


「さっきの警戒心はどこ行ったのかしらぁ。手首の関節、柔らかそうね」


「くるっくるだね。これが知名度の効果か」


エリクだけが状況に着いていけていない。自身が世間の流れに置いていかれている自覚はあるので、ラザラスを怪しいとも思い切れない。疎外感が彼を部屋の隅に追いやった。


エリクは目を輝かせるイネスを見て、若者って凄いなあ、とぼやいた。自分以外の誰かが娘を立ち上がらせたことがなんだか切なかったが、娘の瞳に希望が宿るのを見てしまえば、ごくごく些細な嫉妬であった。


いやー、ラザラスくん、過激ですねー

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