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闘志

気分が良い。霊水を飲んだ途端に身体はとてつもなく軽くなった。防具を脱ぎ捨てたから、それだけではない。使い慣れた槍がまるで本当に身体の一部になったかのように手に吸い付いている。きっと今なら何だって殺せる。


熱い血が巡る身体とは裏腹に、闘志はどこか冷静だ。カサネは潰し損ねた雷神の右目に向かって駆け出した。


「ちょっ、カサネさん! 下がってくださいって!」


アルヴィンの静止を気にも留めず、カサネは再び雷神象に乗り上げた。先程は石突きを突き刺しただけで終わってしまったが、今度こそ確実に潰せる。カサネにはそんな確信があった。


「アルヴィン、このままこいつ押さえつけといて!」


「えっ?」


さくり、とまるでパイでも切るかのように雷神象の眼球に刃が入る。深く差し込まれた槍を振り抜けば、水晶体までもがいとも簡単に両断された。


軋んだ悲鳴をあげた雷神象が激しく暴れて、アルヴィンは慌てて地面に縫い付けるよう魔法を強化した。雷神象はすっかり土塗れだ。


「よっしゃ、右目とった!」


ファウストは明るく跳ねるカサネの声を聞きながら、違和感の正体を探った。


何故カサネは強いのだろうか。単純な努力や幸運だけでは補えない何かがある。これが才というものなのだろうか。いや、才能のある者ならば何人か目にしてきた。彼らとも違う何かを持っている。


「キギャッ」


素早く剣を振り抜くと、後ろから忍び寄っていた鎌鼬の短い悲鳴が宙に浮いて消えた。ファウストが視線だけ動かして周りを見ると、草木の間から覗く猟奇的な瞳の輝きがいくつかあった。


「雑魚が集まってきたな……」


双剣の片方は折れている。片方だけでも戦えるが、やはり一冒険者としてのファウストの本領は双剣があって発揮される。


戦おうと剣を構えようとしたファウストは、やはり刀身を下ろして駆け出した。


「ジーモ、フィリーノ、雑魚たちを食い止めるぞ! 近付けさせるなよ!」


「はい!」


「西方向の防衛はヴィクマを中心に! ルクフェルたちの邪魔をさせるな!」


自身をはじめとして、大地の盾の冒険者はウィツィ以外雷神象に対しては無力。さらに団長である自身の戦力は半減している。まったくもって良い所なしだと僅かに嘲笑を浮かべて、ファウストは指示を出すために走り回る。ファウストから指示を受けた冒険者たちは、それぞれ勇んで部下たちとともに雑魚を倒していく。


「それとベルナルド!」


「了解でえっす!」


「おい、まだ指示を……」


自身が指示を出すまでもなく動き始めた白銀階級の冒険者たちを見て、ファウストはやり場のなくなった手を彷徨わせた。


これまで仕込んできたのだ。そうなって貰わなければ困るのだが、下ろした手はもの寂しさをぶら下げた。雷神象には歯が立たず、指揮は不必要、ルクフェルに指揮を任された意味も見当たらない。大地の盾の団長としては喜ばしいことだが、個人としては少しばかり複雑な気分になった。


「もっかい! 左目いくよ!」


「よっしゃいっちゃってカサネちゃん! 大丈夫絶対死なねえから!」


「あ、やば」


一層激しく暴れた雷神象が土を振り払い、アルヴィンはつい顔を覆った。土の粒が身体を叩いて、止んだだろうかと腕を下ろした時、眼前に迫る岩に思考を止められた。


「え、あ」


ぐごおぉぉん。脳裏に響く爆音と衝撃。視界が真っ白に染まり、アルヴィンはそのまま勢いよく吹き飛んだ。


ああ、ここで終わりか。結局自分の魔法でも倒せはしなかった。呆気ない最期だった――


「寝てんなよアルヴィン!」


「ぅえ?」


アルヴィンが目を開けて視線を横に向けると、目が合ったウィツィがニヤリと笑った。その瞳は金色に輝いている。


あ、そうかそうだった、ウィツィがいれば死なないんだ。すぐにそう思い出してアルヴィンは勢いよく上半身を起こし、そのまま再び瞳を金色に輝かせた。


物がぶつかった衝撃はあるのに痛みはない。不思議な感覚だ。息が僅かに乱れて、一瞬で迫って通り過ぎていった死を思い返せば全身の皮膚がざわつく。アルヴィンは大きく脈打つ胸を押さえた。


「……ん?」


「アルヴィン、次だ次! 雷神象また起き上がってんぞー」


「え、ああ」


「アールーヴィーンー、ちゃんと押さえといてってば!」


「あっ、はい!」


巨大な氷や岩が大量に雷神象にのし掛かる。後ろ脚は地面を蹴るように抉っているが滑稽に滑るばかりだ。カサネが鼻を鳴らして一度距離をとると、その近くで重い金属音がした。


「なあウィツィくん、痛みも怪我も一切ないんだろう。それはつまり、多少無理な使い方をしても身体を傷めないということかな」


「オレの経験上ではそっすね」


「なるほど、それはとても良いね」


ルクフェルが籠手と前腕甲以外の鎧を脱ぎ捨てて身軽になった。大剣の柄を力強く握り締め、浮かべる笑顔は悪戯っ子のように吊り上がっている。いつもの優しく穏やかな笑みはどこかに放り捨てて、ルクフェルは肺に空気を溜め込んだ。


「さあアルヴィン、奴を暴れさせてくれるなよ」


「えっ、ルクフェルさん、何する気ですか」


「まあ見ておきなさい」


ルクフェルの蹴り出した一歩が重く響く。2回、3回と剣を振り回しながら、遠心力によって勢いを増したその刀身が、雷神象の脚へと振り下ろされた。


「どおぉぉらあっ!」


押し込んだ刃が雷神象の足首に食い込み腱とぶつかり合った。ルクフェルの丸太のような脚が逞しい体躯を前へ前へと押し運ぶ。


隆起した肩の筋肉が無理矢理な使い方をされているが、それでもやはり傷んではいない。あまりに便利なウィツィの秘術は、ルクフェルの萎んだ闘志に火をつけた。


「そぅら!」


ルクフェルが駄目押しで足までも鍔にかけて押し込めば、弾けるような水音が響き渡った。力任せに剣を引き抜き斬り付けた断面を見て、ルクフェルは興奮しながら声を張り上げた。


「さぁーてどうだ! 左足とったぞ!」


「やばルクフェルさん超パない!」


一般的な建造物の柱よりもずっと強固であろう雷神象の足の腱が見事に断ち切られた。さすがに大剣も一部刃こぼれしているが、腱を斬りつけた方と反対側の刃はまだ輝いている。


カサネにしてもルクフェルにしても、金階級の冒険者とはこんなにも人間離れしているのかと、アルヴィンは改めて感嘆した。


「さあカサネ、左目を頼む! 俺は右足をやる!」


「かっしこまり!」


身の危険を察した雷神象が全身から雷撃を放つが、ウィツィの秘術がある以上誰も倒れはしない。

痺れるような衝撃はあるのに痛みはなく麻痺もしない。身の安全が保障されたことで冒険者たちに最早恐れはなかった。


「うわ、ビリビリくんのに本当に全然痛くない」


「変な感じだな」


「俺結構好きかも、癖になりそう」


「やめろお前」


軽口を叩きながらも、団員たちは順調に魔物を切り捨てていく。


だぁん。鉄の塊が内側から弾けるような音とともに、ルクフェルが雷神象の右足の腱を断ち切って、続いてカサネも左目に槍を差し込んで振り抜いた。


雷神象の鳴き声がようやく萎み始めて抵抗が弱くなる。なんだか泣いているように思えて、アルヴィンは先に倒された雷神象の子の死骸に視線を遣った。


開拓のために魔物の討伐の依頼が出ることはあるが現在では住む者はいない、不作の自然荒野レストニア領。そんな場所で移動が確認されたからと殺されようとしている雷神象を、アルヴィンはこの時ようやく哀れに思った。


「ごめん」


両後ろ足の腱を断ち切られた以上、もう雷神象はその巨体を動かすことは不可能だ。視界も奪われ抵抗をやめた雷神象の上に、氷塊と岩が浮かぶ。


アルヴィンはなんとなく、これが最後の一撃になるような気がした。この一撃を喰らっても雷神象は生きて抵抗しようと思えばできるだろう。しかし雷神象はそれを選ばない。失意の中、諦めとともに死を受け入れるだろう。なんの根拠もなくそんな気がしたのだ。


「許せよ」


ぽつりと呟いて、アルヴィンは魔法を振り下ろした。豪雨のように落とされる轟音の中に、雷神象の断末魔の叫びが飲み込まれていった。


少しして音と土煙が止んだ時、場を支配したのは一瞬の静寂だ。雷神象が息をすることを止めた、勝利の合図だった。


「あはっ」


笑い声がやけに大きく響いた。アルヴィンが顔を上げると、カサネが恍惚とした表情に当惑を滲ませているのがよく見えた。

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