一転
ウィツィはカサネの窮地を救ったそれを秘術だと言った。魔法ではないのかと一瞬戸惑ったアルヴィンだが、そこは然程重要ではない。
「これがボリューニャの呪術師部族トーティエのうちのひとり、ウィツィ・エスペラ・イグレシアスの秘術だ。これがかけられている間は、一切の死を拒絶する!」
雷神象の足が地面を踏み鳴らしながらウィツィに迫る。避けようとも逃げようともしないウィツィを見て、大地の盾の団員たちが顔を覆って悲鳴をあげた。
「いい加減にしないか!」
「待てファウスト!」
「うぉわ、ちょっ……」
ファウストに首根っこを掴まれて後ろに放り投げられ、ウィツィは呆けた顔で尻餅をついた。そうして身を呈して自身を助けるために飛び出したファウストの上にちょうど雷神象の足が下ろされるのを眺めた。
「うわあああぁっ」
「ファウストさんがっ……ファウストさんが!」
ごおおぉ、ばきばきばき、めきょっ。地面が砕ける破壊音と共に踏み潰されたファウストを目の当たりにした者たちの悲鳴が飛び交う。
パニックを起こして散り散りに逃げ出そうとする大地の盾の冒険者を見て、ウィツィは慌てて叫んだ。
「待てよ、待てって! なあ、本当なんだって、俺の秘術があれば平気なんだって!」
重鈍な動きで他の冒険者たちを踏み潰そうと方向転換する雷神象の足の下で、ファウストの身体がなじられた。
無惨にすり潰される友人を見て、ルクフェルは思わず片手で額を覆った。膝を着いて項垂れてはいけないことだけは分かっていたのでなんとかすぐに顔を上げたが、視界はぼやけていた。
そのためルクフェルは気が付かなかった。雷神象の足の裏からはみ出していた手が動いたことに。
「……全員、撤退――」
「口を閉じろ、ルクフェル」
存在感のある声が響き渡って、逃げ出そうとしていた冒険者たちの足を止めた。大地の盾の冒険者の背筋を反射的に伸ばしてしまうような鋭い声だ。
地面にめり込んでなじられていたはずのファウストが上半身を起こして、頭についた土を振り払った。半分埋もれていた身体を地面から剥がし、ファウストは即座に雷神象から距離をとった。怪我はないようだが身に付けていた防具はひしゃげて破損している。
「何をしているんだ、残念ながら僕は死んでいないんだが」
「えっ? 君は今確かに雷神象に……」
呆気にとられているルクフェルを横目に、ファウストはウィツィの腕を掴んで雷神象の死角へと移動し、冒険者たちがざわめくのにも構わず続けた。
「ここで逃げ出したところで野垂れ死ぬだけだ。僕の部下ならばそれが分からないような愚か者ではないはずだ、違うか!」
「うわああぁファウストさん生きてたああぁ!」
「ひぎゃああぁ!」
「うびゃあぁぁあ!」
返事の代わりに返ってきた奇声が飛び交って鼓膜を震わせる。一喝しようかと息を吸い込んだファウストは、やはり大きく吐き出して近くにいた冒険者に声をかけた。
「これを外すのを手伝ってくれないか。ひしゃげているせいでうまく動かせないんだ」
「はいっ!」
「もう使い物にならないな……」
なんとか防具を脱ぎ捨てたファウストは、双剣の片方が折れていることに気付いて沈黙した。数秒間の重々しい沈黙の後、顔を上げたファウストは妙に軽快な表情だ。
「ウィツィ」
「はい……」
「君を信じよう」
「えっ……はい!」
ウィツィは目を丸くして、じわじわと込み上げる安堵と喜びで頬を緩ませた。
「それとルクフェル!」
「あっはい」
「立ち向かう気がないなら下手くそな指揮なんかせずに下がっていろ、この老け顔の腰抜けが」
「今老け顔関係ある?」
ルクフェルは間抜けた顔でぽかんと口を開けた。心配して安心したと思ったら罵倒された、この急展開に精神が追い付かない。あんまりじゃないかとぼやいて大剣の柄を握り直した。
「指揮は君に任せていいかな、ファウスト」
「甘えるな。けどそうだな、仕方がないから今回はこちらで引き受けてやる。ウィツィ、それは一度に複数人に使えるか?」
「いけますよ! 痛みもなくなりますし怪我も一切しなくなります!」
「素晴らしいな。しかしそれでは負けないだけで勝てはしない。ルクフェル、雷神象に傷をつけられるのはカサネと君くらいだろう。こちらでなんとかやつの動きを制限して、そこから」
「あの!」
簡単に作戦を練り直そうとするファウストたちに、アルヴィンが突然割り込んだ。一体何だとルクフェルが聞き返す間もなく、アルヴィンは矢継ぎ早に宣言した。
「俺がやります。全員下がってください」
了承の返事を待たずに飛び出したアルヴィンは、瞳を金色に輝かせた。
燃え上がる炎が雷神象の全身を包み、まとわりつく木々が一瞬で灰と化す。突然の出来事に、その場の冒険者たちは騒いだり固まったりと混乱している。ルクフェルたちも呆然と燃え盛る炎を見つめたが、飛んできた火の粉の熱にはっと我に返って後ずさった。
「うわっ、なんだこれ熱っ」
「火炎瓶……いや火炎瓶ひとつでこうなるか!?」
「というかめちゃくちゃ熱っ!」
「あつつつつつあっちぁ!」
慌てて距離を取る冒険者たちを見て、アルヴィンは気まずそうに炎を消した。
続いて宙に現れたのは大量の水だ。集まって雷神象の全身を包み込むほどの巨大な水槽となり、雷神象から空気を奪う。アルヴィンの炎でもまだ燃えないほど丈夫な表皮の持ち主だが、さすがに空気がなくては生きられない。
「うわ何だこれ!」
「いやなんかウィツィが呪術師とかなんとか!」
「それじゃあの聖火の鏡の子も呪術師か?」
「というか呪術師ってこんなんだっけか」
「いやよく知らねえけど!」
ファウストはぎゃあぎゃあと騒ぐ冒険者たちをそのままに、自身もぽかんと口を開けた。その後同様に間抜けた顔のルクフェルの頬を引っ叩いて、続いて自身の頬も殴打した。
「痛いか?」
「痛いな」
「そうか、僕もだ。ということは夢ではなく現実ということか。ウィツィだけならまだしも、こんなのがもう1人いるんだな」
「俺はウィツィくんの時点で頭が爆発しそうだがね」
雷神象が凍り付いた水槽を内側から破壊した。アルヴィンは凍らせない方が良かったかと眉を寄せて、今度は地面を動かすことにした。
雷神象が踏み出した1歩が大きく地面に沈み、伸びた土の帯が雷神象の身体に絡まり付いて地面へと縛り付けようとする。
「すっげえ、これならいけんじゃねえ?」
「呪術師ってすごいな!」
呪術師じゃないんだけどな。内心そう呟いて、アルヴィンは巨大な岩を宙に浮かせた。直後、ずがああぁん、という爆音と共に突風が巻き起こる。岩が雷神象の頭の上に振り下ろされて、何度もその硬い装甲を叩く。
「マジかよ」
ウィツィはぽつりと呟いた。ウィツィが自分以外に秘術と呼ぶ力の持ち主で知るのは1人だけだ。まさかボリューニャの外で目の当たりにするなどとは考えていなかった。
「けどさ、ちょっと無理み強いわ」
「え?」
「確かに痛そうな感じあるけど、どれも致命傷じゃないくさい」
これだけの攻撃を受けても、雷神象は強靭な体躯でもって拘束を破り強烈な敵意を放ち続ける。まるで衰える気配のない生命力をぶつけられてアルヴィンは歯噛みした。
たしかに効いている、だと言うのに倒せる気がしない。魔法さえ使えば死者を出さずに勝利できるなど思い上がりだったのだろうか。屈辱に似た感覚だ。そんな一瞬の雑念を無理矢理抑え込んで、アルヴィンはもう一度岩を振り下ろした。
優勢なはずなのに危機感が拭えないのはアルヴィンだけではない。果たして本当にこれで勝てるのか、アルヴィンの力だけで何とかなるものなのか。金階級の3人は、盛り上がる団員たちを横目にどうすべきか分からないでいた。
「カサネさん!」
エルヴィスが距離をとっていたはずの狙撃部隊からいつの間にか離脱して、息を切らして前線へと駆けてきた。そのままの勢いで差し出された瓶を受け取ったカサネは、その美しい青色を見てはっとした。
「霊水……?」
「そうだよ。半分しか入ってないけど、カサネさんならその量でも十分治るはずだから」
「え?」
「それを飲んで脚を治して、そしたらアルヴィンを手伝って欲しいんだ。アルヴィンの魔法は凄いけど、ああいう強い魔物に対しては決定力に欠けるから」
「……や、手伝って欲しいって言ってもさあ」
先程無様に弾き飛ばされたことで、さすがのカサネも多少戦意を削がれていた。自分がどうすれば勝利に近付けるのか、まるで見当がつかない。
珍しく口籠ったカサネを見て、エルヴィスはカサネの手を取った。
「大丈夫。カサネさんが振るうなら、この槍は絶対に雷神象の息の根を止める」
カサネの手から槍の柄へと指を滑らせて、エルヴィスは静かに微笑んだ。
「なんと言ってもこの槍が選んだ持ち主なんだから」
「……へえ、知ってんだ、この槍のこと」
エルヴィスの言葉が染み込んで身体の一部になっていく。こんな感覚をどこかで覚えたような気がして、カサネは手元の瓶に目をやった。
「ん。貰うわ、これ」
栓を外して一気に霊水を呷ると、太腿の傷は瞬く間に塞がっていく。カサネは少しばかりひしゃげた兜を脱ぎ捨てて、次々と防具を外していった。本当に死なないのであれば重りにしかならない。
「見てなよエルヴィス。金階級の底力ってやつ。お姉さん頑張っちゃうからさ」
勝たなくては。白金階級の魔物を殺せるだけの冒険者にならなくては。そのためにどんな危険にも挑んできたのだから。
ぐいぐいと身体を伸ばして、綺麗に治った左脚で身体を跳ね上げる。カサネは大きく息を吸い、自身の両頬を叩いて槍を構え直した。




