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秘術

雷神象から見た人間は蝿のようなものだろう。いや、蜂くらいの大きさはあるだろうか。


そんなことを考えて、ファウストは現実から逃避したがっている自分に気が付いた。雷神象は作戦がまったく意味を為さないとすぐに分かるほど巨大だ。どんな作戦を立てても攻撃が通らないのであれば意味がない。背中の木々が邪魔で矢は通らず、通ったとして雷神象からしてみれば虫が止まった程度のものだろう。


「ルクフェル!」


「ああ了解だ!」


ルクフェルの怪力で振られる大剣ならば、辛うじて擦り傷くらいにはなるかもしれない。ルクフェルが気を引いている間に他の団員が距離を取る、多少危険だがこれしかない。ファウストの思考を理解しているルクフェルは、即座に返事をして剣身を叩き込んだ。


大剣と雷神象の皮膚がぶつかり合って、岩を叩いた時のような振動がルクフェルの指先から肩までの骨を震わせる。ささくれのように僅かに捲れ上がった雷神象の皮膚を見て、ルクフェルは畜生が、と悪態を吐いた。分厚い表皮からは血は流れてはいない。結局気を引くにも至らなかった。


大樹のような脚が冒険者たちを踏み潰そうと地面を踏み鳴らす。動きが素早くないのが幸いだ。


「全員距離を取れ、少し時間を――」


「あっはー、やっべめちゃんこ硬いじゃんこいつ! ないわー、なしよりのなし!」


「は!?」


雷神象の身体に生えている草木を足掛かりに、カサネがその身体の脇腹にしがみついた。ファウストの静止に耳を貸すつもりはないようで、他の冒険者たちが怯むのを横目に雷神象の身体をよじ登っていく。


「聞こえていないのかカサネ!」


「アルヴィン、燃やしちゃってよ!」


「えっ」


「そこから降りて距離を取れ!」


「あっ、あの」


「ほら早く! 刃が通んないんだから燃やすしかないっしょ!」


アルヴィンは視線を右往左往させて瓶を手に取った。しかし直後にファウストに睨まれてアルヴィンはたじろいだ。


「あれをなんとかしろ!」


「あっ、いや……ちょっと無理です、すみません」


アルヴィンは瓶を片手に駆け足で前に出た。勇んで駆けたわけではなく、目を見られないために前に出たに過ぎないが、その場の冒険者たちには蛮勇にしか見えない。聖火の鏡はこんなやつばかりだったかと、ファウストは頭を抱えて蹲りたくなった。


「やりますよカサネさん!」


「かっしこまり!」


アルヴィンが叫ぶと同時に、カサネはツタに手をかけながら雷神象の背中を駆け上がり、そのまま頭の方へと移動する。それを見計らって、アルヴィンは先程カサネがしがみついていた脇腹へと瓶を投げ付けた。


かしゃん、と小さな音が、生まれた瞬間に炎に飲み込まれる。ごうごうと音を立てて雷神象の身体を這い回り、草木を食らっていく。


「いいよいいよー、きてるよー、アガってるよーっとと、うわっ」


魔法の炎はかなりの高温だ。さすがの雷神象も平然としてはいられないようで、巨体を揺らして暴れ始めた。カサネが振り落とされかけたが槍を木に突き刺して踏み止まった。


「うっし、行きますよっと」


ぐっと木の幹を踏み締めて、カサネは雷神象の肩から首の上へと飛び移った。急所のすぐ近くにまで来たものの、やはり皮膚は硬く血管を狙うのは骨が折れそうだ。ならば、とカサネは雷神象の大きな目玉を見遣った。


振り回した槍が勢いを増して空を切る。この一撃で最低でも片目は潰してやろうと、カサネは助走をつけて跳ねた。


「そぉらっ!」


さく、と軽い音を立てて眼球に一撃が刻まれる。目玉は思いの外柔らかく、カサネは勝気な笑みを浮かべて槍に体重をかけた。


古びた船が崩れ落ちるような鳴き声が、雷神象の喉の奥から重く響く。カサネを振り落とそうと首を振るが、重鈍な動きでは叶わない。しかし雷神象の武器は巨体だけではない。


「へ?」


ぱち、と何かが弾けるような音が耳に届き、カサネははっとして槍を抜き飛び退いた。

逃れ切れなかった片脚の皮膚が弾けるようにして裂け、痺れるような痛みと共に動かなくなる。


「カサネさん!」


カサネはバランスを取れないまま落下したが、辛うじて右脚で着地してから尻餅をつく。アルヴィンに返事をする余裕はなく、地面を転がって自身を踏み潰そうとする雷神象から距離を取った。


「やっばあ、くっそ痛いわ」


傷は浅いが力が入らず、カサネは槍を支えによろめきながら立ち上がった。

唯一勇んで立ち向かった金階級のカサネがいとも簡単に振り落とされた。他の冒険者たちの戦意を削り取るには十分だ。


「ざまぁって感じ? ほら、右目めっちゃ血ィ出てんじゃん」


肩で息をしながら笑って見せたカサネだが、その眼光は冷たくするどいままだ。誰も返事をしようとしないことに舌打ちして、カサネは血で湿った太腿を押さえた。


「あー、いった……」


少しずつ感覚が戻り動くようになりつつあるが、片脚にたった一度くらってこれでは冒険者たちが全員倒れる方が先だ。アルヴィンの炎も効いてはいるが致命傷には至らない。


どうしよっかなあ。そう小さく呟いたカサネだが、心は折れていない。左脚で地面を叩き感触が戻ったことを確かめ、右脚で身体を持ち上げて何度か跳ねた。


「私は強い。私は決して臆さない。私は必ず敵を打ち倒す」


「カサネ、一度下がりなさい!」


ルクフェルの声は届いていなかったのか、届いていて聞かなかったのかは分からないが、カサネは速度を落とさず振り向きもしない。


カサネが到底敵わない相手にも挑んでいくのは、背丈が半分だった頃から変わらない。それでも生き延びて驚くほど強くなった。しかし今回ばかりは無謀でしかない。


ルクフェルはカサネを止めようと駆け出そうとして立ち止まった。機敏な方ではない自分が雷神象の間合いに入ってカサネの首根っこを掴んで引きずり戻す、それができる自信がないのだ。ルクフェル自身も戦意を喪失していた。


団長のルクフェルですら立ち向かおうとしないのを見て、アルヴィンは魔法なしで敵う相手ではないと改めて突き付けられた。火炎瓶で説明できるほどの範囲を焼いたくらいでは雷神象は止められない。


そうだ、使えばいい。ここにいる何十人が生きて帰れるんだから使わない手はない。もしそれでまた事件に巻き込まれたり誰かに目を付けられても前と同じように逃げれば――


「あ」


カサネが再び弾き飛ばされるのを見て、アルヴィンは固まった。魔法が一瞬で頭から消し飛んで、岩に激突したカサネが地面に落ちるのを呆然と眺めるだけだった。


まだ生きているだろうか。もっと早く使えば良かった。もっと早く決断していれば、自分に勇気がなかったばっかりに。宙を舞うカサネを眺めている間はまるで働かなかった頭が、一瞬で後悔を羅列した。


「あーもう、くっそ痛……くないわ。あれ?」


「え、あ、カサネさん? え?」


しかしカサネは平然と立ち上がった。アルヴィンは何が起きたのかまるで分からなかった。


「いやっ、今の……今のは死ぬでしょう普通!」


「けど死んでないし! てかそれならそれでいいじゃん、アルヴィン酷くね?」


「あっ、いや、助かったなら良かったです!」


どっと汗が噴き出して、アルヴィンは思わず天を仰いだ。そして安堵とともに視線を下ろした時、自身に向けられた視線とかち合った。


見間違いではない。見覚えのある光がこちらを向いていた。しかしそれも一瞬で、金色の光を宿した瞳はすぐにふっと青に戻った。アルヴィンは驚愕の表情でその光の持ち主の名を零した。


「ウィツィ」


名前を呼ばれたウィツィが、ぎょっとしたように目を逸らした。アルヴィンはそれで確信した。ウィツィは随分と分かりやすい男だ。


「お前、今何したんだ」


「何って、それは……まあ」


気まずそうに笑ったウィツィは視線を右往左往させた。その際にファウストとも目が合い、ウィツィはいつもの屈託のない笑みを浮かべた。


「ウィツィ、今のは君が何かしたのか」


「すんませんファウストさん、こういうことなんですよ」


「……いや、どういうことだ。まるで分からないんだが」


「死なないことに関しては一番っつったじゃないすか、俺」


「とりあえず説明は後で聞く、奴が動くぞ」


「そんな説明するほど難しいもんじゃないっす。さあて、全員注目!」


ウィツィは大きく息を吸い込んで声を張り上げた。それによって雷神象の注意を引いたが、ウィツィは胸を張ったまま動こうとはしない。


堂々とした仁王立ちで、ウィツィは高らかに宣言した。


「ここから先、俺たちは不死身だ! 俺の秘術があるうちは誰一人として死ぬことはない!」


雷神象の目がウィツィを捉えた。目を細めて得意気に叫ぶウィツィを見て、アルヴィンは訝しんで目を瞬かせた。

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