雷神象
「4日間経って誰も戻らなかったら、それ以上待機せずにレストニア領を出るように」
運搬係の部隊長が、これからアリグレットに入るファウストよりも強張った表情で頷いた。対するファウストはいつもと変わりない様子だ。
運搬係はほとんどが低い階級ではあるが、念のためにと数人の銀階級も指名されている。数日身を守るくらいなら十分だ。
「さて、最後の確認だ。今回の討伐対象は雷神象と呼ばれている、正確な大きさまでは明らかではないがかなりの大型だ。事前に疾風の賢杖から聞いていた目的地まではもう約6500ルィートだ。近くまで来ているので気を引き締めるように」
「はい!」
一斉に揃った返事をした大地の盾の冒険者たちを見て、聖火の鏡の冒険者たちも乗り遅れつつばらけた返事をした。
ファウストは皆の返事を確認してから大きく深呼吸をした。荒野なのでキャラバンの室内よりは響かないが、それでも彼の声はよく通った。
「皆分かっているだろうが、今回の仕事は今までより遥かに危険だ。だが臆してはならない。誰かが尾を巻いて逃げ出せば部隊は成り立たなくなる、つまり全滅に繋がる。皆で生きて帰るため、我々の勝利のため、僕は君たちの勇気を信じてこの身を使うことを約束する」
ファウストの号令で、冒険者たちは一斉に歩みを進めた。
背筋を伸ばして堂々と立つファウストの姿を見て、アルヴィンは胸の内を曇らせた。大地の盾の団員のようにファウストを信頼も盲信もしていないアルヴィンには、ファウストが生きて帰るつもりがないことなどすぐに分かった。アルヴィンだけではない、聖火の鏡の団員たちは皆薄々気付いている。
しかしアルヴィンには魔法がある。安全圏からいくらでも強力な攻撃を瞬時に打ち込める。今までは魔法が誰かに知られて、その結果自分にどんな危害があるのかが怖かった。
「なあ、ウィツィ」
「ん?」
もし魔法で団員たちの危機を救うことができるとしたら、自分は使うだろうか。アルヴィンはそんなことを考えて唇を噛んだ。救える人間を見殺しにする性分でない自覚はあるが、かと言ってその後の自分の待遇を気にせず魔法を使う勇気もない。
「ウィツィって、自分から行きたいって言ったんだろ。どうしてなんだ」
「んーとな、まあ……仲間を死なせたくなかったんだよな」
「自分が行けば仲間は死なないって思ったのか」
「ああ!」
雷神象の住処の玄関にまで来てなお自信満々な様子のウィツィを見て、アルヴィンはどう返せばいいのか分からなかった。今まで自分が接したきたどの人間よりも能天気に見えて、どんなに話し込んでも思考が噛み合うことはないだろうと思わざるを得なかった。
「俺ぁな、別に強くはないんだよ。階級だって鋼だしな。けど死なないことに関してはここにいる全員の中で一番だ。だから誰かを生かすこともできるはずっつーか、まあ……」
少しだけ困ったようにもごもごと上下の唇を擦り合わせたウィツィは、言葉を考えるのが面倒になったらしくにんまりと笑った。
「まあ本当言うと、倒せるくらい強けりゃいいんだけどな」
「もしウィツィがそれくらい強かったら大変だけどな」
「え、なんでだよ」
「変な奴に目とか付けられたり、危険な仕事とかに駆り出されそうだ」
「なんだそれくらいかよ」
「それくらい?」
「それくらい、だろ。人の命に比べりゃあな」
それはそうだ、とアルヴィンは小さく呟いた。そうだと分かっているのにまだ勇気は出ない。アルヴィンははっきりと言い切れるウィツィが羨ましくなった。
「止まれ!」
ファウストの声とともに部隊は足を止めた。何かあったのだろうかとアルヴィンが振り返ると、エルヴィスが困惑したような顔でファウストに何かを訴えている。その表情が珍しくて、アルヴィンは訳も分からずファウストたちを眺めた。
「方向はこっちのはずなんだけど、なんかこう……ううん?」
「何か問題があるのか」
「雷神象って1匹だよね?」
「疾風の賢杖の調査結果では1匹だ。白金階級の魔物が2匹もいてたまるか」
「そっかあ。んーとね、まあまあ大きめの魔物がもう1匹いるみたいなんだ。多分雷神象じゃないと思うけど。雷神象が大きすぎるせいかな、なんだかちょっと分かりにくいなあ。大した脅威ではなさそうだけど」
「それなら狙撃してもいいな。さて、予定通りここから3つに分かれて行こう。フェナーとルーティは南、アリオとライナーは北にそれぞれここから300ルィートずつ、迂回するようにして目標地点を囲んでいくぞ」
「了解です!」
ウィツィと離れたアルヴィンは、不安の捌け口を失って落ち着きなく指で腰を叩いた。結局魔法を使う決心ができなかったことが情けなくて、意識的に顔を上げないと前を向いていられなかった。
少し進むと、ごごごぉん、と地響きのような鳴き声が冒険者たちの鼓膜を叩いた。誰かが唾を飲み込む音がした。
「……ん?」
約100ルィート先に見えたその姿に、1人が拍子抜けしたように声を挙げた。ぱちぱちと弾けた雷が鳥を落として、魔物の口の中に落ちていった。
「雷神象……だよな、あれ」
「ああ、まあまあ大型だし」
ごつごつとした灰色の皮膚。そして先程の雷撃。事前に聞いていた情報とも一致しているため、この魔物が雷神象で間違いない。
「あれが白金階級か?」
「パーティがいくつも壊滅したって、あれで?」
冒険者たちがいざ目の当たりにしたそれは随分と小さかった。体長は大の男3人分ほどだ。人間よりはずっの大きいが脅威だと騒がれるほどの魔物には到底見えない。ファウストは思わず眉間を押さえた。
「狙撃手4名、やつを頼む」
弓の弦が引き絞られる音を聞きながら、ファウストは小さく安堵の溜息を吐いた。拍子抜けはしたが、これで済むなら幸運だ。
突然突き刺さった矢に驚愕の悲鳴をあげて倒れる魔物を見て、冒険者たちは面白くもないのに笑うしかなかった。
「それじゃあ、これで撤退ですかね」
「ああ……いや、待て」
めきっ、ぱりぱり、ごごごごっ。
突如、地面が大きく揺れて、アルヴィンの足元にヒビが入った。盛り上がっていた地面が蠢いて、生き物の形を作っていく。
「なるほどな……雷神象はこちらか」
「さっきの小さいの、子どもだったみたいだね」
ファウストが苦々しくぼやくのを見てエルヴィスは冷や汗をかいた。ここまで巨大な魔物を見たのは初めてで、エルヴィスは自身が敵の大きさを見誤ったことに気が付いた。
高さ約120ルィートの巨大な体躯。その背中には岩や木々がひとつの森のように息づいている。地面と同化して山のようになっていたが実は雷神象の背中だったのだ。
剣や矢が通る相手ではない。怒りの咆哮をあげる雷神象に、冒険者たちは怯んで後ずさった。しかしファウストはそれに構うことなく声を張った。
「雷神象を倒す。僕たちの仕事は変わらない」
「ですが団長! これはさすがに……!」
「逃げたいならそうすればいい。君が逃げてもこいつが相手なら誰も恨まないだろう。戦うか逃げるか、今すぐ決めろ」
双剣を抜いたファウストの背中を見て、団員は青い顔で手を震わせながらも武器を持ち直した。直後に、分かれた2つの部隊が到着の合図の笛を鳴らした。
アルヴィンの視界の端に銀色が煌めいた。初めて鍛冶屋の手帳に入った日にカサネが見ていた兜の装飾だ。それを見た瞬間、アルヴィンは己の不甲斐なさを責め立てられているような気分になった。
「やれるだけのことをしましょう」
隣の青い顔をした男にかけた言葉がぐるりと回って胸に突き刺さり、アルヴィンは頬が震えるのを感じながら剣を抜いた。




